燃え盛る大黄金樹の根元、巨木の裂け目を塞ぐように立ち籠める黄金の霧の前で、アウレーザは一度足を止めた。
大英雄は白銀の大剣を握り直し、隣でぷかぷかと宙に浮く半透明の主君へと視線を向けた。
「しかしミケラ様、奴が黄金樹の中に足を踏み入れてからそれなりに経ちます。既に手遅れなのでは?」
最初の王ゴッドフレイが全裸の壺頭に敗れてから、すでに幾ばくかの刻が流れていた。エルデンリングの修復――もとい、謎の『トロフィー解除』とやらが完了してしまっていてもおかしくはない。
だが、透けた金髪を揺らす幼き神は、余裕綽々といった様子でふふんと鼻を鳴らした。
「それなら心配ないよアウレーザ。父様……ラダゴンは行方不明ってことになってるけど、あのひと黄金律の犬だからね。褪せ人が律に近づいたら意地でも立ち塞がって、少しは時間稼ぎくらいしてくれるはずさ。それになにより、大いなる意志に連絡して、優秀なお邪魔キャラを注文しておいたんだ。もうとっくに届いてるはずだよ」
「……注文?」
アウレーザの兜が、微かに傾いた。
「大いなる意志というのは、宅配業者か何かなんですか? ……して、そのお邪魔キャラとは一体どのような武人なのです?」
黄金律の根源たる宇宙の意思を、まるで出入りの商人か伝書鳩のように扱う発言に頭痛を覚えつつ尋ねると、ミケラは透けた小さな指を折りながら嬉々として解説を始めた。
「武人じゃなくて、獣というか、軟体動物でね。仕様も細かく指示して注文できるんだ」
「ミケラ様が仕様を決めたんですか? ヤバそうですね」
「それどういう意味? 失礼しちゃうな!」
アウレーザの即答に近い本音にミケラはぷくっと頬を膨らませたが、すぐに自分の設計した最高傑作を自慢したくてたまらないといった顔で言葉を継いだ。
「いいかい、あの変態は接近戦のフレーム回避が異常に上手いんだ。だからまず、獣の体をむちゃくちゃ大きくして、近づいたら巨体が邪魔になって攻撃モーションが見えづらいようにしといたよ」
「……は?」
「で、褪せ人がやっとの思いで近づいて攻撃しようとしたら、スッと水中に潜ってステージの反対側までワープしたり、優雅に空を飛んだりして、とにかく長距離移動しまくるようにしといた! これで戦闘時間の八割はマラソンになる計算だね!」
「待ってください。それは戦闘ではなく、ただの鬼ごっこ――」
「さらに!」
ミケラはアウレーザのツッコミを遮り、キラキラと目を輝かせて両手を広げた。
「逃げ回ってる間に、褪せ人をしつこくむちゃくちゃ追尾する光の誘導弾『エルデの流星』を連射するようにして、そこへ時間差で光輪の爆発と剣の斬撃を重ねるようにしたんだ! ついでにエフェクトも極限まで眩しくしといたから、視界が真っ白になって何が起きてるか分からなくなるよ! どう? 完璧な足止め仕様でしょ!」
語り終えた幼き神は、えっへんとばかりに半透明の胸を張った。
アウレーザはしばし無言で主君を見つめ、それから兜の奥で深々と、魂がすり減るような溜息を吐き出した。
「……害獣すぎる……」
かつて英雄墓にチャリオットを走らせ、曲がり角にスケルトンを配置して喜んでいたクソガキ神の悪趣味が、神話規模にまで肥大化した結果がそれであった。武芸の粋を競う気などさらさらない、ただただ挑戦者の精神とスタミナを削り取るためだけに特化した、悪意の結晶である。
「さあさあ、さっそく中に入ろうか!」
ミケラに促され、アウレーザは重苦しい気分で黄金の霧へと手を触れ、その向こう側へと足を踏み入れた。
視界を覆っていた眩い光が晴れると、そこには焦土と化した王都とは似ても似つかぬ、幻想的かつ異質な空間が広がっていた。
どこまでも続く浅く澄んだ水面。そして周囲には、天を貫く無数の黄金樹の幹が、まるで墓標の林のように静かに立ち並んでいる。星々の瞬く深淵の空の下、神聖なる静寂が支配しているはずの場所――。
だが、その最奥で繰り広げられていたのは、神話の威厳を完膚なきまでにぶち壊す異様な光景であった。
空間を震わせる神秘的な咆哮を上げながらのたうち回っていたのは、星空を閉じ込めたかのような半透明の巨体を持つ、途方もなく巨大なナメクジのような神獣であった。
しかし、その神々しいはずの巨体は今、無数の白濁した粘液の紐――まるで巨大な芋虫が吐き出したかのような気色悪い白い糸の束に全身をびっしりと絡め取られ、見るも無惨にズタズタに引き裂かれていたのである。
アウレーザは歩みを止め、目を細めてその怪異を見据えた。
「あれが件の害獣ですか。……しかしミケラ様、肝心のラダゴン様のお姿が見えませんが」
黄金樹の内部を守護していたはずの第二のエルデの王、赤髪のラダゴン。その苛烈なる槌の使い手の気配がどこにもない。
するとミケラは、のたうち回る巨大ナメクジの右手をひょいと指さした。
「あれあれ、獣が持ってるあの剣、父様だよ」
「……は?」
アウレーザが視線を凝らすと、確かに神獣が握りしめている黄金の大剣は、人間の骨や砕けた肉体を無理やり捻り上げて鍛造したかのような、おぞましくも神聖な意匠をしていた。
「父様なんか、バカ正直にハンマー振ってるだけで、どうせ坩堝の騎士みたいにカンカンパリィされて即死するの分かってたからね。だから、神の死体から武器を作れる能力も一緒に注文しといたんだ。名付けて『神の遺剣』! あの剣、僕の考えた最強の範囲攻撃が撃てるんだよ。『黄金波』って言うんだ、すごいでしょ!」
「最上神のラダゴン様を素材にして武器に!? 人の心はないのですか!? ……というか『黄金波』って、またどうせ嫌がらせのような技なのでしょう!?」
実の父親すら雑に剣に加工したという事実に戦慄しつつ問い詰めると、ミケラは心外だとばかりに眉をひそめた。
「失礼だな、弱いみんなを守るための尊い技だよ! 前方に扇状の光の波を放って、迫り来る外敵を一掃する慈愛の戦技なんだから!」
しかし、そこでミケラの声のトーンがふっと落ちた。
透き通った黄金の瞳に、一瞬だけ深い翳りと、拭い去れぬ憂いが宿る。
「……でも、そうはならなかった。あの技を手に入れた褪せ人どもはね、モーグウィン王朝の崖っぷちに座り込んで、ただ集まっているだけの罪もないしろがね人たちを、何千何万と虐殺したんだ。『劣等殲滅波』なんて酷い名前まで付けてね……」
静かな水面の上に、幼き神の寂しげな呟きが落ちた。
朱き腐敗に呪われた妹マレニアや、人の手で創り出されたしろがね人たちのように、生まれながらにして黄金律の祝福から外れた存在。彼らのような弱者たちを救うために黄金樹に成り代わろうと、聖樹を育てて心を砕いてきたミケラにとって、自らの作り上げた技が彼らの大量虐殺の道具として消費された現実は、魂を抉るほどの痛恨であったに違いない。
アウレーザは、兜の奥で静かに息を呑んだ。
「ミケラ様……」
(……そうか。普段はどれほど我儘で外道なクソガキに見えようとも、この御方もまた、歪みきった世界の業をその小さな身体に背負っておられるのだな……)
不覚にも、アウレーザの胸中に一抹の同情と、主君に対する騎士としての憐憫が芽生えかけた。
「でも、これからは違う」
ミケラは顔を上げ、慈愛に満ちた、どこまでも美しく神々しい微笑みを浮かべた。
「聖樹はうまくいかなかったけど、僕とアウレーザがエルデの神と王になれば、すべて救済されるんだ。人でなしの黄金律が見捨てた者すべてが……僕の優しい魅了の中で、永遠に争うことなく飼われる世界が来るんだよ!」
「ミケラ様、それじゃあただの独裁者じゃないですか。感動を返してください」
一瞬でも同情した自分を殴り飛ばしたくなるアウレーザであった。
その時である。
ドォン、と一際激しい爆発音が響き、遠方で暴れていた神獣『エルデの獣』の巨体が大きく傾いた。
神獣が苦悶の声を上げながら黄金の剣を振り上げ、ミケラ自慢の広範囲攻撃『黄金波』を放つ。眩い光の津波が水面を割り、扇状に広がりながら圧倒的な速度で押し寄せていく。通常の歩みであれば回避など到底不可能な、必中の殲滅波。
だが、その光の波のすぐ先で、信じがたい光景が展開されていた。
シュバババババッ!! と耳障りな音を立てて、何十本もの白い粘液の槍が下から突き上がり、神獣の巨大な腹部を容赦なく串刺しにしていたのである。大型の標的に対して異常なまでの多段ヒット判定を叩き出す、腐敗の眷属の祈祷『蟲糸の槍』であった。
「ミケラ様、自慢の害獣がピンチみたいですが? あの気持ち悪いネバネバは一体?」
「ああ、あれは『蟲糸の槍』っていう祈祷で、体の大きい敵に密着して撃つとごっそり体力が溶けるやつ……って、嘘でしょ!?」
解説していたミケラの目が、驚愕にカッと見開かれた。
「なんで僕の最高傑作に追いつけてるの!? 近づかれたらすぐ逃げ回る仕様にしたはずなのに!! なんでずっとお腹の下に張り付かれてるのさ!?」
神獣が慌てて水中に潜り、数百メートル離れた空間の端へとワープする。
人間であれば、そこからまた息を切らして延々と走らされるはずの『害悪マラソン距離』であった。
だが。
「ミケラ様、あそこ!」
アウレーザが白銀の大剣の切っ先で指さした先――水面を蹴立てて猛烈な速度で疾走していたのは、二本の角を生やした一頭の【霊馬】であった。
駿馬は黄金の波が迫り来るやいなや、蹄で水面を蹴って大跳躍し、あろうことか何もない空中でさらにもう一度跳躍するという物理法則を無視した挙動で光の津波を軽やかに飛び越えた。
そしてその馬上では、頭に壺を被ったパンツ一丁の変態が、片手で手綱を握りながら、もう片方の手で聖印を掲げ、逃げる神獣のケツを追いかけ回して至近距離から容赦なくネバネバの蟲糸を乱射していたのである。
ミケラは半透明の頭を抱え、絶叫した。
「あれ、あいつトレントに乗ってるじゃん!! ここは霊馬禁止区域に設定しといたはずなのに!? なんで乗れるようになってるの!? ……誰か勝手にルール変えた!?」
「誰かって誰ですか……」
世界の神すら把握していない謎の『仕様変更』に、アウレーザは呆れ果てて肩を落とした。馬に乗って走れるいま、ミケラが丹精込めて設計した『広大なマップを逃げ回って時間を稼ぐ』という害悪コンセプトは、ただの流鏑馬会場へと成り下がっていた。
「トレントの奴〜〜!!」
ミケラは空中でジタバタと手足をばたつかせて悔しがった。
「昔は僕の愛馬だったのに! 僕のこと裏切って、あんな壺全裸を乗せて嬉しそうにしやがって〜〜!」
「……いや、そんなに嬉しそうには見えませんがね」
アウレーザが目を凝らして見れば、霊馬トレントの瞳は完全に虚無に沈んでいた。これまで狭間の地のあらゆる崖から飛び降りさせられ、腐敗の沼を走らされ、パンツ一丁の主人の奇行に何百時間も付き合わされてきた過労死寸前の社畜の目である。
そしてついに、無慈悲な蟲糸の連射が神獣の最後の体力を削り切った。
ガラスが砕け散るような荘厳な音と共に、エルデの獣の巨体が黄金の霧となって崩壊していく。空間の彼方に、目には見えない巨大な文字で【GOD SLAIN】という刻印が浮かび上がったかのような錯覚が走った。
霊馬が光の粒子となって消え、水面に着地した壺全裸の褪せ人は、神獣が消滅した余韻に浸る様子すらなく、スタスタと前方の祭壇へと歩み寄った。
そこには、砕け散り、石のように変質した女王マリカの痛ましい亡骸があった。
全裸の壺頭は無言のまま、その砕けたマリカの頭部へとその手を無造作に伸ばした。これを繋ぎ止めれば、すべてが終わる。変態が名実ともにエルデの王として君臨してしまう。
「アウレーザッ!!」
ミケラの鋭い声よりも早く、白銀の大英雄はすでに大地――否、水面を蹴っていた。
重厚な甲冑の重量を感じさせぬ神速の踏み込み。水しぶきが爆発するように跳ね上がり、アウレーザはマリカの亡骸のすぐ目の前へと割り込むと、伸ばされた壺全裸の手首を、鉄の手甲でガッシリと掴み上げた。
「――させんッ!!」
雷の如き一喝が、静まり返った黄金樹の内部を震わせた。
アウレーザはそのまま豪腕を振るい、掴んだ褪せ人の体を力任せに後方へと突き飛ばした。
「我が名はアウレーザ! エルデの玉座は、壺頭にパンツ一丁の変態にくれてやるほど安くはない!」
白銀の大剣を引き抜き、切っ先を突きつけて堂々と名乗りを上げる。その背後に半透明のミケラがふわりと舞い降り、黄金の神気を纏って並び立った。
突き飛ばされた壺全裸は、空中で信じがたい柔軟性を見せて体勢を立て直すと、水面を滑るように着地し、そこからさらに三連続で素早いバックステップを踏んで大きく距離を取った。
そして、ピタリと動きを止めた。
壺の覗き穴の奥にあるはずの双眸が、白銀の重装甲冑に身を包んだアウレーザと、その肩口に浮く半透明のミケラの姿を交互に捉える。
一秒。二秒。三秒。
不気味なほどの沈黙が流れた。
すると突然、壺全裸は奇妙な行動に出た。
武器を構えるでもなく、カニを食うでもなく、ふっと自分の左手の手元に目を落としたのである。
その左手には何も握られていない。ただ虚空があるばかりだ。にもかかわらず、褪せ人はまるでそこに【手のひらサイズの薄い板】でも存在しているかのように、右手の親指と人差し指を使って、何もない空間をせわしなく上下にスワイプし、時折トントンと空中をタップし始めたのである。
シュッ、シュッ、シュッ、トン、トン。
壺の頭が小刻みに左右に揺れ、明らかに狼狽している様子が伝わってくる。
アウレーザは兜の奥で極限まで警戒を高め、大盾を構え直した。
(……何をしている? 虚空に指を走らせ、せわしなく印を刻んでいる……!? よもや、百智卿を消し飛ばしたような強力な魔術か、あるいは未知の竜餐の祈祷のような、秘匿の印を結んでいるのか……!?)
「油断しないで、アウレーザ! あいつ、何か卑怯なことを考えてるに違いないよ!」
ミケラの警告を受け、アウレーザは一歩前に踏み出し、朗々たる声で呼びかけた。
「どうした褪せ人! 貴公がどのような呪詛を紡ごうとも、我が盾と剣は砕けぬ! 来ないなら――こちらからゆくぞ!!」
その声に、褪せ人の指がピタリと止まった。
いくら検索しても情報が一切出てこないことに腹を括ったのか、虚空を見つめていた壺頭の顔が、ギギギとゆっくり持ち上げられる。
次の瞬間、褪せ人は虚空の板を腰へとしまい込み、背負っていた得物を抜き放った。
チャキッ、と湿った金属音が響く。
その両手に握られていたのは、刀身が酷く刃こぼれし、まるで肉挽きのノコギリのようにギザギザに歪んだ、二振りの禍々しい曲剣――『死体漁りの曲剣』であった。
さらに褪せ人は、何の躊躇いもなく右手の曲剣を逆手に持ち替えると、
――ズブッ!!
と、自らの無防備な腹部に深々と突き立て、真横に掻っ捌いた。
戦技『切腹』。おびただしい鮮血が噴き出し、刀身がどす黒い血の魔力を吸って不気味な紅蓮の輝きを放ち始める。さらに間髪入れず、反対の曲剣にも同様の血の儀式を施し、腰に提げられた『血の君主の歓喜』のタリスマンが呼応して、その全身から狂気的な赤いオーラが噴き上がった。
一切の言葉はなく、ただ「初見の敵だろうが出血させて瞬殺すれば関係ない」という、純粋にして最も凶悪な殺意だけが、水面を凍りつかせるように膨れ上がる。
二振りの血塗られたノコギリ曲剣を構え、前傾姿勢で音もなく滑るように疾走してくる壺全裸。
大英雄アウレーザは白銀の大剣に力を込め、迫り来る理不尽の化身を真っ向から迎え撃つべく、渾身の咆哮を上げた。
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