陰キャ女の子をいじめから庇った男、魔法少女界のフィクサー扱いされる   作:魔獣という概念が地味な事を嘆く者

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魔法少女の責務と『✕印』

 

 放課後の第二美術室は夕暮れ時の琥珀色の光に満たされていた。

 ガタつく木製の長机の上には厚手な世界史の教科書と使い古されたルーズリーフが広げられている。

 

 零士は精緻な指さばきでシャーペンを動かしノートに歴史の年表を整理していた。

 その隣には隠花なばながちょこんと座っている。彼女はモジモジと恥じるように小さく体を丸めて赤ペンを握ったまま零士の横顔を盗み見ては顔を赤くしていた。

 

 「あ、う……零士く……ん、この……えっと………しるく…ですけど、私、よく……分から……なくて……っ」

 

 「なんて?」

 

 「主はシルクロードの交易ルートについて難儀しているようだぞ、零士。」

 

 ベルゼの補助により隠花の分からない箇所を把握する零士、彼女に身を寄せて指南する。

 

 「ここか。隠花、世界史の暗記ってただ詰め込もうとするからややこしくなるんだよ。当時の人間がどう動けば一番儲かるかっていうシンプルな損得勘定で考えれば歴史の流れなんてパズルみたいに綺麗に繋がるからさ。」

 

 「あぅ…たすかり……ますぅ……」

 

 「欲望を基準に考えるとはな…下世話だぞ零士!」

 

 「それで歴史は成り立ってんのよ」

 

 零士はいつも通りの落ち着いたトーンで微笑しながらベルゼの率直な感想をあしらって隠花のノートの該当箇所を指し示した。

 隠花は帽子の下で三白眼の目を潤ませ、どもりながらも嬉しそうに頷いた。

 

 (零士くん……今日も私の拙い質問にこんなに優しく付き合ってくれている……私の頭が悪いのに決して呆れたりしないで、いつも一人の人間として私の尊厳を守ってくれている……っ!)

 

 極めてどこまでも純粋な憧憬を持つ隠花にとって零士のこの『徹底的な真っ当さ』こそが世界のすべてだった。ただただ零士への感情が胸の奥でじわりと熱を帯びる。

 それに呼応するように彼女の周囲の空気が陰陽呪詛の膨大な残火によって今度はスパークではなく、氷属性の性質をもってピキピキと音を立てて凍りつき始めた。

 二人の背後。空間の歪みから音もなく浮遊しているベルゼが隠花の中で醸成された感情の重さに当てられて代弁する前に「ギギッ……」と不気味なノイズを漏らす。

 

 「あ、主よ…もう少し感情を抑えめに…いっ!?」

 

 零士の認識では、ベルゼは『隠花が自作した立体映像機能付きの最新鋭ぬいぐるみ型ハイテクドローン』であり隠花のこの格好は『かなり気合いの入った重度のコスプレ趣味』。

 

 なので零士は隠花が自分の好きなことに熱中している姿を尊重し好ましく思っている故に、ベルゼの事も純粋にどこまでもドローンだと思っている。

 

 「おいベルゼ、さっきから変な音がしてるぞ。調子悪いんじゃないか? 隠花に中身見てもらえば?」

 

 「中身を見るだと!?」

 

 「解体して中身を見てもらえばいいじゃん」

 

 「いやっちょっ」

 

 困惑するベルゼ。零士が一瞥し隠花も零士の言葉に反応したベルゼの様子にその三白眼を向ける。

 

 (ヒィィィィ! やべえぇぇぇ!  お、抑えろ我よ! 我の体ちゃんと主の魔力を抑えてッ!!)

 

 呪詛の権化であるはずのベルゼは隠花および零士との主従を改めて刷り込まれる。ブルブルと震え上がりながら机の影へとそそくさ滑り込んだ。

 

 しかし。

 

 その穏やかながらも裏社会の住人が見れば一瞬で心臓が止まるような不条理な空間に場違いなほど元気な足音が響き渡った。

 

 バン! と、美術室の扉が勢いよく開け放たれる。

 

 「見つけました! 墨染先輩!」

 

 夕日を背に浴びて立っていたのは魔導院の養成所を異例の若さで卒業した期待の新星。青海あおみかなえだった。

 

 彼女は現役の一般魔法少女でありA級魔法少女である『神楽』の戦いぶりに強烈な憧れを抱く、やる気と自信に満ち溢れたB級魔法少女。エリート後輩である。

 

 奏は短いツインテールを揺らして眩しいほどの正義感に満ちた瞳で隠花を見遣る。

 

 「出力調整して魔力を隠しているみたいですけど魔法少女である事は丸わかりですからね!」

 

 彼女は魔導院から彼らについて……零士の本当の正体をまだ何も知らされていない。

 ただ『最近、神楽先輩が気に病んでいる一般人の男に対して現役魔法少女が引っかけられている不健全な現場』を正しにきたつもりだった。

 

 「青海……さん……? あ、の、え…とっ…っ」

 

 「む、魔法少女か。主は貴様に困惑しているようだぞ。」

 

 机の下から這いつくばる姿勢でベルゼがぬるっと現れて奏に代弁を行うが、奏はその異形に腰を引いて少し驚いた表情を浮かべた。

 

 「えっこれが先輩の契約精霊…!? 先輩、マスコットにしては趣味が悪いですよ…フリーランスの魔法少女とはいえどこで契約したんですか…?」

 

 「貴様失敬だな。主と零士の前だから切り裂いてやる程度で済ませてやるぞ。」

 

 しかし隠花はベルゼに抑えるように大きな帽子を引き、ベルゼも内心で渋々承諾する。

 しかし隠花は人間相手に対してそのあまりある力での解決をあまり好まない性質であり制止しただけで、彼女には奏の意図など全く分からずただ純粋に突然の訪問に戸惑うばかりで気圧されるしかなかった。

 

 「とにかく墨染先輩! あなたは神楽先輩と同年代なんですから、いつも地味にオドオドしてないでください! 挙げ句の果てには神楽先輩を困らせているらしいそんな一般人の方と放課後に遊んでいるなんて、魔法少女としての自覚が足りません!」

 

 奏は一歩踏み込み長机を両手でバンと叩いた。

 彼女にとっては悪気など1ミリもない。

 ただ良かれと思って先輩を正しい道へ導こうとする『正義の味方』。純粋で不用心な熱血だったがそうでなければ彼女は魔法少女として市井しせいを守る存在になってはいない。

 

 だが隠花は零士と神楽の関係など知らないし会ったことさえ1度も無い……実際、零士と神楽には面識など無い。

 色々な考えが頭の中で巡りとにかく動揺するばかりの隠花。今度は奏は零士にその矛先を向ける。

 

 「そこの一般人のあなたもです! 墨染先輩は世界の位相を守るために戦う特別な存在なんです! あなたみたいな普通の男の子が気安く彼女の時間を奪って足を引っ張るなんて見ていられません!」

 「これから私が先輩の為にもっと効率的で強くなれる特訓メニューを組んであげるんであなたは今すぐ席を外してください! 私達は魔法少女……正義の味方っていう責務を背負っているんです!!」

 

 前のめりな青海奏の信念。

 美術室の空気が奏の放つ眩しい光の魔力で満たされていく。

 

 だが零士の瞳はその輝きを威圧ではなく、あくまでただの魔力による発光現象として見据えていた。

 零士の脳内では目の前の後輩の発言が完全に『隠花の本格的なコスプレ活動に対して、別のコスプレ界隈のルールを押し付けにきた熱血オタク魔法少女』として翻訳されていた。

 

 『墨染先輩は世界の位相を守るために戦う魔法少女公式設定を背負ったガチのコスプレイヤー』というような奏の旨に対しても『隠花の世界観について真面目に突っ込んでるんだな』と納得していた。

 

 「逞しいね。魔法少女活動もお疲れ様。」

 「でさ、お前のやる気は別に否定しないけどちょっと押し付けがましくないか…星宮」

 

 零士は持っていたシャーペンを一度机に置き腕を組んで奏を真っ正面から見つめた。

 奏の熱が一切通用しない彼の声。夕暮れの美術室に驚くほど静かにそして冷徹に響いた。

 

 「え……?」

 

 奏は一瞬言葉を失った。

 一般人の少年なら現役魔法少女の放つ魔力の威圧感と正義のオーラに気圧されるはずだった。

 だが目の前の少年から返ってきたのは微塵の動揺すら無い絶対的な『格』の拒絶だった。

 

 「お前は良かれと思って効率的な特訓メニューとか自覚とか促してるんだろうけどそれってただの自己満足だろ。隠花はさ、自分のペースで自分の好きなことコスプレと学校生活をちゃんと両立させて頑張ってるんだよ。」

 「他人の楽しんでる活動のやり方にお前個人のルールを強要するな。」

 

 「コスプレ…!? き、強要……!? 私達は魔法少女であって正義の味方でこんな所で油を売っている先輩のためを」

 

 「組織での評価なんて俺たちの勉強には何の関係もないだろう。お前がここで大声を出して極端な精神論を並べ立ててるせいで俺たちのテスト勉強の時間がゴリゴリ削られてるんだ。」

 

 「なっ…」

 

 「そういうの自分の研究時間惜しかったのに一々手紙に律儀に返信してたダーウィンに言ってくれ、もうこの世にいないけど」

 

 「なぜそこでダーウィン!?」

 

 「世界史の勉強してるから」

 

 零士の瞳には過去に神代麗奈を切り捨てた時と同じマイペースさが宿っていた。

 

 相手がどれだけ熱血でどれだけ正義感に駆られる良い子であろうとも、隠花が真面目に楽しんでいる世界を乱し不条理な強要をしてくる存在を優先する事はない。

 

 「な、何よその言い方……! 私は!」

 

 奏がプライドを傷つけられ敬語も忘れて顔を真っ赤にしながら反論しようとした、その時だった。

 

ビーーーー! ビーーーー! ビーーーー!

 

 奏のスカートのポケットから魔導院より支給された特殊通信端末が鼓膜を突き刺すような緊急アラートを鳴り響かせた。

 

 [特務二課より、周辺エリアの全魔法少女へ緊急伝達! 高度100メートル地点において、強烈な『位相の隙間』の拡大を確認! 顕現しつつある異界門のエネルギーは……ハザードクラス! 繰り返す、ハザードクラスの魔獣のスポーンを検知! 付近の戦力は直ちに迎撃態勢に入れ!]

 

 「ハザードクラス…!?」

 

 奏の顔から一気に熱血の色が消え端末をインカムに繋いで耳に装着。戦士の緊張感が走る。

 

 ハザードクラス…中位クラスの魔獣。

 しかし放置すれば都市一つのインフラに甚大な被害を与える可能性もある広域災害指定の怪物。A級魔法少女でなら単独での討伐は可能だがB級魔法少女以下で倒せるかは怪しい。

 だが前のめりな彼女は恐怖よりも先に活躍への渇盛が勝った。憧れの神楽先輩に追いつくための絶好のチャンス。

 

 「……墨染先輩! ハザードクラスの魔獣が出ました! 私、先陣を切って手柄を立ててきます! 先輩はそこでその一般人の方と大人しく見ていてください! 魔法少女がどんなものか目に焼き付けるといいわ!」

 

 奏は窓枠に足をかけ不敵な笑みを浮かべるとそのまま夕暮れの空へと躊躇なく飛び出そうとするが…

 

 「ってあれ!? ネミタン!? どうしたの!?」

 

 彼女の契約マスコットであるネミタンは気絶していた。

 それもそのはずベルゼを目の前にして震え上がらない精霊は相当の肝っ玉である。

 

 何とかして彼女は自分の契約マスコットを起こすと即魔法少女に変身。

 魔力のマントが広がり彼女の体は上空へと消えていく。

 

 美術室に残された零士は開いたままの窓から奏の勢い良く魔法少女の力で踏み込んだ故に吹き込む暴風を鬱陶しそうに手で払い静かに窓を閉めた。

 

 「全く騒々しい奴。あと神楽って誰だよ…」

 

 零士はため息をつき再びシャーペンを握り直した。

 

 「ほら隠花。あの外野は正規の魔法少女で大丈夫そうだし後は任せて歴史の勉強に戻ろう。さっきのシルクロードの交易ルートなんだけどさ……」

 

 零士は世界史のノートに描かれた大雑把な地図を見つめる。

 

 「この不自然に遠回りしてるルートは守るコストも運ぶ効率も悪すぎるだろ。もし俺がこのエリアの責任者ならこんな利権まみれの非合理なルートはさ……」

 

 そして手元の赤ペンをノックした。

 

 「完全に拒絶して封鎖する。」

 

 彼はそう言いノートの地図の上に赤ペンで勢いよく『✕印』を書き込んだ。

 

 力強くミリ単位のブレもない完璧な交差。

 それだけの、ただのテスト勉強の何気ない日常の動作だった。

 

 しかし零士の隣でその様子を見ていた隠花はその瞬間、全身の血液が沸騰するほどの凄まじい衝撃に包まれていた。

 隠花はどこまでも自分を真っ正面から肯定し寄り添ってくれる零士の無償の慈悲にあまりにも盲目的に救われていた。

 

 (零士くんが……私のために……! 魔法少女としての役目を果たす風潮すら跳ね除けて私の隣にいてくれる……っ! )

 

 隠花の心の中で零士へのピュアな感情が爆発した。

 

 (確かに刻んだ✕印はきっと……魔獣への不安の表れ……討伐の示唆……なら確実に処理しなきゃ……!!)

 

 「!!!」

 「応!! 待っておったぞ主よ!!」

 

 「どうした急に叫んで」

 

 隠花の感情に呼応して机の影のベルゼが歓喜の呼応を上げる。零士は困惑するばかり。

 

 その実、隠花の全身から溢れ出た禁忌の陰陽呪詛の魔力の奔流が美術室の壁からすり抜け…更に世界の現実の膜を透過し上空100メートルの戦場へ向かって流れ出していった。

 

ーーー

 

 夕闇に染まる雲を裂きバチバチとプラズマのようなエネルギーを纏った巨大な紫色の『異界門位相の口』が現実世界へその顎を開いていた。

 門の奥からは無数の歪な触手を持ったハザードクラス魔獣の咆哮が響き渡っている。

 

 「私が……私が一番乗りよ! 神楽先輩のようにこのハザード魔獣を撃破して魔導院の歴史に名前を刻むんだから!」

 

 魔法少女形態になりほんの少しだけ伸びたツインテールを輝かせる星宮奏はその前のめりな自信とともに魔獣へと真っ直ぐに突入した。

 遅れて到着したC級〜初級魔法少女たちで構成された本隊も、彼女に続けと言わんばかりに一斉に陣形を展開する。

 

 しかし…それこそがハザードクラス魔獣の狡猾な罠だった。

 

 「キシャァァァァァァァ!!! カァァァ!!」

 

 突入した瞬間、異界門の構造が不自然に歪んで奏たちの退路を完全に遮断した。

 そして奏は次の瞬間には周囲の重力が数倍に跳ね上がる感覚を覚える。

 

 「え……? あ、あれ……? 魔力が、練れない……!?」

 

 奏は空中でバランスを崩し地上へ落下する。

 周囲を見渡せば本隊の魔法少女たちも強力なによって頭を抱えて次々と撃沈していく。

 

 「嘘……これ、異界門なんかじゃない……! 空間そのものが、私たちの魔力を吸い尽くすための結界になってる……っ!」

 

 トントン拍子でB級魔法少女という地位にまで来ていた奏の瞳が初めて本物の絶望に染まった。

 

 触手魔獣は『自身の魔力吸収結界』を『擬似的な異界門』として見せかけの偽装をしていたのだ。

 意気揚々と対処に向かってくる魔法少女を罠に嵌める為に。

 

 インカムからは魔導院の本部で監視している職員の悲痛な叫び声が混信して聞こえてくる。

 

 [司令室より現場へ! 罠だ! 異界門の構造が通常の閾値を越えている! 突入した部隊は直ちに撤退…いや、退路が閉塞されている!? 全員、防御魔法を最大出力にしろ! 間に合わない、このままでは本隊が全滅する……っ!]

 

 「神楽、先輩……助けて……っ」

 

 奏は涙目を浮かべ迫り来る魔獣の巨大な触手を見上げて死を覚悟した。

 魔導院の期待の新星。その輝かしい未来が自分自身の不用心な油断によって今この瞬間に完全にへし折られようとしていた。

 

 だが。

 

 その絶望の結界をこの世界の物理法則ではない『何か』が音もなく両断した。

 

 バシィィィィィィンッッッ!!!

 

 「……え?」

 

 奏の耳に届いたのは魔獣の咆哮ではない。

 それはどこか静かで無機質でありながら冷徹な……まるで『紙の上にペン先を力強く走らせる音』のような残響だった。

 

 直後、上空の世界そのものが唐突にねじれ始めた。

 

 ドス黒いどろりとした墨汁のような禁忌の『陰陽呪詛』が擬似異界門の四方から噴出する。

 その呪詛の質量はハザードクラスの魔獣が放つ汚染魔力など比較にならない終末の予兆。

 

 「ギ、ギィィィィィ……!? ガ、ァァァァ!?」

 

 さっきまで魔法少女達を追い詰めていた触手魔獣がその黒い呪詛の気配を察知した瞬間、まるで天敵の前に引きずり出された虫のように恐怖で全身の肉を痙攣させて自らの触手すらを噛みちぎりながら絶叫した。

 

 「な、何が、起きているの……!?」

 

 奏が目を見開く中、その黒い呪詛は今度こそ本物の異界門の中心部へと集束し空間が引き裂かれる。

 

 バリィィィィィィィィィィン!!!

 

 一条目の黒い呪詛の閃光が異界門の左上から右下へ向かって空間の分子ごと一瞬で一線に切り裂いた。

 続いて二条目の閃光が右上から左下へ向かって寸分の狂いもなく交差するように空間を両断する。

 

 それは虚空に刻まれた巨大な黒い『✕印』だった。

 

 「嘘、あんな簡単にねじ切られて…!?」

 

 奏は呆然とそれを見ていた。

 異界門も、ハザードクラス魔獣も、空間の連続性そのものでさえ。

 その巨大な『✕印』の筆跡に沿ってミリ単位のブレもなく内側へとねじ切られ完全封印討伐と相成った。

 

 黒い呪詛のバツ印は異界門及びその元である位相のズレを完全に拒絶し空間の膜を元の形へと強制的に閉塞。

 通常であれば異開門は時間経過で消えるのが摂理。それを奏の目から見ても無理矢理に閉じたように勢い良く遮断。

 

 さっきまで災厄を撒き散らさんとしていたハザードクラスの脅威がわずか1秒足らずの間に影も形もなくデリートされた。

 嵐が去った後の静かな夕空に魔力を失った奏たちの体がふわりとした呪詛による不可視のクッションに包まれて学校の校庭へと静かに着地していく。

 

 校庭の芝生の上に倒れ込んだ奏は震える手で落としてしまった通信端末を拾い上げインカムで通信を試みた。

 

 端末の向こうでは魔導院の本部オペレーションルームの狂気じみた大パニックの音声がスピーカーを割らさんばかりの音量で鳴り響いていた。

 

 『観測班より緊急報告! ハザードクラス魔獣の生体反応が完全消滅! 消滅のメカニズムは……空間の『物理的な✕印への斬撃、および異界門の強制閉塞』です! 幾何学的波形を解析した結果……これは、これは……っ!』

 

 オペレーションルームの奥から司令官の絶叫が響く。

 

 [間違いない! 先ほど、特務二課の隔離サーバーの音声ログと同期した! 総魔導統括東雲零士が世界史のノートに『拒絶』と言いながらペンを動かし『✕印』をつけた、まさにその瞬間、その筆跡とシンクロして災害が討伐されたッ!!!]

 

 [何てことだ……]

 

 [マジかよ……]

 

 オペレーター達の歯の根がガタガタと震える音さえインカムが拾う。それほどの戦慄。

 

 [聞こえるか!? 星宮奏!! 総魔導統括のストレス値が一時的に跳ね上がったと見られる!! 彼は指先一つ動かさず、ただノートに赤ペンを走らせるだけで魔獣を空間ごとねじ切って完全に討伐した!! これは我々への『一般人ライフ』を乱すなという無言の圧だと思われる!!]

 

 「あっ…」

 

 [今調べたところ、総魔導統括の付近エリアで魔獣出現による緊急録音を開始する前!! その時に君はほんの少し彼と接触したらしいな!! もう上層部の機密がどうのと言ってはいられない! 今日の彼の様子を事細かに報告して欲しい!!]

 

 「あの人が…やったの……? あの一般人が……?」

 「そ、そんなの、正体だって聞かされてないよ……? あ……あは、あははは……」

 

 [星宮奏!! 聞こえているのか!? こちらからは君の心体的損傷は確認出来ないが魔獣の精神汚染でも食らったのか!?]

 

 インカムの回線は開きっぱなしで校庭の地面に座り込んだまま星宮奏は白目を剥き泡を吹いて硬直し、彼女の前のめりなプライドは完全に粉砕されていた。

 自分が良かれと思って説教したあの冴えない魔力反応ゼロの一般人の少年……あの男がペン先をほんの少し動かしただけで自分が手も足も出ずに死にかけた魔獣がゴミのようにねじ切られた。

 その圧倒的な不条理の現実が超新星の脳細胞を完全に破壊していた。

 

 「あば……あばば…自分たちの生死はあの人の……掌の上……」

 「私が……突っ込んだのは……ただの人間なんかじゃなかった……」

 

ーーー

 

 風が止み、再び静寂が戻った室内で零士は赤ペンを筆箱にしまって満足そうにノートを閉じた。

 

 「よーし、これでシルクロードの交易ルートの整理はバッチリだ。無駄な回り道を削れば全体の効率も最大化される。どうだった? 分かった?」

 

 零士にとっては自分の言った通りの証明世界史の予習が行われただけの極めて納得のいく勉強の時間だった。

 自分が裏から位相ごとハザードクラス魔獣をねじ切ったと思われて現役魔法少女の精神を脅かしたなどとは知らずに。

 

 「ふへへ……っ、うん……っ。」

 

 「零士! 主は今、お前の仰る通りだと魂の底から全面同意しているぞ! 零士くんがノートに勇ましく刻んだ一筋の赤ペンはまさに創世記の奇跡! 主にとってお前の言葉は世界を再定義する唯一の聖書であり、お前の信念から来る拒絶という絶対的な意志に主の乙女心は感動と恍惚で消え入りそ」

 

 「あぁあぅあ!!」

 

 「お、おお…一応主の心中をそのまま言葉にしているつもりであったが…だが零士。今回は貴様の言葉に我も同意だったぞ。」

 

 隣の隠花も実際、顔をこれ以上ないほど真っ赤にしながら制服の裾を擦って恍惚とした表情で零士を見つめていた。

 

 「ああ。他人に言われた真っ直ぐな道より、自分で選んだ回り道の方がよっぽど人生歩んでるってもんだよ。」

 「隠花も星宮みたいな勢い強い奴の意見にあんま惑わされるなよ。そういえばあいつ窓から飛び出して行ったきり戻ってこないけど反省して大人しくなったと思っとこ。」

 「さ、片付けようぜ。」

 

 零士はアンニュイな瞳で微笑む。それは隠花が自分の世界をこれからも大切にできるように見守る如く純粋な優しさだった。

 

 一方、校庭の芝生の上では戻って来た星宮奏が零士達の居る美術室を見上げたまま冷や汗を流してガタガタと震えていたものの、彼女は自分の見える世界が完全に変わった事を悟ると再び気絶して校庭の芝生の上に突っ伏した。

 

 こうして東雲零士のマイペースな日常は今日も完璧に守られた。

 

ーーー

 

◯魔導院・本日魔獣討伐報告最終項

 

 空間の位相は穏やかに固定され終末の針は再びゼロの彼方へと押し戻され安全が確認された。

 ノートの赤ペン一つで世界の因果はねじ切られる。魔導院職員は引き続き主戦力である魔法少女の戦力減退を防ぐ為、つまり対象の『一般人ごっこ』を害し当組織所属魔法少女が殲滅されるのを未然に防ぐ為、完璧に合理的に成立死守せよ。

 

【報告書・EM-SEC-XZ-3092:美術室学習】

 

 

 

 

 この報告書の提出の後、終末の表記および総魔導統括を『東雲零士』と明記、そして魔法少女達に速やかに彼について情報を共有しなければならないと魔導院内で動きがあったが上層部の一部はこれを認めず、現在も平行線に至る。

 

ーーー

 

【緊急】さっきの上空位相閉塞の件、誰か説明して【ハザードクラス】

サーバー: 東京本部・魔導院所属魔法少女および職員専用回線(暗号化レイヤー4)

 

1:名無しの魔法少女

マジで何が起きた? 上空100mの異界門、ハザードクラスで本隊突入したのに罠にハメられて全滅しかけたっぽい?

 

2:名無しの魔法少女

>>1

前線にいました。

死を覚悟した瞬間、魔獣ごと巨大な『✕印』にねじ切られて門が強制閉塞したんだけど。

ホントに生きてるのが奇跡。

誰なの…あんな神業できる魔法少女なんて東京本部にいた? S級別の任務だよね?

 

3:名無しの魔法少女

その話友達からさっき聞いた時に神楽先輩の救援かと思ったけど先輩はその時別ルートの警戒中だったっぽい。

インカムから紙にペンを走らせる音の残響みたいなノイズが混信してきたとも聞いたんだけど…

 

4:名無しの魔法少女

>>3

聞こえたよ!! バリバリバリって電子ノイズの裏で太いマジックか赤ペンでキュッってノートにバツ印書くみたいな生々しい摩擦音が通信に割り込んできたわ。

後あんま言っちゃあれだけど神楽先輩は範囲攻撃より近距離のエキスパートだから……

 

5:名無しの魔法少女

それ現場にいた星宮奏はどうなったのよ? あいつなら「私が一番乗りで手柄を立てる!」って突っ込みそうなもんだけど。

 

6:名無しの魔法少女

>>5

星宮なら一度戦線から戻ってなぜか校庭の芝生の上でぶっ倒れてたところを救護班が回収した。

魔獣の精神汚染じゃなくて『概念的恐怖による脳のキャパオーバー』って診断らしい

 

7:名無しの魔法少女

えぇ……たしかエリート養成所出身だったよね?

異界門が✕印にねじ切られた瞬間に何を見たっていうの…?

 

8:名無しの魔法少女

特務二課のオフィスが今、異様な静けさらしいわ。

どんだけのことが起きたん?

 

9:名無しの魔法少女

さっき本日の魔獣討伐報告最終項のデータが一瞬だけ隔離サーバーに上がったらしい。

すぐ閲覧制限かかったけど先輩がスクショしてたの。

 

10:名無しの魔法少女

>>9

え、何それ、内容教えて。

 

11:名無しの魔法少女

『空間の位相は穏やかに固定され終末の針は再びゼロの彼方へと押し戻され安全が確認された。ノートの赤ペン一つで世界の因果はねじ切られる。魔導院職員は引き続き主戦力である魔法少女の戦力減退を防ぐ為、つまり対象の『一般人ごっこ』を害し当組織所属魔法少女が殲滅されるのを未然に防ぐ為、完璧に合理的に成立死守せよ。』

……って書いてあったらしい、報告書・EM-SEC-XZ-3092:美術室学習だって。

 

12:名無しの魔法少女

は????????

ノートの赤ペン? 一般人ごっこ? 魔法少女が殲滅?

意味が分からなすぎるんだけど…誰の一般人ごっこを邪魔したら私たちが殲滅されるのよ。

 

13:名無しの魔法少女

この報告書ってどう考えても『上層部が何かとんでもない化け物を怒らせないように隠蔽してる』って形よね。

私たちの知らないところで裏社会のパワーバランスが変わるような事態が起きてるんじゃないかしら。

 

14:名無しの魔法少女

>>13

そういえば、国立魔導高等学院の神代麗奈が最近『魔導院の幹部たちにやたら顔が利く』ってイキり散らしてる件とも何か関係あるのかしら……?

でも、あの傲慢な神代が絡めるレベルの規模じゃないわよね。

 

15:名無しの魔法少女

>>14

神代アンチ気を付けた方が良い。彼女の悪口書いたヤツどいつもこいつも厳重注意くらってるらしい。

というか私たち現場の魔法少女はその『対象』の情報を何も知らされてないよね…?

もしその辺を歩いてる『一般人のフリをした何か』に良かれと思って挨拶したり、職務で突っ込んだりしたら、その瞬間に世界ごと✕印にねじ切られるってこと?

 

16:名無しの魔法少女

>>15

そういう事だよねー……ありえんでしょこれ共有しないのって。

 

だから報告書の最後に追記があったらしい。

『終末の表記および総魔導統括を特定の個人名として明記、臨戦態勢の魔法少女達に速やかに彼について情報を共有しなければならない』

……だって。

 

17:名無しの魔法少女

なんで共有しないのよ!! 私たちの命を何だと思ってるの!

そんな危険な地雷原、名前と顔写真を全魔法少女の端末に強制同期しなさいよ!!

 

18:名無しの魔法少女

上層部が情報を隠蔽してるのが私の個人的な考察だけど……

『魔法少女にその対象の正体を教えたら私たちが次に会った時に恐怖で魔力回路を狂わせて、その気配が対象にバレて逆に即死するから』とかじゃないかしら?

 

19:名無しの魔法少女

>>18

それあり得るわね……星宮が泡吹いてるのもそれだわ。

ただの一般人だと思って不用心に突っ込んだら実は世界の生殺与奪を握る絶対的なフィクサーだったって星宮も不憫ね、無闇矢鱈に突っ込んでいく前のめりさが災いしたんだわきっと

 

20:名無しの魔法少女

>>19

いや、意外と順当に上層部がそのフィクサーとパイプをつなげたいという王道を私は推す。

つまり対象は自分のことを『完璧な一般人生活』を送りたくて、その『一般人ごっこ』の環境を乱されるのを嫌っている。

だから上層部は私たちに何も教えないことでナチュラルな『ただの一般人』として接させて不自然を抱かせないようにしてる……ってこと。

 

21:名無しの魔法少女

>>20

うえぇ、最近の上層部だとありそう……

そのフィクサーがほんの少し眉をひそめて赤ペンを動かしたから空間からデリートされるってことじゃない。

 

22:名無しの魔法少女

おいこのスレ不穏すぎるて。皆やっぱモラル違反上等で現体制に疑問抱いてるんやねぇ…

これ以上現場の魔法少女だけで話してても埒が明かないし誰か本部の職員で事情知ってる人はいないんかー?

 

23:二課システム担当

特務二課のデスクから胃薬を噛み砕きながら書き込んでいます。

現場の皆さんの危機感や考察はもっともです。正直上層部が情報を開示しないのは推測にもある通り皆さんの安全と精神を守る為と利権争いの隠蔽もあります。

 

24:名無しの魔法少女

>>23

おい!! 本物の職員が来たじゃないの!!

やっぱり私たちの考察は合ってるのね!? 特に隠蔽の理由をちゃんと説明しなさいよ!

 

25:二課システム担当

色々伝えたい事はあります。まずは確実に一つだけ。もし街で『大きな白い帽子をかぶった三白眼の少女』と『その隣にいる異様に瞳の据わった真っ当な一般人の少年』を見かけても絶対に不躾な態度で突っ込んだりしないでください。

彼は彼女の尊厳を優先して守る器の深さを持っています。彼女をオドオドさせたり趣味を否定するような言動を放った瞬間、世界の因果がねじ切られます。他には

 

26:名無しの魔法少女

え…?なんかぶつ切りになってる……大丈夫?

というかさっきの✕印の件、その一般人の少年が動いたからってマジなの……!?

 

27:名無しの魔法少女

逝ったか…

 

28:名無しの魔法少女

でもそのレベルの怪物が一般人に擬態してるとして魔力測定器が機能してないのは何でなの?

『魔力反応:0』って隠蔽技術としても完璧すぎて逆に不自然じゃない?

 

29:名無しの魔法少女

>>28

私の考察だけど隠蔽してるんじゃなくて『存在の格が違いすぎて魔導院の測定器のシステムが数値を認識できずにエラーを起こして、デフォルト値の『0』を出力してる』んじゃないかしら。

スカウターが戦闘力上限来ると爆発するみたいな感じでエラー吐いてる感覚

 

30:名無しの魔法少女

>>29

ドラゴンボールとかアンタって漢ねぇ……気が合いそう。

しかしなるほどね、だから上層部も手出し出来ずにただ怯えることしかできないわけだ。

もう私男子高校生を普通に見られる自信がないww

 

31:名無しの魔法少女

ちょっと待って。今特務二課のシステムアラートが一斉に鳴り響いたんだけど。

 

32:名無しの魔法少女

え、何? このスレって検閲に引っかかったの!?

いやまあでも内容的に振り返るとそれもそうか…

 

33:名無しの魔法少女

流石に暴露が引っ掛かったか

 

34:名無しの魔法少女

ログが消され始めてる!

皆さん! 次の作戦で例の二人に会っても絶対に『ただの一般人とコスプレ女子』としてナチュラルに接しするように! 巻き添えで消されたくなければ

 

35:魔導院・通信管理AI

【警告:本スレッドは魔導院・特務局長令に基づき、最高機密への接触、およびミーム汚染の危険性があると判断されました。これより本回線を物理的に強制閉塞します】

 

ーーー

 

[スレッド接続遮断 / データ強制初期化完了]

 

 





 1話あたりの文字数長くてもっと短く纏められれば良いんですけどね…あれよあれよとやっている内に内容が皆さんに伝わるか不安でどうしても後に使う話だったシチュエーションを引っ張り出して書き足してしまう…その癖のせいで固めてたプロットをどんどん消費してって早くも底尽きそう…アイデアをなんとしてでも捻り出さなければ(使命感)
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