スケート女子達は怖い 作:タリーズさん
世界中を転戦し、全6戦が行われるグランプリシリーズ。
それはフィギュアスケートの国際大会である。
選手達が出場できるのは最大2大会まで。
順位に応じたポイントが付与され、上位6名のみが世界一決定選──グランプリファイナルへと進出できる!
開催時期はグランプリシリーズ(GPS)が10月から11月。現在は12月上旬であり、GPSは既に終了済み。本日はグランプリファイナルの3日目である。
「お、降りた……すごっ、すごかったですよ
ウォームアップエリアで準備を進めていた少女が、モニターの前で目を見開く。
キュートとカッコイイが同時発生していると評判の人気選手、
「四回転ルッツから入った……よしよし。完璧じゃないか。一番滑走は緊張したと思うけど、ちゃんといつも通りできてて偉いぞ!」
いのりの隣で燃えているのはマッチョマン。ボディビルダーでもスーパーヒーローでもなく、フィギュアスケートのコーチである。
「全員でメダルを取って帰ろう。それがコーチ全員で立てた誓いだから、まずは頑張れ
彼の名は
この時、いのりは思っていた。
全員メダルはルール上不可能だけど、盛り上がってるし邪魔しないでおこう、と。
(久しぶりの国際大会なのに、凄いなぁ……ああっ転ん……でない! こらえた!)
今は男子の滑走が始まったところ。
トップバッターは日本代表。
男子シングルの
あっさりとした顔立ちの大学生で、昨年結果を出したことで国際舞台に帰ってきた。故障もあって二年ほど競技を離れていた経歴があり、去年までいのりは彼の存在を知らなかった……。
『──トリプルサルコウが雑になりましたねー。もったいない! いつも通り淡々とやればいいんですけど、熱くなってますね。後で叱っておきます、ははは』
テレビの中では、解説の元選手が手痛いダメ出しをしている。いのりは思わず空笑いが出た。テレビに流れてるのに手厳しいなぁと。
「ウンウン、オッケオッケー! このままジャンプは全て降りよう、丁寧に! メダル狙えるぞ! 狙おう! 久しぶりの国際大会は思い出に残るよ! ああでも、最後にトリプルアクセルは心配だなぁ!」
「つかさ先生、司先生。みんな見てます。落ち着きましょう、ね?」
「とても落ち着いていられないよ! 苦労人なんだ彼は! 二年のブランクがあったのに完全復活して、しっかり結果を出して頑張ってるんだ! ちゃんと応援しないと!」
「……」
司の主張には全面的に同意するが、恥ずかしいから声のトーンを落として欲しい。
何年経ってもこの人は変わらないなぁ、と謎に懐かしみ始めるいのりであった。
「……なんか、雨取君って誰かに似てるような……?」
「ああ、言われてみれば……顔が
司が名前を出した夜鷹純とは、日本のみならず世界に名を轟かせた、伝説のスケーターである。かつてはいのりのライバル、
現在は行方不明だが、光によれば「生きてはいると思う」──とのこと。
夜鷹純は表情に乏しいものの、端正な顔立ちの男性だ。対して雨取繋人の顔は、あんまり似ていない。司はどこを見て、似ていると思ったのだろうか。
「司先生、顔じゃないです。滑り方っていうか、エッジの使い方? あと指先の動きとか、ちょいちょい誰かと被るような……」
「うーん……夜鷹純ではないな」
「夜鷹さんに似てるのは、司先生くらいだと思います。私が知ってる中ではですけど」
仲良くお喋りをしている間にも、演技は終わりに向かっていく。トリプルアクセルをどうにか降りて、ジャンプは全て転倒なし。最後は無難にスピンを決めて、完走。
総合得点292.08。
金メダルすら射程圏内の高得点を叩き出した。アナウンスが場内に流れる中、次の選手が失笑しているの姿をカメラが捉える。うん、そういう反応になるのはわかるなぁと、いのりは二番滑走に同情──共感したのだった。
***
「うわっ、もう抜かれた……世界はやっぱり厳しいな。自己ベストだったのに」
俺は早々に席を立った。暫定1位が座ることができる特等席、キス・アンド・クライ。
名前の由来はロマンチックなもので、演技を終えた選手とコーチが採点を待つ間、喜びでキスを交わしたり、結果が悪くて泣いたりする場所──なのでキス・アンド・クライ。俺はコーチとチューしたことないし、結果が悪くて号泣したこともない。
泣くのはともかく熱いキスはまずいだろと思う。そんなことしたら週刊誌に何を書かれるか、想像しただけでも恐ろしい。
「まだ座っていてもいいのに。随分、淡々としてるわね……最近の大学生ってこんな感じなのかしら」
今、付き添ってくれてるのは
キスなんてしたら完全アウトだ。俺は社会的に抹殺されてしまうだろう。
「最近の大学生って、
「数年前だったら嬉しいわねー。何年前か知りたいなら、
隣を歩く胡荒さんは美魔女である。数年前まで大学生、と言っても通用しそうな若々しさだ。男子選手の中では可愛いと評判になっていて、ガチめなファンが何人かいるほど。
彼女はヘッドコーチではない。うちのヘッドコーチ──俺の担当コーチは仕事が残っているので、アシスタントコーチの胡荒さんが付き添ってくれている。
「亜子ちゃんは今年で18だから……」
「私の顔を見ながら数えるのはやめてね?」
にっこり釘を刺されたので、俺は答え合わせを断念した。凄い圧を感じたからだ。
ハタチで産んだとしても、もう38か……。裕福な家庭だから色んなケアとかしてるんだろうけど、それにしたって若すぎるぞ。見た目が。
「どうするの? クールダウンは終わってるけど、このまま観客席に行く?」
「そうします。次は日本のエースの登場ですし」
リンクのある場内に出ると、冷たい空気の中にあって熱気を感じた。満員御礼。乾いた拍手の音と共に、日本選手が滑走開始位置に向かっていく。
すらりとした長身の二十三歳、今年はじめのオリンピックで世界王者に輝いた、日本のエース。
黄色い歓声は多分、俺の時の倍以上なんじゃないだろうか。彼はとにかくモテる。メディアの取り扱いはほぼアイドル。その甘いマスクで数多の女性ファンを虜にしているが、既婚者である。いきなり学生結婚して、当時はえらい騒ぎになっていた。
「いつき君がんばれー!」
「いっくーん!」
「イツキ、ファイト! イェー!」
「がんばれよー! お前ならやれる! 来られなかった町のみんなも見てるからなー!」
そして彼の凄いところは、女性ファンと同じくらい、男性ファンからも人気があることだ。しかも国籍は問わず。地元、北海道では帰省する度にパレードが開かれるか、そうでなくても大きな騒ぎが起こっている。
飛べないジャンプは
本番でノーミスでいけるかはともかく、練習では全ての4回転を成功させているヤバい人だ。お願いだから5回転はやめてくれとビビりながらも、見てみたいと思ってしまう気持ちもある。
──イツキ、シロヤマ。ジャパーン!
場内アナウンスと同時に静まり返り、次の瞬間どっと湧く。全ての方向から拍手が起こる。
城山さんは余裕の表情でその時を待ち、すぐに音楽が始まった。
神秘的な低音から始まる『火の鳥』。
チェロとコントラバスに低音和音が混ざり合い、幻想空間が幕を開けた。
ゆるやかに動くしなやかな体。しかし滑走速度はあっという間に最高まで。まるで氷に吸い付いているような靴の
直後に全面への滑走、からの飛翔。
そう、飛翔だ。
「トリプルアクセル、からの4回転サルコウ」
初手は難易度の高いトリプルアクセル。間に1回転のオイラージャンプを挟んで、4回転サルコウに繋げる。力感なし。軽い。簡単に飛び上がる体は、重力を感じさせない。背中に羽が生えているみたいだ。
「パリ大会の時と同じね。次は安全ジャンプかしら」
「いや、あの軌道は……」
指揮者のように優雅に腕を振りながら、背面滑走。
左足を軸にした、S字を連想させる緩やかなカーブ。そして反時計回り、滑ってきた方向とは逆向きに体がねじれる。
「ちょっとちょっと……嘘でしょ、ルッツ?」
「4回転。クリーンに降りましたね。これ300点超えるな……凄い、凄いけども!
俺は複雑な感情に襲われた。
純粋にすげーっていう感動と、勝てるかこんなんっていう名状しがたいモヤモヤと、あとは国際スケート連盟に対する不満!
今回の大会では、フリープログラムの滑走順を
フィギュアスケートはショートプログラムとフリープログラム、二度の滑走の合計点で順位を競う。演技時間はショートとフリー、それぞれ2分50秒と4分だ。構成の縛りが多いショートプログラムを先に、時間が長くジャンプも多いフリーが後。そして、フリーの滑走順は、ショートプログラムの順位の下から始まる──はずだった。
「大トリでいいだろ、こんな化け物は……そうじゃなくても後ろに回ってくださいお願いだから」
「そうねぇ……なんでまた、連盟はくじ引きなんかにしたのかしら。はっきり言って迷惑だし、残ってる子達が可哀想……」
残りは日本男子が二名とアメリカ代表が一名。会場の空気は既にフィナーレを迎えている。
こんな雰囲気の中で滑らなきゃいけないのは、あんまりじゃないだろうか。ショートの順位順でこうなったのならともかく、くじ引きでこれは……ちなみに最終滑走はショート最下位なんだけど大丈夫?
「偉い人達って、たまにろくでもないことしますよね。思いつきとしか思えないんですけど、大人としてはまた違った見方があったり?」
「世の中、そんなものよ……って感じね」
胡荒ママは身も蓋もないことを言った。
そうこうしている間に演技は最後のジャンプを迎え、なんと4回転サルコウ。コンビネーションでトリプルアクセルに繋げた。
あー、はいはい神カミ。
現実離れしたものを見せつけられて、俺は魂が抜けた。四番滑走の日本男子、可愛い後輩の
****
「神は、死んだんだね……」
「終わった……俺のデビュー戦……父さん、ごめんなさい」
日本男子二名が泣き崩れている。
美女みたいな顔のイケメン共が座り込み、ポロポロ涙を流してる。
超色白の
「俺、一番滑走が良かった……なんで繋人君が一番なんだよ、そこは後輩に譲ってよ」
「僕も、一番が良かった……ケイト君ずるい……」
りおー君、すざく君、くじの結果だから。俺を睨みつけてもダメだし、そんなことしても現実は何も変わらないんだぞ。
理凰は今回が初めての国際大会で、予選のグランプリシリーズは大善戦だった。それが、最後の最後に最下位になったのはつらいね。最下位は誰でもつらいけど、最初の国際大会って記憶に残るからなぁ。
「もう、すぅ君! けい君に八つ当たりしちゃダメだよ! また次回頑張ろう! オリンピックに向けて、チャンスはまだまだあるんだから!」
と、元気に檄を飛ばす白人美女。タイトなスーツ姿の彼女がうちのクラブのヘッドコーチ。
オリンピックで金メダル獲得経験があって、その他何をやらせても天才なやばい人。
ライリー・フォックス。世界的に有名で、引退後も相当数のファンが残っている。会場で渡されるプレゼントの数は俺達より多い。かなり差がある。
「けい君は改めておめでとう。メダル取れたね。まずは良いスタートが切れて、私もとっても嬉しいよ」
「いや、再スタートしたのは去年じゃ」
「? 君のスタートは国際大会だよ? 言ったじゃない。全日本選手権はアップだと捉えて、気楽に行こうねって」
いや、たしかに言ってたけども。
俺の肩の力を抜くための冗談だと思ってたよ。まさか本気だったのか。だとしたら無理だ。国内最高峰の大会をアップ扱いになんてできるか。
ライリー先生の瞳はいつも通りくりっとしていて、表情は「?」になっている。この人、本気で言ってたんだな。天才の感覚ってやつは俺には理解できません。
「オリンピック行くよ。行ける。だから頑張ろう。雑音は多いけど気にしないで。あんまり鬱陶しい記事が出たら、私が処理してあげるから安心してね」
「処理?」
「ほら、故障癖は治らないとか。ガラスのエースとダイヤのエースは違うんだ、とか」
前者は見たことあるけど、後者は今考えただろ。野球のマンガ読んでたから、多分ダイヤのエースって言いたいだけだ。
おちゃめなのだ、この天才コーチは。
「それじゃ、タイヤのエースでも目指しますか。タイヤ引いてトレーニングしますよ」
「それはダメだよ〜。君はピッチャーじゃないんだから、タイヤを引っ張るのはやめておこうね」
それでいて自由だ。ほんと奔放。乗ったら乗ったで真面目に否定されるし、会話してるとブンブン振り回されてしまう。
「ふー、私も力を……抜けない! それじゃ光ちゃんのところに行ってくるから!」
「ですね。四番滑走、頑張って下さい」
「滑るのは光ちゃんだよー! それじゃまた後でねー!」
ライリー先生は慌ただしく去って行った。
滑走終了した男子達に労いの言葉をかけて、今度は女子の担当選手を全力サポート。今回のファイナルには男女合わせて三人もいるからな……指導してる生徒が。心労半端ないと思う。適当に生きてるように見えて凄い考えてる人だし、ちゃんと眠れてるか心配だ。
「光ちゃん、大丈夫かしら……ちょっと心配なのよね」
胡荒ママがスマホを取り出し、通知をチェックしてからポーチに戻す。
普段に比べると明らかにソワソワしている。心が落ち着かないようだ。
「私が心配性なだけかしら……」
「んー……いや、そういうこともないと思いますよ。シニア初年度。ここまでは期待通りの結果を残してはいますけど、調子は良くないですからね」
ライリー先生率いるスターフォックスFSCのエース、
一年で背が5cmも伸びたのもあって、元々痛めてた腰のコンディションがいまいち。体のキレも物足りなくて、中学生の時と比べると
それでも勝ち続けてるあたり、引き続き化け物であるのは間違いないけど、心配は心配だ。
「ライバルのいのりちゃんとはシニアに上がってからも対戦ある。とはいえ、どれもこれもかなり僅差でしたからね。今回はアメリカのシャロン・リーも復帰してきてるし……」
「ライリー・フォックスの後継者……ね。周りが勝手にそう呼んでるだけとはいえ、滑りはライリー先生の全盛期並みだし。いのりちゃんも入れてバチバチの三つ巴になりそうね」
三つ巴。
その見立ては多くのメディアが報じていた。本当ならそこに京都のすず姫、
選手生命に別状はないということで一安心だが、年内は完全休養を発表している。
****
いのりちゃんは圧巻だった。
一発目で超高難易度、4回転ルッツを見事に決めて、そのままの勢いで最後まで。
演技全体を通して、4回転ジャンプを2本。
加点の着く後半ジャンプにトリプルアクセルを持ってきて、ほぼノーミス。高い技術点を確保し、
ショートとフリーの合計点は脅威の229.75。
金メダルを十分に射程圏内に捉え、二番滑走を終えた。
『構成を変えるわ。金メダルはアメリカのものよ』
三番滑走、アメリカ代表シャロン・リー。
彼女はいのりちゃんとほぼ同じ構成を披露し、
女王の風格と、それに見合った
当然、演技構成点も伸びて総合得点232.63。
三番滑走終了時点で暫定トップ。いのりちゃんの金メダルがあっさり消えた。
『ようこそシニアへ。無敗の女王サン、でも、今はイノリとどっちが強いの?』
入れ替わりでリンクに入る私に、何か言ってたような言ってなかったような。健闘を祈るみたいな雰囲気ではにかんでたのは見えた。
(重い────)
いつかの全日本よりも空気が重くて、あの時よりも会場が狭く感じた。
ケベック・シティーのリンクって、収容人数どれくらいだっけ。
(重くて、グチャグチャしてる、空気が────)
滑走順のあや。序盤から超高得点の応酬。半分終わった時点で、金メダルのラインは
みんな思ってるはずだ。3位から上の順位は、私の結果で決まるって。私より後に滑る人達は、既に上位2人を超えられない。ノルウェーとオーストリアの子はいのりちゃんを上回れない。今はもう、ダリアちゃんも勝てない。
(今日も腕が重い、重い)
シニアに上がってから、思い通りにならないことが一気に増えた。勝ち続けながらも、何か違うという感覚は消えることがなくて、解消できないまま進んできた。でも、私は負けない。
『
理凰やお父さん達の声が聞こえたような、聞こえなかったような。
明らかにこれまでとは違っていた。
感じたことがない苦しみ。追いかける苦しみ。必死こいて追いかけなきゃいけない重圧。
よく、追われる立場の方がしんどいって言われるけど、こと私に関しては楽だった。
「────」
****
「後半一発目のジャンプ、4回転サルコウ。クリーンに降りたね。やっぱ精神力が半端じゃないな……」
凄まじい執念だと思った。
スケーターとして尊敬する。心から。
「で、でも、今の……コンビネーションのつもりだったんじゃ……」
「だろうね。さすが
とりあえず鼻水を拭いて欲しい、と考えてしまう俺は冷たいのだろうか?
観客からの拍手が波のように広がる。しかし、感嘆のそれではない。
至る所から生じている歓声は祈りだ。
「3回転ループ、嘘……繋がらない」
観客席にやって来たいのりちゃんは呆然。明浦路先生は一向に口を開かない。
リンクサイドのライリー先生は、腕組みで眉ひとつ動かさないな。どんな声をかけても無駄だとわかっていて、だからどっしり構えているのかもしれない。
「本当に調子悪いのか……? だったら棄権させた方がいいんじゃっ」
「落ち着け
「あいつは
こらこら、鼻水と唾が飛んできたぞ。お前が完全に熱くなってどうする……って無理もないか。
絶対女王がまさかの陥落。とか、既にネットニュースじゃ記事になってるかもしれない。
一発目の4回転ルッツを派手に転倒。恐らくダウングレード──回転不足として1回転少ないジャンプに減点──も取られた上、二本目のジャンプはサルコウが1回転になった。
さらにはトリプルアクセルの着氷が大きく乱れ、多分アンダーローテーション判定。本来の点数──基礎点の80%に減点されることが濃厚。
GOEと呼ばれる出来栄え点は散々だろう。転倒の場合は問答無用で最低点だ。
総合点は190いけば御の字ってところか。それだと、下手したら6人中最下位になる。
「フリップ、トウループ。うん。最後はちゃんと繋げた。ちょっと怖かったけど、動けなくなるほどの故障もなかった。──仕方ない」
「なんでそんな冷静なんだよ!
理凰は絶賛発狂中だ。幼い頃から家族として一緒に暮らしてた子が、それもずっと勝ち続けた絶対女王がこれだから……仕方ないか。こういう反応になるのも。
むしろ、平然としてる方がどうかと思う。でもね理凰くん、俺だって動揺はしてるんだよ。君とかいのりちゃんとかが凄いことになってるんだから、俺まであたふたしたら収拾つかなくなるでしょ。
それにほら、こちとら大学生だし。内心はどうあれ、それなりに落ち着いた振る舞いをしなきゃいけないのよ。
「終わったか……狼嵜選手、最後はどこを滑ってるのか、わかってなかったんじゃないか」
そんな状態でよく
「でしょうね。気付いたらフェンスが近くに来てて、みたいな感じだったかもしれない。それくらい見えてなかった。でも、勝負を投げなかったから凄い」
1点でも多く取りにいってたのがわかったから、俺は彼女を尊敬するよ。
ずっと無敗なんて無茶なんだから、こういうこともある。コンディション完璧で敵無しだった頃ならともかく、自分の調子も落ちてきてたんだから、仕方ない。
なんとなくどこかで土がつきそうな気はしてたから、個人的には遂に来ちゃったかって感じ。でも、これで今までの功績が消える訳じゃないし、スケーターとしてダメになったわけでもない。
でも、大会後の共同記者会見が心配だな。
あと、これから滑るダリアちゃん。気負いすぎてるのはもう仕方ないから、大きな傷になるような結果にはならないで欲しい。
****
黄金時代の光と影。
明暗くっきりとわかれる────。
そんな記事が新聞の一面になっていたので、その新聞社のことは覚えておこうと思う。ネットニュースではクソみたいな誤字だらけの記事を上げてやがったし、内容もキングオブザカスだったからね。指摘するにしても精神論じゃなくて、技術的なことを書け!
表情が暗いとかどうでもいいわ。闘志が感じられないとか、明るくメラメラしてりゃいいってもんじゃないんですよ。
「胡荒さん、俺、今から中央文芸に殴り込んできます。え、何この記事。まずいですって、やばいほんとどうしよう」
「う、うーん……困ったわね。切り抜きって本当に悪質よね」
帰国した日の翌日。
朝! 俺はスマホを握りしめて震えていた。
デカデカと画面に表示されている記事のタイトルは、『日本代表内で不穏な空気。雨取選手、引退示唆は逃げてるだけだと一刀両断!』。やばいなんだこれ。
「切り抜きと捏造だ! あーもう……ポロッと喋っちゃった自分が恨めしい!」
原因は帰国した日の出来事だ。
しつこい記者にまとわりつかれて、女子シングルの烏羽ダリアちゃんについて聞かれたのだ。
大崩れした狼嵜光を下回り、5位に終わったことについて、ダリアちゃんはこう言ったらしい。
その記者によれば、ここまで不甲斐ない成績なら進退を考えないといけない。年齢的にも身を引くことも視野に入れている──と話していたそうだが、多分捏造だ。あの人、そんなタマじゃない。とても気立てが良くて優しい人だけど、スケートに関しては俺より頑固だ。
話を改ざんしてるってことはすぐにわかったんだけど、あんまりにもしつこいから……言っちゃったんだよな。
──『このタイミングで引退を示唆するのは逃げでしょう。あの人も、俺も、そう思ってますよ。だからないですね。メディアに向かってそんな弱気発言するとか、有り得ないんで』
と、吐き捨てた。
その結果、なんかこんなことになった。
『引退を示唆するのは逃げ。弱気を表に出すことはスケート選手としていかがなものか。雨取選手からは、そんな内心が感じられた。普段からあまり仲の良くない印象の二人だが、ジュニア時代までは同じクラブで切磋琢磨していた間柄。長所も短所も知っているはずだ。だからこそ、有り得ないという怒りの発言になったのかもしれない──』
あー、もうダメだ。
俺、ダリアちゃんファンに殺されるかも。流石に本人は真に受けたりはしないだろうけど
「け、けい君!
嘘だろ殴り込んできやがった。
ライリー先生は真っ青だ。てか時間がおかしい、時間が。まだ9時過ぎなんだけど、何時に岡山を出てきたんだ!?
烏羽ダリアは岡山在住。
拠点を変えることも考えているようだが、いつになるかはわからないとのこと。
「ロビーで待ってもらってるけど、目が据わっててやばいよ! なんか旦那に浮気されて隠し子作られたみたいな顔になってる! 先週ドラマで見たやつ!」
「俺、刺殺されるじゃないですか! ああもうっ、光ちゃんは
「私に言われても困るよ! いいから早く対応して! 暴れだしそうな雰囲気でフーフー言ってるから! まあそりゃあフーフー言うよね! 弱ってるところに信頼してる人に罵倒されたら! それも週刊誌を通してとか最悪のサイアクだよ!」
「捏造と切り抜きなんですって! わかりましたよ話し合ってきます!」
クソ週刊誌、絶対に許さない。
俺は殴り込むことを決めた。今日。