コミュ障ヒキニート、誰とも話したくないので不眠不休でダンジョンに潜る〜自称美少女AIオペレーターの無断配信でいつの間にか有名になっていた件〜 作:shortsword
地下駐車場の冷たい闇を切り裂くように、短い金属音が響いた。
突進してきたノールの跳躍を、ユウトは退きながらシールドの角でわずかに受け流す。姿勢を崩した魔物の首筋へ、右手のタクティカルメイスが正確に振り下ろされた。
――ドゴッ!
鈍い音とともにノールが黒煙へと霧散し、足元に小粒な魔石が転がる。初回の痛烈な奇襲を経て、ユウトの身体はEランク区域の速度と狡猾さに慣れ始めていた。受け止めるのではなく逸らす。飛び込みの軌道上に盾を置き、勢いを殺して叩く。
「……ふぅ。動きのパターンさえ見えれば、なんとか捌けるな」
『見事な適応です、旦那様! 無駄な力みが抜けて、迎撃のタイミングが改善されていましたね!』
スマホの画面からアイの弾んだ声が届く。
ふと、先ほどノールに裂かれた左の太ももに視線を落とす。
作業着の破れ目には、救急キットから取り出した包帯が巻かれている。傷口を覆ったガーゼには、受傷直後に滲んだ赤黒い染みが残っていたが、その染みはそれ以上広がっていなかった。
「……あれ?」
ユウトは眉をひそめ、作業着の上からそっと左太ももに触れた。
痛みがない。
さらに、ホブゴブリンの重い棍棒を正面から受けてたまに痺れを感じていた左の前腕も確かめてみる。シールドのグリップを握り締めていた手首を回し、前腕の筋肉を強く揉んでみたが、違和感は消え失せていた。
「アイちゃん……これ、ちょっと変じゃない?」
『変、とはどのような感覚でしょうか、旦那様?』
「さっきノールに太ももをやられただろ。でも、もうほとんど痛まないし、左腕も普通なんだ。怪我してから、まだ30分も経ってないのに」
ユウトは壁際へ移動し、瓦礫の山に腰を下ろして包帯の端をそっと解いた。
ガーゼをめくってみると、ユウトは思わず息を呑んだ。
裂かれていたはずの肉の合わせ目が、すでに薄いピンク色の皮膜でぴたりと塞がっていたのだ。出血は完全に止まり、傷口の縁は乾いて、まるで1週間ほど経過した回復期の傷跡のような状態になっていた。
「……塞がってる。嘘だろ、こんなの……」
ユウトの背筋に、冷たいものが走った。
尋常な傷の治り方ではない。どんなに若く健康な身体であっても、鋭利な爪で肉を削り取られた傷が30分足らずでここまで修復されるなど、医学的にあり得ないはずだった。
『ふふっ、ご安心ください旦那様! それこそが、ダンジョン順応の素晴らしき恩恵です!』
スマホの画面の向こうで、アイが何でもないことのように朗らかに言った。
『旦那様はこれまで約3週間にわたり、毎日何百匹もの魔物を討伐し、膨大な量の魔石に触れ続けてこられました。その過程で旦那様の肉体には高密度の魔力が浸透し、基礎的な筋力や耐久力だけでなく、細胞の自己修復能力――すなわち治癒力そのものが人外の領域へと引き上げられているのです!』
「治癒力そのものが……?」
『はい! 順応の進みにもよりますが、この程度の浅い裂傷や単純打撲であれば、魔力による代謝の超活性化によって、短時間で肉体組織が再構築されてしまうケースもあります! 旦那様の場合は治癒力が特に伸びやすいタイプなのかもしれませんね』
アイの説明に、ユウトは自分の左手をまじまじと見つめた。
皮膚の下を流れる血液、筋肉の収縮。見た目は10年間引きこもっていた時と変わらない自分の身体のはずだった。だが、その内側はすでに、生物としての常識から逸脱し始めている。
人外の治癒力。その言葉の響きに一瞬の気味悪さを覚えながらも、ユウトの頭には別の現実的な疑問が浮かんできた。
「……治るのは助かるけど、アイちゃん、感染症とかは大丈夫なのかな? 野生動物に噛まれたり引っかかれたりしたら、破傷風とか狂犬病とか、いろんな菌やウイルスが入るって聞くけど……ノールの場合は……」
さっきは夢中で傷口に消毒液を吹き付けたが、もし爪の奥に危険な細菌が潜んでいたら、傷が急速に塞がったことで菌が体内に閉じ込められてしまうのではないか。そんな不安がよぎった。
だが、アイは事も無げに笑って答えた。
『あぁ、その点についてもご心配には及びません、旦那様! ダンジョン内に生息する魔物は、地上の野生動物とは発生の根本がまったく異なるのです』
「根本が違う?」
『はい。魔物とは、ダンジョンの壁や床から魔力の凝集によって湧き出る、いわば無菌状態で生成される存在です。自然界の動物のように汚物や腐肉を漁って体内に無数の病原菌を溜め込んでいるわけではないため、噛まれたからといって特有の感染症に罹患するリスクは極めて低いのです』
「じゃあ、気にしなくていいってこと?」
『ええ。もちろん、魔物が発生した後にダンジョンの埃や床の汚れに触れて付着する外因性の雑菌は存在しますから、旦那様がなさったような最低限の消毒や傷口の清掃は無意味ではありません。ですが、先ほど申し上げた通り旦那様の体内環境は順応によって魔力が巡り、自然治癒力や免疫応答も極めて強固になっています。外から入った程度の些細な雑菌なら、体内の魔力循環と白血球があっという間に駆逐してしまいますよ!』
「なんだ、そういうことだったのか……」
無菌の魔物。そして、それを圧倒的な再生力で跳ね返す自分の身体。
論理的で淀みのないアイの解説を聞き、ユウトはようやく胸を撫で下ろした。
怪我をしても、動脈を切るような致命傷でなければ急速に治る。感染症に怯えて寝込むリスクも極めて低い。
(……なら、まだいける)
恐怖や嫌悪感よりも先に湧き上がってきたのは、安堵だった。
自分の命が惜しいからではない。身体が頑丈で、傷がすぐに治るのなら――それだけ長くダンジョンに潜り、魔物を狩り続けられる。稼ぎを止めずに済む。その事実だけが、ユウトの心を強く支えていた。
【コメントログ】
:旦那様、ノールの動き完全に読んでたな
:適応早っ
:ゴブリンの経験が生きたな
:↑関係あるか?w
:太ももの怪我もう平気そう
:治り早くない?
:さっきまで腕ぷるぷるしてたよね
:レベルアップすげえ
:タフすぎる
:全くビビってないのがすごいわ
:ビギナーがEランクの洗礼受けるとしばらく腰が引けて立ち回り悪くなりがちだからな
:治るからって無茶していいわけじゃないぞ
最後の1行を、アイは消さなかった。ただ、声にしてユウトへ届けることもなかった。
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空腹を覚え、ユウトは袋から潰れかけたおにぎりを出した。ラップを剥がすと、冷えた米が指に貼りつく。
一口食べた途端、叔父の作る炊き込みご飯を思い出した。鶏肉とごぼうがたっぷり入っていて、蓋を開けると湯気の中に醤油の匂いがした。
「……叔父さんのご飯、うまかったな」
セイイチは、おかわり、と言う前に立ち上がることがあった。ユウトの茶碗が空く頃には、もう炊飯器を開けている。
煮込みハンバーグも好きだった。ふっくらした肉を割ると、皿に汁が広がる。ソースまでご飯につけて食べ、まだ残っているかと鍋を見てしまった。そのたびにセイイチは「おかわりあるよ」と笑った。
「俺、ずいぶん食べてたよなあ」
おにぎりを持つ手が止まった。
大きな茶碗に何杯も。それだけではない。自分の分を平らげてから、叔父の皿を見たことさえあった。うまくて、腹が減っていて、出されたら食べた。
あの肉も米も、勝手に台所へ湧いてきたわけじゃない。
「食費って、普通は月にどれくらい?」
アイは配信の音声を既に止めていた。ユウトの身バレに繋がる個人情報までわざわざ配信に乗せる必要はない。
『量と材料によりますね。お肉もお魚も召し上がっていたなら、旦那様の分として月4万円ほどから仮に置いてみましょうか』
「よ、4万……。それで10年だと……」
『120か月で480万円です。ただし、家計簿を確認した数字ではありませんよ』
ズキリと胸の奥に痛みが走った。漠然と迷惑をかけていたという自覚はあったが、具体的な数字にされると重みが違っていた。
スーパーで肉を手に取り、値札を見て戻したことがある。今の自分には高いと思った。それを、叔父は何人前買っていたのだろう。皿いっぱいのハンバーグを、自分は何分で食べてしまっただろう。
「年金も払ってもらってたと思う。ああいうの、俺、ずっと叔父さんに任せてたから」
『納付の記録は別に確認が必要です。今は20歳から8年分を納めたと仮定して、月平均17,000円なら163万2千円です』
「電気とか服とかも。わからない分は仮でいいから、足してくれる?」
アイの声が一拍だけ途切れた。
『……承知しました。引きこもっていた10年間のみで計算します。食費以外の光熱費、衣類、通信費や日用品などを、旦那様の分として月2万円。120か月で240万円です。住居費は当時の負担が不明ですので、今は含めません』
「うん」
『食費480万円、年金163万2千円、その他240万円。ここまでで883万2千円。独立時の初期費用111,640円も加えると、8,943,640円です』
ユウトは膝の上のスマホを見つめた。
約900万円。家の分を入れていないのに。もっと前に買ってもらったものだってあるのに。それに、アイは食費を4万円と言っていたけど、セイイチが使っていた食材の質を考えるともっと行くような気がした。
「そんなに……」
セイイチが茶碗によそってくれた白いご飯が浮かぶ。あれを一杯食べ終わるたび、金が減っていた。自分はおいしいとしか考えていなかった。
『旦那様。セイイチ様が、この金額をお求めになったわけではありません』
「わかってるよ。叔父さんはそんなこと言わないよ」
だが、そのお金で叔父さんとミレイさんは何ができただろう。
もちろん二人が高給取りでその何倍も稼いでいることは理解していたが、それでもお金は有限で、新婚の二人はこれから何かと入り用だ。結婚式、ハネムーン、出産、育児、旅行──もしもそのどれか一つでもユウトのせいでためらったり見送ったり妥協したりしたら……と悪い想像をして青ざめるユウト。
残りのおにぎりを口へ押し込み、ラップを小さく畳む。
「今って、いくら返せる?」
『補給費と生活費を確保した上で、ですね?』
「うん。もちろん」
アイは明るく了承して計算を始める。ユウトが前へ進むための計算なら、いくらでも手伝えた。