「うう〜……ノウゼン〜……あたし、もうダメかもしれない……」
ミアレシティのルージュ五番地に佇む『ハンサムハウス』
その二代目所長マチエールは木製の大きなデスクに盛大に突っ伏していた。
「なにがダメなんだよ、新所長。まだ就任して二週間も経ってないぞ」
ソファでとある広告を読んでいたノウゼンが、呆れたように視線だけを向けた。
「だって! 見てよこれ!」
マチエールがガバッと起き上がり、デスクの上に何枚もの紙切れを叩きつける。それは、ここ数日のハンサムハウスの「業務日誌」と「会計簿」だった。
「初日の依頼! 『ニャスパーのニャン太捜し』! 報酬は……おばあちゃんからもらった、手作りのポフレ三個!」
「美味しかっただろ、あのポフレ」
「二日目の依頼! 『路地裏のお掃除手伝い』! 報酬は……ポケットいっぱいの木の実!」
「モモンの実、サザンドラが喜んで食ってたぞ」
「三日目の依頼! 『落ちた風船を取って!』! 報酬は……『お姉ちゃんありがとう』の笑顔!!」
「プライスレスだな」
「プライスレスじゃお腹はふくらまないのーっ!!」
マチエールは頭を抱えてジタバタと暴れた。
「ハンサムおじさんが残してくれたこの家があるから、家賃がかからないのは本当に助かってるよ? でもね! あたしたちのご飯代だけじゃなくて、もこおのエサ代、それにクセロシキおじさんから預かったカラマネロとクロバット、ノウゼンのサザンドラたちのご飯代……ポケモンの食費って、とんでもないんだよ!?」
ハンサムハウスの金庫は、すでに底をつきかけていた。 十六歳の少女と十九歳の青年が切り盛りする探偵事務所。いくら「ハンサムハウス」の看板を掲げていても、街の人々からすれば「可愛らしい子供の遊び」に見えてしまうのも無理はない。持ち込まれるのは、お金にならないボランティア同然の依頼ばかりだった。
「ハンサムおじさん……探偵事務所のやりくりって、こんなに大変だったんだね……。あたし、二代目所長なんて張り切ってたのに、このままだと破産しちゃうよぉ……っ」
泣きそうになりながら再びデスクに突っ伏すマチエール。 その頭の上に、トン、と一枚の折りたたまれた紙が置かれた。
「……なにこれ?」
マチエールが顔を上げると、ノウゼンがいつもの飄々とした顔で立ち上がっていた。
「さっきノースサイドのカフェの前で配ってた。街のポスターにもデカデカと貼ってあったぞ」
マチエールがその紙を広げると、そこにはド派手な金色の文字が躍っていた。
『第12回 ミアレシティ・オープンバトル・トーナメント開催!』
~カロス中の猛者集結! 街一番の強者を決めろ!~
【優勝賞金】 500,000円 + 豪華賞品(特製高級ポフレ1年分)
「ご……ごじゅう万……!? 高級ポフレ一年分……!?」
マチエールの目が、一瞬で見たこともない通貨記号の形になった。
「う、うそ……! 五十万円!? これだけあったら、ハンサムハウスの半年分の生活費どころか、みんなのご飯代もぜんぶ余裕で払えちゃうよ!?」
「まあな。ついでにお前の欲しがってた新しい参考書も、たくさん買えるな」
「本当!?」
跳び上がって喜ぶマチエールだったが、すぐにハッと正気に戻り、チラシの裏面に書かれた「参加条件」に目を走らせた。
「……あ。でも……『手持ちポケモン4体でのシングルバトル』……あたし、もこおと、クセロシキおじさんから預かったカラマネロとクロバットしかいないよ? それに、あたしバトルのプロじゃないし……」
マチエールがシュンと肩を落としかけた、その時だった。
「お前が出るなんて一言も言ってねえよ」
ノウゼンが、自分のポケットからモンスターボールを一つ取り出し、指先でクルクルと弄んだ。
「俺が出る」
「え……? ノウゼンが……!?」
「当たり前だろ。言っとくが、俺はこれでも数年間、世界中旅してきたんだぞ? 街のオープン大会程度、余裕だ。……それに」
ノウゼンはチラシを指先で軽く小突いた。
「助手が所長のピンチを救うのは、物語の王道ってヤツだろ。このハンサムハウスを潰すわけにはいかないしな」
「ノウゼン……!」
マチエールの瞳に、ぶわっと感動の涙が溢れ出した。
「やっぱりノウゼンはあたしのヒーローだよ! 大好き! 頼りにしてる!!」
「はいはい、抱きつくな。……ただし、条件がある」
ノウゼンはマチエールの額を指でポンと突いて突っぱねると、ニヤリと意地悪く笑った。
「賞金で家計が助かったら、俺の分の夕飯、肉の量を二倍にさせろ。あと、算数のテストのノルマは免除しないからな」
「ええ~!? それとこれとは別じゃないの~!?」
「別じゃねえ。さあ所長、助手の出撃許可、出してくれるか?」
マチエールは涙をぐっと拭うと、胸の『二代目所長』の名札をギュッと握りしめた。そして、夕陽が差し込む事務所の中に響き渡るような、元気いっぱいの声で叫んだ。
「うん! ハンサムハウス二代目所長・マチエールが命令します! ノウゼン君、大会で優勝して、賞金をがっぽり稼いでらっしゃい!!」
「了解、所長」
ノウゼンはフッと口元を緩め、着ていたシャツの襟をそっと正す。 ハンサムハウスの存続を賭けた、ノウゼンのバトルトーナメントが今、開幕しようとしていた――。
◇
ミアレシティの一角に位置する「ミアレ・スタジアム」。 普段は公式リーグの大会や各種イベントに使われる大型バトルスタジアムは、超満員の観客が発する熱気と歓声で揺れていた。
「――さあ! 『第12回 ミアレシティ・オープンバトルトーナメント』いよいよ本戦トーナメントの開幕です! カロス中から集まった猛者たちを勝ち抜き、優勝賞金500,000円と高級ポフレ1年分を手にするのは誰だーっ!?」
実況のアナウンスが響き渡り、観客席から割れんばかりの拍手が巻き起こる。
その観客席の最前列で手すりに身を乗り出していたのは、胸に『ハンサムハウス二代目所長』の名札を輝かせたマチエールだった。手すりには、相棒のニャスパー・もこおがちょこんと座り、耳をパタパタさせている。
「ノウゼンーっ! 頑張ってーっ! あたしたちの生活費とポフレがかかってるからねーーっ!!」
両手を口に当てて声援を送るマチエール。周囲の観客が「生活費……?」と引き気味に振り返るが、彼女はおかまいなしだ。
「ふにゃあーッ!」
もこおも両手を突き上げて気合十分の鳴き声をあげる。
フィールドの中央、青コーナーに立つノウゼンは、観客席のマチエールに向かって呆れたように苦笑した。
「……まったく、声がでかいんだよ所長。プレッシャーの掛け方がえげつないな」
ノウゼンはカロスではまだ何の実績もない、まったくの「無名のトレーナー」だ。観客や実況も「ふらりと現れたノーマークトレーナー」程度にしか見ていない。しかし、その佇まいには静かな自信が満ちていた。
一回戦の相手――大柄な巨漢トレーナーが繰り出してきたのは、巨体と強靭な鎧を誇る『ドサイドン』。
「フン! 見かけない顔だな! 行け!!ドサイドン!」
凄まじい地鳴りとともに巨大な岩塊のポケモンが現れる。その迫力に大きな歓声が巻き起こり、勝負は決まったと鼻で笑う観客もいた。
しかし、ノウゼンは微動だにしない。
「……出番だ、ゲッコウガ」
腰のボールを一つ放り投げる。破裂音とともに現れたのは、通常の青い姿ではない。夜の闇をそのまま切り取ったかのような、深みのある漆黒の皮膚に赤いマフラーを巻きつけた——色違いのゲッコウガだった。
「ッ……!? 色違いのゲッコウガだと!?」
「試合ぃぃ!!開始ぃぃぃぃぃ!!!」
開戦の号令が鳴り響く。
「ドサイドン! 『がんせきほう』だ!!!」
開戦と同時にドサイドンの両手から巨大な岩の砲弾が放たれる。
ノウゼンが静かに指先を前に向けた。
「『みずしゅりけん』」
ゲッコウガが両太ももから一瞬で高速生成したのは、澄み切った水圧の刃。手首のしなりひとつで放たれた数多の乱刃が、残像を描いて空間を切り裂く。『がんせきほう』の巨大な岩が、水でできた刃によって一瞬で何十もの破片に細切れに刻まれ、爆煙となって消散した。
「なっ……『がんせきほう』を正面から斬り伏せただと!?」
「『つじぎり』!水を纏わせろ!」
爆煙を切り裂き、黒い影が加速する。視認不可能な超高速の踏み込み。敵の懐へすべり込んだ瞬間、流水を纏った黒の刃が一閃 すれ違いざまにドサイドンの急所である岩の隙間を正確に捉えた。
ドシーン!!
一撃で、巨漢のドサイドンが崩れ落ちる。
「ド、ドサイドン戦闘不能! 勝者、ノウゼン選手!!」
「なんなんだあの漆黒のゲッコウガは!? 速すぎる!!」
スタジアムが爆発的な歓声に包まれる。ノウゼンはゲッコウガをボールに戻すと、何事もなかったかのようにポケットに手を突っ込んだ。
勝ち進むにつれ、無名の新人・ノウゼンの存在はスタジアム中の注目の的となっていた。彼が魅せるバトルは、まさにポケモンの特性を極限まで引き出した芸術的なものだった。
二回戦で魅せたのは、紫紺の翼を持つ『クロバット』の圧倒的な空中制圧能力とテクニック。
相手のサーナイトが放つ『サイコショック』に対し、クロバットは四つの翼をしならせ、音速を超える『アクロバット』で空中に複雑な残像を描いて全弾回避。
「翻弄しろ。『あやしいひかり』から『クロスポイズン』だ!」
紫の怪光で相手の視界と意識を狂わせると、急降下しながら鋭い毒の十字刃を突き立てる。さらに距離を取る間際に『こうそくいどう』で離脱し、相手に反撃の隙すら与えない。空中を完全に支配した多彩な技の連撃で、ノーダメージのまま完封してみせた。
三回戦では、重厚な剣と盾の姿を持つ『ギルガルド』がその本領を発揮した。
相手のゴローニャによる激しい連続攻撃に対し、ギルガルドは盾を前に構える『キングシールド』を展開。あらゆる物理・特殊攻撃を黄金の絶対障壁で完封し、相手の攻撃力を削ぎ落とす。まさに鉄壁。
「……見切った。――『せいなるつるぎ』」
ノウゼンの静かな呟きとともに、ギルガルドは一瞬で盾を背に回し、刃を解き放つブレードフォルムへと変貌する。 聖なる光を纏った一閃が空間ごと相手の岩の鎧を切り裂き、硬固なゴローニャの身体を真っ二つにするかのような斬撃で沈めた。防御力と攻撃力の完璧な切り替えに、観客席からは溜息のような感嘆が漏れ出た。
そして準決勝。相手は黒いレザージャケットを着たスキンヘッド。
「へっ……無名の癖にいい気になりやがって。」
男が繰り出したのは、禍々しい紫色の毒気を纏った「ドラミドロ」をはじめとする強力な毒タイプパーティ。
ノウゼンは他を圧倒する巨竜を解き放った。
「頼むぞ、サザンドラ!」
「ガアアアアアッ!!」
爆音とともに現れたのは、通常の個体を遥かに上回る巨躯と、周囲の空気を歪ませるほどの威圧感を放つオヤブンのサザンドラ。
「ひっ……!? なんだあの化け物は!?」
「押し潰せ。『りゅうのはどう』と『あくのはどう』!!」
中央の首が漆黒のエネルギー波を放ち、左右の首が怒れる龍の波動を吐き出す。 三つの首から同時に解き放たれた極大のエネルギーの奔流は、ドラミドロが放った毒の波を力任せに呑み込み、スタジアムの防護壁ごと粉砕せんばかりの圧倒的な火力で相手フィールドを一瞬で蒸発させた。
「勝者、ノウゼン選手! 決勝進出決定――っ!!」
圧倒的なパワーの暴風に、観客席全体が総立ちとなった。
そして迎えた決勝戦。
相手はイッシュ地方から遠征してきた実力派トレーナー「レオン」。繰り出されたのは、極限まで鍛え上げられた「ルカリオ」だった。
ノウゼンは再びオヤブンサザンドラで応戦するが、ルカリオの桁外れのスピードと無駄のないフットワークに苦戦を強いられていた。サザンドラの放つ強大な大文字すらも、ルカリオは最小限の動きで回避し、苛烈な『インファイト』の連撃がサザンドラの巨躯を揺さぶる。
(……動きが速すぎる。技の予備動作がほとんどない……!)
観客席のマチエールも、固唾をのんでノウゼンの背中を見つめる。
だが、ノウゼンの瞳から焦りは消えていた。 猛攻に耐えながら、ノウゼンの鋭い眼光がルカリオの一挙一動を冷徹に観察する。数秒の激しい攻防の中で、相手のわずかな身体動作の癖――技へ移行する瞬間の踏み込みの偏りを、ノウゼンは己の観察眼だけで完璧に見破った。
(……見えた。技の直前、左足に過剰に重さを乗せている。右側の足場さえ奪えば技の成立自体を潰せる……!)
ノウゼンは口元に不敵な笑みを浮かべると、間髪入れずにサザンドラへ命じた。
「サザンドラ! そのまま右足元へ向かって『だいちのちから』!!」
「ガアアッ!」
サザンドラがルカリオの拳を受け止めながら、その巨体で大地を激しく踏み鳴らす。 まさに左足に重心を乗せ、次の技へ移行しようとしていたルカリオの右足場が激しく崩れ去った。体勢を大きく崩し、ルカリオの動きが完全に止まる。
「なにっ!?」
「終わりだ。全開の『だいもんじ』!!」
体勢を崩したルカリオへ、サザンドラの三つの首から放たれた全開の業火の炎が正面から叩き込まれた。
ズドォォォォン!!
「ル、ルカリオ戦闘不能! よって優勝は……ノウゼン選手ーーーっ!!」
観客席から爆発的な歓声が上がり、金色のテープが夜空に舞った。
「やった……やったああああああっ!!」
マチエールが手すりから身を乗り出して跳び上がる。
試合終了の合図とともに駆け下りてきたマチエールを、ノウゼンはしっかりと受け止め、苦笑しながらその頭を撫でた。
「見たか所長。約束通り、賞金は持ち帰りだ」
◇
表彰式を終え、舞台裏の控室へ戻ろうとした二人の前に、優雅な足取りで近づいてくる一人の女性がいた。
カロス地方のチャンピオンであり、大女優でもあるカルネだった。
「素晴らしいバトルだったわ、ノウゼン君。手持ちのポケモンたちの魅力を極限まで引き出す戦術、そして土壇場で相手の隙を見抜く冷静な洞察力……感服したわ」
カルネは胸元から、美しく装飾された一通の封筒を取り出し、ノウゼンに手渡した。
「もしよければ受けてみてちょうだい。私からのカロスリーグへの特例推奨状よ」
「……カロスリーグの、推薦状!?」
マチエールが声をひっくり返す。
「ええ。あなたはまだ無名のトレーナーだけれど、その実力と器はすでにリーグに挑戦するに相応しいわ。その上でカロス各地のジムを巡り、実績とさらなる経験を積むといいわ。ちなみに各ジムリーダーにはバッジの数関係なく、全力で相手するように伝えるから、とても厳しい戦いになるわよ?」
ノウゼンは手の中の推薦状を見つめ、それから隣のマチエールを見た。
「カルネさん、ありがとうございます。……所長、どうする?」
マチエールは胸の『二代目所長』の名札をギュッと握りしめると、力強く頷いた。
「行こう! ハンサムハウスは一時休業になっちゃうけど、あたしも一緒に行って、ノウゼンと一緒に修行する!そして力をつけて、今度こそミアレの平和を守るんだ!」
「ふふ、頼もしい所長さんね。健闘を祈っているわ」
カルネはウインクを残し、優雅に去っていった。
◇
数日後。賞金でハンサムハウスの当面の資金とポケモンのご飯代を確保した二人は、旅の支度を整えて事務所の前に立っていた。
看板には『修行旅のため、一時休業中! 相談は帰ってきてから!』とマチエールの元気な字で書かれた紙が貼られている。
「よし! 荷物もバッチリ! もこお、準備はいい?」
「ニャン!」
ノウゼンはリュックの紐を締め直すと、隣の少女を見下ろした。
「厳しい旅になるぞ、マチエール。野宿もあるし、勉強のノルマも免除しないからな」
「へっちゃらだよ! ノウゼンと一緒なら、どこだって行けるもん!」
マチエールは胸を張り、夕陽を浴びてキラキラと輝く
——まるで全てを包み込むような、天使のような満面の笑顔をノウゼンに向けた。
「ハンサムおじさん、クセロシキおじさん! いってきます!」
「……フッ。よし、行くか!」
ノウゼンは柔らかく目を細めた。
カロスリーグという新たなる目標と、最高の探偵になるための二人だけの修行の旅。ミアレシティの祝福の追い風を受けながら、二人は踏み出した。
——未来へと続く、新しい一歩を。