突然な佐里からの家への招待に、つい行くと受け答えしてしまった丸は青い五階建てマンションの前に立っていた。
その隣に少し緊張した素ぶりを見せている佐里は、青いマンションに指を向ける。
「ここが、あたしの住んでるマンション」
「結構いいところに住んでるじゃん」
「そうでもない、駅が近いから少し家賃が高いけど……それよりも、本当にあたしの家に来るの?」
「何だよ、佐里ちゃんが誘ったんだろ。目の前まで来て帰るとか、俺見送りかよ」
「そ、そうよね……分かった」
自分から誘っておいてもう後悔してるのか、それとも自分の部屋に歳下の男子を連れ入ることに緊張してるのか、その理由は定かではないが、佐里はようやくマンションの入り口の中に歩き出す。丸もそれに続いていく。
マンションの廊下を少し渡り、エレベーターの扉の前で佐里の足が止まった。
「4階だから、あたしの部屋」
「エレベーター付きか」
「エレベーターがあるところに絞って探したからね、マンション。あ、開いたよ?」
「うん」
丸が先にエレベーター内に入り、先客がいたので端に寄って振り返ると、佐里が先ほどの位置で固まっていた。
「どうした? 乗らないのか?」
「ううん、乗る……」
佐里は首を横に振り、丸の右隣へとエレベーター内に入る。――なぜあえて狭いそこを選んだんだ? もっと広い場所はあったのに。
壁際に佐里、丸、先客の男が狭いエレベーターの中で隣り合わせの形となる。
丸は他に乗客がいないことを確認した後に、扉を止めていたボタンを離した。エレベーターの扉が閉まり、少しして上昇していく。
改めて先客の男に丸は視線を移す。眼鏡を着けていて、不健康な顔色をした中肉中背の男だった。年齢は20代過ぎだろうか。
その男はちらちらと横にいる佐里のことを伺い見ている。――知り合い? しかし、会話がないことからあまり仲が良くないか。さっきの佐里ちゃんの様子から、あまり一緒にいたくない種類の人間かな。そう丸は冷静にその男を分析する。
すると次にその男の視線は丸の方に移った。ジロジロと舐め回すような視線を丸へ送った後に、その男の顔が歪む。
その時エレベーターが2階の位置で停止し、扉が開く。その事に気付き、強く歯軋りした男が逃げるようにしてエレベーターを降りた。
男が出て、扉が閉まり、丸と佐里の2人だけの空間となる。同時に佐里の強張っていた体が少し柔らかくなった。
「あいつ、見てたな俺たちのこと」
「気付いた……? 丸くんも」
「特にお前のこと見てたぞ。なんかその後俺の方を見て、苛立ってたけど」
「…………」
佐里は俯くようにして、エレベーターの床へ視線を落とした。
その隙に丸は至近距離の隣り合わせだという位置を利用し、佐里の胸元をちらりと見た。 大人っぽい服装で、スタイルの良さが際立っている。
「あの男……あたしと同じ大学に通ってるの。何回か前に話したことがあって、それまではまあ普通だったんだけど……」
「ストーカーとか、か?」
丸のその言葉に、語り出していた佐里の目が開かれた。驚いているようだ。――適当に言ったんだが、まさか当たるとは……。
「何で分かったの? 丸くん」
「あいつ結構佐里ちゃんのこと見てたし、その後隣にいる俺を見て怒ってたしな。気に入ってる女が見知らぬ男連れてて、怒った――そういう風に俺は思ったな。後はまあ……勘か。ストーカーしそうな見た目だったし、佐里ちゃんがエレベーターに入る前に、あの男見て凍りついてたのもあるか」
「丸くんって、意外と周りのこと見てるんだね……」
「それバカにされてる? 俺」
「ううん、頭いいなって意味」
褒められるのは単純に嬉しい。年上のきれいな女性から言われるのはもっと嬉しい。丸は男として、単純だった。
――あの男の出る時の目。なんかあるかもな。
それは丸の勘である。同じ男としてのプライドや嫉妬、欲しいものは理解できる。あの男の目は、欲しい玩具を取られた子供の目だった。だからこそ、何かこの後起きるかもしれないと思う。
そんなことを考えていたらエレベーターが4階に着き、扉が開く。
丸達はエレベーターを出て、暫く廊下を歩いて、408番という部屋の前で立ち止まる。佐里が止まったからここがおそらく彼女の家なのだろう。
「今鍵開けるから待ってて」
「おう」
「あ、開いたよ。丸くんようこそ、ここがあたしの部屋。さあ入って入って」
「お邪魔するぞー」
「はーい、ふふ」
佐里が鍵を開け、彼女から入る許可をもらったので丸はお構いなしに玄関に踏み入る。
その中身は綺麗に整えられているといった印象だ。落ち着いた色で統一されているし、香水のいい匂いがする。
一人暮らしにしては少し広めな部屋。そこはリビングのようで可愛らしいソファが置かれていて、佐里は丸に座ってと促す。
「柔らか、このソファ。俺んちにもほしい」
「丸くんって、実家暮らし?」
「そうだぜ。両親と妹と俺の4人暮らし」
「へー、妹居るんだ。丸くん、意外」
「そんなに意外か?」
「てっきり一人っ子なのかなって」
「まあ、妹は血繋がってないけどな。今の母さん2人目だからさ、その母さんが連れてた子供ってワケ」
「……ごめん、なんか」
「別に、今の家族に不満ないし、俺」
「そっか。丸くんらしい」
丸の今の家族に対する感想に、佐里はそう言って笑った。――こいつ、笑う時可愛いよな。
二人きりの部屋、隣に座る佐里の甘い香りに包まれていると、丸の胸がドキドキと高鳴ってきた。なんだか急に体が熱くなり、頭がくらくらとしてくる。
少し体勢を崩した丸は、そのまま隣の佐里へともたれかかる形になった。
「ま、丸くん……ど、どうしたの?」
「はあ……はぁ……」
「丸くん? ――丸、くん?」
荒い呼吸と、熱さが直接肌から伝わってくる。こんなにも熱いのかと、佐里は心配そうに丸の顔を覗き込んだ。丸の顔は真っ赤で、呼吸も荒い。
佐里は丸の額にそっと手を触れてみて、その予想以上の熱さに驚いた。
「熱こんなにある……! やっぱり、体調悪かったんだね、丸くん」
「……佐里ちゃん……はぁはぁ……」
「丸くん、無理しちゃダメだよ……っ」
佐里は丸の体を優しく支え、ソファに横たえようとする。しかし丸は熱で朦朧とした意識のまま、佐里の服の袖をぎゅっと掴んで離さない。
「――丸くん……こんなに熱いのに、あたしのこと心配させないように我慢してたの……?」
「……っ」
丸の顔を見て、佐里は自分を気遣ってついてきてくれたのだと思い込み、胸が締め付けられるような愛おしさを覚えた。
自分を庇うようにストーカーの男を牽制してくれたこと、そして体調が悪いのに強がっていたこと。それらが重なり、佐里の中で丸に対する感情が一気に跳ね上がる。
「丸くん……可愛すぎるよ……っ♡ あたしがちゃんと看病してあげるからね」
佐里は妖艶とも言える優しい微笑みを浮かべると、丸の体を抱きかかえるようにしてソファに寝かせた。そして冷たいタオルを持ってくると、丸の熱い額にそっと当てる。
「冷たくて気持ちいい……?」
「ん……気持ちいい……」
「ふふ、良かった♡ 丸くんって本当にかわいいんだから……」
額を撫でられ、柔らかい手つきで看病されているうちに、丸の緊張も少しずつほぐれていく。
佐里は丸の顔をじっと見つめながら、その濡れた瞳や赤くなった頬を見て、胸のときめきを抑えきれずにいた。
「……あ、あの、佐里ちゃん……」
「なぁに? 丸くん♡ 何でも言って?」
「……なんか、照れる……」
「もう、今さら? ふふ、本当にかわいいんだからっ♡」
佐里は丸の頬に優しく手を添え、愛おしそうに微笑んだ。
ガンツで彼女が言われていた噂とは裏腹に、目の前にいるのは自分を親身に心配し、甲 斐甲斐しく世話をしてくれる優しいお姉さんだった。
「佐里ちゃんって……すごく優しいんだな」
「あっ……こ、こんなの普通だよっ! ま、丸くんこそ、無理しちゃダメでしょ!」
「ふふ、ありがとな……」
急に恥ずかしそうに照れ始める佐里を見て、丸は少し心が和らいだ。どうやら彼女は照れると素直になれなくなるタイプらしい。
だが、冷やしタオルで少し落ち着いたのも束の間、体内の高熱が一気に頭へ上ってきた。ふらりと視界が揺れる。
「ごめん……やっぱり熱悪化したっぽい……」
「丸くん!?」
「だからわりぃ……ちょっと寝る……」
そして丸の意識は微睡みに吸われ、瞼を閉じる。瞼を閉じる瞬間、心配そうにこちらを覗き込む佐里の顔が映っていた。