軽く見て15メートルを超す高い木々を次々と薙ぎ払い、轟音を立てながら赤黒い鱗を身に纏った竜が丸達のいる方向へ迫ってくる。否、正確には、赤竜の鼻先に背を向け逃走している男を赤き竜が追いかけていた。
「助けっどわあっ!? 誰かあっ! 助けてっすぅううう!」
派手な格好の眼鏡を付けた男--動画配信者が、丸達に気づき助けを求め、必死の形相で走る。ガンツスーツを着ていないのに赤い竜から現在も死を免れている足の速さは評価できたが、こちらには女も子供もいるのに構わず巻き込もうとしている時点で丸からしてみたら最悪だ。
「こっちに来るな!」拒絶するように丸が叫ぶが、
「イヤっすよっ! 見捨てないでくださいっす!」
動画配信者は、頑固にそれを拒否し、尚も方向を変えない。
丸はほんの数秒、背後にいる面子を見た。佐里ちゃん。千春先生。安川のおっさん。刈谷。夏目。ガキの上村。六人を見て、どうするか逡巡する。今すぐに逃げる? ──無理だ。そうすればこいつらが逃げ遅れて、あの赤いドラゴンに轢き殺される。簡単だ。容易に想像がつく。だから、それは取れない。取れない? 本当にか? それこそが正しいのではないか? 逆に逃げない選択を取っても、スーツなしの丸が出来ることなんて多くない。むしろ何もできないで丸が真っ先に死亡者の一員になる。そうだ。こいつらを見捨てて、丸が逃げる。そうすれば丸はこいつらが死んでいる間に生き延びることができる。正解は何だ? ミッションで生き残ること? 死なないこと? 自分が死んだら意味がない。そうだろう。そうなんじゃないのか、俺!?
『悪いな、貧乏くじ引かせて。俺たちの代わりに、戦ってくれ。謝るのは、こいつらを安全な位置に逃した後に、戻ってきてするから』
違う。だって、死ぬんだぞ。
『気にするな。月川が言わなかったら私が自分で言っていた。先に言ってくれて助かった。私と飯田のことは気にせずに、逃げてほしい。皆のことを頼むぞ、月川』
あぁ、分かっているよ。ただ、今回が難しいだけなんだ。ミノタウロスやオーガはなんとかなる。なんとかした。奇跡を起こして。でも、あんな桁違いのデカさのドラゴンは無理だ! 何トンあんだよ!? 人なんて赤子を捻るより簡単につぶされる! 赤子なんてもんじゃない、蚊と同じようなもんだ! 手で潰されるみたいに死ぬんだ! そうだ! そうに決まってる! だから、無理なんだよ、逃げるのが一番なんだ!
丸の中に、現実的な自分と、約束を交わした自分が入り混じり、対峙する。
圧倒的に現実的な、生存本能とも言える自分が99%勝っていて、もう一人の自分は劣勢だ。
病で高熱を帯びる足はとうに、逃げる前動作を取りかけていた。
そうだ。俺は熱で本調子じゃない。それでいい。もうここまで皆を立派に連れてきたじゃないか。後は、刈谷とかに任せればいい。頭も回って、冷静なアイツならこんなアクシデントだってピンチだって何とかしてくれる。そうだ。だから、今、俺は逃げればいい。それが最適解だろうが。
なのに──、
『面白いやり方だ。俺が一生取らない選択肢だよそれは。だからこそ、俺にも協力させてくれ。華凛。俺が強い武器をとって、戦う。そんで、華凛はすべてを生き返らせる。こんなのはどうだ?』
『月川……君は――』
言ってしまった。
黒い長髪に、容姿端麗な美少女に、
東森華凛にそう、言ってしまった。
男は美少女に弱いと、丸の魂が知っている。
美少女が、あんな切ない顔をしたら、あんなに辛い道を走っていることを知ったら、ちょろい男なんていちころだ。
あぁ、そうか。俺──月川丸は、東森華凛に恋を抱いてしまったと、ここ一番の最悪な場面で理解してしまった。
だったら、することなんて決まっている。
丸は、逃げ出そうとする足を無理やりに軌道を変え、前に、迫りくる脅威に、死に向けた。
「月川! どうする!? 向かい撃つか、それとも逃げるか!?」先ほどからずっと丸に何度も問いかけていた刈谷が、Xガンをドラゴンに向け、トリガーに指をかける。丸からの反応がないことで、遂に自分自身で判断を下そうとする。が、そこで丸は顔を向けた。
「聞こえてるよ、刈谷」
「もう時間なんてないぞ! どうするべきか、君が──」
「刈谷。頼んだ」
「は?」
一言そう言って、丸は赤い竜に向かって走り出す。困惑する刈谷。だが、丸の取った行動を刈谷が瞬時に推察し、理解する。
──確かに頼んだ、と月川は言った。ならば、オレがするべき選択は、皆の安全を第一に考えること。だが、月川少年……君は。
刈谷は、一度強く拳を握るが、すぐに思い直して叫ぶ。
「絶対に生きてまた会うんだからな……全員、オレに付いてこい! 今すぐだ!」
「はい? でも、丸くんが走って……」
「いいから! こっちに来い! 君は月川の想いを無駄にするのか!?」
「何言ってるんですか!? 丸くんがここまで連れてきてくれたんですよ!? わけわからないです!」
「そうです、月川君のおかげで、皆生き延びることができたんじゃ」
刈谷の指示に、佐里が強く拒否し、言うことを聞かない。佐里だけでなく、千春先生も続く。更に他の三人も同様だ。丸にはここまで引っ張ってきてくれた恩があり、彼一人にするなんて簡単に出来ない。勿論、刈谷だってそうだ。丸一人にするなんて通常時なら絶対にしない筈。だが、今は通常時じゃない。全員の命がかかわっている。だからこそ、彼が独りで向かったのに理由がある。
「正直言おう。君たちは、月川少年の足手まといだ。彼の実力は、このミッションからしか知らないが、一番オレが知っている。この刈谷赤が知っている。月川は強い」
「で、でも……」
「もう一度言うぞ、君たちは月川の足手まといになりたいのか?」
「…………」
刈谷のその言葉で、残りの全員が黙った。
それは刈谷の指示を受けることの承諾だ。
そう刈谷が勝手に判断し、佐里の腕を引っ張って赤い竜とは別の方向に走り出していく。
佐里は、もう抵抗しなかった。
向かってくる動画配信者と丸との距離が遂に縮まり、すれ違いざま、
「どっかに行け!」
「は、はいっっす!」
丸がそう言い、男が逃げていく。
そして一人、丸は、次第に迫りくる巨躯の赤竜と対峙した。
赤黒い鱗、分厚い筋肉で覆われた四肢。背中部から生えている翼。トカゲを思わせる縦に鋭い目。全長何メートルあるのか分からない。ただ周囲の高い木々とそう変わらない大きさなのは確かだ。ドラゴン。ファンタジーでボスとして定番な敵。
ゲームでは、レベルを上げれば倒せるボス敵。しかし、現実ではそう行かない。
レベルは1。強い装備(スーツ)はなく、持っているのは剣一本。
ミノタウロスと同じくらい、いや、それ以上の生物。
スーツがあれば、なんとかなるだろうか。分からない。やってみなければ。
スーツがなければ? 正直喉から手が出るほどスーツが欲しい。今。どこからかスーツが降ってこない?
誰だよ、スーツ壊した奴。
「フッ、俺か……やってやるよ、バカ野郎。死ぬ気なんて全くないね! ドラゴン上等ッ!」
「VONNNNNNNNNNNNNNNNNNNNN!!!」
丸が叫び、呼応するように、赤き竜が超重低音で咆哮を返す。
その咆哮の風圧で、丸の足が地面から離れた。強制的に、耐える猶予もなく。
──まじかよ!? こんなの!? 卑怯だろうが!?
後ろ向きに、体が吹き飛ばされる。大量の風圧で、勢いよく後方に体が持っていかれて、次の瞬間には、木の幹に背中が衝撃と共に貫かれる。
「ガバあッ」
そもそも同じ土台にすら立っていなかった。
突っ込んでくる赤い竜の体当たりで殺される。そんなことすらされずに、風圧で、咆哮ただ一回で、敗北する? 殺される?
背中が、背骨が盛大に悲鳴を上げている。ミシミシと何かが折れた音がした。背骨の何本かは折れた。間違いない。痛みでそれどころじゃない。考えるのも苦しいし、今すぐ意識を失いそうだ。
地面に幹に背中を引きずるようにして、落ちて、両手でなんとか倒れるのを回避して。
今、出来ることを最大限した結果、木にもたれかかるようにして、立つのが精一杯。それが、人間の限界。スーツなしのただの人間の足掻き。野生動物にも負ける人間の脆弱さが、はっきりと今分かった。
人間は、弱い。
弱いから?
このまま死ぬ?
無駄じゃない、時間は稼いだ。残りの全員が逃げ切る時間は、稼いだつもりだ。
それで、満足なのかよ、俺。
本当に、満足しているのか、このまま死ぬことに。
「ッぐぅウ……が、あ、ッ!」
立て。
まだ、足が残ってる。
手も。
アイツ(華凛)に誓ったんだ。まだアイツだって、ヒドラと戦っているかもしれない。だから、救援が必要なんだ。
行かないと。
目の前の、敵を滅ぼして──勝って、殺して、行かないといけないんだ。
ギシギシ、電流のような痛みを、無視して、立ち上がる。
片手には、ガンツソードをまだ奇跡的に握りしめていた。
何故か、口元はニヤリと三日月の形に歪む。可笑しい。あいつに、勝ったなら、人間の強さが再評価されるってことだ。
「人を、舐めるなよ……ッ!」
ただ、腕が上がらない。
声は出る。足は立つのがやっと。
もう、腕が限界だ。もしかしたら腕も折れているのか?
立ち止まり、違う方向を向いていた赤い竜の目が、丸のぎらついている目と合った。
それが数秒間続き、静寂が流れる。
しかし、竜はそれを跳ね除けるように、丸の方向に向かって突進を始めた。
次の瞬間に、距離が縮まり、丸の体は木ごと貫かれて死──そう思っていた。
だが、走っていた竜の軌道が横向きに変化する。何か、衝撃を横側の胴体に受けたのだ。
そのまま、違う木に頭から竜が流れるように突っ込む。
「……たす、かったのか? 今の……Xガンか」
Xガン。衝撃波を生み出すガンツから支給された武器。
今のは、確かにXガンから放たれた攻撃だ。問題なのは、それを誰が行ったということ。丸以外のメンバーはここから逃げた。
掠れた丸の視界に、白い髪が映った。
「月川君……死にかけ、だね、やっぱり、戻ってきてよかった」
遠くに、ガンツスーツを着た少年──夏目月渚(るな)がXガンを構えて、立っていた。
「お前……、陰キャかと思ったら、最高かよ」
丸はそう言って、笑った。