初回のミッションが終わったあの日の夜。
東森学園旧校舎を出て、帰りにろっくとラーメン屋に寄った後のことだ。
丸は自宅に帰り、いつも通りの日常に戻ろうと思っていた。
しかし、丸は興奮でそれどころではなかった。
あの命の取り合いが忘れられないのだ。戦闘の興奮が、今もなお丸の脳内を支配する。
「やっばい、眠れん……」
深夜二時。スマホの時計で時間を確認する。
もうそろそろ寝る時間だ。明日は学校なのだから。
丸の目が血走って、ゴミで汚い自室の隅を探す。
「スーツ……」
足が勝手に動いて丸はスーツケースの前に立っていた。
無造作にケースの中を開け、手探る。その手には、ぐしゃぐしゃの黒いスーツが握られていた。しかし、すぐにケースへ雑にしまう。
それが、二時間弱の間に何度も繰り返した行動。だったのだが、今回はケースへしまおうとした手を止めた。
「ちょっとくらい……いいよな?」
丸は誰もいない自室で、誰かに確認するようにそう言って、スーツを装着する。
それは丸の体のラインにぴったりと張り付いて、動くのに少しも違和感がない。
鏡に映った自分の黒いスーツ姿に、にやりと口の端を上げる。
「なんかカッコいいよね、思ってたけど……仮面ライダー的な? でもこれ、頭への防護性能ないな……まあいっか」
丸は二階の自室にある窓を開ける。その開いた窓の縁に足を乗せて、器用に壁を昇り、屋上に飛び出た。
満月が輝く夜空の下、吹く風が気持ちいい。
「たしか、華凛は地面を蹴って飛んでたよな。あの時、華凛の足の部分さ、血管が浮き出るみたいにぐにゃぐにゃになってた」
丸は誰もいない屋上で独り言を吐き、低く腰を落とす体勢になる。
膝の関節を曲げ、そのまま停止。
足に力を込めると、足部分のスーツがゲル状物質のように動き出し、固まっていく。
「1回、全力で飛んでみよ。よし、行くぞ――行けえェ!」
次の瞬間、丸の視界は遥か上空にいた。
満月が輝いて、夜空が少しだけ近づいた気がする。
下を見れば、少し小さくなった街並みが見下ろせた。
「フォオオオオオー!」
いっぱいに叫びながら弧を描いて、浮遊落下する丸。
街の上空を跨いで飛ぶ、その超人さに脳の快感物質があふれ出す。
落下することに恐怖を覚えるよりも、楽しさが打ち勝つ。
「まだだ! もっと、できんだろガンツスーツ!」
他人の家の屋根に盛大着地し、踏み下ろした片足に力を込め、蹴る。
衝撃が身体に伝達する前に、その衝撃を利用したのだ。
もう一度飛び上がり、上空を何度も繰り返して移動していく。
加速。更に加速。もっと高く。誰よりも高く。
それを10分以上。
音速を超える速度に近づいてきた、と思わる超速度の中で、
「加速しろォ――あ?」
急に足に込める力が無くなった。
今まであった無敵感や超人の力を失った喪失感を一瞬に感じる。
足部分を確認してみれば、レンズ型の部品から透明な液体が零れていた。
――なんだコレ? 液体?
何が起きたのか、思考する時間はない。その前に丸の体は鉄筋の工場に突っ込んだのだから。
時速250キロ以上で人が鉄筋の壁にぶつかったらどうなるか知っているだろうか。
間違いなく、普通の人間なら死ぬ。
だが、丸のガンツスーツの腕部分がまだ機能していたのが幸いだった。
丸は壁に激突する前、その両手に全力で力を込めて同時に強く押し出す。
衝撃と衝撃をぶつけることで何とか少しは相殺できる。しかし、それでも残っていた衝撃が丸の体を強く打ちぬいた。
「――ガハッ!?」
そのまま錐揉み回転しながら、壁を転げ落ちていく。
砂利の地面でようやく勢いが無くなり、丸の体は数回転後に止まった。
「はぁ……はぁ……ゴホッ!」
口から胃液と共に血を吐き出す。
その血を腕で拭いて、「……口の中に砂利入った~」と顔をゆがめた。
「なんか、死にかけてて笑う……俺」
死にかけながらも、笑っている。
骨折は免れたようで、引きずるようにしてふらふらと立つ。
奇跡的に生還した丸は、「流石にやりすぎたか……まだいけると思ったんだけどな。耐えれなかったのか?」とスーツの性能を冷静に考察した。
「帰るか……」
スーツのレンズ型部品から液体が全身から零れ落ち、もはや超人的な性能が失われた足でとぼとぼと歩み始める。
ふと振り返ると、鉄筋で出来た工場に極大の穴ができていたが、気にしない。忘れよう。見なかったことにしよう。
器物損壊罪って、わざとじゃなくてもなるのかな? と考えてこれ以上は恐いから思考停止する。
「ここどこなんだ……なんで、こんなことしたんだよ……深夜テンションって怖いな」
全身スーツなのでポケットがないため、スマホや財布を置いてきた丸は何も持っていない。
全身黒スーツだしな……どうやって、帰ろう。
脱ぐ? 論外だ。脱いだら裸だ。それこそ、警察に捕まる。
その時、ライトの光に丸は照らされる。
耳に砂利が詰まっていたからその足音を気づくのに遅れた。
「だ、誰だ!? そこにいるのは!」
「に、逃げるんだよぉぉぉぉ!」
丸は両腕を振るって、全力で走り去る。つまり、逃げたのだ。
――こんな恥ずかしい姿を誰かに見られるわけにいかない。深夜二時過ぎに、全身黒スーツの男。黒づくめの男だ。怪しい。怪しすぎる。職質確定だ。
しかもよりによって、工場を破壊している犯人である。
ここは逃亡以外の選択はない。
これでも丸は50メートル走6秒台の男だ。
その夜、道を横切る黒づくめの男がいたという噂が街中で瞬く間に広がった。
「こんなはずじゃなかったんだよォ!」
深夜の街に男の悲鳴が響き渡った。