チャリオットが鉄屑と化した坂道を登り切り、地上へと続く大広間へと差し掛かったところで、アウレーザは再び足を止めた。
広間の中心には、赤褐色の重厚な甲冑を身に纏い、禍々しくも神聖な太古の生命力を漂わせる二人の騎士が仁王立ちしていた。片方は大剣を地に突き立て、もう片方は長大な槍を携えている。その姿は、かつて始まりの王ゴッドフレイと共に幾多の戦場を血で染め上げた、黄金樹最古の精鋭に他ならなかった。
アウレーザは兜の奥で目を見張り、隣を漂う幼き神へと視線を向けた。
「ミケラ様、あれ、『坩堝の騎士』ですよね。しかも片方は筆頭騎士のオルドビス卿じゃないですか。なぜ二人セットで待ち構えているのですか? あいつらはゴッドフレイ様の部下でしょう」
かつて戦場で背中を預けたこともある猛将が、なぜか地下迷宮の薄暗い広間で仲良く二人組の警備員をしている。到底理解の及ばぬ光景であった。
ミケラは半透明の指先を顎に当て、小鳥が囀るような無邪気さで事も無げに言った。
「破砕戦争で暇そうにしてたから、バイトで雇ったんだよ。『二人同時なら褪せ人も絶望するでしょ』って」
「バイト?」
大英雄の喉から、掠れた疑問符が漏れた。
黄金樹の黎明を支えた筆頭騎士オルドビスが、時給いくらかのルーンで雇われたというのか。初代王の威光はどこへ消え失せたのか。
「……で、どうなったんです?」
アウレーザが恐る恐る尋ねると、ミケラはふよふよと宙で身悶えしながら、心底おかしそうに笑った。
「小さな丸盾? バックラーっていうのかな。あの全裸の変態に片手でカンカン鳴らされながら完封されてた。剣を振るたびにカァン!って弾かれてさ、ドスッて腹刺されて。もう一人が槍で突っ込んでも、コマ送りのフレームが見えてるみたいな回避でスカされて、またカァン!って。最後の方はリズムゲームみたいになってたよ」
「……」
アウレーザは深々と天を仰いだ。白銀の兜の奥から、絞り出すような重い声が落ちる。
「哀れな……」
かつての武勇も、重厚な誇りも、小さな丸盾一枚の前に無慈悲なパリィ音を響かせるだけのサンドバッグと成り果てていた。太古の神秘たる坩堝の力も、変態の反射神経と無敵フレームの前には形無しである。
オルドビスたちはこちらに気づく様子もなく、ただ虚空を見つめながら、かつてカンカン鳴らされたトラウマを噛みしめるかのように微動だにせず立ち尽くしていた。
広間の先には、王都外郭の地上へと通じる巨大な昇降機が見えている。
アウレーザは腰の大剣の柄に手をかけ、重苦しい溜息と共に地上へと続く通路を見据えた。
重々しい鉄の昇降機がガタガタと軋んだ音を立て、アウレーザとミケラを地上へと押し上げていく。
分厚い石扉がゆっくりと左右に開かれた瞬間、吹き込んできたのは熱風と、鼻腔を刺すような焦土の臭気であった。かつて黄金の光に包まれ、豪奢を極めた世界の中心——王都ローデイルは、見る影もなく変貌を遂げていた。
天を衝くほどに聳え立っていた黄金樹は赤黒い炎を吹き上げながら崩落し、かつての大通りも貴族の邸宅も、すべてが深い灰の海に埋没している。舞い散る灰はまるで呪われた雪のようであり、空は黄昏と炎の混ざり合った不吉な朱色に染まりきっていた。
アウレーザは兜の奥で目を見張り、白銀の大盾を抱えたまま立ち尽くした。
「王都が……燃え盛る灰の山になっているのですが!?」
「あいつが巨人の火の釜で黄金樹に火をつけたんだよ」
背後をぷかぷかと漂う半透明の神は、さも道端の雑草を燃やしたかのような軽さで言い放った。
「黄金樹を薪にしたテロリストが神聖な王座を目指してるんですか!?」
アウレーザの怒号が灰の空に虚しく木霊する。エルデンリングの根幹たる黄金樹を己の手で放火し、都を灰燼に帰せしめた大罪人が、そのまま玉座に座ろうとしているなど正気の沙汰ではない。
「奴は一体何のために王になろうとしているのです? 黄金律の修復? 狂い火による世界の混沌? あるいはラニ様の目論みに加担を?」
歴戦の武人は、そこに何らかの思想や崇高な野心、あるいは破滅的な狂気を見出そうとした。だが、ミケラは透けた肩を竦め、心底どうでもよさそうに事実を告げた。
「聞いてみたら『トロフィーを全解除するため』って言ってた」
「トロフィーって何???? 意味のわからない呪いの儀式のために神々が皆殺しにされたんですか???」
不可知の概念にアウレーザの常識が粉々に打ち砕かれた。世界の理も神々の血統も、ただの「実績」という名の謎の記号を満たすためだけに蹂躙されたというのか。これほど冒涜的な動機がかつて狭間の地に存在しただろうか。
あまりの衝撃に胃を押さえて、うずくまりかけたアウレーザの視界に、灰の地面で青白く輝く文字の列が飛び込んできた。
「ん? 地面に光る文字で何か刻まれていますね……」
「あ、褪せ人たちが残したメッセージだよ。攻略のヒントとかが書いてあるんだ」
「ほう……かつての戦士たちが後進たる同胞のために残した道標というわけですか。どれどれ……」
アウレーザが身を屈め、目を細めて判読する。
「『おそらく犬』……?」
直後、メッセージの指し示す前方から、のっそり、のっそりと巨大な甲羅を背負った温厚そうな陸ガメが姿を現し、灰の積もった道を優雅に横切っていった。首を伸ばし、澄んだ瞳でアウレーザを一瞥して去っていく。
沈黙が流れた。
「ミケラ様、あれはどう見てもカメですが?」
「何言ってるのさアウレーザ。足が四本あって、穏やかで、見ていて落ち着くだろ? それが犬じゃなければなんだって言うのさ」
「カメです」
一切の妥協を許さない即答であった。このクソガキ神の詭弁など、生物学的な事実の前には塵芥に等しい。
「……気を取り直して、あちらのメッセージはどうだ。『この先、指が有効だ。しかし穴』……? どういう意味ですか?」
アウレーザが純粋な探究心からその言葉を読み上げた瞬間、宙を浮いていたミケラが血相を変えて突撃してきた。
「読んじゃダメだアウレーザ! 目が腐敗する!!」
「は? 狂い火か何かの呪いが込められているんですか? 怖……」
下ネタで埋め尽くされた褪せ人の精神的汚染を、強大な古の呪詛と勘違いして戦慄するアウレーザ。その純粋無垢な騎士の横顔を見ながら、ミケラは「この世界、もう一度最初から作り直した方が早いかもしれないな……」と半透明の顔を引きつらせていた。
* * *
灰の都の吹き溜まりの向こうから、冷たい風に乗って微かな金属音が響いてくる。
吹き荒れる熱風を切り裂いて、一歩、また一歩と重々しい足音が近づいてきた。
立ち込める粉塵の帳を割り、姿を現したのは一人の褪せ人であった。あの忌まわしき壺を被った全裸の怪異ではない。全身を分厚い大山羊の重装甲冑で包み込み、まるで歩く要塞のごとき異様な威圧感を放つ戦士であった。
だが、その武装のシルエットは、アウレーザが知るいかなる高潔な騎士のそれともかけ離れていた。
アウレーザは兜の奥で鋭く目を細め、白銀の大剣の柄を握り直した。
「敵……ですね。間合いを詰めてきます。……ん? なんですかあれは、盾? いや、巨大な墓石??」
戦士の左手に握られていたのは、およそ片手で保持できる範疇を超越した、分厚く歪な一枚の巨石であった。焦げ付いた指の痕が生々しく刻まれ、見る者の正気を削るような不吉な熱気を放っている。大盾というよりは、巨人の墓標を根こそぎ引っこ抜いて腕にくくりつけたような異様さであった。
ぷかぷかとアウレーザの肩口を漂う半透明のミケラは、透けた指先をちちちと振って事も無げに解説を始めた。
「指紋石の盾だね。狂い火の呪いが宿っていて、ほとんどどんな攻撃でもノーダメージで弾き返すよ」
「そんなのどうやって崩せばいいんですか!?」
アウレーザの素朴かつ切実な疑問に対し、幼き神は満面の笑みで無慈悲な現実を突きつけた。
「普通の攻撃じゃ崩せないよ。スタミナ削り耐性が高いから、大剣の両手持ちで殴ろうが特大武器で叩き割ろうがビクともしないんだ。しかも右手に持ってるのは蟻棘のレイピアだね。ガードしながら朱い腐敗の毒針でチクチク刺してくるんだ。盾チクっていうんだよ、うざいよね」
「戦士の戦い方じゃないでしょう!! 褪せ人に戦士の誇りはないのですか!?」
灰の都に大英雄の魂の叫びが木霊した。
互いの技量をぶつけ合い、太刀筋を見切り、血肉を削り合うのが武人の誉れある戦いのはずである。それを、絶対に割れない巨大な石板の陰に全身をすっぽり隠し、隙間から細い針でチクチクと腐敗の毒を擦り付けるなど、もはや戦闘ではなくただの悪質な嫌がらせであった。
「誇りなんてあるわけないじゃん。勝てばよかろうなのだの精神だよ。マレニアもあれで発狂して負けかけたから、リゲイン習得したって言ってた」
「マレニア様をそんなみっともない戦法で下したのですか!? 恥を知れ、恥を!!」
アウレーザが怒髪天を衝く勢いで憤慨している間にも、重装の褪せ人は着実に距離を詰めてきていた。
一言も発しない。名乗りも上げない。
ただ、巨大な指紋石の盾を構えながら、小刻みに盾を上げ下げして【カチャカチャカチャカチャ】と無機質な金属音を鳴らし、その場で高速屈伸を繰り返している。なんのつもりなのか、煽っているのだろうか。
やがて褪せ人は懐から取り出したゆでカニを【ムシャア……】と物凄い咀嚼音を立てて完食すると、右手の大盾を構えたまま、じりじりと、絶対に崩れぬ要塞のまま間合いを詰めてきた。
鉄壁のガードの隙間から、毒々しい赤黒い液体を滴らせるレイピアの切っ先が、冷酷にアウレーザの心臓を捉えている。
物理の理をへし折る絶対防御の壁を前に、白銀の大英雄アウレーザは大剣を構え、額に冷や汗を滲ませた。
舞い散る灰の帳を切り裂き、アウレーザは白銀の大剣を正段に構えた。兜のスリットの奥で双眸が鋭く研ぎ澄まされ、重厚な甲冑が擦れ合う微かな金属音すら、張り詰めた殺気へと昇華されていく。
「まあよいでしょう。戦術の割れた、それもそのような卑劣な者に後れを取る私ではありません」
大英雄は大地を踏みしめ、灰を巻き上げながら堂々と名乗りを上げた。
「聖銀のアウレーザ、推して参る!」
対する重装の褪せ人は、一言も発しない。ただ巨大な指紋石の盾を前面に押し立て、構えを一切崩さぬまま、機械的な足取りで間合いを詰めてきた。
瞬時に間合いを詰めたアウレーザの剛剣が、大気を引き裂いて一閃した。巨岩をも両断する必殺の一撃。だが、巨大な墓石のような盾は、火花すら散らさずにその刃を真正面から受け止めた。
ガィンッ!と、重く鈍い衝撃がアウレーザの腕を痺れさせる。スタミナを一切削り取れぬ異常な剛性。それどころか、盾の表面に焼き付いた不気味な指の痕から黄色い残り火が滲み出し、刃を伝ってアウレーザの精神を直接侵食してきた。視界の端に、チリチリと発狂を促す不吉な黄炎がチラつく。
(……くっ、攻撃が通らぬばかりか、触れるたびに狂い火の呪いのようなものが蓄積していくのか……!)
間髪を入れず、鉄壁の守りの隙間から、毒々しい赤黒い粘液を滴らせた蟻棘のレイピアが目にも留まらぬ速さで突き出された。ガードを固めたまま、安全圏から一方的に腐敗の毒針をねじ込む悪辣極まる刺突——いわゆる『盾チク』である。
だが、千の戦場を生き抜いた大英雄の動体視力は、その卑劣な針撃を捉えていた。
「小細工を……!」
アウレーザは身を沈め、鋭い踏み込みと共にクイックステップを繰り出した。重装甲冑を纏っているとは思えぬ神速の滑走で、刺突の軌道をミリ単位ですり抜け、瞬く間に敵の死角たる背後へと回り込む。
しかし、褪せ人もまた並の亡者ではなかった。視界外への回り込みに対し、人間離れした超高速の旋回で即座に軸を合わせ、振り向きざまの盾チクを繰り出してくる。
「甘い!」
アウレーザは冷静に大盾を構えてその針撃を完全に弾き返すと、敵の体勢がわずかに乱れた一瞬の隙を見逃さなかった。
黄金樹の戦士に伝わる最も無骨にして最も実戦的な基本体術——渾身のキックが、分厚い指紋石の盾の中心へと叩き込まれた。
どれほど衝撃への受け値が高かろうと、キックによる、体ごと押し出すようなガード崩しの前には関係がない。スタミナを完全に削り取られた褪せ人の巨盾が大きく跳ね上がり、がら空きの胸元が露わになった。
「終わりだ!」
アウレーザの白銀の大剣が、無防備な大山羊の鎧を深々と貫いた。重い致命の一撃の炸裂音と共に、鮮血が灰の地面へと撒き散らされる。
致命傷を負った褪せ人は、断末魔を上げることもなく、ただ光の粒子となって音もなく消滅した。足元には、数万のルーンと、使いかけの茹で蟹が一つだけ転がっていた。
大剣を振るって血を払い、鞘へと納めたアウレーザは、兜の下で安堵の息を吐いた。
「……確かに強くはありましたが、この程度であれば、このアウレーザの敵ではありません。本当にラダーン様やマレニア様が敗れたのですか?」
どこか拍子抜けしたような英雄の問いに対し、肩口をふよふよと漂っていたミケラは、透けた指先を顎に当てて事も無げに告げた。
「うん、狭間の地には何百人も褪せ人がいるからね。このくらいは全然一般人だよ」
「一般人……?」
アウレーザの兜がピキリと静止した。
「指紋石を構えて腐敗を擦り付けてくるあの要塞が、ただの通行人Aだと仰るのですか? では、その神々を皆殺しにしたという『壺頭』とやらは一体何なのです?」
ミケラは半透明の小さな両手を広げ、遠い目をして身も蓋もない現実を語り始めた。
「あらゆる攻撃を『バックステップ』と『ローリング』でミリ単位で避ける異常者だよ。盾なんて持たないし、服も着ない。こっちがどれだけ広範囲の光の柱を降らせても、神速の連撃を繰り出しても、全部無敵フレームですり抜けてくるんだ。攻撃の当たり判定がない瞬間にだけ、二刀流の出血曲剣で切り刻んでくるの」
「人間やめてません?」
「うん、やめてる。しかもあいつ、こっちの攻撃をできる限り『歩きだけ』で避けて、悦に浸ってる変態だからね」
灰に覆われた王都の風が、二人の間にどこまでも冷たく吹き抜けていった。
この先、あとがきがあるぞ
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