なんだかんだで男女ですので 作:タリーズさん
天才。神童。フィギュアスケートの申し子。可愛くない言い方をすると化け物。ノービスA──その年の7月1日時点で11歳から12歳のクラス──時代に4回転ルッツを成功させた怪物。
ルッツジャンプって基本的に飛びにくい。
俺みたいに
「
「また? なんで俺なの。別にいいけど録画映像を見直せばいいじゃない」
「なんでって質問に対しての答えは、私よりあなたの方が
「ピカるんは注文が多い」
「あのさぁ、思ったんだけどピカるんってなんかやだ。ピカチュウみたいじゃん」
「ピカチュウは『かみつく』は覚えないから」
狼嵜光はクラブメイトだ。
うちのクラブは専用リンクがあることもあって、一緒に練習する機会が結構多い。みんなで一緒に氷に乗ることは少ないけど、ピカるんとは同じ時間に練習することが多いな。参考になることが多いとかで一方的に付きまとわれている。
「喋ってないで早く。言いふらすよ、ダリアちゃんとえっちなことしてたって」
「そのポニーテール適当に結んであげようか?」
「あはは、暴力反対ー」
ピカるんはケラケラ笑いながら、リンクの反対方向に滑っていく。シルエットが黒い。髪の毛、トレーニングウェア、手袋、全て黒い。深夜に鉢合わせたら不審者と勘違いしてしまいそうだ。
「はやく!」
「ちょっと待ちなさいって。もう少しアップしとかないと。怖い。怪我しそうで」
「それはそうだね。うん。ちょっと体重そうだし、普段より時間かけた方がいいと思うよ」
狼嵜光はとても
調子の良し悪しを瞬時に言い当ててくる。なんだったら俺自身より見極めが鋭い。愛情パワーとかではなく誰に対してもそうだ。何度もスケーティングを見ている相手であれば、かなり的確に見極めてくる。
たとえば
「そういえばさー、
「城山さんがそんなこと言うか! 怒ってたのは事実みたいだけど、チキンとか言わないだろあの人は……愛妻家だし」
「愛妻家は関係なくない?」
「うん……全く関係ないな」
城山さん──
俺には直々にお叱りの連絡が来て、一時間くらい説教されたよ。目をかけてくれるのは嬉しいけど、過大評価な感があるのは否めない。
──『いつまでも俺がいるわけじゃないんだぞ。まずはお前が突き抜けてこないと、日本男子が冬の時代に入りかねない』
全日本後はそんなことを仰っておられた。
普段とは異なる、珍しい発破のかけ方だった。いつもなら『俺が勝つのは決まっているが』とか言うのに。日本のエースは自他ともに認めるナルシストである。
「ふぅ……よしよし、いい子だ」
よくよくストレッチしてからガンガン滑って、泊まると汗が吹き出してきた。フェンス際で呼吸を整えがてら、ピカるんではなく足を撫でる。
特に右脚の方を。中学三年の時は全く言うことを聞いてくれなかったが、高校以降は今のところ最悪な状態にはなっていない。ひやりとする痛みは何回もあったが致命傷にはならず。今日は微妙かと思ったけど動いてたらいい感じになってきた。だから『いい子』だ。
「大丈夫だとは思うけど、潰れないでね?」
「約束はできないな。約束できるといいんだけどね」
「
「どこが似てるのか俺には全くわからない。参考にしたことすらないんだけどなぁ」
日本のみならず世界中で有名な伝説のスケーター、夜鷹純。ピカるんは俺の滑りは限りなく近いって言うけど、自覚ゼロ。純粋にわからん。
「わからなくても、私が言うんだから似てるんだよ。それにさ、あなたの人生的にも今潰れるのはまずいでしょ。復讐できなくなるよ?」
「俺がいつ、誰に復讐したいと言った。物騒なこと言わないでよ……俺はピカるんみたいに好戦的じゃないし、ムカいたら噛み付くような野生児でもないの」
「あはは! 噛みちぎるよ?」
「開き直って歯を見せてくるのやめろ」
まったく……アイドル的存在の狼嵜光が実は凶暴だとか、ファンが知ったらどう思うか。
狼嵜光は野性的な一面があって、結構好戦的でもある。ゴキブリを素手で抹殺するし、アライグマを振り回して気絶させたこともある。前者はともかく後者は危ないから二度とするなと怒ったよ。主に衛生的な意味で、アライグマを素手はまずい。まあ、ゴキブリだからオッケーってわけじゃないけども。
「気乗りしないなら、先にルッツ見せてあげようか」
「やりたいならどうぞ、女王様」
仰々しく手を向けてやると、光ちゃんは小さく鼻を鳴らして氷を蹴った。
黒いウェアが銀盤の上を滑走していく。トップスピードに乗るのが恐ろしく早い。昔ほどの軽さは感じられないものの、技術力にしても体のバネにしても紛うことなき一級品。
(ファイナルでは転倒。全日本では着氷乱れた。一番良かったのは、ノービスからの推薦で全日本ジュニアに出た時か。生では見てないけど、あれは凄かった)
あの頃は何か、見えない力があの子を引っ張りあげているようだった。
落ちてこない。観客がそんな錯覚をおぼえるほどにジャンプが高く見えたし、軽かった。
今は重いというか、重苦しいというか。見ている側はそういう印象を抱きがちだ。当時に比べるとジャンプの高さは伸びてるはずなんだけど、ね。
「いい感じ、よく見てて!」
「見てるから、好きなように飛びな」
左足のアウトサイドエッジが氷を捉え、後ろ向きに大きな弧を描き始めた。
あれがルッツの助走。
滑っていくカーブとは『逆』の方向へ、これから体をねじ切らなければならない。普通なら遠心力と喧嘩するその動作は重く、エッジがすっぽ抜ける恐怖も伴う。
力みたくなるところだが、力感は……あるな。
ただし、助走から踏切まで、タイミングは完璧。
──ガツッ! 氷を穿つ音がした。
乾いた破裂音を合図に、黒いシルエットが力強く跳ね上がった。相反するベクトルがぶつかり合う強烈な負荷を、彼女は完璧なボディコントロールで上への推進力に変換している。
空中で腕を引き寄せて、回る。
細い回転軸で四回、回る。
「────っし」
「おー、久しぶりに綺麗に降りた。いや、本当に綺麗に決まったな」
シュッ、と右足のアウトサイドエッジが柔らかく氷を撫でる。
まるで重力など初めから存在しなかったかのような、滑らかで音のない着氷。片足をすっと伸ばし、流れるように滑って、ステップを踏んで止まる。
光ちゃんは黒い手袋で頬の汗を拭うと、「じゃあ交代」と口角を上げた。
「私、ちょっとあがってきたみたい。4回転全部勝負しよう」
「しません。落ち着け狂犬」
「犬扱いとかひどいなぁ。噛み付くよ?」
「やっぱり狂犬じゃねーか」
いや、狼嵜だから犬じゃなくて狂狼か。
んなこたぁどーだっていいけど、機嫌が良さそうで何より。SNSが荒らされてたことにはまだ気づいていなそうだけど、いつ、どのタイミングで教えてあげるべきか。迷いながらルッツ飛んだ。
***
小学一年生、野球!
半年で上手くなれなかったから引退!
次、サッカー!
最初の試合で下手くそだったから、引退!
次、空手!
背が伸びなかったから、引退!
小学校三年生で水泳を始めさせられ、溺れたから引退!
次、柔道! 次、テニス! 次、剣道! などなど、色んなスポーツを手当たり次第にやらされて、短期間で上手くなれなきゃ金の無駄、引退!
最初からそこそこできたフィギュアスケートは続けられることになり、同じクラブにいたダリアちゃんと結婚したかったから頑張った。我ながら気色が悪い理由だが、モチベーションになってたから結果オーライということで。黒歴史なのは間違いない。でも大丈夫だ。死にたくなる度に結果オーライと唱えることで、精神の均衡を保っている。
「気持ち悪くはありませんが、昔からそういう目で見られていたのかと思うと、やや複雑な気持ちに……」
「おい狼嵜、JKだからって何でも許されるわけじゃないから。人の黒歴史を暴露するとかさぁ、ポニーテール適当に結ぶぞ」
クリスマスイブにバラされたんだけど、おかげで精神の均衡が崩れてるんだけど。
暴露したのは狼嵜光である。横で笑い転げていたライリー先生は、頭を冷やしに
結束いのりちゃんのコーチの明浦路
「へへ……怒られちゃったぁ……へへ」
「けいと、未成年飲酒ですよ。やめさせなさい」
「俺じゃないから。ライリー先生だから」
狼嵜光は顔が真っ赤になっている。酒気帯びだ。
ワインをひと舐めしたらこうなった、とライリー先生は申していたが、真実は不明。本能だとしたら弱弱すぎて将来が不安だ。成人したとしても外でお酒は飲ませてはいけない。これはいかん。
「結婚ってことはチューするよね〜? チューチュー」
「ダリアちゃん、どっかにダンボールない?」
「どうするつもりなのですか」
「詰めて送り返す」
「どこに郵送するというのです、こんな時間に」
こんな時間じゃなくても郵送は不可だが、この光ちゃん
さっきから、まるでエロ親父のダル絡みだ。
部屋に乗り込んでくるなり、チューしろチューしろとかコールしてたし、なんなんだこのJKは。
「わたし、べろちゅーが見たい!」
「そういえば、みかんのダンボールがあったな。詰めるぞ。嫌なら黙って?」
「ちゅー!」
「引っぱたくぞお前!」
なんでワイン一滴やそこらでこんなんなるんだ。
元凶のライリー先生は司先生のところに行っちゃうし、保護者失格だよあの人。この場に限って言えばダメな大人だ。普段は超崇高で頼りになる人!
「ダリアちゃん、チューしてみてよ〜……どうせ隠れてしてるんでしょ〜?」
「はぁ……別に、構いませんよ」
「そこは構ってくださいよ先輩」
「この子に見られたところで大した問題ではないでしょう?」
「大した問題だよ。ダリアちゃんさぁ、飲んでないのに酔っ払ってるみたいなノリやめろ」
素面で恥じらいを捨てるのはやめて欲しい。誘惑には勝てないからするけど、教育に悪すぎるから今回きりだこんなのは。