2「黒い球」
ピーという何かの電子音と共に、丸の視界が上から下に向かって徐々に広がっていき、それは茶色を映していく。茶色……木目調のようだ。頭に固い感触、これは床?
頭だけが生えたという謎の状態で床にうつぶせとなっている? どういうことだ?
そうかと思いきや、次に首が現れ、胴体、腕、指先、尻、足と段階的に生えるような感覚に妙に気持ち悪さを覚えた丸は、ようやく動けることを自覚した。
木目調の床に、金属製?の足にこれまた木目調の台……これは机だろうか。が何個も縦横に連なって出来ている7m×9mの間取りから連想されたのは、教室だった。
「教室、だって?」
丸が語尾にクエスチョンマークを付けて言葉を発したのは、まさに丸の脳内をクエスチョンマークが支配しているからである。何故かというと、教室に来た記憶がない。それ以前に丸の最後の記憶はバス内での交通事故が起きる寸前、という状態。それがどうして、今丸が教室に立っているのかの説明がつかない。
辺りを見回してみれば、自分だけではなく、複数人がいるようだった。
その中には、ろっくの姿がある。体重が百キロ超えであるろっくを他人と間違えるはずもない。
丸と同じく、ろっくも教室に来たのであろうか。他人だらけの中で知り合いがいたというのはなんともこの状況下では助かるわけで、当然の如く丸はろっくに話しかけた。
「ろっく、お前もここに? ここは教室みたいだけど、あの後何があったんだよ」
「丸っちぃもここに
「来たってのは、ろっくお前何か知ってるのか......?」
「全ては分からないけど、丸っちよりかは先に来たから……少しはね」
今ろっくが先に来たという発言に丸は自分にはここに来た経緯や記憶は知らないが、ろっくは知っているという意味に聞こえた。もしかして記憶不明の状態にあるのは丸だけで、他の人たちはいつも通りなんてこともあるのかと考えたが、周囲にいる他人が丸と同じように困惑している様子からそれは思考から外す。
では、ろっくが先に来たから少しは知っているというのは、単純に丸よりもここに来るのが早かったという意味なのだろう。
「あれ、見てよ……丸っち」
「あれ? なんだこの
「あれが、丸っちをここに飛ばしたんだよ」
黒い球。それが教室の壇上の上に置かれていた。黒板の前に置かれた巨大な黒い球、としか表現しようがない物は、何の音も出さずに丸の瞳に映りこんでいる。
黒曜石? いや、ただ金属に色を付けているかもしれないし、丸の見知らぬ物体であるかもしれない。あんな異様な物を丸は今まで見逃していたのか? それとも、ただ単にあの異様な物を視界から脳が無意識に省いていたのか。
それが、自分をここに飛ばした。とろっくは説明している。来たのではなく、飛ばした……?
「ろっく、それはどういう意味だよ? 飛んだって何だよ」
「う~ん、丸っちも見れば分かるんだけどなぁ……まあ、それよりも、他の人たちに聞いてみてもいいかもねえ」
「確かにな……」
丸は改めて、周囲の他人を見てみる。四十は超えているサラリーマン男性、ちゃらちゃらしている大学生男性二人、その大学生の横でいる机に腰かけている尻が大きくて形のいいセクシーな大学生女性、どう見ても男子小学生にしかみえない子供。更に丸の注目を真っ先に集めた美貌の制服姿の女子高校生。この六名に加えて、丸とろっくを足した八名が教室にいる全員だ。
丸は特に見目麗しい美貌の持ち主、長髪を靡かせる女子高校生のことを知っている。
東森華凛。丸が通っている
ただの庶民生徒からすると立場の差に不満を感じる丸だったが、その不満を吹き飛ばすほどに、彼女の容姿は魅力的で高校三年生にして大人の女性として魅力を放ち始めていた。何よりも体つきが神が作っていると言ってもいいほどに造形美だ。つまり、エロい。エロいは正義。
「何で……、華凛ちゃんがいんの?」
「そうなんだよぉ、丸っち。東森学園どころか全国、いや全世界に通用する華凛様が降臨してるんだよぉ、はぁはぁ、ふがふが」
「確かにエロいのは認めるが、同じ教室内だというのに興奮してる変態がここにいるって話していい?」
「変態度だったら丸っちも相当だよね」
「……お前ほどじゃないと言いたいところだが、否定できない自分がいることに俺は悲しい」
そんな呑気(?)な会話を繰り広げていた丸達はこの場では浮いていたらしく、周りの人の視線を集めてしまった。
そして、丸の近くに歩み寄って近づいてくる女子大学生。その女子大学生の目が、ろっくの方をみてピクピクしていることからどうやら嫌みたいだ。ろっくはデブだ。本人曰く変態じゃなく紳士を名乗っているとはいえ、女子からしたら気持ちが悪いと感じるのも無理ない話だと丸は勝手に納得した。
「ねえ、君さ……そのデb……いや、その人と話すと何かされるかもしれないから話さない方がいいよ」
「……うん?」
これはどういうことだろうか。全くの他人である女子大学生から、こんなことを言われるのは。
丸からしてみれば、ただ小学生からずっと一緒だった友人と話しているだけである。なのにも関わらず、それを話さない方がいいと止められた。
状況がつかめない。目の前の女子大学生が言っていることを理解できない。
顔にクエスチョンマークを浮かべていると女子大学生は丸が話が分かってないことを見るや、更に丸に近一歩近づいてくる。女の子のいい匂いがするなと丸は内心思う。
「あのさ、君高校生かな? 制服着てるし、女子だからさ……、そのさっきからアタシのことじろじろと見てるし、ちょっと何か息荒くて興奮しててきもいし、あいつ……横の人と話さない方がいいって思うな」そう小声で丸に囁く女子大学生。胸の谷間……エロい。By丸。
「あぁ、そういうことか。どうっすかな……これ」
「?」
ここまでくれば丸にも理解できる。
彼女は、丸のことを女子だと勘違いしているのだ。自他ともに認める童顔で、その顔が女子と間違われやすいほどに可愛い(丸はあまりそのことをよく思っていない)ゆえに、きっと目の前の彼女も同じ間違いをしただけの話。
間違いは誰にでもあるわけで、丸だって人生で何回も女の子と間違われた記憶が数えきれないほどある。そんな中で、間違いを修正するのは簡単だ。ただ一言「俺は男ですけど?」と言えばいい。一回で信じてくれなくても、喉仏があることや最悪股間に生えている一物のことを伝えれば一発だろう。
だが、それでも丸が女子大学生に本当のことを話すか悩んでいるのは、このまま自分が女の子だと間違われ続ければ、わんちゃんラッキースケベがあるのでは? と頭に過ったからだ。女子更衣室だったり、女子トイレだったり、同じ風呂に入ったり、なんか起きる可能性はある。その可能性を今、この瞬間に崩してしまって本当にいいのか? 否、いいはずがない!
「そうですね、あいつとはもう話しません(笑顔)」
「え? あっ、そう。だったらいいんだけど」
「丸っち!? おいらとの友情を代償に、JDを選ぶなんて酷すぎるん!!」
丸はろっくの友情より、女子大学生を選んだ。この選択を選ぶということは出来る限り、ラッキースケベを味わうまでは男だということを黙っておこう。――ろっくよ、友情を捨てた代わりに、俺はラッキースケベをするぞ! ハハハハハ!
ろっくが「こいつは真正の変態でおとk」と叫びそうになったのを、丸が瞬間的に奴の体にドロップキックをかます。ろっくの体が壁にぶつかって跳ね返り、吹っ飛んだ。どうにか厚い脂肪がクッションになったようでろっくは無事だった。しぶとい奴である。
「き、君……いくら気持ち悪いからって、いきなり蹴っ飛ばすのはどうなのかなってアタシは思うよ?」
「まあ、大丈夫ですよ。あいつ結構丈夫なんで」
「そうなんだ。君、名前は?」
「俺? 俺は月川丸。丸って呼んでいいですよ」
「丸ちゃんって言うんだ。よろしくね丸ちゃん。アタシは宮崎佐里。佐里って呼んでいいよ。それにしても……丸ちゃんって自分のことおれって言うんだね」
「あっ」
「大丈夫だよ、最近は多様性の社会だからね! うんうん、問題ない」
男だとバレそうになる丸だったが、なぜか一人で自己完結してくれたので助かった。
しかし、ここまでバレないものなのか、とある意味男としての尊厳が傷付けられているような気もしているが、訪れるラッキースケベの為には仕方がない。
そこで、黒い球から光線(レーザー)の様なものが放たれ、教室の一か所でピーという電子音と共にスキャンニングが開始された。そのスキャンのレーザーは交差すると、何もなかった中空に髪が生えた頭部が現れていく。それは徐々に頭から顔を構成していき、首、胴体、腕、手、尻、足と形作られていく。
その場に現れた(そう表現するほかない)のは、全裸の女性だった。しかも妙に艶かしく、その胸は大きい。
それを見た丸は一目で分かる。千春せんせーじゃん、と。
荒川千春。丸の通っている東森学園の担任教師であり、国語科の担当である。
そんな教師の身である千春先生が、一糸纏わぬ全裸で多数の人がいる中央で
唐突にやってきたラッキースケベはこの教室にいる男全員(倒れて昏倒しているろっくは除く)に共有される。丸はそのことに少し不満を感じ、急いで千春先生に制服の上着をかけて隠す。
丸が動いたことで、女子大学生の宮崎佐里も女性として自分の体を使って千春先生の体を男の視線から庇った。
「ちょっと! 何見てるのよ!? 変態ども!」
「ソウダソウダ」
丸は一番近いので、千春先生の全裸が上から見られるから鼻が伸びながら男達に文句を言う。流石に女子二人から(一人は男だが)苦情が出れば、男側も直接見ることは憚られた。こうして、千春先生の全裸は野蛮な男達から守られたのだった(一人を除く)。
しばらくしたら、千春先生の瞼が開き、自分の置かれている状況と息が掛かるほど近い距離にいる既知の教え子に悲鳴を上げた。
「キャあぁああああああ!!」