スケート女子達は怖い   作:タリーズさん

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 世界中を転戦し、全6戦が行われるグランプリシリーズ。

 それはフィギュアスケートの国際大会である。

 選手達が出場できるのは最大2大会まで。

 順位に応じたポイントが付与され、上位6名のみが世界一決定選──グランプリファイナルへと進出できる!

 開催時期はグランプリシリーズ(GPS)が10月から11月。現在は12月上旬であり、GPSは既に終了済み。本日はグランプリファイナルの3日目である。

 

 

「お、降りた……すごっ、すごかったですよ(つかさ)先生!」

 

 ウォームアップエリアで準備を進めていた少女が、モニターの前で目を見開く。

 キュートとカッコイイが同時発生していると評判の人気選手、結束(ゆいつか)いのり。現在は高校三年生だ。女子シングル日本代表として大きな期待を背負っている。

 

「四回転ルッツから入った……よしよし。完璧じゃないか。一番滑走は緊張したと思うけど、ちゃんといつも通りできてて偉いぞ!」

 

 いのりの隣で燃えているのはマッチョマン。ボディビルダーでもスーパーヒーローでもなく、フィギュアスケートのコーチである。

 

「全員でメダルを取って帰ろう。それがコーチ全員で立てた誓いだから、まずは頑張れ雨取(あまとり)選手!」

 

 彼の名は明浦路(あけうらじ)(つかさ)。高身長マッチョだが、驚くほど綺麗なスケーティングができるコーチである。

 この時、いのりは思っていた。

 全員メダルはルール上不可能だけど、盛り上がってるし邪魔しないでおこう、と。

 

(久しぶりの国際大会なのに、凄いなぁ……ああっ転ん……でない! こらえた!)

 

 今は男子の滑走が始まったところ。

 トップバッターは日本代表。

 男子シングルの雨取(あまとり)繋人(けいと)

 あっさりとした顔立ちの大学生で、昨年結果を出したことで国際舞台に帰ってきた。故障もあって二年ほど競技を離れていた経歴があり、去年までいのりは彼の存在を知らなかった……。

 

 

『──トリプルサルコウが雑になりましたねー。もったいない! いつも通り淡々とやればいいんですけど、熱くなってますね。後で叱っておきます、ははは』

 

 テレビの中では、解説の元選手が手痛いダメ出しをしている。いのりは思わず空笑いが出た。テレビに流れてるのに手厳しいなぁと。

 

「ウンウン、オッケオッケー! このままジャンプは全て降りよう、丁寧に! メダル狙えるぞ! 狙おう! 久しぶりの国際大会は思い出に残るよ! ああでも、最後にトリプルアクセルは心配だなぁ!」

「つかさ先生、司先生。みんな見てます。落ち着きましょう、ね?」

「とても落ち着いていられないよ! 苦労人なんだ彼は! 二年のブランクがあったのに完全復活して、しっかり結果を出して頑張ってるんだ! ちゃんと応援しないと!」

「……」

 

 司の主張には全面的に同意するが、恥ずかしいから声のトーンを落として欲しい。

 何年経ってもこの人は変わらないなぁ、と謎に懐かしみ始めるいのりであった。

 

「……なんか、雨取君って誰かに似てるような……?」

「ああ、言われてみれば……顔が夜鷹(よだか)(じゅん)に似てるような?」

 

 司が名前を出した夜鷹純とは、日本のみならず世界に名を轟かせた、伝説のスケーターである。かつてはいのりのライバル、狼嵜(かみさき)(ひかる)のコーチをしていたこともある。

 現在は行方不明だが、光によれば「生きてはいると思う」──とのこと。

 夜鷹純は表情に乏しいものの、端正な顔立ちの男性だ。対して雨取繋人の顔は、あんまり似ていない。司はどこを見て、似ていると思ったのだろうか。

 

「司先生、顔じゃないです。滑り方っていうか、エッジの使い方? あと指先の動きとか、ちょいちょい誰かと被るような……」

「うーん……夜鷹純ではないな」

「夜鷹さんに似てるのは、司先生くらいだと思います。私が知ってる中ではですけど」

 

 仲良くお喋りをしている間にも、演技は終わりに向かっていく。トリプルアクセルをどうにか降りて、ジャンプは全て転倒なし。最後は無難にスピンを決めて、完走。

 総合得点292.08。

 金メダルすら射程圏内の高得点を叩き出した。アナウンスが場内に流れる中、次の選手が失笑しているの姿をカメラが捉える。うん、そういう反応になるのはわかるなぁと、いのりは二番滑走に同情──共感したのだった。

 

 

 ***

 

 

「うわっ、もう抜かれた……世界はやっぱり厳しいな。自己ベストだったのに」

 

 俺は早々に席を立った。暫定1位が座ることができる特等席、キス・アンド・クライ。

 名前の由来はロマンチックなもので、演技を終えた選手とコーチが採点を待つ間、喜びでキスを交わしたり、結果が悪くて泣いたりする場所──なのでキス・アンド・クライ。俺はコーチとチューしたことないし、結果が悪くて号泣したこともない。

 泣くのはともかく熱いキスはまずいだろと思う。そんなことしたら週刊誌に何を書かれるか、想像しただけでも恐ろしい。

 

「まだ座っていてもいいのに。随分、淡々としてるわね……最近の大学生ってこんな感じなのかしら」

 

 今、付き添ってくれてるのは()()()だしね。

 キスなんてしたら完全アウトだ。俺は社会的に抹殺されてしまうだろう。

 

「最近の大学生って、胡荒(こあら)さんの時はどんなんだったんですか? 数年前ですよね?」

「数年前だったら嬉しいわねー。何年前か知りたいなら、亜子(あこ)の年齢から逆算してね」

 

 隣を歩く胡荒さんは美魔女である。数年前まで大学生、と言っても通用しそうな若々しさだ。男子選手の中では可愛いと評判になっていて、ガチめなファンが何人かいるほど。

 彼女はヘッドコーチではない。うちのヘッドコーチ──俺の担当コーチは仕事が残っているので、アシスタントコーチの胡荒さんが付き添ってくれている。

 

「亜子ちゃんは今年で18だから……」

「私の顔を見ながら数えるのはやめてね?」

 

 にっこり釘を刺されたので、俺は答え合わせを断念した。凄い圧を感じたからだ。

 ハタチで産んだとしても、もう38か……。裕福な家庭だから色んなケアとかしてるんだろうけど、それにしたって若すぎるぞ。見た目が。

 

「どうするの? クールダウンは終わってるけど、このまま観客席に行く?」

「そうします。次は日本のエースの登場ですし」

 

 リンクのある場内に出ると、冷たい空気の中にあって熱気を感じた。満員御礼。乾いた拍手の音と共に、日本選手が滑走開始位置に向かっていく。

 すらりとした長身の二十三歳、今年はじめのオリンピックで世界王者に輝いた、日本のエース。

 城山(しろやま)(いつき)

 黄色い歓声は多分、俺の時の倍以上なんじゃないだろうか。彼はとにかくモテる。メディアの取り扱いはほぼアイドル。その甘いマスクで数多の女性ファンを虜にしているが、既婚者である。いきなり学生結婚して、当時はえらい騒ぎになっていた。

 

「いつき君がんばれー!」

「いっくーん!」

「イツキ、ファイト! イェー!」

「がんばれよー! お前ならやれる! 来られなかった町のみんなも見てるからなー!」

 

 そして彼の凄いところは、女性ファンと同じくらい、男性ファンからも人気があることだ。しかも国籍は問わず。地元、北海道では帰省する度にパレードが開かれるか、そうでなくても大きな騒ぎが起こっている。

 飛べないジャンプは()()

 本番でノーミスでいけるかはともかく、練習では全ての4回転を成功させているヤバい人だ。お願いだから5回転はやめてくれとビビりながらも、見てみたいと思ってしまう気持ちもある。

 

 

 ──イツキ、シロヤマ。ジャパーン!

 

 場内アナウンスと同時に静まり返り、次の瞬間どっと湧く。全ての方向から拍手が起こる。

 城山さんは余裕の表情でその時を待ち、すぐに音楽が始まった。

 神秘的な低音から始まる『火の鳥』。

 チェロとコントラバスに低音和音が混ざり合い、幻想空間が幕を開けた。

 ゆるやかに動くしなやかな体。しかし滑走速度はあっという間に最高まで。まるで氷に吸い付いているような靴の(ブレード)。土の上でそうするような自然なステップ。

 直後に全面への滑走、からの飛翔。

 そう、飛翔だ。

 

「トリプルアクセル、からの4回転サルコウ」

 

 初手は難易度の高いトリプルアクセル。間に1回転のオイラージャンプを挟んで、4回転サルコウに繋げる。力感なし。軽い。簡単に飛び上がる体は、重力を感じさせない。背中に羽が生えているみたいだ。

 

「パリ大会の時と同じね。次は安全ジャンプかしら」

「いや、あの軌道は……」

 

 指揮者のように優雅に腕を振りながら、背面滑走。

 左足を軸にした、S字を連想させる緩やかなカーブ。そして反時計回り、滑ってきた方向とは逆向きに体がねじれる。

 

「ちょっとちょっと……嘘でしょ、ルッツ?」

「4回転。クリーンに降りましたね。これ300点超えるな……凄い、凄いけども! ()()()!」

 

 俺は複雑な感情に襲われた。

 純粋にすげーっていう感動と、勝てるかこんなんっていう名状しがたいモヤモヤと、あとは国際スケート連盟に対する不満!

 今回の大会では、フリープログラムの滑走順を()()()()にする、という試みが実施された。

 フィギュアスケートはショートプログラムとフリープログラム、二度の滑走の合計点で順位を競う。演技時間はショートとフリー、それぞれ2分50秒と4分だ。構成の縛りが多いショートプログラムを先に、時間が長くジャンプも多いフリーが後。そして、フリーの滑走順は、ショートプログラムの順位の下から始まる──はずだった。

 

「大トリでいいだろ、こんな化け物は……そうじゃなくても後ろに回ってくださいお願いだから」

「そうねぇ……なんでまた、連盟はくじ引きなんかにしたのかしら。はっきり言って迷惑だし、残ってる子達が可哀想……」

 

 残りは日本男子が二名とアメリカ代表が一名。会場の空気は既にフィナーレを迎えている。

 こんな雰囲気の中で滑らなきゃいけないのは、あんまりじゃないだろうか。ショートの順位順でこうなったのならともかく、くじ引きでこれは……ちなみに最終滑走はショート最下位なんだけど大丈夫? 

 

「偉い人達って、たまにろくでもないことしますよね。思いつきとしか思えないんですけど、大人としてはまた違った見方があったり?」

「世の中、そんなものよ……って感じね」

 

 胡荒ママは身も蓋もないことを言った。

 そうこうしている間に演技は最後のジャンプを迎え、なんと4回転サルコウ。コンビネーションでトリプルアクセルに繋げた。

 あー、はいはい神カミ。

 現実離れしたものを見せつけられて、俺は魂が抜けた。四番滑走の日本男子、可愛い後輩の(ひよどり)君は青ざめてた。かわいそうに。

 

 

 ****

 

 

「神は、死んだんだね……」

「終わった……俺のデビュー戦……父さん、ごめんなさい」

 

 日本男子二名が泣き崩れている。

 美女みたいな顔のイケメン共が座り込み、ポロポロ涙を流してる。

 超色白の(ひよどり)朱蒴(すざく)と眼鏡系美男子の鴗鳥(そにどり)理凰(りおう)。日本が誇る鳥さんコンビは、今は翼をもがれて雨に打たれて、更に酷いことをされたような雰囲気である。見ていてこっちまで暗くなるほど、悲壮感が凄い。

 

「俺、一番滑走が良かった……なんで繋人君が一番なんだよ、そこは後輩に譲ってよ」

「僕も、一番が良かった……ケイト君ずるい……」

 

 りおー君、すざく君、くじの結果だから。俺を睨みつけてもダメだし、そんなことしても現実は何も変わらないんだぞ。

 理凰は今回が初めての国際大会で、予選のグランプリシリーズは大善戦だった。それが、最後の最後に最下位になったのはつらいね。最下位は誰でもつらいけど、最初の国際大会って記憶に残るからなぁ。

 

「もう、すぅ君! けい君に八つ当たりしちゃダメだよ! また次回頑張ろう! オリンピックに向けて、チャンスはまだまだあるんだから!」

 

 と、元気に檄を飛ばす白人美女。タイトなスーツ姿の彼女がうちのクラブのヘッドコーチ。

 オリンピックで金メダル獲得経験があって、その他何をやらせても天才なやばい人。

 ライリー・フォックス。世界的に有名で、引退後も相当数のファンが残っている。会場で渡されるプレゼントの数は俺達より多い。かなり差がある。

 

「けい君は改めておめでとう。メダル取れたね。まずは良いスタートが切れて、私もとっても嬉しいよ」

「いや、再スタートしたのは去年じゃ」

「? 君のスタートは国際大会だよ? 言ったじゃない。全日本選手権はアップだと捉えて、気楽に行こうねって」

 

 いや、たしかに言ってたけども。

 俺の肩の力を抜くための冗談だと思ってたよ。まさか本気だったのか。だとしたら無理だ。国内最高峰の大会をアップ扱いになんてできるか。

 ライリー先生の瞳はいつも通りくりっとしていて、表情は「?」になっている。この人、本気で言ってたんだな。天才の感覚ってやつは俺には理解できません。

 

「オリンピック行くよ。行ける。だから頑張ろう。雑音は多いけど気にしないで。あんまり鬱陶しい記事が出たら、私が処理してあげるから安心してね」

「処理?」

「ほら、故障癖は治らないとか。ガラスのエースとダイヤのエースは違うんだ、とか」

 

 前者は見たことあるけど、後者は今考えただろ。野球のマンガ読んでたから、多分ダイヤのエースって言いたいだけだ。

 おちゃめなのだ、この天才コーチは。

 

「それじゃ、タイヤのエースでも目指しますか。タイヤ引いてトレーニングしますよ」

「それはダメだよ〜。君はピッチャーじゃないんだから、タイヤを引っ張るのはやめておこうね」

 

 それでいて自由だ。ほんと奔放。乗ったら乗ったで真面目に否定されるし、会話してるとブンブン振り回されてしまう。

 

「ふー、私も力を……抜けない! それじゃ光ちゃんのところに行ってくるから!」

「ですね。四番滑走、頑張って下さい」

「滑るのは光ちゃんだよー! それじゃまた後でねー!」

 

 ライリー先生は慌ただしく去って行った。

 滑走終了した男子達に労いの言葉をかけて、今度は女子の担当選手を全力サポート。今回のファイナルには男女合わせて三人もいるからな……指導してる生徒が。心労半端ないと思う。適当に生きてるように見えて凄い考えてる人だし、ちゃんと眠れてるか心配だ。

 

「光ちゃん、大丈夫かしら……ちょっと心配なのよね」

 

 胡荒ママがスマホを取り出し、通知をチェックしてからポーチに戻す。

 普段に比べると明らかにソワソワしている。心が落ち着かないようだ。

 

「私が心配性なだけかしら……」

「んー……いや、そういうこともないと思いますよ。シニア初年度。ここまでは期待通りの結果を残してはいますけど、調子は良くないですからね」

 

 ライリー先生率いるスターフォックスFSCのエース、狼嵜(かみさき)(ひかる)。幼少期から出場した全ての大会で金メダルを取り続けてきた化け物……なのだが、多分、今が一番調子が悪い。

 一年で背が5cmも伸びたのもあって、元々痛めてた腰のコンディションがいまいち。体のキレも物足りなくて、中学生の時と比べると()()()感じに見えるんだよな。

 それでも勝ち続けてるあたり、引き続き化け物であるのは間違いないけど、心配は心配だ。

 

「ライバルのいのりちゃんとはシニアに上がってからも対戦ある。とはいえ、どれもこれもかなり僅差でしたからね。今回はアメリカのシャロン・リーも復帰してきてるし……」

「ライリー・フォックスの後継者……ね。周りが勝手にそう呼んでるだけとはいえ、滑りはライリー先生の全盛期並みだし。いのりちゃんも入れてバチバチの三つ巴になりそうね」

 

 三つ巴。

 その見立ては多くのメディアが報じていた。本当ならそこに京都のすず姫、鹿本(かもと)すずがくい込んでくるはずだったが、前回のパリ大会で負傷退場。

 選手生命に別状はないということで一安心だが、年内は完全休養を発表している。

 

 

 ****

 

 

 いのりちゃんは圧巻だった。

 一発目で超高難易度、4回転ルッツを見事に決めて、そのままの勢いで最後まで。

 演技全体を通して、4回転ジャンプを2本。

 加点の着く後半ジャンプにトリプルアクセルを持ってきて、ほぼノーミス。高い技術点を確保し、演技構成点(PCS)も高得点をマークした。

 ショートとフリーの合計点は脅威の229.75。 

 金メダルを十分に射程圏内に捉え、二番滑走を終えた。

 

 

『構成を変えるわ。金メダルはアメリカのものよ』

 

 三番滑走、アメリカ代表シャロン・リー。

 彼女はいのりちゃんとほぼ同じ構成を披露し、()()()()だった。それだけではなく、誰が見てもいのりちゃんより余裕があった。

 女王の風格と、それに見合った()()()()()()()()高レベルな演技。計算され尽くした視線送りと観客へのアピール。自分こそが頂点だと信じて疑わない絶対的な自信が、会場を染めた。支配した。

 当然、演技構成点も伸びて総合得点232.63。

 三番滑走終了時点で暫定トップ。いのりちゃんの金メダルがあっさり消えた。 

 

 

『ようこそシニアへ。無敗の女王サン、でも、今はイノリとどっちが強いの?』

 

 

 入れ替わりでリンクに入る私に、何か言ってたような言ってなかったような。健闘を祈るみたいな雰囲気ではにかんでたのは見えた。

 

 

(重い────)

 

 

 いつかの全日本よりも空気が重くて、あの時よりも会場が狭く感じた。

 ケベック・シティーのリンクって、収容人数どれくらいだっけ。

 

(重くて、グチャグチャしてる、空気が────)

 

 滑走順のあや。序盤から超高得点の応酬。半分終わった時点で、金メダルのラインは()()()()()()()の得点。

 みんな思ってるはずだ。3位から上の順位は、私の結果で決まるって。私より後に滑る人達は、既に上位2人を超えられない。ノルウェーとオーストリアの子はいのりちゃんを上回れない。今はもう、ダリアちゃんも勝てない。 

 

(今日も腕が重い、重い)

 

 シニアに上がってから、思い通りにならないことが一気に増えた。勝ち続けながらも、何か違うという感覚は消えることがなくて、解消できないまま進んできた。でも、私は負けない。

 

 

(ひかる)、頑張れ! ──』

 

 理凰やお父さん達の声が聞こえたような、聞こえなかったような。

 明らかにこれまでとは違っていた。

 感じたことがない苦しみ。追いかける苦しみ。必死こいて追いかけなきゃいけない重圧。

 よく、追われる立場の方がしんどいって言われるけど、こと私に関しては楽だった。

 

 

「────」

 

 ()は聞こえる。でも音楽にならない。何かがズレた嫌な感覚のまま、4分間が始まった。

 

 

 ****

 

 

「後半一発目のジャンプ、4回転サルコウ。クリーンに降りたね。やっぱ精神力が半端じゃないな……」

 

 凄まじい執念だと思った。

 スケーターとして尊敬する。心から。

 

「で、でも、今の……コンビネーションのつもりだったんじゃ……」

「だろうね。さすが理凰(りおう)、よく見てる」

 

 とりあえず鼻水を拭いて欲しい、と考えてしまう俺は冷たいのだろうか?

 観客からの拍手が波のように広がる。しかし、感嘆のそれではない。

 至る所から生じている歓声は祈りだ。()()()()()()()()()()──そんな祈りが込められた、悲鳴にも近い歓声。

 

「3回転ループ、嘘……繋がらない」

 

 観客席にやって来たいのりちゃんは呆然。明浦路先生は一向に口を開かない。

 リンクサイドのライリー先生は、腕組みで眉ひとつ動かさないな。どんな声をかけても無駄だとわかっていて、だからどっしり構えているのかもしれない。

 

「本当に調子悪いのか……? だったら棄権させた方がいいんじゃっ」

「落ち着け理凰(りおう)。あの子、ちゃんと攻めてる。あとジャンプ一本。大丈夫、完走できるさ」

「あいつは()()()だぞ! 滑り切ったからそれで頑張りましたって、そんなんで納得出来るわけないだろ!」

 

 こらこら、鼻水と唾が飛んできたぞ。お前が完全に熱くなってどうする……って無理もないか。

 絶対女王がまさかの陥落。とか、既にネットニュースじゃ記事になってるかもしれない。

 一発目の4回転ルッツを派手に転倒。恐らくダウングレード──回転不足として1回転少ないジャンプに減点──も取られた上、二本目のジャンプはサルコウが1回転になった。

 さらにはトリプルアクセルの着氷が大きく乱れ、多分アンダーローテーション判定。本来の点数──基礎点の80%に減点されることが濃厚。

 GOEと呼ばれる出来栄え点は散々だろう。転倒の場合は問答無用で最低点だ。

 総合点は190いけば御の字ってところか。それだと、下手したら6人中最下位になる。

 

「フリップ、トウループ。うん。最後はちゃんと繋げた。ちょっと怖かったけど、動けなくなるほどの故障もなかった。──仕方ない」

「なんでそんな冷静なんだよ! 繋人(けいと)君は同じクラブの後輩だろ!‍?」

 

 理凰は絶賛発狂中だ。幼い頃から家族として一緒に暮らしてた子が、それもずっと勝ち続けた絶対女王がこれだから……仕方ないか。こういう反応になるのも。

 むしろ、平然としてる方がどうかと思う。でもね理凰くん、俺だって動揺はしてるんだよ。君とかいのりちゃんとかが凄いことになってるんだから、俺まであたふたしたら収拾つかなくなるでしょ。

 それにほら、こちとら大学生だし。内心はどうあれ、それなりに落ち着いた振る舞いをしなきゃいけないのよ。

 

「終わったか……狼嵜選手、最後はどこを滑ってるのか、わかってなかったんじゃないか」

 

 そんな状態でよく()()()()、と明浦路先生は言った。沈痛な顔で。小学生の頃から知ってる子だから、担当生徒じゃなくても心が痛いんだろう。いや、この人の場合は選手はみんなガンバレ、その上でいのりさんが優勝! って感じだから、誰がああいうことになっても心を痛めそうだ。

 

「でしょうね。気付いたらフェンスが近くに来てて、みたいな感じだったかもしれない。それくらい見えてなかった。でも、勝負を投げなかったから凄い」

 

 1点でも多く取りにいってたのがわかったから、俺は彼女を尊敬するよ。

 ずっと無敗なんて無茶なんだから、こういうこともある。コンディション完璧で敵無しだった頃ならともかく、自分の調子も落ちてきてたんだから、仕方ない。

 なんとなくどこかで土がつきそうな気はしてたから、個人的には遂に来ちゃったかって感じ。でも、これで今までの功績が消える訳じゃないし、スケーターとしてダメになったわけでもない。

 でも、大会後の共同記者会見が心配だな。

 あと、これから滑るダリアちゃん。気負いすぎてるのはもう仕方ないから、大きな傷になるような結果にはならないで欲しい。

 

 

 ****

 

 

 黄金時代の光と影。

 明暗くっきりとわかれる────。

 そんな記事が新聞の一面になっていたので、その新聞社のことは覚えておこうと思う。ネットニュースではクソみたいな誤字だらけの記事を上げてやがったし、内容もキングオブザカスだったからね。指摘するにしても精神論じゃなくて、技術的なことを書け!

 表情が暗いとかどうでもいいわ。闘志が感じられないとか、明るくメラメラしてりゃいいってもんじゃないんですよ。

 

 

「胡荒さん、俺、今から中央文芸に殴り込んできます。え、何この記事。まずいですって、やばいほんとどうしよう」

「う、うーん……困ったわね。切り抜きって本当に悪質よね」

 

 帰国した日の翌日。

 朝! 俺はスマホを握りしめて震えていた。

 デカデカと画面に表示されている記事のタイトルは、『日本代表内で不穏な空気。雨取選手、引退示唆は逃げてるだけだと一刀両断!』。やばいなんだこれ。

 

「切り抜きと捏造だ! あーもう……ポロッと喋っちゃった自分が恨めしい!」

 

 原因は帰国した日の出来事だ。

 しつこい記者にまとわりつかれて、女子シングルの烏羽ダリアちゃんについて聞かれたのだ。

 大崩れした狼嵜光を下回り、5位に終わったことについて、ダリアちゃんはこう言ったらしい。

 その記者によれば、ここまで不甲斐ない成績なら進退を考えないといけない。年齢的にも身を引くことも視野に入れている──と話していたそうだが、多分捏造だ。あの人、そんなタマじゃない。とても気立てが良くて優しい人だけど、スケートに関しては俺より頑固だ。

 話を改ざんしてるってことはすぐにわかったんだけど、あんまりにもしつこいから……言っちゃったんだよな。

 

 

 ──『このタイミングで引退を示唆するのは逃げでしょう。あの人も、俺も、そう思ってますよ。だからないですね。メディアに向かってそんな弱気発言するとか、有り得ないんで』

 

 と、吐き捨てた。

 その結果、なんかこんなことになった。

 

 

『引退を示唆するのは逃げ。弱気を表に出すことはスケート選手としていかがなものか。雨取選手からは、そんな内心が感じられた。普段からあまり仲の良くない印象の二人だが、ジュニア時代までは同じクラブで切磋琢磨していた間柄。長所も短所も知っているはずだ。だからこそ、有り得ないという怒りの発言になったのかもしれない──』 

 

 

 あー、もうダメだ。 

 俺、ダリアちゃんファンに殺されるかも。流石に本人は真に受けたりはしないだろうけど

 

「け、けい君! ()()()()()()()()() なんかすっごい怒ってるけど!」

 

 嘘だろ殴り込んできやがった。

 ライリー先生は真っ青だ。てか時間がおかしい、時間が。まだ9時過ぎなんだけど、何時に岡山を出てきたんだ!‍?

 烏羽ダリアは岡山在住。

 拠点を変えることも考えているようだが、いつになるかはわからないとのこと。

 

「ロビーで待ってもらってるけど、目が据わっててやばいよ! なんか旦那に浮気されて隠し子作られたみたいな顔になってる! 先週ドラマで見たやつ!」

「俺、刺殺されるじゃないですか! ああもうっ、光ちゃんは()()()()()()()()なってるし、次から次へとなんなんですかこれ!」

「私に言われても困るよ! いいから早く対応して! 暴れだしそうな雰囲気でフーフー言ってるから! まあそりゃあフーフー言うよね! 弱ってるところに信頼してる人に罵倒されたら! それも週刊誌を通してとか最悪のサイアクだよ!」

「捏造と切り抜きなんですって! わかりましたよ話し合ってきます!」

 

 クソ週刊誌、絶対に許さない。

 俺は殴り込むことを決めた。今日。

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