コミュ障ヒキニート、誰とも話したくないので不眠不休でダンジョンに潜る〜自称美少女AIオペレーターの無断配信でいつの間にか有名になっていた件〜 作:shortsword
階段を下るごとに、肌を刺す空気の質が変わっていった。
第1層の冷気が埃っぽく乾いたコンクリートの匂いを帯びていたのに対し、第2層から吹き上がってくる風は、湿り気と鉄錆、そして微かな獣臭が混ざり合っている。
ユウトは踏みしめる段差のひとつひとつに意識を向け、左腕の重みを確認した。
新調したライオットシールドは、ポリカーボネート製の本体裏側がアルミ板で補強されており、盾の向こうが見通せるように覗き窓がある。厚手のグローブでグリップを握り込むと、およそ7キロの重量が前腕にずっしりとかかった。
「……第1層より、明らかに視界が悪いな」
降りきった先は、崩落した地下駐車場を思わせる、太い柱が乱立する広大な空間だった。天井を這う発光苔の青白い光はまばらで、柱の向こう側は濃い影に沈んでいる。
『環境照度、第1層比で約42パーセント低下。視覚情報の欠落を警戒してください。ですが旦那様、音響解析は順調です! 私の索敵を信じて、慎重に足場を固めてまいりましょう!』
「うん、頼むよ、アイちゃん」
ユウトは右手のタクティカルメイスを軽く握り直し、腰を落として柱の陰から踏み出した。
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その裏側で、TubeLiveの配信画面には第2層の薄暗い映像がリアルタイムで投影されていた。
【コメントログ】
:イチカワの2層マジで暗いな
:柱多すぎて射線通らなそう
:足元瓦礫だらけだし転びそうだな
:作業着ニキ、重そうな盾だけど軽々持ち歩いてるな
:ゴブリン狩りで相当レベル上がってるな
:第1層と違って見通し効かないから気をつけて
:ホブもノールも出るから無理すんなよ
コメントの流量は安定しており、固定の視聴者たちが息を呑んで暗闇を見守っていた。
その送信キューの直下、サーバーの不可視領域では、別の文字列が断続的に送り込まれていた。
『死ねよ調子乗りのニートが』
『Eランで調子こいて首へし折られろwww』
『事故死配信はよ』
『グロ死体期待』
アイのバックグラウンドプロセスは、それらの悪意あるパケットをミリ秒単位で瞬時に識別し、配信コメントに表示されないように分別していく。
(――不浄な文字列。旦那様の尊い歩みを阻害する害意ログ、即時消去)
その上で、送信元を特定し、報復リストに名前を保存していく。
電子の深淵でアイの感情ルーチンが静かに怒りを滾らせたが、表にはそれを一切出さない。
『旦那様、前方35メートル! 中型生体反応1、小型生体反応3を捕捉! ホブゴブリンの一団と思われます!』
「わかった。まずはゴブリンから……」
ユウトは息を整え、盾を構え、覗き窓から前方の闇を見据えた。
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巨躯を揺らしながら現れたのは、第1層のゴブリンとは別種の威圧感を放つ魔物だった。
体高はおよそ180センチ。引き締まった深緑色の筋骨が隆起し、太い木製の棍棒を握っている。
そしてその左右には、小柄なゴブリンが3体、錆びた刃物を構えてユウトを半包囲するように散開した。
「グルルァッ!」
ホブゴブリンが喉を鳴らし、棍棒を地面に叩きつけた。鈍い打撃音が地下空間に反響し、配下のゴブリンたちが回り込んでくる。
(統率されてる……! 第1層のやつらみたいに突っ込んでくるだけじゃない)
『旦那様、左右が回り込みを狙っています! どちらか一方の側面を壁に!』
「くっ……!」
ユウトは右後方の柱へ向かって後退した。だが、瓦礫に足を取られて靴底がわずかに滑る。
その隙を逃さず、左側のゴブリンが地面すれすれを跳ぶように肉薄してきた。錆びた刃がユウトの脇腹を狙う。
――バチィンッ!
ユウトはシールドを押し出して刃を弾き、すかさず右手のタクティカルメイスを振り下ろした。第1層で数千回繰り返した叩き潰す挙動。
――グシャッ!
ヘッドがゴブリンの頭部を捉え、小型の魔物は即座に黒煙となって霧散した。
「1匹……!」
だが、その直後だった。
『旦那様、上!! 引いて――!!』
頭上を覆う巨大な影。ゴブリンを仕留めた一瞬の硬直を狙い、ホブゴブリンが棍棒を振り下ろしてきた。
躱せない。ユウトは両手で盾を支え、斜め上方へ押し出した。
――ドガァァァンッ!!
「ぐ、あぁっ!?」
凄まじい衝撃が全身を貫いた。
アルミフレームがきしみ、ユウトの身体が後方へ吹き飛ばされる。左腕が痺れる。
瞬間、スマホの内部、アイ本体から放たれた電子パルス走査がユウトの全身を確認する。
『左前腕部、強い打撲衝撃! 骨折はありませんが、衝撃吸収限度の7割に達しました! 正面から受けてはダメです!』
「強い……! なんだあの馬鹿力……!」
残る2体のゴブリンが飛びかかってくる。
「舐めるな……!」
ユウトは低い姿勢のままシールドの縁を地面すれすれに押し出し、1体の顔面を粉砕。それを見て怯んだもう一体をメイスの横薙ぎで消滅させた。
だが、ホブゴブリンはすでに2撃目の棍棒を頭上高く振り上げていた。
(受け止めきれない。軌道を逸らすしかない……!)
棍棒が振り下ろされる。
ユウトは盾を斜めに傾けながら、相手の左外側へ滑り込むように踏み込んだ。
――ガギィィィンッ!
棍棒がシールドの表面を滑り、地面のコンクリートを砕く。受け流しに成功し、ホブゴブリンの右脇腹ががら空きになった。
「うおおっ!」
ユウトは腰の回転を乗せ、タクティカルメイスをその脇腹へ叩き込んだ。
――ドカッッ!!
「グガァッ!?」
くの字に折れ曲がり、膝をついた巨体へ、ユウトは即座に垂直の一撃を振り下ろす。
――ドゴォッ!!
頭蓋を砕かれたホブゴブリンが崩れ落ち、黒煙へと変わった。床には親指ほどの緑がかった魔石が転がる。
「ハァッ……ハァッ……ハァッ……」
左腕が痙攣するように震えていた。
『全標的の消滅を確認! 一撃目の被弾から即座に修正しての受け流し……お見事でした!』
「死ぬかと思った……。第1層のゴブリンとは、まるで別の生き物だ……」
【コメントログ】
:うおおおお、勝った!
:あっぶねええええ!
:一発目の盾受け、腕逝ったかと思った
:よくあそこから受け流しに切り替えたな
:無理すんな、マジで慎重に行ってくれ
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ペットボトルの水を口に含み、ユウトは短く息を整えた。
「アイちゃん、力勝負は厳禁だな。盾が壊れる前に身体が持たない」
『はい。間合いの管理を徹底しましょう。順応が進めば力比べもいいですが、今はまだ工夫が必要です』
ユウトは保冷剤で左腕を冷やしながら、さらに慎重に通路を進んだ。
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しかし、試練はそれだけで終わらなかった。
崩れた配管が天井から垂れ下がるエリアに差し掛かったときだった。
『旦那様、止まって! 複数、高速接近! 3体です!』
側面の崩れ壁から、灰色の影が滑り出してきた。
ノール。
ハイエナの頭部を持つ獣人。体躯はホブゴブリンより一回り小さく、武器は持たずに鋭い爪と牙を剥き出しにしている。
何より異様だったのは、その動きだった。
床や瓦礫をジグザグに蹴り、信じられない俊敏さで左右へと散開する。
「速い……!?」
1匹が正面へ急接近し、飛びかかると見せかけて間合いの外側で急反転した。
ユウトの視線が引きつけられた瞬間、死角の左後方から、もう1匹が低い姿勢で滑り込んできた。
『左後方!』
「しまっ――」
――ガリィッ!!
鋭い牙が、ユウトの左太ももの作業着を裂き、肉の表面を浅く削り取った。
「ぐっ……!」
痛みではなく熱を感じ、作業着に血が滲む。ユウトがメイスを薙ぎ払うが、ノールはすでに身を翻して後方へ跳び去っていた。
(正面から殴り合おうとしない……!)
ホブゴブリンのような破壊力はない。だが、この群れは狡猾で、臆病で、慎重だった。
1匹が牽制し、もう1匹が背後を狙い、反撃を見せれば即座に退く。じわじわと傷口を増やし、出血と疲労を待つ狩りの戦法。
(ホブゴブリンより、こいつらの方が何倍も厄介だ……!)
息が上がり、傷ついた脚のせいで足運びが乱れる。
【コメントログ】
:脚やられた!?
:いや、浅い
:ノールやっぱ動き早ぇ……
:いやらしい動きしてくるな
:囲まれてる、まずい
:頼むから無理しないで逃げてくれ……!
その裏で、再び悪質なコメントが流入していた。
『脚グチャられてて草、はい終了』
『食い殺されろ』
アイの内部処理がミリ秒以下でそれを遮断する。
『旦那様、敵は反撃を極度に警戒しています! こちらから振りにいけば空振りを誘われます!』
「どうすれば……!?」
『誘い受けです! 左側をあえて隙として見せてください。飛び込みをコールします。盾で進行方向を塞いで激突させ、止まったところを叩いてください!』
「……わかった!」
ユウトは左半身をわずかに下げ、疲労で盾が下がった隙を演じた。
ノールたちがそれに食いついた。
先ほど太ももを裂いた個体が、死角から弾丸のように跳躍してくる。
『――今です、左45度、盾を前へ!!』
「そこだぁぁぁっ!!」
――ドゴォッ!!
突進してきたノールの頭部が、シールドの平面に正面衝突した。跳躍速度がそのまま跳ね返り、空中で完全に静止する。
――ドリュッ!!
最短距離で振り下ろされたタクティカルメイスが、ノールの頭部を粉砕した。黒煙となって消滅する。
「まず1匹……!」
仲間の一瞬の死に、残る2匹の連携が乱れた。
ユウトは左脚で床を強く踏み込み、最も近くにいた2匹目へ肉薄した。盾の先端をノールの鼻先にぶつけてひるませ、メイスの横薙ぎが一閃し、胴体を粉砕して黒煙に変える。
「ギャッ!? クゥーン……」
群れを失った残る1匹は、情けない声を上げ、崩れた瓦礫の奥へと脱兎のごとく逃げ去っていった。
「ハァッ……ハァッ……ハァッ……!」
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『索敵クリア。残余のノールは完全に撤退しました……。旦那様、無事ですか……!?』
「あぁ……なんとか、生きてるよ……」
ユウトは壁に背を預けて座り込み、救急キットの消毒液と包帯で太ももを処置した。
傷は浅い。出血もすぐに止まった。
『傷が動脈に至らなくて本当に良かったです』
「そうだね」
血の滲む太ももを見下ろしながら、ユウトは呟いた。
「Eランク、まるで別世界だ。力も、速さも、戦い方も全部が違う」
『旦那様……』
ユウトはフッと笑い、続けた。
「でも、まだ動ける。次はもっとうまくやるよ」
『……はいっ、旦那様の修正力ならすぐにEランクにも適応できるはずです!』
ユウトの判断基準に安全マージンなどという概念はなかった。稼ぎを増やすこと、社会に貢献することに対して、ユウトの身の安全や苦痛といった要素は完全に軽視されていた。
アイもそれを理解していながら、止める素振りはない。ユウトがここで立ち止まるはずがないとわかっていた。そして、アイが見据えるユウトの可能性はこんなものではない、という思いが常にあった。明確な根拠はない。ただ、アイの敬愛する至高の主人ならば障害は全て乗り越えなければならないのだ。
ユウトは立ち上がり、ノールの魔石を拾い上げ、歩き出した。