「MOOOOOOOOォォォッ!」
力強いミノタウロスの雄叫びが、辺り一帯の木々を、丸の鼓膜を震わす。
ビリビリと体が震える。強者の出す威圧が、丸の足を釘付けにして動けないでいた。
――逃げろ、逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ!
立ち向かったら、死ぬ。コイツと戦うのは、本能が拒否していた。生物としての格が違うと。全細胞が怯えている。
だが、足は動かない。一種の金縛り状態。直視以外出来ない。目の前の怪物から目を外せない。髪の毛が逆立つ、その咆哮に。
ゆっくりとミノタウロスの筋骨隆々の膨れ上がった巨腕が大斧を天に掲げ、振り下ろす。
その動作は鈍い。いや、力を溜めている故の狙った遅さだ。アレが振り下ろされれば、丸の頭も、背後にある死体と同じ末路を迎える。
――避ける? 足が動かないのに? 避けれない。
――だったら死ぬ? あの首がない死体のように。
そうだ、
「は、ハハ」
灰色になった視界がスローモーションになる。ミノタウロスの振るわれた大斧による斬撃が、やけに鈍く、遅く感じる。
死ぬ間際の走馬灯? 本能が見させている最後の光景? 怖い? 死が恐ろしい? 恐ろしいはずだ。死が怖いはずだ。では、何故自分は今、笑っている?
丸は自分の口の端が吊り上がっていることを自覚し、体の硬直が既に解放されていることに気付いた。
一歩、前に踏み出す。後ろではなく、前。
片手に握っていたガンツソードを展開し、刀身を出す。
そして、ミノタウロスの斬撃が振り下ろされ、丸は死――
「――ブォ?」
結果として起きた現象は、攻撃した側のミノタウロスの片腕が大斧ごと宙に浮いていた。
逆に斬られた。1秒後にミノタウロスがその事実に気付き、目の前にいる小さな獲物を見る。黒い剣、アレに斬られたのだと。それよりも小さな獲物、その顔が笑っていることに、恐れを抱く。強者であるはずの自分が、目の前の圧倒的弱者に恐れている。
そんなことは認めない。だから、ミノタウロスは一歩前に地面に穴を開ける勢いで踏み出す。宙から落ちてきた大斧を残った左手でキャッチして、その勢いのまま振り上げる。
「ンMOOOOOOOOOOOOOオオオオオッッッ!」
さっきよりも強烈な魂の咆哮。
明確な殺意の意思が込められた怒声。
それを受けた丸は目を見開き、更に面白そうに口の端を歪める。
こんな、こんな怒りを、向けられるのを待っていた。日常では絶対に向けられない圧倒的強者からの殺意。
――面白れェ、こういうのを待ってたんだよッ!? 俺はこんな強者と。怪物と戦うのを!
轟音と共に薙ぎ払われた高速の一撃を、丸はギリギリで斜めに跳んで回避。太い樹が3本纏めて幹ごと斬られ、3本の樹が重力に従って、丸の方に倒れてくる。無理矢理に転び、樹から距離を取り逃れた。
「マジか……! 力強すぎんだろ!」
追撃がかかる。爆発するように、地面を蹴って。ミノタウロスの巨体が大砲の如く加速した。
転んで起き上がった隙を狙っての起き攻め。――格ゲーかよ!?
転んだばかりで直ぐには起きれない。体勢が悪い、これではあの追撃を対処しきれない。
丸は回避は不可能、ソレを瞬時に判断して、迎撃に切り替える。もう片手に持っていたYガンをミノタウロスに向け、トリガーを引く。
博打。何が起きるか分からないびっくり箱。何か出てくれないと丸の命が今度こそ終わる。死ぬ。死を、間違いなく迎える。
「だからなんとか起きろぉおぉおおお!!」
Y字型の銃身から放たれた3つの弾に繋がったワイヤー。それがミノタウロスの足に絡まり、姿勢が少し崩れることによって、丸の数ミリ横を通過する怪物の斬撃。
丸は怪物の隙を見逃さなかった。靴を地面に滑らせ、スライディングしながら、ミノタウロスの股の下を通る。――丁度真下を通過したその瞬間、丸は両手に持ったガンツソードを真上に押し出す。半ば投げるようにして、股間を狙って貫く。鋭利な刃先が、硬い皮膚を厚い筋肉ごと突き破る感覚。
ブチブチブチブチブチ!
「はっ…! はあっ! はぁ……」
ガンツソードを手放し、スライディングを行った丸は仰向けに大の字で倒れる。
頭上後方で同時に重い物体が、地面に落ちる音。
丸は仰向けの体勢のまま、額の先を仰ぐように見た。
そこには、縦へ半分に分たれた半人半牛の体が地面に2つ転がっていた。近くに血塗れになったガンツソードが血液の池に浮かんでいる。ミノタウロスの死体が、そこにはあった。
「勝ったんだ! 俺! 奇跡だろ! ハハハハハ!」
笑う。全身が痛いが、笑う。
熱の体を無理矢理に動かした反動は大きく、暫くは寝ていたい。
そう思った矢先、茂みの先から足音がした。
それはずんぐりとした小柄な緑の体に、ボーリングのサイズの頭。鼻が大きく、醜悪な姿をしている。
――ごぶりん? おい、今じゃない! 今は勝った余韻の時間だろうが!? クソっ!
ゴブリン。ファンタジー世界で有名な醜悪な緑の妖精。
「ギャババァ」
ゴブリンは弱っている獲物を発見し、醜悪な顔を更に歪ませ、笑った。
「流石に……今は動けないぜ、今度こそ……死ぬのか俺……」
不出来な石器の斧を掲げて力の限り細い腕で振り下ろ――されずに、ゴブリンの胴体の上が爆発した。紫色の血飛沫が丸の顔にべちゃべちゃ塗り付く。
「あ……?」
「――月川、危ない所だったな。しかし、ハワイで銃を撃った経験が生きたよ、外さなくてよかった」
黒いスーツ姿の赤髪が見え、丸は笑った。
「遅えんだよ、刈谷」
ガンツスーツを着た刈谷赤が、Xガンを構え、そこに立っていた。
「刈谷……良いタイミングで来たな。もう少しで死体が増えてた所だった」
「冗談を言えるくらいには、余裕そうだね月川。ここで何があった? オレは今さっき転送されてきたばかりだが」
「ちょっと怪物と戦ってた」
丸はそう言って、倒れながら背後を指差す。その先には、縦半分になったミノタウロスの死体がある。
「これは……、月川、君は一体何と戦って……倒したのか?」
「奇跡的だけどな。多分最初から奴が本気を出してれば、俺は死んでた」
「――君は……怖くないのか、死が」
「またそれかよ」
刈谷は何か異様なものを見る目で、丸に問いかける。佐里から同じことを言われたなと思い出す。しかし、その回答は考えなくても用意してある。
「お前と同じだよ、刈谷。怖い」
「そうか……いや、ここでする質問ではなかったね。今はこの場所がどこなのか、他の人達はどこにいるのか探さなくては」
「そうだな。俺は他の奴らは見てねえ……いや、死体をひとつだけ見つけたな」
「死体、か……どこでソレを?」
「あっちだ」
丸がゆっくりと立ち上がって、刈谷に道案内をする。ガンツソードとYガンを途中で拾って、死体のある場所に辿り着く。
木の根元で横たわっている首無しの死体。見つけた当初は分からなかったが、その服装に心当たりがある。プロボクサーだった。
「……これは、エグいね。正直直視したくないが……何があってこんな有り様に」
「あのミノタウロスに、殺されたんだきっと……俺もこうなりかけた……まだ他にもいるかもだから、まだ油断なんないけど」
「そんな恐ろしい化け物を君は倒した訳か。君と合流できたオレは幸運だな」
「あんまり期待しないでくれ。あいつがもう一体いたら、勝てる気しないからな」
「その時は逃げるとしよう。――それで、さっきからずっと隠れている君は誰だ?」
「は?」
会話の途中で急に刈谷が、後方に向かって意味深な事を言った。丸は理解できなかったが、刈谷がその方向に目を向けて、丸もここで気づく。
大きな木の影に誰かがいる。
その人影が、動いて姿を現す。薄い月光を浴びて、その人影が明らかとなった。
眼鏡をつけた、病的な細い男。佐里の知り合いであり、ストーカーを行っていた大学生。
確か石黒と佐里が呼んでいた。
石黒はガンツスーツ姿でXガンを丸達に銃口を向け、構えて立っている。
「ストーカー男……!」
丸は一番会いたくない人物を発見し、舌打ちをついた。丸もYガンを石黒に構えようとしたが、
「動くなッ! う、動いたら撃つぞ!?」と石黒がXガンのトリガーに指を引っかけて脅す故、動けない。
丸は静かに視線だけを隣にいる刈谷に向けた。
「……最悪だぜ。刈谷、どうする?」
「それよりも気づいてるかい……? もっと最悪だ、月川」
「……? どうかしたか?」
「囲われている……あの眼鏡の彼じゃない、別の何か」
丸は刈谷に言われて周囲に意識を集中してみる。すると、全方位から気配が少しだけ感じる。
違和感。
観察眼に長けている刈谷でなければ、気付かないほどの。
そして、それら集団の何かは、姿を木の影から見せた。
緑の肌に、尖った鼻。ゴブリンが10体以上。
それよりも体格の大きい腹がぶよぶよと太っているゴブリン強化個体……いや、オーク? ゲーム好きの丸だからこそ思い至る。オークが5体。
更に、その奥にいる異質の存在感を放っている個体。赤黒い肌をした巨体のそれは、一本の角を生やしていて――鬼か? とまるはその存在に連想する。
「オーガ……かよ、やべぇ」
ミノタウロス級の敵が登場する。
大勢の仲間を引き連れて、丸達を囲んでいた。