自室のベッドの上で天井を見つめながら、俺は思わず大きな溜息をついた。
「芙羽さんとデートすることになってしまった……」
声に出してみても、まったく現実感が湧いてこない。
二次元の胸の大きな女の子ばかり描いてSNSに投稿しているオタク男子高校生の俺が。
ペンネーム『デカパイスキスキ太郎』の俺が、学校でも一、二を争う美少女の芙羽さんと二人きりでデートだなんて。
神様が仕組んだ壮大なドッキリなのではないかと疑いたくなる。
「いや、こんなことしてる場合じゃない!!」
俺は慌てて体を起こし、スマホを取り出して「中学生 デート マナー」「女子が喜ぶ デート」などのワードで検索を始めた。
芙羽さんはおしとやかで、気品があって、それでいて俺の隠したいオタク趣味を真っ直ぐ受け入れてくれた大切な友達だ。
そんな彼女に恥をかかせるような真似だけは絶対にできない。
(服装も、いつもの黒Tシャツにジーンズじゃダメだ。今月買う予定だったガンバルの限定プラモとポポネちゃん(水着ver)のアクリルスタンドは我慢して、デート用の服を買いに行こう)
決意を固めたところで、ふと頭の中にひとつの疑問が浮かび上がった。
(待てよ? 女の子から『二人でお出かけしたい』『デートしてほしい』って誘ってくるってことは……少なくとも芙羽さんは、俺に好意を持ってくれてる……ってことだよな?)
想像した瞬間、一気に顔が火照り、体温が急上昇した。
自分が芙羽さんをどう思っているのか、胸に手を当てて深く考えてみる。
彼女と一緒にいる時間は、本当に心地よくて楽しい。
前の学校でトラウマを植え付けられた俺の趣味を、一切否定せずに「風祭くんの好きをもっと知りたい」と言ってくれた。
今まで会ってきたどの女の子とも違う、俺にとってあまりにも特別な存在だ。
(もし……彼女ともっと仲良くなれたら。お互いの『好き』を共有して、放課後や休日に一緒に笑い合えたら……それって、まるで……)
まるでアニメやギャルゲーのヒロインとの甘い日常じゃないか……なんて、都合のいい妄想が頭をよぎる。
「いやいや!!何を浮かれてるんだ俺は!!」
俺は自分の両頬をパチンと強く叩いた。
現実はアニメや漫画とは違う。
ちょっと優しくされたからといって、調子に乗って勘違いするな。
自分に都合のいい展開ばかり期待して失敗したら、それこそ取り返しのつかないことになる。
「誘ってもらったからって、慢心しちゃダメだ。まずは当日、芙羽さんに楽しんでもらえるように、全力で準備してデートを成功させるんだ!!」
俺は熱くなった顔を冷ますように深呼吸をし、スマホのメモ帳にデートの準備リストを書き込み始めるのだった。
そして、待ちに待ったデート当日。
新品のおろし立ての服を着込み、新調した靴の履き心地を確認しながら、俺は約束の場所で緊張気味に待っていた。
ソワソワと時計ばかり気にしていると、人ごみの向こうから彼女が歩いてくるのが見えた。
「風祭くん、お待たせしてごめんなさい」
いつもの制服姿も言葉を失うほどの美少女だが、今日の芙羽さんは一段とおしゃれで、思わず息を呑むほどの超美少女だった。
上品なワンピースが本当によく似合っていて、見惚れて固まってしまいそうになる。
(いや、見惚れてる場合じゃない!!男としてちゃんと褒めないと……)
「ううん、全然待ってないよ!!あの……今日の服、すごく似合ってて可愛いよ、芙羽さん」
「えっ……ふふ、ありがとう。風祭くんも、すごくカッコいいわ……よく似合ってる」
照れたように頬を染めて小さく笑う芙羽さん。
お互いに服装を褒め合い、なんだか猛烈に甘甘な空気が流れて胸が跳ね上がった。
そうして、芙羽さんの「好き」を教えてもらうデートが始まった。
彼女がおすすめしてくれたコスメショップを二人で覗いたり、可愛らしい生活雑貨がズラリと並ぶお店で小物を眺めたり。
芙羽さんは少し恥ずかしそうにしながらも、自分がどうしてそのアイテムを「好き」だと思うのか、理由をひとつひとつ丁寧に教えてくれた。
自分の世界を大切そうに語る彼女の表情はとても柔らかで、見ているこちらまで幸せな気持ちになってくる。
昼下がり、芙羽さんのお気に入りだという小さなベーカリーで焼き立てのパンを買い、近くの公園のベンチで並んで食べることにした。
「このクロワッサン、サクサクで本当に美味しいね!!」
「でしょう?ここのお店、発酵バターにすごくこだわっていて……」
木漏れ日が差し込むリラックスした雰囲気の中、芙羽さんは楽しそうにパンの美味しさや魅力を語り始める。
「だからね、『ミコトくん』私はここのパンが本当に大好きで……あっ」
言葉の途中、ポロリとこぼれ落ちたその呼び名に、彼女はハッと息を呑んで固まった。
「えっと……ご、ごめんなさい!!私、今っ!?」
自分の口から出た言葉の重みに気づいたのか、芙羽さんの顔が一瞬で真っ赤に染まっていく。
大慌てで両手を口元に当ててパニックになる彼女の姿に、俺の心臓もどくんどくんと激しい音を立て始めていた。
正直、自分の下の名前を呼ばれた瞬間、胸が大きく跳ねて心臓の音がうるさいくらいに鳴り響いていた。
けれど、申し訳なさそうに身を縮める彼女を見て、俺はあわてて首を振った。
「だ、大丈夫だよ!!謝らないで、芙羽さん」
緊張を押し隠しながら、なるべく優しく届くように声をかける。
「俺……下の名前で呼ばれたの、全然嫌じゃないから。むしろ、すごく嬉しかったし」
俺の言葉を聞くと、芙羽さんは手をゆっくりと下ろし、少しの間を置いてからじっと俺の目を見つめてきた。
「……じゃあ、これからも『ミコトくん』って呼んでもいい?」
「もちろん!!好きなように呼んでくれていいよ」
俺が笑顔でそう答えると、彼女の表情がパッと明るくなった。
そして、どこか決心したように少し耳まで真っ赤にしながら、小さな声で続け込んできた。
「それなら……私も『ここねちゃん』って、名前で呼んでほしいな」
「えっ!?」
不意を突かれて思わず固まってしまった。
あの芙羽さんを下の名前で、しかも『ちゃん』付けで呼ぶなんて、緊張で喉がキュッと絞まるような感覚がする。
だけど、恥ずかしそうに上目遣いで返事を待っている彼女の姿を見たら、逃げるなんて選択肢はどこにもなかった。
「わかった。それじゃあ……ここねちゃん」
自分でも少し声が震えているのが分かった。
でも口にした瞬間、目の前の彼女は顔を真っ赤にしながらも、溢れんばかりの愛おしい笑顔を見せてくれた。
「……うん、ミコトくん」
木漏れ日が揺れる公園のベンチ。
互いの新しい呼び名が照れくさくも温かく響き合い、ふたりの距離がまた一歩、確かなものへと近づいた気がした。
それからいくつかお店を回ってウィンドウショッピングを楽しみ、街が綺麗な橙色に染まる夕方頃、俺たちは待ち合わせをした駅の前へと戻ってきた。
たった一日で「芙羽さん」から「ここねちゃん」へ。
呼び方が変わっただけなのに、彼女との距離がぐっと近くなった気がして、胸の奥がずっと温かい。
(やっぱり俺、ここねちゃんのことが……)
言葉にしそうになる特別な感情を、俺は大切に胸の底へと押し留めた。
帰り際、別れ惜しさがこみ上げてきて、俺は勇気を振り絞って声をかける。
「ねえ、ここねちゃん。もし……良ければなんだけど、またこうしてデートしない?」
自分から「デート」と言っておきながら、顔が熱くなるのを隠せない。
すると、ここねちゃんは一瞬驚いたように目を丸くしたあと、嬉しそうに目を細めた。
「うん、喜んで。……でも次は、ミコトくんの『好き』なお店に行ってみたいの」
「えっ……俺の好きなお店!?」
アニメショップやホビーショップが脳裏をよぎり、一瞬だけ固まる。
俺のディープな趣味に彼女を連れて行くなんて……大丈夫だろうか。
けれど、まっすぐ俺を見つめる澄んだ瞳に嘘はなくて、断るなんて選択肢はどこにもなかった。
「わかった!!じゃあ次は、俺のおすすめのお店に案内するね」
「ふふ、楽しみにしているわ。……それじゃあまた学校で。またね、ミコトくん」
夕日を背に受けて、ここねちゃんはとびきり優しい笑みを浮かべた。
「うん、またね、ここねちゃん」
言葉を交わすと、彼女は少しだけ名残惜しそうに振り返りながら、迎えの黒い車へと乗り込んでいった。
静かに走り去っていく車を見送りながら、俺は次のデートについてどうするか考えるのだった。
◇
(ここね視点)
その日の夜。自室のベッドに腰掛け、私は昼間起きた出来事を思い出しては、じわじわと顔を熱くさせていた。
「まさか、本当にお互いに下の名前で呼び合うことになるなんて……」
自分の口を手で覆い、ぎゅっと目を閉じる。
毎日書いていた夢小説の影響で、つい口が滑って「ミコトくん」と呼んでしまった時は、本当に心臓が止まるかと思った。
けれど、彼が優しく受け止めてくれたおかげで、夢小説の「私」と同じように、彼から「ここねちゃん」と呼んでもらうことができた。
彼が「ここねちゃん」と呼んでくれた時の、少し照れたような声が耳の奥で何度もリフレインする。
(ミコトくん……すごくカッコよかったな)
しかも帰り際、彼の方から「またデートしてほしい」と言ってくれたのだ。
私の『好き』を共有できただけでも嬉しかったのに、彼も私との時間を特別に思ってくれているなんて。
「〜〜〜〜っ!!」
溢れ出す愛おしさと嬉しさに耐えきれなくなり、私は抱き枕を抱えたまま、ベッドの上でゴロゴロと転がった。
足を開いて閉じて、布団に顔をうずめて喜びを噛みしめる。
普段の自分なら考えられないような行儀の悪さだと分かっていても、高鳴る鼓動がどうしても収まらない。
ふと気配を感じて顔を上げると、クッションの上からパムパムが、耳をパタパタさせながら温かい目で見つめていた。
「ここね、とっても幸せそうパム」
「パ、パムパム、見ないでっ!!」
顔を真っ赤にして再び布団に潜り込む私。
次のデートは、ミコトくんの『好き』なお店。
彼がどんな世界を見せてくれるのか、今から楽しみで仕方がなかった。