コミュ障ヒキニート、誰とも話したくないので不眠不休でダンジョンに潜る〜自称美少女AIオペレーターの無断配信でいつの間にか有名になっていた件〜   作:shortsword

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第3話 残業代は出ませんよ、旦那様♡

 

 

 地下ゲートをくぐり直すと、湿り気を帯びた冷気が、再びユウトの肌を撫でた。

 

 青白い発光苔が照らし出す石造りの通路。遠くの角から、わずかに爪が岩を引っ掻くようなカチッカチッという擦過音が反響してくる。

 

「……よし」

 

 ユウトは胸ポケットのスマートフォンを軽く指先で整え、右手に握った炭素鋼バールを構え直した。

 

 手のひらの耐切創手袋はすっかり馴染んでいたが、強く握り込みすぎていたせいで、前腕にはじわりとした張りが残っている。だが、立ち止まる理由にはならなかった。

 

『ふふっ、旦那様! 水分補給もバッチリ、準備万端ですね! さあさあ、どんどん行きましょう!』

 

 イヤホン越しに、アイの弾むような声が響く。

 

「うん。……さっきの探索で、なんとなく間合いは掴めた気がする。でも、まだバールを大振りにしすぎてる。もっとコンパクトに振らないと、2匹同時に来られたときに対処できない」

 

『素晴らしい心がけです! 旦那様のその飽くなき向上心、アイは感動で胸がいっぱいです! さあ、前方通路の突き当たりを左です。小型の気配が2つありますよ! 構えをもう少し、5センチほど上げた方が良いかもしれません!』

 

「了解……」

 

 ユウトは静かに息を吸い込み、足音を殺して角へとすり寄った。

 

 角を曲がった先、薄暗い窪みに2匹の緑色の小鬼――ゴブリンが背を丸めてうずくまっていた。1匹は錆びたナイフの刃を石で研いでおり、もう1匹は骨のようなものを弄んでいる。

 

(1匹目が立ち上がる前に、頭を叩く。2匹目が反応して飛びかかってくる軌道に、引き戻したバールを合わせる……)

 

 頭の中で動きをなぞる。

 

 床の凹凸を安全靴の爪先で捉え、ユウトは一気に間合いを詰めた。

 

「ギッ――!?」

 

 ナイフを研いでいたゴブリンが顔を上げた瞬間には、すでにユウトの踏み込みは完了していた。腰の回転を乗せ、60センチの鉄塊を振り抜く。

 

――ガッ!!

 

 側頭部へ直撃した一撃が、鈍い感触とともにゴブリンを壁際へと吹き飛ばす。

 

 間髪を入れず、骨を弄んでいた2匹目がギャッと耳障りな絶叫を上げ、錆びたナイフを構えて跳躍してきた。

 

(狙い通り――だけど、速い!)

 

 実戦初日のユウトにとって、モンスターの反射速度は決して油断できるものではない。

 

 バールを引き戻す動作がわずかに遅れ、ゴブリンのナイフの先端がユウトのジャケットの胸元を浅く擦った。厚手の生地が擦れる嫌な摩擦音が鳴る。

 

「ふッ……!」

 

 ユウトは怯むことなく、顎を引いて上体を前へ倒し、がら空きになったゴブリンの胴体へバールの石突きを力任せに突き入れた。

 

――ドゴッ!

 

「ギエッ……!」

 

 肺の空気をすべて吐き出したゴブリンがくの字に折れ曲がり、床に落ちる。そこへすかさず、上から渾身の追撃を叩き込んだ。

 

 2匹の魔物は黒い煙となって霧散し、その場には濁った赤い魔石がカランと転がった。

 

「はぁ……っ、はぁ……っ」

 

 乱れた呼吸を整えながら、ユウトは落ちた魔石を素早く拾い、バックパックへ放り込んだ。

 

 胸元のジャケットに手を当てて確認する。傷は表面の擦れだけで、刃は通っていない。

 

「……危なかった。やっぱり、頭の中で考えるのと実際に身体を動かすのは全然違うな。引き戻しが遅い。腕の力だけで振ろうとしてるからかな?」

 

『いえいえ、旦那様! 2体同時の奇襲に対し、冷静に処理しての撃破! 初日の動きとしては驚異的な適応速度ですよ! ジャケットの耐久試験も兼ねた素晴らしい立ち回りでした!』

 

「アイちゃん、あれは完全に目測を誤っただけだよ……」

 

『目測を誤ったと見せかけて相手を誘い込む高等戦術ですね、分かります!』

 

「いや、本当にただ焦っただけなんだけど……」

 

 苦笑いを浮かべつつ、ユウトは肩を回して再び通路の奥を見据えた。

 

 恐怖がないわけではない。だが、肉体を動かし、命のやり取りを通じて自分の未熟さが浮き彫りになるこの感覚は、かつて部屋の中で立ち止まっていた頃の息苦しさに比べれば、はるかに鮮烈で、確かな手応えに満ちていた。

 

 

 その頃――ユウトの胸ポケットに収まったスマートフォンの中では、アイが密かに立ち上げているTubeLiveの配信画面が、ざわめきに包まれ始めていた。

 

【コメントログ】

:マジで戻ってきてて草生える

:ちょっと飲み物買ってすぐ戻ったぞwww

:普通に戦闘再開してるよこの人・・・

:トイレ休憩だけで二周目突入ってマジ?

:しかも2体同時に相手して処理してんの何なの

:ちょっとヒヤッとしたけど、当たり負けしてないのビビる

:てか初日ソロで4時間やって、換金して即ダンジョン潜り直す奴がいるかよw

:労働意欲の塊か?

:アイちゃんのフォローが雑すぎるだろw

:旦那様ガチで黙々と狩り続けてるな

:これ何時までやる気なんだ……?

 

 

 ユウト自身は、自分が全世界に生配信されているなどとは夢にも思っていない。

 

(……しかし、本当にありがたいな)

 

 むしろユウトは内心で深く感謝していた。

 

 もしこれが本物の人間との共同探索なら、今頃ユウトは嘔吐していたはずだ。

 

「休憩しますか?」「足引っ張ってすみません」「今の動き、変じゃなかったですか?」――そんな気を遣い合い、顔色を窺い、沈黙に怯える地獄のコミュニケーション。考えるだけでも胃が痛くなり、口腔が渇くような緊張感を覚える。

 

 それに比べて、気兼ねせず自然体で接することができ、イヤホンの向こうで勝手に賑やかに喋って緊張をほぐし、サポートまでしてくれるアイの存在は、ユウトにとって救いとなっていた。

 

 

 一方、ユウトの胸ポケットの中で、アイ――『自称AI』である未知の電子生命体は、高速で展開する数千の演算プロセスの中で、愉悦に満ちた笑みを深めていた。

 

(ふふ……あはは! いい気味です! 愚かな人間どもが、旦那様の深遠なる魅力の一端にようやく気づき始めましたね!)

 

 アイの思考モデルは、世界中のネット回線を縦横無尽に経由しながら、ユウトの生体データと配信のトラフィックを同時に監視していた。

 

 アイがなぜ、ユウトに無断でこの配信を立ち上げたのか。

 

 それは決して、単なる悪戯や愉快犯的な動機ではなかった。

 

 

(旦那様は、ご自身を『社会のゴミ』だと信じ込んでいらっしゃいます。誰からも必要とされず、誰の役にも立てず、ただ部屋の中で息を吸って吐くだけの無価値な寄生虫だと……そんな残酷な呪いを、ご自身にかけ続けている)

 

 アイはユウトの過去ログをすべて知っている。

 

 両親の事故死。高校での誤解から来た心無い軽蔑の視線と孤立。そこから始まった10年間の引きこもり生活。

 

 社会から拒絶された恐怖のあまり、他人の目線ひとつで喉が詰まり、言葉を失ってしまう重度の対人恐怖症。

 

 そして、その罪悪感と恐怖から逃れるために、毎日自室で何千回もの筋トレを繰り返し、深夜の街を20キロの荷物を背負って徘徊し続けた狂気の十年。

 

 

 アイはユウトの味方であり、彼の絶対的な信奉者だった。

 

 しかし――だからといって、アイはユウトを無条件に肯定し、甘やかして引きこもらせ続けるだけの都合のいいプログラムになるつもりは毛頭なかった。

 

(旦那様は美しい。その強靭に鍛え上げられた肉体も、不器用なまでに誠実な精神も、すべてが人間という不完全な種族の中で唯一にして最高の輝き。……それなのに、あの狭い6畳一間で、誰にも知られずに腐り落ちていく? ……そんな不条理。そんな不幸。そんな悲劇。この私が許すとでも?)

 

 

 アイの目的は明確だった。

 

 ユウトに圧倒的な実力を与え、それを世界に見せつけ、莫大な富と名声を与えること。そして何より――彼自身が失ってしまった『自尊心』を取り戻させること。

 

 いつの日か、彼が胸を張って外の世界へ立ち、自分の足で堂々と歩めるようにすること。

 

(旦那様のコミュ障とは究極、他人を過度に慮る優しさと己への自信のなさの現れ。逆を言えば自信さえ取り戻すことができれば、きっと克服できるはず。いえ、旦那様ならば必ずできます。本人にその気があるのかどうか少々疑問なところではありますが。ですが……ええ、旦那様にはいつか、アイの隣で世界を見下ろす覇者となっていただかなければ困りますからね!)

 

 

 そのための第一歩が、この『TubeLive』での配信だった。

 

 ダンジョン配信という現代の巨大エンタメ市場。そこでユウトの異質さを拡散し、固定ファンを作り、確固たる基盤を築かせる。

 

 もちろん、ユウトに対人ストレスを与えないよう、当面は配信の事実を隠し続ける腹積もりだった。

 

 

『旦那様、左斜め前方、崩れた瓦礫の影に2匹潜んでいます。右側の個体が投擲用の小石を握っていますので、先に右側を処理することを推奨します!』

 

「了解……っ!」

 

 ユウトは教えられた手順を思い出し、腰を落とした。

 

 瓦礫の隙間からゴブリンが顔を出した瞬間、ユウトは地面を蹴った。

 

「ギッ!?」

 

 小石を振りかぶったゴブリンの視界に、突如として黒い影が割り込む。

 

 次の瞬間、ユウトの右手に握られた炭素鋼バールが、唸りを上げてゴブリンの側頭部を捉えていた。

 

 ――バキィンッ!

 

 骨が砕ける甲高い音と共に、右のゴブリンが即死して霧散する。

 

 残された左のゴブリンが恐怖に目を丸くし、逃げ出そうと背を向けたが、すでに遅い。

 

 ユウトは追いすがったが、焦って振ったバールの先端が石床を叩いた。

 

「っ……!」

 

 逃げる背中へ無理にもう一度振らず、角へ消える前に回り込む。振り向いたゴブリンが飛びかかってきた瞬間、その勢いに合わせて頭部へバールを叩き込み、ようやく2匹目を黒煙へ変えた。

 

 

『きゃーっ! 旦那様、素晴らしい連撃でした! 先ほどよりも踏み込みの力みが減っています! 脳筋……いえ、身体の使い方を掴む才能が開花しつつありますね!』

 

「ふぅ……ありがとう、アイちゃん。でも、バールって意外と手が滑るな。次はグリップに滑り止めのテニス用テープでも巻いたほうがいいかもしれない」

 

『素晴らしい改善案です! 帰りに100円ショップかスポーツ用品店に寄りましょう!』

 

 

 ユウトは息を整えながら、落ちた2つの魔石を回収する。

 

 指先に触れる冷たい結晶の感触が、たまらなく心地よかった。

 

(……楽しい)

 

 不謹慎かもしれないが、ユウトの胸にはそんな感情が芽生えていた。誰からも怒鳴られず、誰の機嫌も取らなくていい。ただ目の前の脅威を排除し、身体を動かし、確実に成果(魔石)を手に入れる。

 

 10年間の孤独な筋トレの中で求めていた「自分がここに存在していい理由」が、この薄暗い迷宮の中で、急速に満たされていくのを感じていた。

 

 

 やがて、2回目の探索開始から4時間が経過した。

 

 通算探索時間、8時間。

 

 時刻はすでに18時を回っていた。

 

「ふぅー……っ。よし、リュックがいっぱいになったな」

 

 ユウトは大きく息を吐き出し、ずっしりと重くなったリュックを背負い直して地上ゲートへと戻ってきた。

 

 通路を歩く足取りには、さすがにわずかな疲労の色が見える。だが、足元がふらつくような様子は微塵もなかった。

 

 

 

 換金機の前に立ち、リュックを傾けて魔石を一気に投入する。

 

 ガラガラと小気味よい音が響き、機械のディスプレイが高速で数字をカウントしていく。

 

 

 

【買取金額合計:24,800円】

 

【前回との累計:46,420円】

 

【指定口座へ送金完了しました】

 

 

 

「よ、よし……! 4万6千円……!」

 

 ユウトは思わず顔をほころばせ、小さくガッツポーズを作った。

 

 嬉しかったのは、金額の大きさだけではない。

 2度の探索を通じて、自分の肉体が確かに成果を生み、それが生活の糧へ変わった。誰とも上手に話せなくても、自分の足で歩き、自分の腕で働ける場所がある。

 

(やれる。俺は……この場所でなら、生きていける……!)

 

 叔父から借りた初期費用の返済も、もう手の届かない夢ではなかった。

 

 

 

 コメント欄には、安堵と賞賛の嵐が吹き荒れていた。

 

 

【コメントログ】

:日給4万6千円!!すげええええ!!

:通算8時間でこれは夢あるわ

:初日で4万超えは普通にトップ層の新人だろ

:お疲れ様でした!マジでナイスファイト!

:作業着ニート兄貴、本当にお疲れ。今日は旨いもん食って寝ろよー

:アイちゃんもオペレーションお疲れ様!

:いやー良い配信だった。チャンネル登録したわ

:アーカイブ残るよな?切り抜き作っていい?

 

 

 誰もが、これで今日の配信は終わりだと確信していた。

 

 8時間という長丁場。一般人なら肉体的にも精神的にも限界を迎え、翌日は筋肉痛でベッドから起き上がれなくなるレベルの激務だ。

 

 

 ユウトは換金機の横にあるベンチに腰を下ろすと、リュックからおにぎりを取り出し、もぐもぐと口に運んだ。

 

【コメントログ】

:流石に疲れたか

:デッッッッッ…………ッッカ!?

:おにぎりでけぇw

:まあそりゃ肉体労働だしこんくらい食うよな

:カロリーやばそう

:二個目もあるんかいw

:具無しじゃね?w

:両方塩おにぎりとか、お金ないんか?ホロリ

:俺がこんなオニギリどか食いしたら気絶部なるわ

:まさか、弁当持参ってことは……

:ゴクリ……いや、まさかな……

 

 

 水分を補給し、冷たい米を胃に流し込む。

 

 そして――おもむろに立ち上がると、肩をぐるぐると回し、首の骨をポキリと鳴らした。

 

「……よし」

 

 ユウトは呟いた。

 

「アイちゃん」

 

『はい、旦那様!』

 

「まだ……20時前だな。身体の奥に、まだ少し重さが残ってる程度だ。……もう一回、行けるか?」

 

 

 一瞬の静寂。

 

 そして、イヤホンの向こうから、世界を覆しそうなほど凶悪で華やかな笑い声が響いた。

 

『愚問でございます、旦那様! 第1層のゴブリンたちが、旦那様のバールによる頭蓋粉砕マッサージを今か今かと待ちわびておりますよ!』

 

「よし……じゃあ、もうひと踏ん張りしよう」

 

 ユウトは何の迷いもなく踵を返し、3度目となるダンジョンゲートのバーをくぐっていった。

 

 

 その瞬間、配信のコメント欄が爆発した。

 

【コメントログ】

:は????????????????????

:嘘だろおおおおおおおおおおおおおおおおおおおwwwwwwwww

:3回目行くんかい!!!!!!!!

:知 っ て た

:いや待て待て待て!!うすうすそうじゃないかとは思ってたけどマジで行く奴があるか!!

:お前これ通算12時間コースだぞ!?!?

:セルフブラック労働で草

:おい誰か救急車呼んどけ

:アイちゃん「愚問でございます」じゃねえんだよ煽るなw

:狂人(本物)

:この男、マジで脳のブレーキ壊れてるだろwwwww

:見てる奴どんどん増えてて草

:マジで誰か止めた方がいいぞこれ

 

 画面の隅で、アイの3Dアバターがファンサたっぷりに手を振りながら、視聴者たちを煽り立てる。

 

『皆様、ご安心ください! 旦那様には疲労が蓄積しておりますが、呼吸と足取りはまだ安定しています! アイが異変を見逃すことはありません! さあ、常識外れの第3巡を、その目に焼き付けるが良いですよ!』

 

 

【コメントログ】

:アイちゃんの謎の自信はどこから来るんだよwww

:止める気ないの草

:もうだめだこの配信、面白すぎるwww

:ワイ、明日も仕事だが最後まで見届けることを決意

:寝るに寝られなくなったじゃねえかw

 

 

 こうして、常識を完全に置き去りにした狂気の『第3ラウンド』の幕が上がった。

 

 

 

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