Dクラス「ドッ!ワハハ」 綾小路「wwww」 オリ主「あ、綾小路くんも笑ってるよw」 綾小路「」 作:ホモガキ
黒瀬がいない。
それに気づいたのは、日が傾き始めた頃だった。
正確には、それより前から姿を見ていない。
ただ、それ自体は珍しいことではなかった。
黒瀬は一ヶ所に留まる人間じゃない。誰かに呼ばれればそちらへ行き、困っている人間がいれば勝手に首を突っ込む。
昼には休めと言った。
本人も、今度は本当に休むと言っていた。
当然、信用はしていない。
案の定、その後に荷物を運んでいる姿も見かけた。
いつものことだった。
だから、視界から消えてすぐに異常だとは判断しなかった。
「ねえ、綾小路」
軽井沢が俺のところへ来た。
普段より声が低い。
「莉愛、見なかった?」
「いや」
「私、結構前から見てないんだけど」
時計を見る。
「最後に見たのは?」
「分かんない。午後から……かな」
「平田には聞いたか?」
「今聞いてる」
少し離れた場所では、平田が何人かの生徒に声をかけていた。
黒瀬がいない。
その事実を異常として認識した瞬間、今日一日の情報が頭の中で並び始める。
朝から食事量が少なかった。
昨日より顔色が悪かった。
立ち上がった時、一度ふらついている。
休めと言っても聞かなかった。
本人はそのたびに大丈夫だと言った。
そして俺は、その言葉を最初から信用していなかった。
それでも、一人で動ける範囲だと判断した。
結果が出る前から断定するのは早い。
ただ、一つだけ言える。
黒瀬の体調について、俺は甘く見積もった。
「最後に黒瀬を見た奴はいるか?」
近くにいた池たちへ声をかける。
「え?」
「時間と場所だけでいい」
「俺、昼過ぎなら見たぞ。なんか女子と喋ってた」
「誰だ?」
「知らねえよ。少なくともDクラスじゃなかったと思うけど」
その横にいた女子が、少し迷ってから口を開いた。
「私も見たかも」
「どこで?」
「拠点の端。黒瀬さんが女の子と話してて、そのまま森の方に歩いてった」
「二人だけか?」
「うん。黒瀬さんと、その子」
「相手は分かるか?」
「たぶん……Cクラスの真鍋さんじゃなかったかな」
真鍋。
「いつだ?」
「結構前だよ。二、三時間は経ってると思う」
横で軽井沢の表情が変わった。
「ちょっと待って。それからずっと莉愛戻ってないの?」
「そうなるな」
「おかしいでしょ」
「ああ」
黒瀬なら、人を手伝いに行って数時間戻らないこと自体はあり得る。
問題は相手だ。
Cクラス。
須藤の一件以来、黒瀬はあのクラスと何度も接触している。
石崎たち。
伊吹。
龍園。
黒瀬本人はクラスの境界をほとんど気にしていない。
だが、相手も同じとは限らない。
「綾小路くん」
平田が戻ってきた。
「誰か知ってたか?」
「いや。僕が聞いた範囲では、誰も黒瀬さんの行き先を知らないみたいだ」
「先生に報告する」
「僕もそうした方がいいと思う」
「私も行く」
軽井沢が即座に言った。
「軽井沢は残れ」
「なんでよ!」
「行き先が分からない状態で人数を増やしても意味がない」
「でも莉愛が――」
「まず教師へ伝える」
口にして、自分でその言葉を聞いた。
教師に任せる。
それが正しい。
この島は学校の管理下にある。
全員が位置情報を送る腕時計を装着している。
生徒一人が戻らず、しかも体調が悪かったと分かれば、学校側も動く。
俺たちが無計画に森へ入れば、二次遭難の危険まで増える。
合理的な判断だった。
◇
報告後、状況が動くまでは早かった。
教師が地図上の一点を指す。
「黒瀬の腕時計から最後に位置情報を確認できたのはここだ」
林道の先。
Dクラスの拠点からは、それなりに離れている。
「その後は?」
「更新されていない」
「緊急信号は?」
「届いていない」
「時計の故障は?」
「可能性はある。既に職員を向かわせている」
外を見る。
雨が降り始めていた。
さっきまで明るかった空は急速に暗くなり、風も強くなっている。
「生徒は拠点を離れるな。こちらで捜索する」
教師の判断は正しい。
学校が探す。
俺たちは残る。
特別試験はまだ終わっていない。
伊吹は動いた。
堀北はそれを阻止した。
各クラスの情報も集まっている。
残された手順を進めれば、まだ勝ちを狙える。
黒瀬の捜索は教師に任せる。
俺は試験を続ける。
そう結論を出すための材料は、十分に揃っていた。
「……」
気づけば、俺は地図を手に取っていた。
「綾小路くん」
堀北がこちらを見ている。
「何だ」
「あなた、まだ試験で何かするつもりだったのでしょう?」
「そう見えるか?」
「ええ。伊吹さんの一件が終わってからも、何か確認していたもの」
「少しな」
「なら、黒瀬さんの捜索は先生たちに任せるべきよ」
「ああ」
「今あなたが動く必要はないわ」
「ああ」
「……それなら、その地図は何?」
俺は答えず、折り畳んだ。
堀北の目が細くなる。
「どこへ行くつもり?」
「黒瀬を探す」
「話を聞いていた?」
「聞いてる」
「教師が既に捜索を始めているのよ」
「分かってる」
「あなたが今ここを離れれば、試験にも影響が出る」
「それも分かってる」
「なら――」
「それでも行く」
堀北が黙った。
残るべき理由ならいくらでもある。
教師に任せることは、黒瀬を見捨てることですらない。
専門の人間が既に探している。
俺が加わる必然性はない。
選択肢としては、確かに存在していた。
ただ。
選ぶつもりがなかった。
そこに利益があるからでもない。
黒瀬がクラスに必要だからでもない。
それらを理由として並べることはできる。
だが、今から行動を決めるための理由にはならない。
順番が逆だった。
俺はもう、黒瀬を探しに行くと決めている。
その後から理由を探している。
いつからそうなったのかは分からない。
ただ。
黒瀬を残して試験を続けるという選択肢が、俺の中では既に機能しなくなっていた。
「……あなたらしくないわね」
堀北が言った。
「そうかもな」
否定する理由もなかった。
◇
雨脚は時間とともに強くなった。
教師から確認した最後の位置情報を起点に、林道へ入る。
視界は悪い。
地面も急速にぬかるんでいる。
それでも、痕跡が完全に消えたわけではなかった。
黒瀬の体調が悪いことには気づいていた。
食事量が減っていたことにも。
本人が自分の状態を軽く扱うことも、これまで何度も見ている。
それでも俺は、一人で行動させても問題ないと判断した。
結果として、その判断は間違っていた。
同じ誤りを二度繰り返す必要はない。
林道の途中で足を止める。
泥の上に残る足跡。
雨で輪郭は崩れている。
それでも、一人分ではない。
複数。
少なくとも、途中で誰かと合流している。
さらに進む。
斜面際。
足跡が乱れていた。
同じ場所で数人が立ち止まり、位置を変えた形跡。
削れた土。
折れた草。
崩れた斜面。
「……」
しゃがんで確認する。
一人で歩いていて、偶然足を滑らせた。
そう考えるには不自然な痕跡が多い。
だが。
誰が何をしたのか。
その確認は後でいい。
今は黒瀬を見つける。
斜面の下を見る。
途中の枝が何本も折れていた。
落下した跡が続いている。
俺は下りた。
◇
足場は予想以上に悪かった。
雨で地面が崩れやすくなっている。
慎重に進む。
落下痕はかなり下まで続いていた。
最後に大きく土が抉れている。
そこから先に、人影はない。
代わりに。
「……」
別の跡が残っていた。
地面についた手。
片側だけ深く沈んだ膝。
右足をほとんど使っていない。
這って移動した跡だ。
怪我をして。
一人で。
この雨の中を。
「……馬鹿が」
自然に声が漏れた。
休めと言っても休まない。
体調が悪くても大丈夫と言う。
怪我をすれば、今度は一人で何とかしようとする。
どこまで行っても同じだった。
痕跡を追う。
途中から雨でほとんど消えかかっている。
それでも、進行方向は読める。
岩場。
その下に、雨を避けられそうな窪みがあった。
近づく。
「黒瀬」
返事はない。
もう一度。
「黒瀬」
数秒。
雨音の向こうから、小さな声がした。
「……清隆?」
その声を聞いた瞬間。
思考が元の速度へ戻った。
そこで初めて、ここへ来るまでの自分が普段ほど平静ではなかったことに気づいた。
生きている。
まず、それだけでいい。
「黒瀬」
暗がりに身体を丸めていた。
長い髪は濡れ、服にも泥がついている。
顔色は悪い。
俺を見た黒瀬が、僅かに目を見開いた。
「……マジで来た」
「ああ」
一歩近づく。
「待って」
黒瀬が手を上げた。
「何だ」
「近寄んないで」
「なぜだ」
「俺いま……臭いから」
「……」
「雨でびしょびしょだし、汗もかいてるし」
「そうか」
「あと、その……」
黒瀬が僅かに目を逸らした。
「生理きてて」
「そうか」
「……マジ最悪じゃんw」
笑おうとしたらしい。
だが、声が掠れていた。
目元も赤い。
泣いていたのだろう。
聞く必要はない。
「今はどうでもいい」
「いや、俺がよくないんだけど」
「足を見せろ」
「清隆、だから――」
「黒瀬」
「……」
「どうでもいい」
黒瀬が黙った。
少しして。
「……はい」
素直だった。
それだけでも状態の悪さが分かる。
右足首の周囲は明らかに腫れている。
「触るぞ」
「ちょ、待っ――」
最低限の確認をする。
「っ……!」
黒瀬の身体が大きく震えた。
反射的に俺の腕を掴む。
「ご、ごめん……」
「謝るな」
骨折の可能性が高い。
少なくとも自力で歩かせられる状態ではない。
額に手を当てる。
「……何?」
「熱がある」
「マジ?」
「気づいてなかったのか」
「寒かったから分かんなかった」
発熱。
疲労。
濡れた衣服。
右足の怪我。
朝から既に体調は悪かった。
この状態で、何時間も一人だったことになる。
「時計は?」
「壊れた」
黒瀬が左腕を上げる。
画面には大きな亀裂が入っていた。
「緊急ボタンも何回か押したんだけど、反応しなくて」
「ああ」
俺の腕時計から緊急信号を送る。
ここまでの地形と天候を考えれば、すぐに救助が来る保証はない。
それでも、やるべきことはやる。
持ってきた救急用品を使い、右足を固定する。
黒瀬は何度か唇を噛んだ。
普段なら痛みまで笑って誤魔化す人間が、それすらできていない。
「清隆」
「何だ」
「……ごめんね」
「何がだ」
「探しに来させた」
「……」
「試験あるじゃん」
「知ってる」
「俺こんなんだし……」
「謝るな」
「でも、俺のせいで――」
「俺が来ると決めた」
黒瀬が口を閉じる。
「お前が決めたことじゃない」
「……でも」
「俺が選んだ」
それ以上は言わせなかった。
黒瀬はしばらく黙っていた。
「……清隆」
「何だ」
「俺、呼んだんだよね」
「?」
「さっき」
黒瀬が視線を落とす。
「誰もいないのに、清隆って」
「……」
「聞こえるわけないのにw」
「そうだな」
「……でも来たね」
「ああ」
黒瀬が俺を見る。
赤くなった目元に、また涙が溜まった。
◇
外は既に暗い。
緊急信号は送った。
だが、今すぐ黒瀬を抱えてこの斜面を登るのは危険だった。
骨折した人間を背負った状態で足を滑らせれば、取り返しがつかない。
まずはこれ以上体温を奪われないようにする。
雨具と乾いた布を使い、可能な範囲で身体を覆う。
しばらくして。
「清隆」
「何だ」
「……まだいる?」
「ああ」
「そっか」
黒瀬は目を閉じた。
数分後。
「清隆」
「いる」
「まだ何も聞いてないんだけど」
「そうか」
「……まあいいや」
また目を閉じる。
少しして、黒瀬の手が俺の服を掴んだ。
「清隆」
「何だ」
「俺さ」
「ああ」
「……怖かった」
普段の黒瀬なら、人前ではまず言わない言葉だった。
「一人で」
「ああ」
「足、めっちゃ痛いし」
「ああ」
「時計壊れるし」
「ああ」
「雨降るし」
「そうだな」
そこで声が止まる。
黒瀬は俯いたままだ。
「……俺、さっき」
呼吸が少し震えた。
「一人でめっちゃ泣いた」
「そうか」
「うぅ……痛いよぉ、って」
自分で口にして、恥ずかしくなったらしい。
顔を伏せる。
「……忘れて」
「善処する」
「絶対忘れないやつじゃん……」
少しだけ笑った。
だが、すぐに表情が崩れた。
「……怖かった」
二度目は、もっと小さかった。
俺は黒瀬を見る。
「もう大丈夫だ」
そう言うと。
黒瀬の目から涙が落ちた。
「……うん」
俺の服を掴む手に、僅かに力が入る。
足の怪我は治っていない。
熱もある。
雨も止んでいない。
状況が改善したわけではない。
それでも。
今の黒瀬に必要なのは、別の何かだった。
少なくとも、離れることではない。
俺もその手を外さなかった。
◇
夜は長かった。
黒瀬は眠っては目を覚ます。
そのたびに俺がいることを確認した。
何度目かに目を覚ました時。
「清隆」
「何だ」
「……戻った方がよくない?」
「どこへ?」
「試験」
「今からか?」
「朝になったら」
「お前を置いて?」
「先生来るかもしれないし」
「来る保証はない」
「でもさ」
黒瀬が少し迷う。
「今回、勝てそうだった?」
答えないでいると、黒瀬が俺を見る。
「その感じ、勝てるやつじゃん」
「どの感じだ」
「清隆の感じ」
「普段と変わらない」
「俺には分かるって」
体調が悪くても、妙なところだけは鋭い。
「勝つ方も選べた?」
「ああ」
嘘をつく理由はない。
黒瀬が黙る。
「……じゃあ」
少し間が空く。
「なんで来たの?」
理由。
黒瀬のクラス内での影響力。
相談部を通じて作った人間関係。
今後利用できる可能性。
合理的な説明はいくらでも作れる。
だが。
どれも違う。
俺は、それらを計算した結果ここへ来たわけじゃない。
むしろ逆だった。
ここへ来ることを決めた後から、理由を探している。
「……分からない」
黒瀬が瞬きをする。
「分かんないの?」
「ああ」
「清隆なのに?」
「そうだな」
「……そっか」
それだけだった。
問いかけた本人が、理由のない答えを一番簡単に受け入れた。
「じゃあ、しゃーないね」
「何がだ」
「分かんないなら」
「そういうものか?」
「そういうもんじゃない?」
黒瀬は小さく笑った。
理由がなくても行動する。
得をしなくても誰かを助ける。
先の計算より、今目の前にあるものを選ぶ。
黒瀬なら、それで済ませる。
今まで俺には理解しづらかった考え方だ。
そのはずだった。
◇
空が白み始める頃には、雨もかなり弱くなっていた。
黒瀬の熱は下がっていない。
これ以上ここに留まるより、上へ向かった方がいい。
「黒瀬」
「ん……」
「起きろ」
「もう朝?」
「ああ」
「全然寝た気しない……」
「立てるか?」
「無理」
「知ってる」
「聞いた意味なくない?」
少しだけ、いつもの調子が戻っている。
それを聞いて。
ようやく、自分が安堵していることに気づいた。
黒瀬のくだらない軽口が戻る。
それが今は、何より分かりやすい状態の指標だった。
俺は背を向ける。
「乗れ」
「……おんぶ?」
「ああ」
「清隆、俺結構重いよ?」
「問題ない」
「いやマジで」
「知ってる」
「その『知ってる』何なの?」
「早くしろ」
「ちょっと傷つくんだけど……」
文句を言いながら、黒瀬が背中へ身体を預ける。
腕が首元へ回る。
右足へ負担をかけないように立ち上がった。
「痛くないか」
「動かなきゃ大丈夫」
大丈夫。
その言葉を聞いて、昨日までとは違う意味で引っかかった。
黒瀬は昨日も大丈夫と言った。
朝も。
昼も。
斜面から落ちた後でさえ、おそらく同じことを言ったのだろう。
本人にとっては、そのたびに嘘ではないのかもしれない。
だが。
今後、黒瀬自身の「大丈夫」を体調判断の材料にするつもりはなかった。
「清隆」
「何だ」
「……寝てもいい?」
「ああ」
「落とさないでよ」
「落とさない」
「……うん」
それきり黒瀬は静かになった。
背中にかかる力が抜けていく。
しばらくして、規則的な寝息が聞こえ始めた。
◇
途中で学校の捜索班と合流した。
そこからは早かった。
医療スタッフへ黒瀬を引き渡す。
足の状態。
体温。
意識。
次々に確認される。
俺は一歩離れて、その様子を見ていた。
「綾小路」
軽井沢が近づいてくる。
「莉愛、どんな状態だったの?」
「足を怪我して動けなくなっていた。熱もある」
「……それだけ?」
「ああ」
洞窟で泣いていたことまで、他人に説明する必要はない。
「そっか」
軽井沢もそれ以上は聞かなかった。
拠点へ戻ると、黒瀬に気づいた軽井沢が真っ先に走った。
「莉愛!」
担架の上で黒瀬が目を開ける。
「あ、恵」
「何やってんのよ!」
「ごめんごめんw」
「笑ってんじゃないわよ!」
軽井沢の声が震えた。
黒瀬の笑顔が止まる。
「……ごめん」
「ほんとに……」
その先は言葉にならなかった。
平田も来る。
「黒瀬さん、本当に無事でよかった」
「平田くんまでそんな顔しないでよ」
「心配したから」
「……うん」
池。
須藤。
櫛田。
何人もの生徒が集まってくる。
「莉愛ちゃん、本当に心配したんだからね」
「桔梗まで……ごめん」
最後に堀北が来た。
「黒瀬さん」
「何?」
「……無事で何よりだわ」
黒瀬が目を丸くする。
「鈴音ちゃんが普通に優しい」
「余計なことを言う余裕はあるようね」
「あるあるw」
「なら安心したわ」
黒瀬は笑った。
今度は少しだけ、いつもの黒瀬に見えた。
その姿を確認して。
胸の奥にあった何かが、ようやく薄くなった。
◇
治療を受けた後。
教師から事情を聞かれる。
俺も近くにいた。
「最後に誰と行動していた?」
黒瀬は少し考えた。
「真鍋さんです」
「Cクラスの真鍋だな?」
「はい」
「何のために森へ?」
「藪さんが足を怪我したって聞いて」
「藪もいたのか?」
「途中で会いました。山下さんも」
「その後は?」
「……途中で別れました」
「転落した時は一人だった?」
ほんの一瞬。
黒瀬が黙った。
「はい」
「本当に?」
「はい。俺が足滑らせただけです」
教師が記録を取る。
俺は何も言わなかった。
嘘だ。
斜面際には複数人分の足跡があった。
その場で何人かが動いた形跡もある。
少なくとも、黒瀬が一人で歩いていて偶然落ちたという状況ではない。
真鍋。
藪。
山下。
三人の名前を覚えておく。
今すぐ何かをするつもりはない。
黒瀬自身も、それを望んでいないだろう。
だが。
黒瀬が許すかどうかと、俺がどう判断するかは別の話だ。
そして、もう一つ。
黒瀬について、今まで曖昧だった部分がはっきりした。
黒瀬は他人が傷つくことには敏感だ。
それなのに、自分が傷ついた時だけ判断基準が変わる。
鈍いわけじゃない。
痛いことも。
怖いことも。
嫌なことも。
全部感じている。
洞窟での様子を見れば分かる。
その上で。
自分が受けた被害だけを、軽く扱う。
それは単純な鈍感さより、ずっと厄介だった。
◇
特別試験の結果が発表された。
Dクラスは最下位だった。
高円寺のリタイア。
生活のために消費したポイント。
終盤の混乱。
そして。
俺が最後まで残していた、勝つための選択肢を放棄した。
黒瀬が消えたから負けたわけじゃない。
俺が黒瀬を探す方を選んだ。
それが大きい。
◇
黒瀬は足を固定されたまま、医務室のベッドに横になっていた。
熱もまだある。
結果は既に聞いたらしい。
「清隆」
「何だ」
「ビリだったって」
「ああ」
「……俺のせいじゃん」
「違う」
「でも俺いなくなったし」
「それだけじゃない」
「清隆も俺探しに来たじゃん」
「ああ」
「だからでしょ?」
「俺が選んだ」
「でも」
黒瀬が俺を見る。
「勝てたんでしょ?」
「ああ」
今回は誤魔化さなかった。
黒瀬の表情が僅かに曇る。
「じゃあ……」
「俺が捨てた」
「え?」
「勝つ方をだ」
「……」
黒瀬が黙った。
「なんで?」
昨日と同じ問い。
答えも変わらない。
「分からない」
「またそれ?」
「ああ」
「清隆、分かんないこと増えたね」
「お前のせいかもしれないな」
「俺?」
「ああ」
「ひどw」
黒瀬は笑った。
その笑い方を見て。
もう一度だけ、安堵する。
そして少しして。
「……ありがと、清隆」
「ああ」
それ以上は言わなかった。
教師に任せることもできた。
試験を続けることもできた。
勝つために何をすべきかも分かっていた。
それでも、俺は黒瀬を探した。
理由はまだ説明できない。
ただ一つ。
黒瀬を見捨てて先へ進むという選択肢だけは。
いつの間にか。
俺の中から、なくなっていた。