エニル・イリムの神の門に吹き荒れた光の奔流は、無慈悲な曲剣の乱舞によって呆気なく霧散した。
全身に神の威光を纏わせ、かつて最強と謳われたラダーン兄様の背にしがみついて放った渾身の抱擁すら、あの壺を被った全裸の怪異には届かなかった。パンツ一丁のくせに恐るべき速度でローリングを繰り返し、こちらの神聖なる連撃を無敵時間ですり抜け、挙句の果てに腹をかっさばいて出血の刃を振り回す始末。完全に理不尽であった。
肉体も、愛も、迷いも、ついでに影の地の道端に色々と捨ててきた幼き神ミケラは、いまや魂だけのスカスカな半透明ボディとなり、王都外郭の薄暗い空を漂いながら深い溜息を吐いていた。
「やっぱり、土壇場でゴッドウィン兄様からラダーン兄様に乗り換えたのが良くなかったのかなぁ……」
黄金の髪をふわふわと揺らし、透けた両手を組んでみるが、手応えはない。神の計画は完全に破綻していた。王都ローデイルはすでに灰の都と化し、あの狂気の変態褪せ人はエルデの玉座へと悠然と進軍している。このままではこの狭間の地が、あの変態壺頭の手に落ちてしまう。
誰かを蘇生させて、あの変態を迎撃させねばならない。
ミケラは半透明の頭を抱え、脳内でデミゴッドたちの顔を順に並べていった。
「でも、結局ゴッドウィン兄様は論外だよね。あんなラニごときの雑な陰謀に引っかかって、魂だけ綺麗に殺されちゃうようじゃ話にならないもん。死王子なんて悪趣味な姿になっちゃってるし……」
身も蓋もない理由で長兄を切り捨てる。
「マレニアは……うん、僕の留守中にあの全裸にボコボコにされて寝込んじゃったし。ゴドリックは論外中の論外、ただの雑魚。ライカード叔父様は蛇に食われて意味不明なこと叫んでたし、何より昔から偉そうでウザいから顔も見たくない」
神の思考とは思えぬ極めて個人的かつ辛辣な消去法により、狭間の地の血族は全滅した。
まったく、誰も彼も使い物にならない。神たる僕がこんなに困っているというのに、どいつもこいつも不甲斐なさすぎる。
そんな考えを巡らせていた時、ミケラの透き通った脳裏に、電撃のような閃きが走った。
「そうだ。血筋に頼るからいけないんだ。僕にはまだ、あの人がいるじゃないか」
王都外郭の地下深く、侵入者を微塵切りにする殺戮の車輪——チャリオットが今なお狂ったように爆走し続ける、最も陰惨で最も理不尽な死の迷宮。かつて黄金樹の全盛期において無双の武名を誇り、幾多の戦場で黄金律の秩序を守護し続けた最強の大英雄。
「アウレーザを蘇らせよう!」
思い立つや否や、ミケラは霊体のまま猛スピードで地下へと急降下した。
轟音を立てて往復する巨大なチャリオットを「これ僕が昔ノリで作ったやつ〜」と懐かしそうにすり抜け、凶悪なスケルトンたちの群れを一瞥もせず、英雄墓の最深部——豪奢な黄金のレリーフが施された巨大な大石棺の前へと辿り着く。
ミケラは半透明の小さな両手を掲げ、神の奇跡を惜しみなく注ぎ込んだ。
「目覚めて、僕の大英雄! 君の高潔な剣で、あのキモい全裸壺野郎をミンチにして!」
大石棺に刻まれた黄金樹の紋章が、眩いばかりの光を放って脈打ち始めた。ギギギと重々しい地響きを立てて石の蓋が押し開かれ、長い眠りの年月を超えて、白銀と黄金に彩られた重厚無比なる甲冑が姿を現す。
立ち上がったその威容は、まさに正統派、騎士の頂点。手には血風を薙ぎ払う白銀の大剣、もう片方の手には黄金樹の加護を宿す堅牢無比の大盾。隙のない構え、堂々たる体躯、そして兜のスリットの奥に宿る揺るぎなき武人の光。
大英雄アウレーザは、自らを眠りから呼び覚ました幼き神の霊体を見下ろし、厳かに、そして騎士の礼節を尽くして片膝をついた。
「……永き眠りよりの呼び声、しかと届きましてございます。我が主、慈愛の神ミケラ様。このアウレーザの命、大剣と大盾、全ては貴方様と黄金樹の栄光のために。なんなりと命じられますよう」
凛とした美声が、陰鬱な英雄墓の空気を一変させる。完璧な騎士道精神。完璧な忠誠心。
それに対し、霊体で宙に浮いたミケラは、満足そうに満面の笑みを浮かべ、身も蓋もない現実を突きつけた。
「うん! おはようアウレーザ! 実は僕、影の地でボコボコにされて体捨てて逃げてきたんだけどさ、外にパンツ一丁でカニ貪り食いながら切腹アタックしてくる壺頭の変態がいるから、ちょっとあいつ殺してきてよ!」
厳粛な覚醒の余韻は、文字通り音を立てて砕け散った。
アウレーザの兜の奥で、何かが激しく軋む音がした。
* * *
英雄墓の最深部を支配する冷え切った静寂の中、アウレーザは白銀の大剣を地に突き立て、兜のスリットの奥から半透明の幼き神をじっと見据えた。遠くの通路からは、今なお無人の殺戮兵器が石畳を削りながら爆走する重低音が響いてくる。
「ミケラ様。お言葉ですが、状況が見えません。ご説明を」
重厚な甲冑の隙間から漏れ出る声は、極めて冷静であり、かつ歴戦の武人特有の圧を孕んでいた。
「そっか、アウレーザは死んでたから、何が起きたのか知らないよね。特別にこの僕が教えてあげよう」
ふわふわと宙に浮くミケラは、まるで昨日の天気を語るかのような気軽さで、透けた小さな両手を広げた。
そこから語られた内容は、長年の眠りについていた英霊の頭痛を誘発するに十分すぎる惨状であった。
母たる女王マリカが突如としてエルデンリングを粉々に叩き割ったこと。王配ラダゴンもろとも神が行方不明になったこと。残されたデミゴッドたる兄弟姉妹たちが、大ルーンの力に狂って狭間の地全土を巻き込む大戦争——破砕戦争を引き起こしたこと。マレニアがケイリッドを朱い腐敗で汚染し、ラダーンが狂気に沈み、火山館のライカードは蛇に自らを食わせ、誰も勝者になれぬまま世界が泥沼化したこと。
そして極め付けに、ミケラ自身が影の地へと逃亡し、道端に肉体や愛や迷いを景気良くポイ捨てした挙句、ゴッドウィンを蘇らせる予定を急遽ラダーンに変更して神へと昇天したものの、乗り込んできた謎の褪せ人に兄様ごとまとめて消し炭にされたという、身も蓋もない敗北の歴史であった。
すべてを聞き終えたアウレーザは、深々と息を吐いた。鉄の兜の中で、血管が一本派手に弾け飛んだような錯覚を覚える。
「つまり。マリカ様とラダゴン様がお隠れになり、エルデンリングをめぐってデミゴッド同士で戦争が起き、結果全員共倒れ、と?」
「まあ、大体そうだね」
あっけらかんと頷く幼き神。
「ミケラ様」
「うん」
「……バカなのですか?」
昏い墓所に、平坦かつ鋭利な罵倒が響き渡った。
「いや……うん……」
ミケラは一瞬きょとんとし、それから自分の透けた手元を不思議そうに見つめた。
「あれ、僕の魅了が効いてない? なんで? ラダーン兄様にすら効いたのに」
「知りませんよ。己の身勝手で世界をめちゃくちゃにしておいて、魅了で誤魔化そうとするなど言語道断です」
「まあいいか、どうせ君は僕に従うしかない。だって僕がその気になれば、いつだって君を灰に戻せるんだからね」
己の神通力が不発と見るや、即座に命の主導権を盾にした脅迫に切り替える。どこまでもナチュラルに外道な神であった。だが、アウレーザは怒るでもなく、ただ大剣を握り直して軽く首を振った。
「脅しのつもりですかミケラ様。……まあ構いませんよ、せっかく蘇ったのです。しばらくこの狭間の地を懐かしみたいというもの。それに武人として、そのラダーン様より強いという褪せ人と、相まみえてみたいものです」
騎士の矜持がその声音に宿る。かつて黄金樹の全盛期において無数の戦場を駆けた大英雄にとって、神をも討ち倒す強者との一騎討ちは、武者震いを禁じ得ない好敵手との邂逅であるはずだった。
「して、その褪せ人とやらはどれほどの軍勢を率いているのです? やはり、歴戦の猛者たちを集めた精鋭の騎士団でも編成されているので?」
「いや、一人だね。頭に壺を被った全裸の変態だよ」
「…………」
アウレーザの思考が、完全に停止した。
白銀の兜が、ぎぎぎと油の切れた蝶番のような音を立ててミケラへと向けられる。
「……ミケラ様」
「うん」
「もう一度埋めてもらっていいですか?」
アウレーザは躊躇うことなく大剣を納刀すると、自ら開け放った巨大な大石棺へと歩み寄り、その分厚い石の蓋を自力で引き寄せ始めた。
「ダメに決まってるでしょ! さあ、とにかくいったん外に出よう! こんな陰気臭い場所にいつまでもいたら、どんどん陰鬱になっちゃうよ!」
「……私の墓なんですけど?」
半透明の小さな両手を腰に当ててぷんぷんと憤慨する幼き神に対し、アウレーザは重い石蓋から手を離し、心底から疲弊した溜息を吐き出した。死者に対して「墓が陰気臭い」などと言い放つ神が、過去の黄金樹の歴史において存在しただろうか。いや、断じて存在しなかったはずである。
主神の身勝手極まる督促を受け、大英雄は仕方なく白銀の大剣を背負い直し、重厚な大盾を構えて歩き出した。
最奥のボス部屋を後にし、薄暗い地下の坂道を進んでいく。壁面にはかつての栄光を讃える豪奢なレリーフが刻まれているはずだったが、いまや通路の床は無残に削り取られ、深い溝と無数の血痕がこびりついていた。
そして、前方のカーブの先から響いてくる、大地を激しく揺るがす地響き。
ゴウン、ゴウン、ガラガラガラと、重金属と巨大な車輪が石畳を削り散らす凄まじい轟音が通路全体に反響していた。
角を曲がったアウレーザの視界に、常軌を逸した光景が飛び込んでくる。
巨大な石像の頭部を冠し、無数の鋭利な刃を張り巡らせた超重量級の巨大車輪——全自動殺戮兵器が、猛烈な速度で坂道を往復し、逃げ遅れたスケルトンたちを微塵切りにして骨粉へと変え続けていた。衝突した瞬間に生じる衝撃波だけで、並の騎士ならば骨ごと粉砕されることは明白であった。
アウレーザは足を止め、静かに眉間を押さえるように、兜に手を当てた。
「……ミケラ様、アレはなんなんです?」
「え? チャリオットだよ? 全自動殺戮マシン。アウレーザ、見たことなかったっけ?」
霊体ゆえに空中をふわふわと漂うミケラは、楽しげに小首を傾げてみせた。
「そうではなく、なんで私の墓でチャリオットが爆走してるのかと聞いているんです」
「だってアウレーザの墓が簡単に攻略されたらムカつくじゃん」
悪びれる様子など微塵もない、完璧な純真無垢さをたたえた笑顔であった。
「ムカつくじゃん、ではありません! 貴方様は英雄を祀る墓所を何だと思っているのですか! あのような理不尽な轢殺機械を通路いっぱいに走らせて、参拝者はどうやって私の棺まで辿り着けというのです!」
「え? 壁の窪みに隠れながら、タイミングを計って駆け抜けるだけだよ? あ、でも途中にスケルトンが湧いて足止めするし、曲がり角の先にもう一台隠してあるから初見だと絶対に挟み撃ちでミンチになる仕様なんだよね。あと他にもいろんなギミックが仕込んであるよ!」
「人の墓を悪趣味な初見殺しのアトラクションにするな!!」
歴戦の英雄の誇りは、数分足らずで粉々に粉砕されていた。
見れば、坂の途中にはご丁寧に即死級の高い段差まで設置されており、悪意を濃縮還元したような地獄の立体交差が形成されている。
「まあまあ、怒らないでよアウレーザ。僕なんて霊体だから当たり判定ないし、ほら、轢かれてもすり抜けるから平気だよ〜」
ミケラはふわりと坂道の中央へと躍り出た。直後、猛スピードで突っ込んできたチャリオットがミケラの半透明の体を文字通り通過していく。当然、神の霊体には傷一つ付かない。
「ね? 簡単でしょ? さあアウレーザも早くおいでよ!」
無敵の当たり判定を誇るクソガキ神は、坂の上から呑気に手招きをした。
一方のアウレーザは、全身を合計数十キロに及ぶ頑強な重装甲冑で固めた正統派の重騎士だ。
その眼前には、猛烈な火花を散らしながら旋回し、今まさにこちらへと全速前進で突撃してくる巨大な車輪の刃が迫っていた。
進路上に踏み出せば挽き肉、壁の窪みに逃げ込めばスケルトンの凶刃、高い段差から落ちれば即死判定。
白銀の大英雄は、かつてない強烈な胃の痛みを覚えながら、迫り来る理不尽の塊を前に大盾を構え直した。
チャリオットの巨大な鉄輪が火花を散らし、猛烈な速度で坂道を下ってくる。轟音と共に削り取られる石畳の粉塵が舞い散り、このままでは数刻後には白銀の甲冑ごとミンチにされるという絶体絶命の瞬間であった。
頭を抱え、大盾を構えて覚悟を決めたアウレーザの前に、半透明の幼き神が呆れたような顔で割り込んできた。
「しょうがないなあ、はいこれ」
ミケラが透けた小さな手からぽいと放り出したのは、禍々しい血の気配と不吉な呪詛を纏った、無骨な金属製の拘束具であった。
「……これは何です? 拘束具?」
「モーグの拘束具だよ。それを床に叩きつけてみて」
「は?」
アウレーザは手渡された重々しい呪具と、刻一刻と迫り来る殺戮マシンを交互に見比べた。意味が分からない。眼前に迫るのは物理法則を完全に無視した重量数十トンの鉄塊である。このような、祝福なき忌み子たちを地下深くに囚え縛るための小道具を床に叩きつけて、一体何が起きるというのか。
「いいから」
ミケラに有無を言わさぬ無邪気な圧で急かされ、アウレーザは半信半疑のまま、その拘束具を足元の石畳へと力任せに叩きつけた。
ガィィィン、と乾いた金属音が墓所に響き渡る。
その瞬間、目に見えない衝撃波のような不可視の判定が、恐るべき範囲で壁を貫通し、英雄墓の全域へと一瞬で拡散した。
直後、遥か地下深くのフロアから、ゴゴゴゴと地鳴りのような駆動音が轟いた。
何もない空間から突如として石柱がせり上がり、こちらの床に向けて眩い黄金の魔法陣が照射される。するとどういう理屈か、空間の歪みから突如として【もう一つのチャリオット】が虚空より実体化して出現した。
「なっ……!?」
アウレーザが目を見張った刹那、軌道の重複した二台のチャリオットが、坂道の交差点で真正面から激突した。
鼓膜をつんざく大爆音と共に、無敵の殺戮兵器たちが互いの突進力に耐えきれず、粉微塵に大破した。吹き飛ぶ巨大な鉄輪、宙を舞う石像頭、四方八方に飛び散る凶悪な刃。あれほど猛威を振るっていた全自動殺戮マシンは、ものの数秒で完全に活動を停止し、煙を上げるただの鉄くずの山へと成り果てた。
静まり返る墓所。
あまりの光景に、アウレーザは白銀の大剣を杖のように突いたまま、完全に硬直していた。
数秒の沈黙の後、ぎぎぎと重い音を立てて兜がミケラの方へと向けられる。
「……なぜ拘束具を床に叩きつけると、地下深くにある石柱が作動してチャリオットが正面衝突して全滅するのですか?」
静かだが、確実にキレかかっている声であった。
「まあ……黄金律の不具合……かな……」
ミケラはふよふよと宙を漂いながら、気まずそうに視線を泳がせた。
「仕様の欠陥じゃないですか。全自動殺戮マシンが一瞬で粗大ゴミになりましたよ」
「いやでもほら、便利でしょ? あの壺頭の変態も、ダンジョン入るたびに意味もなくマルギット用の奴を床に叩きつけてギミック破壊していくんだよ。本当に行儀が悪いよね〜」
「行儀が悪いのは貴方様でしょうが!!」
物理法則と設計思想の崩壊に頭痛を深める大英雄を余所に、邪魔者の消え去った坂道には、王都の地上へと続く出口がぽっかりと口を開けていた。