クノエシティでの出来事を経て、二人は旅の補給とミアレジム戦、そしてハンサムハウスの風通しを行うため、久しぶりに懐かしのミアレシティへと戻っていた。
「わあぁ……! やっぱりミアレは賑やかだね、ノウゼン!」
プレザン通りの街路樹を吹き抜ける風が心地よい。ショートに整えられた髪を揺らしながら、マチエールは弾むような足取りでノウゼンの少し前を歩いていた。先代・ハンサムから事務所を受け継ぎ、ハンサムハウスの2代目所長となった彼女の横顔には、かつての弱々しさはなく、どこか誇らしい表情が宿っている。
「浮かれすぎるなよ、マチエール。今回は事務所の風通しとミアレジム戦、そしてこれからの旅の消耗品の補充が主目的なんだから」
そう言いながらも、ノウゼンはいつもより僅かに歩幅を狭め、マチエールの歩調に合わせている。長身を包むアウトドアパーカーの裾を軽やかに揺らし、中性的でありながらも端正で美しい顔立ちに鋭い眼光を宿しつつ、彼女を見守る銀の瞳には深い信頼と優しさが滲んでいた。
二人は道具屋で消耗品を調達した後、ミアレでも有数の賑わいを見せるショッピングストリートへと差し掛かった。
「……ん?」
ふと、マチエールはある小さな露店の前に足を止めた。 ガラス張りのショーケースの中、ベルベットの布の上に飾られていたのは——シンプルでありながら、上品で洗練された輝きを放つ金のリング状の髪飾りだった。
(……可愛い。ショートカットにした今のあたしの髪に付けたら、すごく似合うかな……)
マチエールは吸い寄せられるようにその髪飾りを見つめた。クノエシティのファッションショー以降「女の子としてのおしゃれ」に少しずつ興味を持ち始めていた彼女にとって、それはあまりにも魅力的な一品だった。
(……でも、ダメだよね。あたしはハンサムハウスの所長なんだし……旅の予算を自分の贅沢に使っちゃダメだ)
「‥‥‥マチエール?」
マチエールは値札の金額をちらりと見ると、露骨に肩を揺らし、パッと所長らしい笑顔を作って振り返った。
「あ、ノウゼン! ごめんごめん、ちょっと珍しいデザインだなって思って! さ、早く行こう?」
「……そうか」
自分の欲求よりも、事務所の予算や所長としての責任感を優先して遠慮するマチエール。 ノウゼンはその銀の瞳をわずかに細め、彼女が露店から離れていく後ろ姿を黙って見つめていた。
◇
ハンサムハウスへ向かう途中、ノウゼンは「足りないキズぐすりを買ってくる。少し待っていてくれ」と言い残し、別行動を取った。マチエールともこおは、ノースサイド・ストリートの広場にあるベンチで待つことになった。
「ノウゼン、遅いね〜。もこお、お腹空いてない?」
「ニャ〜ン……」
ベンチに座り、膝の上のもこおを撫でていたマチエール。 その時——背後の暗い路地裏から、不快で不躾な足音が近づいてきた。
「……オイオイオイ、見間違いかと思ったぜ。……マチエールじゃねえか?」
「っ!?」
冷や汗が背筋を駆け上がる。マチエールが勢いよく振り返ると、そこにはかつて路地裏で明日の食べ物にも困っていた頃、彼女を「使い走り」として利用し、捨て駒のように扱っていた悪質なストリートギャング——ガザルと、その下っ端たちがニヤニヤと意地悪な笑みを浮かべて立っていた。
「久しぶりだなあ、マチエール。探偵事務所の『2代目所長』様だって? えらい出世じゃねえか。‥‥‥なんだその短けぇ髪は? 一丁前に気取ってんじゃねえかよ」
「ガザル‥‥‥っ!」
マチエールは身体を強張らせ、恐怖で呼吸が浅くなった。冷たい路地裏で震えていた頃の記憶が、一気に脳裏を支配する。
周囲を通る街の人々は、異質な雰囲気にすぐさま気づいた。しかし、誰一人として足を止める者はいない。
(また路地裏のガキどもの揉め事か……関わりたくないな)
そう言いたげに、人々は露骨に目をそらし、素知らぬ顔で通り過ぎていく。関わりを拒む冷たい視線と無関心さが、広場に嫌な空気感として充満していた。
「なあマチエール、ちょうどよかった。俺たちの新しい『仕事』の手伝いをしてもらうぜ。断ったら……どうなるか分かってんだろうな?」
ガザルたちが下品に笑いながらじりじりと距離を詰めてきた、
その時——。
ポンッ! ポンッ! ポンッ!
マチエールの指示を待たず、腰のホルダーからモンスターボールが次々と弾け飛んだ。
「ニャァーッ!!」
一番前に飛び出したのは相棒のもこお。耳の裏をピクピクと震わせ、恐怖を押し殺しながらも、「大好きなマチエールを二度とあんな奴らに渡さない」という強い執念で瞳を燃やしていた。
その両脇を固めたのは、かつてクセロシキから託されたクロバットとカラマネロ。
『彼女には近づかせん!』——二匹の瞳には、かつてのエスプリ事件を乗り越え、マチエールを自らの新しい主として彼女を支えようという意志が燃えていた。
さらに、旅の中で仲間になったモココ、ミミロル、そしてリオルが加わる。 『わたしたちのマチエールを泣かせるな!』と言わんばかりに、モココの毛並みにはパチパチと静電気の火花が散り、ミミロルは耳を逆立て、リオルは波動のオーラを全身から放って威嚇した。
街の人々が冷たく目をそらす中で、ポケモンたちだけが熱い怒りと絆を胸に、マチエールを守る盾となって立ちはだかっていた。
「チッ、なんなんだコイツらは! やっちまえ、ズルズキン、ゴルバット!!」
ギャングたちがけたたましくポケモンを繰り出す。しかし、自分を守るために全霊を傾ける仲間たちの背中を見た瞬間——マチエールの中で何かが弾けた。
(……そうだ。あたしはもう、一人で路地裏で震えてたあの頃のあたしじゃない。みんなが……あたしを信じてくれてる……!)
怯えていた瞳から涙が消え、強い意志の光が宿る。 マチエールは胸を張り、ガザルたちに向かって凛とした声を響かせた。
「……あたしはもう、あんたたちの知ってるマチエールじゃない!!」
「あぁ!?」
「あたしには、大切なハンサムハウスがある! ハンサムおじさんとノウゼンがくれた居場所と……こうして一緒に戦ってくれる、自慢の仲間たちがいるの! あんたたちの脅しなんか、もう絶対に屈しない!!」
過去のトラウマを完全に断ち切った宣言。その声に呼応し、ポケモンたちの士気が最高潮に達する。
「みんな、あたしに力を貸して! いけぇぇぇーーっ!!」
クロバットが目にも留まらぬスピードで『エアスラッシュ』を放ち、空を切り裂く。カラマネロの強力な『サイコキネシス』が相手の動きを封じ、リオルの渾身の『はっけい』とミミロルの疾走感あふれる『とびひざげり』が叩き込まれた。仕上げに、もこおの『サイコショック』とモココの『10まんボルト』が美しく交差し——ものの数分のうちに、ギャングたちのポケモンは崩れ去った。
「ひ、ヒィィィッ!? なんだよアイツら、強すぎる……っ! 覚えてやがれーっ!」
自分たちの手で完全に返り討ちにされたガザルたちは、悲鳴を上げながら路地裏の闇へと逃げ去っていった。
夕空の下、マチエールは大きく息を吐き、駆け寄ってきたポケモンたちを思いきり抱きしめた。
「みんな……ありがとう! あたし、もう大丈夫だよ……!」
◇
それからしばらくして、薬局での用事を終えたノウゼンが買ってきた物資を抱えながら広場へと戻ってきた。
「待たせたな、マチエール。……ん?」
戻ってきたノウゼンは、わずかに散らばったバトルの痕跡と、満足そうに胸を張るポケモンたち、そしてどこかすっきりとした表情のマチエールを見渡し、銀の瞳をわずかに細めた。
「……何かあったのか?」
ノウゼンの問いかけに、マチエールは一瞬驚いたように目を丸くした。だが次の瞬間、綺麗に整えられた髪を揺らし、夕焼けの空に負けないくらい眩しく、晴れやかな笑顔を咲かせた。
「ううん、何でもないよ! ちょっとみんなでストレッチしてただけ!」
すべてを自分たちの力で乗り越えたからこその、誇り高き「何でもないよ!」。 ノウゼンはその答えに一瞬だけ呆れたような、けれど愛おしさを隠しきれない柔らかな眼差しを向け、「そうか」と静かに頷いた。
「……ならいい。それと、これを受け取ってくれ」
ノウゼンはポケットから、銀色のリボンがかけられた小さな小箱を取り出すと、マチエールの手にトン、と無造作に乗せた。
「え……? ノウゼン、これ……?」
「開けてみろ」
マチエールが小さく息を呑みながら箱を開けると——そこには、先ほど露店で見つめていた、あの髪飾りが収まっていた。
「っ……!? これ……! どうして……!?」
驚くマチエールから少し顔を背け、美しく整った耳の先をほんのり赤くしながら、ノウゼンは淡々と告げた。
「‥‥‥お前は所長としての責任感か知らないが、自分の欲しいものを後回しにしがちだ。‥‥‥たまにはわがままくらい聞かせろ」
「ノウゼン‥‥‥っ」
「……それ、さっき店先で夢中に眺めてただろ?」
不器用で、けれどどこまでも深いノウゼンの優しさ。
マチエールは目頭を熱くしながら、震える手で髪飾りを取り出し、短くなったサイドの髪にそっと装着した。夕日に照らされ、金色のリングがキラリと輝く。
「……ねえ、ノウゼン。あたし、似合ってる……?」
マチエールが弾けるような笑顔で顔を覗き込むと、ノウゼンは一瞬息を呑み、優しい銀の瞳で彼女を見つめた。
「‥‥‥ああ。とてもよく似合っている」
「‥‥‥えへへ! ありがとう、ノウゼン! ずっと……ずっと宝物にするね!」
その夜。ハンサムハウスで、旅立ちの荷造りを終えたマチエールは、静まり返った所長デスクの前に立っていた。
デスクの上に飾られた、ハンサムおじさんとノウゼン、そしてクセロシキおじさんと一緒に取った記念の写真。 マチエールは自分のサイドの髪に触れた。そこには、ノウゼンから贈られた髪飾りが、夜の月光を受けて静かに輝いている。
「ハンサムおじさん……あたしね、今日、自分とみんなの力で過去とバイバイできたよ」
写真は何も言わないが、いつもの温かい笑顔で見守ってくれているような気がした。
「あたし……ちゃんとハンサムハウスの2代目所長として、胸を張って歩けてるかな。……ううん、歩いてみせるよ。ノウゼンやみんなと一緒に、ミアレの平和を守るために!」
マチエールは髪飾りをキュッと指先で確かめると、深く一礼し、未来を見据えて強く微笑んだ。
◇
数日後。ミアレシティでの用事と準備を終え、再び次の街へと旅立つ朝がやってきた。 ミアレのノースゲート前で、バッグを背負い直すマチエールと、その隣に立つノウゼン。
「よしっ! それじゃあノウゼン、出発——」
「マチエール!!」
マチエールが掛け声をあげようとしたその時、背後から賑やかな声が響き渡った。 振り返ると、そこには駆け寄ってくる数人の少年少女たちの姿があった。ガザルたちとは違う——かつて路地裏で食べ物を分け合い、マチエールを「頼れるお姉ちゃん」「リーダー」として慕っていた、本当の昔の仲間たちだった。
「みんな……!? どうしてここに……」
「街でマチエールが見えたって聞いて、急いで探したんだよ!」
「髪、切ったんだね! すっごく似合ってる!」
「俺等に何も言わずに行くなんて、水臭いぜ」
彼らは目を輝かせながらマチエールを取り囲んだ。その中の一人が、マチエールの髪に輝く金のリングに気づいて声をあげる。
「うわあ、その髪飾りすっごく綺麗!!」
「ふふ、でしょ? これね、大切な宝物なんだ」
マチエールは照れくさそうに笑いながら、愛おしそうに髪飾りに触れた。
「ねえちゃん、また旅に出るんでしょ? カロス中でいろんな事件を解決して、かっこいい探偵さんになってね!」
「応援してるぜ! 行ってこい、マチエール!」
「……うん! 行ってきます!」
過去の暗闇はもうない。そこにあったのは、温かい祝福と応援の声だった。
マチエールが皆と弾けるような笑顔で言葉を交わしている後ろで
——ノウゼンは静かに一歩進み出ると、子どもたちに向かって誇らしげに一礼をした。
(ありがとう)
言葉には出さずとも、その誠実な姿勢と瞳の奥の光で、ノウゼンは子供たちへ無言の誓いを立てた。子供たちもそれに気づき、少し誇らしそうにノウゼンへ大きく手を振り返す。
笑顔で手を振る仲間たちに応え、マチエールは勢いよく振り返った。
「行こう!ノウゼン!」
「ああ‥‥‥!」
ノウゼンは優しく微笑むと、マチエールの隣に並んで歩き出した。 朝日を浴びて、マチエールの髪で輝く金色のリングが、二人の新しく眩しい未来を祝福するようにキラリと光っていた。