「じゃあ、次は――」
フヨが何かを言いかけたところで、廊下の向こうから何かがトコトコと忍び寄ってきた。
「にゃあ」
猫だ。
ツヤツヤな毛並みをしている。少なくとも、ただの野良猫ではなさそうだ。
きっといい物食わせてもらってるんだろう。
「あっ、ティム。珍しいね、君が自分から来るなんて」
「ここで飼ってるのか?」
「うん、飼ってるというか住んでるというか。第九翼のティム、僕らと同じ権能持ちだよ」
「第九翼だって? それはつまり、俺の一つ上の先輩……」
「ふふ、そうだね」
改めてティムを見ると、実に猫だ。どう見ても猫だ。
このギルドは猫をも戦力として使う。まさか、猫の手も借りたいという状況に陥っているのか?
いやいや、そんなはずはない。ただ、自由なギルドなんだ。そうに違いない。
ティムは俺の足元までやってくると、何事もなかったかのように俺の脚に身体を擦りつけた。
やっていることはかわいい。
だが気に入られているのか、メンチを切られているのか、どっちか分からないのが少しだけ怖い。
「ティムが来たってことはD級異常性ツアーも一旦、ここで終わりだね。ティム! トーチくんのこと、ちゃんと案内してあげてね」
「にゃーあ」
あくびをしながら生返事するように鳴くティム。
ついさっき、どっかで見たことのある光景だ。
「待ってくれフヨ、猫に案内を任せるのか?」
「心配しなくても大丈夫だよ。じゃあ、またあとで」
何が大丈夫なんだ……と言う前にフヨはその場を去ってしまっていた。
その先は、C級異常性保管室。
ここにはまだ入らない方がいいだろう、と俺の直感が告げている。
「にゃあ!」
振り返ると、ティムがこちらを一瞥しながら反対方向へと歩いていく。
「……ついてこいってことか?」
ティムの後を追い、俺はD級異常性保管室を出る。
相変わらず「力が欲しいか」と言ってくる声が湧いて出たが、俺はもう既に気にならなくなっていた。
慣れって、すごい。
「にゃ……」
エレベーターの扉の前でティムが俺を手招いている。これがほんとの招き猫。
早くボタンを押せってことだろう。
俺は赤いドレスの女が乗っていないことを祈りながら、とりあえず上矢印のボタンを押した。
「にゃにゃ」
エレベーターが来るまでの間、ティムは右の前足で扉を引っ搔いていた。
猫ってだいたいこんな感じで、自由だよな。
扉が開くと、ティムは上機嫌でエレベーター内部に入り込んでいった。
よかった、赤い女はいない。
「にゃ!」
エレベーター内部に俺が入るなり、ティムが壁を蹴って俺の肩に飛び乗った。
そして五階のボタンを、その愛らしい肉球で押し続けている。
かわいいんだが、絶妙に届いていない。
「ちょっと足借りるぞ」
「にゃ?」
仕方なしに、俺はティムの右前足を持ち上げ、ボタンへ近づける。
カチッという音が鳴り、電光板には『5F』の文字が点灯した。
ティムは満足したのか、俺の肩の上で丸くなった。
やっぱり、ただの猫なんじゃないか?
「にゃー!」
五階に着くなり、ティムは俺の肩からジャンプして一目散に駆け出していく。
エレベーターを出た瞬間、眩しい光が目に飛び込んできた。
辺り一面に広がる花畑。その向こうには、どこまでも続いているような青い空。
鬱蒼としていた十階の樹海とは打って変わって、ここは明るく開放的だった。
色とりどりの花が咲き乱れ、風が吹くたびに一斉に揺れている。
……本当に同じ建物の中なのか、ここ。
ふと脇を見ると、木製の案内板が立っている。
『休憩室』
室ではないだろ、もはや。
「ティム、待ってくれ」
「にゃ、にゃ、にゃ……!」
ティムの動きは、はしゃいでいるというよりは何かを必死に探しているかのようだった。
ひまわりだらけの花畑を駆け抜け、果樹園らしき拓けた空間にたどり着く。
ティムが目指していた場所も、そこだった。
「ティム、一体どうした――」
ティムの視線が示す先。
それは、うつ伏せになって倒れている女だった。
「おい、大丈夫か?」
返事はない。
肩を軽く揺すってみるも、反応はない。
「……おい」
最悪の事態は考えたくなかったが、念のため首元に手を当ててみる。
「し、死んでいる……!」
……案の定、脈がなかった。
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異常事象調査記録
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報告者:第三翼『フヨ』
識別番号:N∀-100
仮称:誘い
脅威度:D
概要:
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N∀LS本部の管理棟、D級異常性保管室前の通路で発生する事象。
通路を通った者は、以下に類似する言葉の幻聴が聞こえるようになる。
「力が欲しいか?」
「望む力をくれてやろう」
「深淵を見たくはないか?」
この症状は、通路から離れることで解消されることが確認されている。
これらの質問に応じることで、幻聴の内容が変化するという報告がある。
ただし、現時点ではどのような回答をしても本人への異常性は発揮されず、意味のない質疑応答が繰り返されるという結果に終わっている。
幻聴との会話を実施した結果、通路を離れても一日中解消されないというケースも確認されており、当該組織では無視することが推奨されている。
報告者のコメント:
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「力が欲しい」って答えたら、ずっと「ならばくれてやろう」と言ってきて大変でした。
個人的な見解として、力を与える機構が機能不全しているんじゃないかと考えられます。
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