Dクラス「ドッ!ワハハ」 綾小路「wwww」 オリ主「あ、綾小路くんも笑ってるよw」 綾小路「」 作:ホモガキ
五月一日。
黒瀬莉愛は、目覚ましが鳴るより少し早く目を覚ました。
理由は単純だった。
今日はポイント支給日である。
「…………」
枕元に置いていた端末を手に取る。
時刻は午前六時四十八分。
まだ起床するには少し早い。
だが、眠気よりも確認したいことがあった。
画面を開く。
学校指定のアプリを起動。
表示された残高は――
七万六千ポイント。
「…………」
莉愛は数秒、画面を見つめた。
更新する。
七万六千。
もう一度。
七万六千。
「…………」
アプリを閉じる。
再起動。
七万六千。
「は?」
ようやく声が出た。
端末を一度ロックする。
再び開く。
七万六千。
「いやいやいや」
何かがおかしい。
今日は五月一日。
毎月十万ポイントが支給されると説明を受けている。
ならば本来、現在の残高に十万が加算されていなければならない。
少なくとも莉愛は、そのつもりで昨日まで生活していた。
「…………」
端末そのものを再起動する。
待つ。
起動。
アプリ。
七万六千。
「バグってんじゃん」
莉愛はベッドから起き上がった。
寝癖のついた髪をそのままに、画面を睨む。
十万。
来ていない。
昨日、綾小路が言っていた。
来月も同じ額が入るとは限らない。
その時は、大袈裟だと思った。
学校側が毎月ポイントを配ると言っているのだから、普通に考えれば入る。
多少減るとしても、せいぜい数千程度。
そう思っていた。
「…………」
嫌な予感がした。
莉愛は勢いよくベッドから下りた。
◇
「清隆ぁ!!」
朝。
一年Dクラスの扉が勢いよく開いた。
教室にいた生徒の何人かが振り返る。
窓際の席に座っていた綾小路も、その中の一人だった。
莉愛は真っ直ぐに向かう。
「朝から何だ」
「十万来てない!」
「そうか」
「そうかじゃねえよ!」
莉愛は端末を突きつけた。
「見ろよ!」
「近い」
「七万六千のまんま!」
「昨日と同じだな」
「そうなんだよ!」
「なら正常に表示されてるんじゃないか」
「正常じゃねえ!」
莉愛の声につられ、池と山内も寄ってきた。
「やっぱ黒瀬も?」
「お前らも!?」
「俺、増えてねえんだけど!」
「俺も!」
「マジ?」
教室のあちこちでも、似たような声が上がっていた。
どうやら莉愛だけの問題ではない。
「バグじゃね?」
池が言う。
「それだ!」
莉愛が即座に乗る。
「絶対サーバー落ちてんだろ!」
「全員分十万配るから処理重いんじゃね?」
「ありそう!」
「問い合わせようぜ!」
山内まで同意する。
三人は一気に安心した。
原因さえ分かれば、あとは学校側が直せばいい。
そういう話である。
「清隆は?」
莉愛が振り返る。
「増えてない」
「じゃやっぱ全員じゃん!」
「そうだな」
「お前もっと焦れよ」
「焦ってポイントが増えるならそうする」
「昨日俺の言葉パクっただろ」
「似たようなことを言っただけだ」
「著作権料払え」
「まだ言ってるのか」
「でもまあ、学校側のミスならそのうち直るっしょ」
「そうだといいな」
綾小路の返答は相変わらず淡々としている。
莉愛は少し眉を寄せた。
「何その言い方」
「何がだ」
「なんか知ってそう」
「知らない」
「じゃ何で昨日あんなこと言ったん?」
「違和感があっただけだ」
「…………」
無料の商品。
最低限の生活用品。
毎月十万が必ず支給されるなら、確かに必要性は薄い。
莉愛も昨日はその説明を聞いた。
だが。
「いや、でもさ」
「なんだ」
「本当にゼロはないだろ」
「どうだろうな」
「お前怖いこと言うなよ」
莉愛が顔をしかめた、その時。
教室の扉が開いた。
茶柱佐枝が入ってくる。
ざわついていた教室が、完全に静かにはならない。
むしろ、ちょうどいい相手が来たとばかりに声が上がる。
「先生!」
「ポイント来てないんですけど!」
「アプリの不具合っすか?」
「いつ直るんです?」
茶柱はそれらの声を受けながら、特に急ぐ様子もなく教壇へ向かった。
「席に着け」
「でも先生――」
「いいから座れ」
低い声だった。
少しずつ、生徒が席へ戻っていく。
莉愛も自分の席に着いた。
その時点で。
何となく。
本当にシステム障害ではない気がしてきた。
◇
「まず、お前たちが何を騒いでいるのかは把握している」
茶柱先生は教壇に立ち、教室全体を見渡した。
「プライベートポイントが支給されていない。そういう話だろう」
「そうですよ!」
池が声を上げる。
「全員ゼロなんすよ!」
「正確には、今月の支給額がゼロだ」
「……え?」
教室が静かになった。
池だけではない。
多くの生徒が、言葉の意味を理解するまで少し時間を必要としていた。
「支給額が……ゼロ?」
「そう言った」
「なんでですか?」
平田が落ち着いた声で問いかける。
茶柱先生は黒板へ向き直った。
そして大きく。
数字を書く。
――0。
「これが現在のDクラスのクラスポイントだ」
ざわめきが広がった。
「クラスポイント?」
「何それ?」
「聞いてないんだけど」
「正確には、説明しなかった」
茶柱先生は平然と続ける。
「お前たちは入学時、各自に十万プライベートポイントを与えられた。そして毎月、クラスの評価に応じてポイントが支給される」
黒板に、さらに説明が書き加えられる。
クラスポイント。
その数値に応じて、毎月のプライベートポイントが決定される。
「つまり現在のDクラスは0ポイント。従って、今月の支給もゼロだ」
「いやいやいや!」
池が立ち上がった。
「そんなの聞いてないですよ!」
「説明しなかったと言っただろう」
「それズルくないっすか!?」
「何がズルい?」
「だって、最初に毎月十万もらえるみたいな言い方して――」
「私は、お前たちが何をしても無条件で十万ポイント支給されるとは言っていない」
「…………」
池が言葉に詰まる。
莉愛は黒板を見る。
0。
昨日。
0ポイントの商品を見つけて喜んだ。
無料。
神。
その認識だった。
今日。
0ポイント。
収入なし。
死。
「…………」
莉愛は片手で顔を覆った。
「先生」
「なんだ黒瀬」
「俺、昨日まで0ポイントって好きだったんですけど」
「そうか」
「今日から嫌いになりました」
「知らん」
即答だった。
教室から小さく笑いが漏れる。
「いや、これ笑い事じゃねえわ」
莉愛は自分で言って、自分で真顔に戻った。
「黒瀬。お前は特に他人事のような顔をするな」
「俺?」
「そうだ」
茶柱先生の視線が莉愛を捉える。
「なぜ自分は無関係だと思った?」
「いや、別に無関係とは――」
「授業中に同じ教室の綾小路へ電話をかけたな」
「…………」
教室のあちこちから笑いが起こった。
「ちょ、それもう終わった話じゃん」
「学校側の評価においては終わっていない」
「マジ?」
「私語。授業態度。遅刻。欠席。居眠り。授業中の携帯端末の使用。他にも様々な項目が評価対象になる」
「…………」
「黒瀬」
「はい」
「授業中に電話をかける生徒を、高く評価すると思うか?」
「……しないっすね」
「理解できて何よりだ」
莉愛は肩を落とした。
斜め前を見る。
綾小路と目が合う。
「清隆」
「なんだ」
「俺ら共同正犯じゃん」
「俺は着信を受けただけだ」
「お前出なかったもんな」
「出たら本当に共犯になるだろ」
「裏切り者」
「最初から仲間じゃない」
「親友だろ!?」
「今その話をするのか?」
「黒瀬」
「はい」
茶柱先生に睨まれ、莉愛は口を閉じる。
「まったく……」
周囲でまた笑いが起こる。
ただし。
先ほどまでとは違い、その笑いにも少しずつ焦りが混じり始めていた。
◇
説明を聞く限り、制度そのものは単純だった。
生徒の行動。
授業態度。
生活態度。
試験結果。
その他、学校が評価対象と判断する要素。
それらがクラス単位で採点される。
高い評価を維持すればポイントは増える。
問題行動が多ければ減る。
Dクラスは入学から一ヶ月。
それまで持っていたポイントを全て失った。
「だから言ったんだ」
茶柱先生が淡々と告げる。
「この学校では、自分から存在を示す必要があるとな」
その言葉で。
俺は数週間前の出来事を思い出した。
池が自分はよく喋るから評価が高いのかと質問した時。
黒瀬が言った。
『マイナスも自己申告制になったん?w』
あの時はただの冗談だった。
少なくとも本人に、その先を見通す意図はなかったはずだ。
結果だけを見れば。
皮肉にも正しかったことになる。
「……ふっ」
僅かに息が漏れた。
その瞬間。
嫌な予感がした。
黒瀬が振り返る。
「清隆」
「なんだ」
「今笑った?」
「笑ってない」
「いや絶対笑ったろ」
「気のせいだ」
「俺の自己申告のやつ思い出した?」
「授業中だぞ」
「図星じゃんw」
「黒瀬」
茶柱先生の声。
「はい」
「お前は今まさに評価を下げる行動をしているという自覚はあるか?」
「…………」
黒瀬が前を向いた。
「あります」
「なら黙れ」
「はい」
教室から笑いが起きる。
学習しているのかしていないのか、よく分からない。
◇
しかし、問題はポイントだけでは終わらなかった。
「そして、もう一つ」
茶柱は教卓に手を置いた。
「今月は中間試験がある」
それ自体は珍しい話ではない。
高校生である以上、定期試験は当然存在する。
問題は。
「この学校では、試験の結果にも明確な基準が設けられている」
茶柱が黒板へ新しい数字を書く。
「一定の点数を下回った生徒には、退学処分が科される」
教室の空気が変わった。
「…………は?」
誰かの声。
「退学?」
「赤点で?」
「マジで?」
莉愛も、さすがに反応が遅れた。
聞き間違いだと思った。
「先生」
「なんだ」
「退学って」
「言葉通りだ」
「学校辞めるやつ?」
「他に何がある」
「…………」
莉愛は椅子へ深く座り直した。
「嘘だろ」
数学が苦手。
その程度の自覚はあった。
勉強が得意ではないことも理解している。
だが。
それによって学校を辞めさせられる可能性があるとは考えていなかった。
一般的な学校なら。
赤点。
追試。
補習。
教師に怒られる。
精々、その程度。
ここでは違う。
「過去の小テストなどを基準にするなら、現時点で特に危険なのは――」
茶柱先生が名簿を見る。
「須藤」
「……チッ」
「池」
「え!?」
「山内」
「俺も!?」
莉愛は僅かに肩の力を抜いた。
やっぱその辺か。
「それと黒瀬」
「え?」
名前を呼ばれた。
一瞬。
本当に誰か別の黒瀬がいるのかと思った。
いない。
「俺?」
「むしろ、なぜ自分が入らないと思った」
「いや俺、授業中わりと起きてますよ?」
「起きているだけで点数が与えられると思うな」
「厳しくね?」
「学校として普通だ」
「ぐうの音も出ねえ」
茶柱先生は過去の小テスト結果を示す。
須藤。
三十九点。
池。
四十二点。
山内。
四十三点。
そして。
黒瀬。
三十八点。
「…………」
莉愛は数字を見る。
もう一度見る。
「須藤」
「あ?」
「お前何点?」
「三十九」
「俺は?」
「三十八」
「…………」
須藤の口角が上がった。
「お前、俺より馬鹿じゃねえか!」
「一つしか変わんねえだろ!!」
「負けは負けだ!」
「底辺でマウント取んな!」
「一番下お前じゃねえか!」
「一ポイントでイキんなよ!」
「一ポイントでも上は上だ!」
「お前ら」
茶柱先生の声が低くなる。
二人とも黙る。
教室は笑いに包まれていた。
莉愛自身も笑っていた。
だが。
胸の奥には。
これまでとは違うものが残った。
三十八。
今までは、悪い点数。
それだけだった。
これからは。
退学に繋がる数字である。
◇
黒瀬莉愛が退学する可能性。
その話を聞いた時。
特別な感情が生まれたわけではない。
成績が足りない。
学校側が定めた基準を下回る。
その結果として退学する。
それだけなら、本人の責任だ。
俺が介入する理由はない。
むしろ。
黒瀬がいなくなれば、教室は静かになる。
授業中に突然電話がかかってくることもない。
休み時間に読書を中断されることもない。
昼休みに勝手に連れ出されることもない。
合理的に考えるなら。
特に困らない。
「清隆」
横から声が聞こえた。
授業が終わった直後。
黒瀬が立っていた。
「何だ」
「俺退学するかも」
「そうだな」
「軽くね?」
「まだ決まったわけじゃない」
「でも俺三十八だぞ」
「知ってる」
「須藤より下」
「それも知ってる」
「結構やばくね?」
「勉強すればいい」
「…………」
黒瀬が眉を寄せる。
「それで済む?」
「点数が原因なら、点数を上げればいい」
「お前さ」
「なんだ」
「たまにめっちゃ正論で殴ってくるよな」
「間違ってるか?」
「間違ってないのがムカつく」
本人も分かっているのだろう。
逃げても解決しない。
なら、勉強するしかない。
「清隆」
「なんだ」
「勉強教えて」
「断る」
「はやっ!」
「なぜ俺なんだ」
「本読んでるし」
「理由が雑だな」
「数学できそうじゃん」
「幸村の方が適任だと思うぞ」
「誰?」
「クラスメイトだ」
「…………」
「覚えてないのか」
「顔見れば分かるかも」
「友達を増やすと言っていたのは誰だ」
「全員の名前覚えるとは言ってない」
「随分都合がいいな」
「じゃその幸村くん紹介して」
「自分で話しかけろ」
「一緒に来てよ」
「なぜ俺まで」
「親友だろ?」
「便利に使うな」
黒瀬が両手を合わせた。
「頼むって」
「…………」
特に引き受ける理由はない。
だが。
断る理由も、それほど強くはない。
「幸村が承諾するかは知らないぞ」
「うぇーい!」
「まだ何も決まってない」
「清隆マジ愛してるわ」
「軽いな」
「友達として」
「聞いてない」
「照れんなって」
「照れてない」
◇
「嫌だ」
数分後。
幸村輝彦――周囲からは幸村と呼ばれている男子生徒は、即答した。
「なんで!?」
「なぜ僕がお前の勉強を見る必要がある」
「俺退学するぞ?」
「それはお前の責任だろ」
「鈴音ちゃんと同じこと言ってる!」
「堀北も断ったのか?」
「まだ聞いてない」
「じゃあ何なんだ」
莉愛は幸村の机の前に立っていた。
横には綾小路。
完全な巻き込まれ事故である。
「清隆が幸村くんなら教えてくれるって」
「言ってない」
「綾小路?」
「俺は適任だと言っただけだ」
「お前も面倒事を持ってくるな」
「同感だ」
「おい親友」
「今だけ他人になりたい」
「ひどっ」
そこへ平田が近づいてきた。
「勉強会の話?」
「平田くん!」
莉愛の表情が明るくなる。
「助けて!」
「どういう状況?」
「幸村くんが冷たい」
「僕は普通だ」
「俺退学するかもしれんのに」
「だから勉強しろと言ってる」
「だから教えてって言ってんじゃん!」
「授業を聞け!」
「聞いて分かるなら三十八取ってねえ!」
「威張ることじゃない!」
周囲から笑い声。
幸村は額を押さえた。
「……分かった」
「マジ!?」
「ただし、本気でやるならだ」
「やるやる!」
「私語するな」
「はい!」
「スマホ触るな」
「はい!」
「分からなくても五分で諦めるな」
「…………」
「おい」
「はい」
「今間があっただろ」
「気のせい」
「不安だ……」
平田が苦笑する。
「他にも危ない人がいるなら、みんなでやった方がいいかもしれないね」
「それいいじゃん!」
莉愛はすぐ乗った。
「須藤! 池くん! 山内!」
「なんだよ!」
「勉強会!」
「嫌だ!」
須藤の返事が最速だった。
「なんで!」
「部活あるんだよ!」
「退学したら部活もなくなるぞ!」
「…………」
須藤が止まる。
「ほら」
「お前に言われるとムカつくな」
「俺三十八だからな」
「そこ誇るな!」
◇
話は、その日の昼休みまでに少しずつ大きくなった。
危険な生徒だけで集まる。
成績の良い生徒が教える。
平田は協力的だった。
櫛田も参加を申し出た。
幸村は不満そうではあるものの、引き受けるつもりらしい。
そして。
当然。
莉愛にはもう一人、思い当たる人物がいた。
「鈴音ちゃーん」
「嫌よ」
「まだ何も言ってねえ!」
「勉強会でしょう」
「なんで分かった?」
「あなたが教科書を持って近づいてきたからよ」
堀北は自席で参考書を開いている。
莉愛はその前へ座った。
「俺退学するぞ?」
「そうね」
「冷たっ!」
「赤点を取るのはあなたでしょう」
「助けようとか思わん?」
「自分で努力する人間なら手を貸す価値もあるでしょうけど」
「努力するって!」
「授業中に電話をかける人間の言葉を、どう信用しろと言うの?」
「もうしない!」
「当然よ」
「数学も聞く!」
「当然よ」
「宿題もやる!」
「当然よ」
「…………」
莉愛が黙る。
「何?」
「俺、今めっちゃ良いこと言ってんのに全部当然で返される」
「普通の学生なら最低限やっていることだからよ」
「ハードル高えな高校生」
「低いわ」
櫛田が隣で笑っている。
「堀北さん、一緒にやらない?」
「あなたまで?」
「うん。私もできる範囲で教えたいし」
「私は興味ないわ」
「でも鈴音ちゃん頭いいじゃん」
「その呼び方もやめて」
「じゃ堀北先生」
「もっと嫌よ」
「鈴音師匠」
「帰って」
「先生!」
「帰って」
「教授!」
「黒瀬さん」
「はい」
「本気で退学したくないなら、まず人の話を聞きなさい」
「…………」
莉愛は少し黙った。
普段なら、ここでも何か返したかもしれない。
だが。
今日は違った。
「分かった」
短く答える。
堀北の視線が僅かに変わった。
「本当に?」
「うん」
「…………」
「俺、退学したくないし」
その言葉だけは。
冗談ではなかった。
教室の空気。
昼休み。
放課後。
まだ一ヶ月しか経っていない。
それでも莉愛は、この場所を気に入っている。
平田。
櫛田。
心。
池。
須藤。
山内。
堀北。
そして。
綾小路。
面白そうな人間が、たくさんいる。
三年間。
遊べると思っていた。
それが、勉強ができないというだけで終わるのは。
「それは普通に嫌だわ」
莉愛は呟いた。
堀北は数秒彼女を見た後。
「……教えるとは言ってないわ」
「お」
「ただ、勉強会に参加すること自体は否定しない」
「マジ!?」
「うるさい」
「うぇーい!」
「静かにしなさい!」
「はい!」
莉愛は満面の笑みを浮かべる。
「桔梗! 鈴音ちゃん来るって!」
「黒瀬さん」
「はい!」
「今すぐ撤回してもいいのよ」
「ごめんなさい!」
櫛田が声を上げて笑った。
◇
放課後。
勉強会の日程を決めるため、何人かが教室に残っていた。
「じゃあ明日から?」
「試験まで時間もないし、その方がいいだろうね」
平田がまとめる。
「幸村くん大丈夫?」
「ああ。仕方ない」
「ありがとー!」
「黒瀬。お前が一番危ないんだから、本気でやれよ」
「分かってるって」
「その返事が一番信用できない」
「なんでだよ」
池と山内も参加。
須藤は部活後、可能な範囲で顔を出す。
櫛田。
平田。
幸村。
そして堀北。
思ったより人数が増えた。
「清隆」
黒瀬が俺を見る。
「お前もな」
「なぜ俺まで参加することになってる」
「俺退学したら困るだろ?」
「特には」
「ひでえ!」
「自業自得だ」
「じゃ俺退学したら、もう昼飯誘わねえぞ」
「退学したら誘えないだろ」
「…………」
黒瀬が黙る。
考えている。
数秒。
「確かに」
「そこに今気づくのか」
「じゃもっと困るじゃん」
「何がだ」
「俺いなくなったら、清隆一人で飯食うだろ?」
「元々そうしていた」
「寂しくね?」
「別に」
「強がんなって」
「強がってない」
「じゃ俺退学していい?」
「それを俺に聞くな」
「どっちだよ!」
理屈が飛躍している。
「勉強会には顔を出す」
「マジ!?」
「ただし、お前の面倒を見るとは言ってない」
「うぇーい!」
「聞いてるか?」
「聞いてる聞いてる」
恐らく聞いていない。
黒瀬は機嫌よく鞄を持ち上げた。
「じゃ明日から頑張るわ」
「今日からやればいいだろ」
「明日から」
「今まで何度それで失敗した?」
「まだ高校入って一ヶ月だから一回目」
「そういう意味じゃない」
「清隆細けえな」
黒瀬が笑う。
「まあ見てろって」
「何を?」
「俺の覚醒」
「期待しないでおく」
「中間で八十取ったらどうする?」
「まず取れない」
「取ったら?」
「考えておく」
「よし。じゃ八十な」
何の根拠もない目標を勝手に設定する。
恐らく。
三日後には忘れている。
そう思った。
「じゃーな、清隆」
「ああ」
「明日寝坊したら電話して」
「嫌だ」
「親友だろ?」
「それとこれは関係ない」
「冷てえなあ」
黒瀬が教室を出る。
しばらくして。
教室は静かになった。
「…………」
机の上には、試験範囲の資料。
赤点。
退学。
黒瀬莉愛。
もし彼女が点数を取れなければ、本当にこの学校からいなくなる。
制度上は、それだけのことだ。
能力が足りない者が排除される。
珍しい考え方でもない。
俺にとっても。
本来なら。何も問題はない。
黒瀬がいなくなれば、教室は静かになる。
休み時間も静かになる。
昼食も一人で済ませられる。
読書を邪魔されることもない。
朝から名前を叫ばれることもない。
授業中に電話がかかってくることもない。
以前の状態に戻るだけだ。
……それは。
悪いことではない。
「……」
静かな教室を見渡す。
まだ誰かの笑い声が残っているような気がした。
気のせいだ。
黒瀬が退学するなら。
それは黒瀬自身の問題だ。
俺が気にする必要はない。
少なくとも。
今はまだ。