何事もなく日常が流れていく。
授業を受けながら、丸は欠伸をしていた。
授業を真面目に受けなくても、千春先生は丸を注意しようとしない。代わりにちらちらと視線を向けられることが増えた。
「ろっく〜次はいつ呼ばれると思う?」
「例のアレ〜? おいらには分かんないけどさ、そのうち呼ばれるんじゃね? あんまりおいら呼ばれたくないけどぉ」
「まあ、お前はそうだろうよ。俺は早く呼んでほしいね、退屈でつまんね〜」
ガンツに呼ばれる前よりも、今の方が学校生活に違和感を感じてしまう。交通事故に遭って死んだのに普通に授業を受けている。それは異常じゃないか? 誰も死んだ丸、ろっく、千春先生の3人に対して当たり前に接し過ぎている。誰か気付いてもいいのではないか?
千春先生はあんな出来事があったのに、教師として当然の如く授業が出来ている。
そもそも学校に通う必要なんてあるのか? と丸は考える。学校に通わなくてもその内ガンツに呼ばれる。だったらそれまで漫画見たりエロゲしたり順風満帆な自堕落な生活を送ってもいいではないか。
ガンツに呼ばれれば役立たつのは強さ、勘の鋭さ、生存力など。そこで授業で学んだ知識が役立つとは到底思えない。
そう考え出すと途端に億劫になってくる。気怠い。
帰るか。丸はそう思い、席を立ち上がる。
「月川君、どうしたの?」
「具合悪いんで帰ります」
「大丈夫? 確かに顔色が悪いわね……分かりました、今日は早退を許します」
「あざす。ってことでろっく、またな」
「ずるいぞーう、丸っち! さては帰ってエロゲする気じゃあ」
「しねえよ」
そうろっくと軽口を交わした後、教室から出る。
千春先生に早退の許可を貰ったので、教室を出た丸は校庭に出て、新校舎の裏側――旧校舎の前に辿り着いていた。
「素直に帰ろうと思ったが、自然と足がここに来てしまった」
古くなり老朽化した旧校舎の廊下を、丸は一人で歩いていく。目指す先は3ーDの教室。黒い球――ガンツのある部屋である。誰ともすれ違うことなく、無人の廊下を通り過ぎ、その教室に到着。ガラガラと教室のドアを開けると、先客がいた。
その先客は、女子大学生の宮崎佐里であった。
驚いて振り向く佐里の目と丸の目が合う。
「丸ちゃん……丸くんか。何だ、びっくりした」
「ここで何してんの? サボり?」
「それはこっちの台詞。今授業中でしょ? ちなみにあたし大学生だし、今日授業取ってないからサボりじゃないから」
「ふ〜ん、いいな大学生は」
「あたしは高校生に戻りたい……」
「隣の芝は青く見える、だな」
彼女がサボりではないのが丸は理解したが、ここに来た理由は返ってこなかった。丸と同じでガンツが気になり、ここに来たのだろうか? あの日に起きたことが本当に現実だったかどうか。もう一度直接自身の目で確かめようとして。
「怪我、してる」
「佐里ちゃんにも気付かれたか。女はこういうのすぐ気付くよな」
「丸くん、モテそうだもんね」
「? どういう流れでそうなった? 別にモテない。むしろ女に困ってるくらい。まぁ、この怪我は事故みたいなもんだ」
「大丈夫?」
「へいきへいき」
そう答えながら、丸は壇上の上に置いてある黒い球に近付く。黒い球に背中を預け、佐里の顔を見た。
「俺なんか授業受けてるのが気持ち悪くてさ、ここに来ちゃった。何つーか、死んでガンツに呼ばれたのに、また普通に暮らしてるのが違和感あって」
「あたしと同じ……」
「佐里ちゃんも?」
「うん。あんな事があったのに、誰もあたしが死んだなんて思ってないの。それこそ死んだのが嘘だったみたいに。この教室に来て、あの化物に襲われたこと、全部夢だったんじゃないかなって……だからここに来たのかな? あたし」
どうやら丸と同じ理由だったみたいだ。無理もない、丸であっても夢かもしれないと疑った。しかし、この教室に来て、黒い球がちゃんと実在しているのが分かって夢ではないのだと再確認できた。
「夢じゃなかったな、やっぱり」
「あたしは夢だったら良かったな……あんな恐ろしい事……2人殺されたんだよ、もしかしたら死ぬのは、あたしだったかも」
「怖いのか、佐里ちゃん」
体を丸めて座っている佐里の肩が震えている。死に対する恐怖、それは人間が共通して抱く感情だ。ましてや彼女は成人してるとはいえ、まだ若い女性だ。怖いのも無理はない。
「……あたし、死ぬのが怖いよ。もう一回あんなのやるなんて嫌だよ……どうして、丸くんは平気でいられるの?」
奇しくも千春先生と同じことを問われる丸。
――月川君……あなたは、どうしてそんなに冷静でいられるの?
当然丸には死への恐怖の感情がある。自分が喪失する事に耐えられる人間などいない。その痛みに、苦しさに耐性が出来るなんて絶対にない。この先丸がどんなに過酷な戦いを繰り返す事になろうとも、それだけは確実に言える事。痛みは永遠に慣れない。
――それが当たり前だろ? 俺は別に怖くないわけじゃない。
「なんか勘違いしてるけど、俺だって怖いぞ」
「でも……丸くんは震えてない……」
「まあ、今はな。実際に自分が死ぬかもってなったら震えるだろうな。それが、何かおかしいのか?」
「おかしくない、けど……」
「怖いよ。でもそれ以上に、あの世界に、俺はワクワクしたんだ。自分の選択で死ぬか生きるか簡単に決まる世界だぜ? 学校でつまらない勉強して、そのうち社会に出て生きるために金を働いて、そのために人生浪費して、そんでいつかは死ぬ。死ぬっていう結果は変わらないんだ。だったら、命の取り合いができるあの世界の方が簡単でシンプルで、楽しいと思わないか? それで死んでも別にいいやって思うんだ」
「変よ……丸くんは――そんなの丸くんだけだよ」
何か自分とは違う生物を見るような目で佐里は、丸を見つめる。その視線には懐疑心と少しの怯えが混じっていた。
「俺多分ちょっと変わってるのかもな。でも今更変われないし……だったら、開き直るしかないじゃん」
「開き直れないよ、あたしには……怖いんだもん。全部。あの時、みんなが戦ってる中、あたしだけ、何にもできなかった……みんな怖かったと思うのに……あたしだけ、動けなかったっ」
「仕方ないだろ、そんなの。あんなのがいればパニックで動けない人間もいる」
「ち、違うっ! あたしは、戦いたかった! みんなと一緒に!」
「……佐里ちゃん」
死ぬ事に怯えて、恐怖で心が折れてるのに、みんなと一緒に戦いたかったと。それが宮崎佐里の本質。恐怖で震えて逃げることしか選ばないと思っていたのに。丸は驚いた顔をして、佐里を見る。
宮崎佐里は恐怖と戦うことが出来る人間だ。それはきっと、弱い人間なんかじゃなく強い人間の証。
「何だ、大丈夫じゃん佐里ちゃん」
「何が……? あたしは、大丈夫じゃないよ……今だって怖くて震えて立ち上がれない」
「だったら俺が守ってやるよ、死ぬのが怖いなら――俺が佐里ちゃんを死なせない。これなら立てるか?」
「――え」
俯いて涙で目を濡らした佐里が、戸惑ったように顔を上げた。その先には、歯が浮くようなキザな台詞を言った丸がいて。
「……あたしを守って、くれるの……? 丸くん……」
「まあ、余裕だったらだが」
「そこは、どんな時でも守ってあげるって言わないのね……」
「そんなの無理だろ、どの瞬間も守れるなんてスーパーマンでも無理なんだしな」
「ふふっ、面白いね、丸くんは」
「あ、バカにした! やっぱり守るの辞める」
「えー何でよ、男は一度言った台詞は取り消しちゃダメなのよ」
「なんだよ、そのルール。誰が決めたんだ?」
「あたし」
「お前かよ!」
ふふふ、と佐里が先ほどとは一転し気が晴れたように笑う。もう彼女は立ち上がっていた。
「ありがと……丸くん。あたしを守ってくれるって言ってくれたこと、忘れないから……」
そう言って歩き出した佐里は教室を出る寸前で止まって振り返り、口を開いた。
「この後、あたしの家来る?」
「は?」
「だ、だからあたしの家! マンションで一人暮らしだけど……丸くんどうかなって」
唐突な家への招待。歳上の女子大学生が、歳下の男子高校生に。
それが意味するものは一つしかなく、背中に丸は汗をかいていた。
――俺、もしかして童貞卒業できる?
「い、行く……」
丸は脳ではなく盛り上がる下半身に従って、咄嗟にそう答えていた。