俺は今、窮地に立っている。立っているというより、立たされたワケだが。
男湯と女湯が書かれていなかった時点で、警戒すべきだった。
まさか、混浴だったとは……。
「ち、違うんだ、これはその……」
「んー、何が違うのかなぁ? 新人ちゃん」
湯船から上がったバズレアはタオルで身体を覆い隠してはいるが、あからさまに胸を強調しながら、こちらに歩いてきた。
何か面白いオモチャでも見つけたかのように、意地の悪い笑みを浮かべ、じりじりと迫ってくる。
こいつ、この状況を楽しんでやがるな……!
「ま、まさか混浴だとは思わなくて……。いや、もしかしてとは思ったけど」
「ふーん……それでそれで?」
目を逸らして顔を背ける俺をよそに、バズレアは距離を詰めてくる。
やめろって……!
「近い近いって! 何でそんな平然としていられるんだよ!?」
「あは、ウケる。新人ちゃん、顔真っ赤じゃん!」
「……露天風呂に行ってくる」
遠慮なく近寄ってくるバズレアに耐え切れなくなり、俺は露天風呂へと逃げ出した。
「面白いね、新人ちゃん。もうちょっとだけ、からかっちゃお」
………………
…………
……
成り行きだったが、露天風呂に来て正解だったと思う。
身体に染み渡る湯の心地良さは一日の疲れを吹き飛ばし、月明かりが照らす夜景は俺に落ち着きを取り戻してくれた。
なんでそんな景色が見れるのかは、この際、気にならない。
「はー、どっこいしょ」
聞こえてはならない声と共に、奴が俺の隣を陣取ってきた。
視界の端に映る白い肌。明け透けに裸体を晒して、バズレアは横にぴったりとくっついてくる。
この女は、一体何が目的なんだ……。
「露天風呂も結構いいね。でも外の空気が結構、ひんやり。長湯すると風邪ひいちゃいそうだよね、新人ちゃん?」
「そ、そうっすね」
「ぷっ……くく、緊張しすぎだって!」
お前のせいだよ。という言葉を飲み込みながらも、俺はその場で固まるしかなかった。
「あー、おもしろ。そうだ新人ちゃん、明日、暇?」
「なんだよ、デートの誘いか?」
「ある意味そうかもね」
「なっ……!」
カウンターのつもりで冗談を吐いたが、思わぬしっぺ返しを食らってしまった。
……俺は、この女に勝てないかもしれない。
「新人ちゃん、ダンジョンに興味ない?」
「ダンジョン……!」
「おっ、いい食いつきじゃん。良かったらウチと一緒に探索してみない?」
ダンジョン……思わぬ単語がバズレアから飛び出してきた。
遺跡・洞窟・地下水路……異世界では定番となった冒険の舞台は、一様にしてダンジョンと呼ばれる。行く手を阻む敵や罠。レアアイテムの入った宝箱。極めつけには、最深部でひっそりと待つダンジョンの
「ダンジョンとは、ロマンだ……あっ」
思わず言葉に出てしまっていた。
「なんだ新人ちゃん、意外とわかってるじゃん。そう、ダンジョンはロマンなの! お宝が見つからなくてもいい、ただの廃墟だっていい、要は楽しめれば、それでオッケー!」
「いや、俺はそういう意味で言ったんじゃ……」
「それじゃあ明日、ロビーで待ってるから」
それだけ言って、バズレアは露天風呂を後にする。
湯気でよく見えなかったからいいものの、全裸で上がるなよ。
あの口ぶりだと、ダンジョンへ行くことになるんだろう。俺のチートスキルで一通り、装備を整えておくか。
すっかり冷えてしまった上半身を湯にくぐらせて、熱気を保持しながら、俺も露天風呂を後にした。
――翌朝、202号室。
間延びした「にゃーあ」という鳴き声と共に、俺は起床した。
布団の上に陣取っているティムに向かって「おはよう」と挨拶をかわし、朝日を浴びる。室内なのに陽が差しているのは、やっぱり異世界だからなのか。
ティムを肩に乗せながらリビングへ行くと、テーブルには拳ほどの大きさのおにぎりが置いてあった。ティムにも、猫用のおやつが用意されている。
さらにその横には、「バズレアちゃんをよろしくね♡」と書かれたピンク色のメッセージカードがある。間違いなく、ハムレットが書いたものだろう。
どういう意味なのか……むしろ、こっちがよろしくされる方だと思うんだけど。
「このおにぎり、具は入ってないけど、うまい」
「にゃ!」
俺とティムは、静かな朝食を堪能している。こうしていると、なんだかもう一日泊っていきたい気持ちが強くなっていく。
……だめだ、バズレアとの約束がある。誘惑を振り切って、俺たちは一階ロビーを目指した。
「やっほー、早いじゃん」
「あら、トーチちゃん♡ よく眠れたかしら。朝ごはんもちゃんと食べた?」
ロビーに着くと、バズレアとハムレットがソファーでくつろいでいた。
昨日はこの二人に振り回されっぱなしだったなぁ……。
「ああ、よく寝れたよ。おにぎりもありがとう」
「んにゃ!」
「そう、よかったわぁ。あ、これからバズレアちゃんと二人っきりでデートでしょ? アタシも陰ながら応援してるわね、気を付けていってらっしゃい♡」
まくし立てるように喋るハムレットは勢いのみならず、圧がすごい。
……ん? 二人っきり?
「あ、ごめん忘れてた。ティムちゃんは今回、お留守番ね」
「にゃーん……!」
俺の肩から降ろされたティムは、ショックを受けたようにうなだれている。
今の言葉、俺にもわかるぞ。「ガーン」だろ。
「バズレアちゃん、トーチちゃん、いってらっしゃーい♡」
ハムレットに見送られながら、俺はバズレアと一緒にエレベーターへと乗り込む。
なぜか乗っていた赤いドレスの女に「おっ、ラッキー」とだけ言い放ち、バズレアは躊躇なく一階のボタンを押す。
……もうちょっと、驚いたりしろよ。
エレベーターはやっぱり、十階に上っていった。
だから、なんでなんだよ……!
◇ ◇ ◇
十階の先には樹海が広がっている……と思いきや、別の景色が飛び込んできた。
薄暗い暗闇を照らすベージュ色のレンガが、辺り一面に敷き詰められた圧迫感のある通路。奥を見渡すと、左右に伸びる分かれ道。俺の想像上のダンジョンが今、目の前にある。
「どう、めっちゃそれっぽいっしょ?」
「それっぽいどころか、ダンジョンそのものじゃないか……!」
「でしょー? はい、これ」
目の前の光景に興奮していると、バズレアから何か黒くてやや重い物を押し付けられた。
動きがあまりに鮮やかだから気にしないで受け取ってしまったが、なんだこれは?
「カメラ……?」
「そ、カメラ。動画撮影よろしくね。配信準備とか細かいことはこっちでやるから、ただウチを映してるだけでいいよん」
「は……? え……!?」
困惑している俺をよそに、バズレアは通信機で誰かと連絡している。
『例の予測によれば、そろそろUnknownが動き出す頃だろう。首尾はどうだ?』
「もち、オールオッケー。撮影役はとりあえず新人ちゃんに任せてる」
『はぁ……トーチ、聞こえているか? 今から説明不足の部下に代わって私が説明する』
魔王……いや、第一翼『テンセイ』の声だ。相変わらず、威圧感がすごいけど、こういうところはリーダーっぽくて頼りになる。
説明を放棄している約一名の尻拭いをするのは、大変だろう。約一名で済めばいいんだが。
『今から君にはそこのダンジョンをバズレアと共に踏破してほしい。君ならば、難なく突破できるだろう』
魔王からお墨付きをもらってしまった。あんまりハードルを上げないでほしい。
『だが、注意事項がひとつ』
「注意事項?」
『いかなる状況においても、常にバズレアの姿をカメラでとらえること。それさえ守れば問題ない』
簡単そうに見えて、難しいお題。バズレアのイメージビデオでも出したいのかな?
普通に考えれば命の危険がありそうなダンジョンで撮影など、自殺行為だ。
だが恐らく、これも異世界特有の矜持だろう。
変な条件付きだが、俺の拳は湧き上がる高揚感で熱を帯びていた。
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異常事象調査記録
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報告者:第六翼『ハムレット』
識別番号:N∀-36
仮称:夜景の見れる露天風呂
脅威度:D
概要:
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N∀LS本部六階の『ホテルニューカマー』地下一階、大浴場に設置されている露天風呂。
設置当初、設備に不審な点は見当たらず、夜景もホログラムのような技術で映していると思われていた。
月の満ち欠けが発生し、星の輝き方が一定ではないという報告を受けて、異常性が発覚。
常に夜の風景が観測できる以外は、通常の露天風呂の機能を有するだけであり、危険性は一切ない。
報告者のコメント:
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ホテルニューカマーの大浴場の目玉よ♡
アタシのところに泊まりに来たときは、ぜひ入っていってね。
きっと、ステキな景色が見られるわ。
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