頭痛がして丸は目を覚ました。重い瞼を開ければ、ベッドで寝かされていた。
額に冷たい感触。その独特な匂いと手で触れて熱冷ましシートだと分かる。
辺りを見回す。そのベッドがある部屋は寝室のようで誰もいない。体を動かそうと思い、起き上がる。
「ここ……何処だ? 俺の部屋じゃないな」
まだ残っている熱のせいか頭が重く、記憶が曖昧だ。確か最後の記憶は……と思い出してみて、その淫らな光景に思い至る。
――佐里ちゃん。その家で俺は、エロ漫画みたいな展開になって……熱が悪化し、倒れた。
改めてその部屋を見ると、そこは佐里の部屋のようだ。私物や家具が女性が使用するものだったからだ。
しばらく丸はそのままでいると扉の外から物音がし、顔を向ける。
扉が開かれ、入ってきた人物は佐里であった。
「起きたのね、丸くん」
「まあね。看病してもらってたのか、悪いな」
「別にしたくてしたことだから、大丈夫だよ。それよりも丸くん熱はどう?」
「もう問題ねー、結構マシになってるし、多分倒れたの、興奮で熱高くなったせいだしな」
「そう、それなら良かった。でもまだ熱はあると思うから、無理しないでね。今、作ったおかゆ持ってくるから待ってて」
「おかゆ?」
佐里は部屋を出て、少し経った後にまた寝室に戻ってくる。その手に白いおかゆを乗せたお盆を持って。
おかゆって病人に出す料理だよな、その程度の知識しかない丸がそのおかゆに目を向ける。
「それ俺のためにわざわざ作ったのか?」
「もちろん。食材はたまたまもう揃ってたから。おかゆは簡単に作れるもん」
「ありがとな、佐里ちゃん」
「うん……どういたしまして。食べられる?」
「食べるに決まってんだろ、佐里ちゃんが作ってくれた手料理なんだぜ」
佐里はベッドの横で椅子を持ってきて座ると、お盆を足の上に乗せ、可愛らしいお椀に盛ってあるおかゆをスプーンで取った。そのスプーンを上半身だけ起き上がっている丸の口元に近付ける。
「これもしかして……」
「あーん、だよ。丸くん」
「いや、俺1人で食べられるって」
「恥ずかしいの?」
「……よく考えたらこんな機会滅多に来ないから、佐里ちゃんに食べさせてもらうか」
「ふふ、そっか。ならあーんして」
あーん。丸は恥ずかしさを押し殺し、自分の生涯で2度と来ないかもしれないイベントを迎える為、口を開いた。そこにスプーンが入り、優しい味のおかゆの風味が口の中に広がる。梅と昆布出汁風味のおかゆのようで、少しの酸味と昆布出汁の塩味が効いていて美味しい。
「……おかゆって、意外と美味いんだな。もっと味が薄いの想像してた」
「良かった、上手く作れてて」
予想以上に美味しく、丸はおかゆを完食する。食べたおかげで少しエネルギーが湧いた気がしてきた。
その時、チャイムが鳴る。宅配だろうか?
「あたし出てくるね。丸くんは待ってて」
「オーケー」
佐里が寝室を出て玄関に向かい、丸の視界から消える。
――てか、今何時だ?
カーテンが閉まっているが、部屋の明かりがついていることからおそらく夕方以降の時間帯だと判断する。であるならばそろそろ家に帰るか、家族に連絡をしないと心配をされてしまう。
その時、玄関の方からガタンという物音と叫び声が聞こえた。その声は佐里のもの。
「佐里ちゃん?」
「――辞めて……出てってッ!」
誰かを拒絶する言葉。その声には恐怖と困惑が入り混じり、今にも泣きそうな声をしていた。
丸は重たい体を起こし、物音を立てないように寝室を出て、廊下に進む。廊下の陰から玄関を覗き見る。
玄関の前で腰を抜かして尻物をついている佐里と、玄関に侵入して来ている刃物を持った男の姿。持つ刃物は包丁だ。
眼鏡を掛けた男は歯を剥き出しにして、瞳孔が開かれている。――先ほどの男だ。エレベーター内にいた。ストーカー男……勘が当たっちまった。どうする?
自分の体は熱による不安定な状態。正直立っているのも辛い。走れば足がふらつき転ぶかもしれない。無作為に突っ込むのは下手にあの男を刺激して逆に危険だ。
しかし、何もしないのか? このまま見ているだけ。それで本当にいいのか。
尚も男は後退る佐里に迫る。
「佐里……ぃ、あの男は誰だよぉ〜? 浮気かなあ? ねぇ、ぼくに許可取った?」
「…………」
「取ってないよねぇ〜……ねぇ、彼氏のぼくが居るのにさあ、他の家に連れ出して、浮気するなんて酷いよねぇ〜……黙ってないでなんか言えよっ!」
「ひっ……」
いきなり怒声を出した男はその包丁を、壁に切り付けながら刃先を佐里に向ける。
「ねぇ〜ぼくにもおかゆ作ってよ、佐里ぃ……」
「……な、なんで、それを」
「なんでって、彼氏なんだから当たり前だろ? 同棲してるんだからぼくたちぃ」
「カメラ……?」
「うーん、違うよ、あれはぼくの目……だよぉ〜。あのクソ男に手でえっちなことしてたのぼくみたよ……だめだよねぇ、あんなことしちゃあ、それだけは許せないなあ……」
「……もうやめて……」
「お仕置きが必要だよねぇ〜ぼくビッチな佐里なんか見たくないからさぁ〜、一回痛みで自覚させないと。ぼくが、ほんとうの、彼氏、だってこと……」
「イヤ……助けて――」
男は簡単に歩み寄り、佐里の目の前で包丁を掲げる。そのまま振り下ろし、彼女の足に突き刺す――寸前で男に衝撃が走る。
『だったら俺が守ってやるよ、死ぬのが怖いなら――俺が佐里ちゃんを死なせない』
――だから、そんな泣きそうな顔すんな佐里ちゃん。
「どぼッぉ!?」
「危ないだろが!」
低めのタックル。丸が走ってきてそれを、包丁を振るう男の腹に敢行する。男と丸が同方向に吹っ飛ぶ。
そのまま開いていた玄関の扉を通過し、マンションの外通路の柵に激突する。背中からぶつかることになった男の苦鳴が漏れ、唾が吐き出された。
「っいってぇなあ! 何すんだよぉ〜っ!」
「っ」
だが、壁にぶつかった所が打ち止めで、熱で十分な力が出ない丸は男を抑えきれない。
包丁が出鱈目に振われ、横に回避した丸の腕に痛みが走る。
男はさらに追撃をかける。鈍重な、普段の丸ならば容易く避け切れる速度。ところが、丸の足がふらつき床に引っかかる。
――まずった! 避け切れねェ!?
しかし、丸は足による回避は難しいと判断し、体を自ら倒すことで当たる寸前で転んで回避。その際に頭を柵にぶつける。衝撃が脳を揺さぶるが、まだ次が来る。
「丸くん!?」
「――来るな!」
「ぁア〜? 佐里ぃ」
丸を追いかけ、通路に来た佐里へ、男のターゲットが向く。
その包丁を突き立て、刺そうとする男。
――佐里ちゃんは避けれない。俺が、なんとかしろ!
「ウぉおおおおお!」
「何するんだお前っ」
「一緒に飛び降りんだよッ! ストーカー野郎」
男にもう一度飛び出しタックルをかまし、丸は男と共に通路の柵の上を飛んでいた。柵の上を通り越し、4階の高さ――の空中に躍り出る。この時にようやく今が夜だと分かる。綺麗な夜空が見えたからだ。
「――丸くんっ!?」
「ガンツッ! 来いッ!」
地上から約9メートルの高さ。
その空中を、落下する。落ちる。下がる。
重力に任せ、地面に吸い込まれる。
落ちれば即死亡。人間は2階の高さから落ちても運が悪ければ死ぬ。それが4階の高さ、つまるところ2倍だ。間違いなく、死ぬ。運が良ければなんとか助かるかもしれないが、それも希望的観測に過ぎない。
だからこそ、男を掴んで浮遊落下する中、足の先で男の腹を下に蹴った。少しだけ男が丸よりも下に落ちる。男のクッションにする、それが丸の今できる些細な抵抗だった。
残り5メートルは切った瞬間、丸の視界が暗転していく。
丸は笑った。
「――さんきゅな、ガンツ」
転移が始まった。
ガンツから呼ばれて。