(ここね視点)
朝の冷たい空気が頬をかすめる中、私は私立しんせん中学校への通学路を歩いていた。
頭の中を占めているのは、昨日出会った男の子のこと。
トラブルに巻き込まれて動けなかった私を、咄嗟の機転で助けてくれた風祭ミコトくん。
(風祭くん……無事に家に帰れたのかな)
彼の柔らかい笑顔や、落ち着いた声を思い出すだけで、胸の奥がキュッと締めつけられるように熱くなる。
今まで感じたことのない、不思議なドキドキ。
もう一度会ってお礼を言いたいけれど、この広い街でまた巡り会える保証なんてない。
そう思うと、少しだけ切ない気持ちが込み上げてきた。
けれど、その奇跡はあっけないほどすぐに訪れた。
朝のホームルーム。
ガラガラと扉が開き、担任の先生と一緒に一人の男子生徒が教室に入ってきた。
黒髪の落ち着いた佇まい。聞き覚えのある優しい雰囲気。
「今日から当クラスに転校してきた、風祭ミコトくんだ」
先生の紹介を聞いた瞬間、私の心臓は跳ね上がった。
(風祭くん!? まさか、同じクラスなんて……)
運命、なんて言葉が頭をよぎる。
まさかこんなに早く再会できるなんて思ってもいなかった。
休み時間になると、私は思い切って彼に話しかけようと立ち上がった。
けれど、一歩足を踏み出すと急に心臓が激しく打ち鳴り、足がすくんでしまう。
人と話すのは少し得意になったつもりだったけれど、彼を前にするとどうしようもなく緊張してしまうのだ。
それに、新しい転校生に興味津々なクラスメイトたちが、あっという間に風祭くんの席を取り囲んでしまった。
「風祭くんってどこから来たの?」
「趣味とかあるの?」
人垣の向こうで、風祭くんは困ったように、でも穏やかに「料理が少し得意なんだ」と応えている。
大勢に囲まれている彼に、今の私が入っていく勇気は出そうになかった。
遠くから見つめることしかできず、私はそっと溜息をつく。
「ここぴー、どうしたの? じーっと転校生くんのこと見つめちゃって!」
「ここねちゃん、顔がちょっと赤いよ? 体調悪いの?」
いつの間にか、らんとゆいが心配そうに私の顔を覗き込んでいた。
「ゆい、らん……ううん、大丈夫。ただ……」
隠すことでもないと思い、私は二人に昨日あった出来事を話した。
男の人に絡まれて困っていたとき、風祭くんが警察を呼ぶフリをして助けてくれたこと。
そのお礼をもう一度言いたいけれど、緊張して上手く話しかけられないこと。
話を聞き終えると、らんは目を輝かせた。
「はにゃ~!!カッコいい~!!まさにヒーローじゃん!!」
「うん、風祭くん、すごく素敵な人だね!!」
ゆいは深く頷くと、私の手をぎゅっと握って、満面の笑みを向けた。
「よし、あたしたちに任せてよ!!ここねちゃんのお礼、絶対手伝うから!!」
「えっ……ゆい?」
私が驚く間もなく、ゆいとらんは迷いのない足取りで風祭くんの席へと向かって行った。
「風祭くん!!」
「えっと……どうかした?」
風祭くんが振り返る。
ゆいは快活な笑顔で、まっすぐに彼を見つめた。
「昨日、ここねちゃんを助けてくれてありがとう!!今日のお昼、あたしたちと一緒にご飯食べない?」
「えっ……あっ、芙羽さん!?」
風祭くんの視線が、ゆいの後ろに立ち尽くしていた私へと向けられた。
目が合い、私の胸が再び跳ね上がる。
私は恥ずかしさを抑えながら、小さく頷くことしかできなかった。
心地よい風が吹き抜ける中庭のベンチ。
日差しを遮る大きな木の木陰で、私たちは風祭くんを囲むようにお弁当箱を広げた。
「風祭くん、昨日は本当にありがとうございました」
私は彼に向き直り、しっかりと目を見つめて頭を下げた。
昨日は急なことで、ろくにお礼も言えずに別れてしまったから。
「あ、いや……そんな頭を下げないでよ、芙羽さん。大したことはしてないし、怪我がなくて本当に良かったよ」
風祭くんは少し困ったように笑いながら、恐縮した様子で手を振る。
けれど、私は首を横に振った。
「ううん。あの時……周りの大人たちもみんな見て見ぬふりをしていたのに、風祭くんだけが助けてくれた。それが本当にすごく嬉しかったの」
まっすぐに感謝を伝えると、風祭くんは「そんな風に言われると照れるな」と、頬を少し赤くして視線を泳がせた。
その素直で飾らない反応が、なんだかとても微笑ましい。
「それにしても風祭くんのお弁当、すごく美味しそう!!これ、全部自分で作ってきたの?」
ゆいが目を輝かせながら、風祭くんのお弁当箱を覗き込む。
色鮮やかに盛り付けられた卵焼きや綺麗に巻かれた肉巻きなど、丁寧な仕事が窺える美味しそうなおかずが並んでいた。
「うん。親が共働きだから、昔から自分の分は自分で作ってて。料理は趣味みたいなものだからね」
「はにゃ~中学生男子が自作お弁当だなんて凄すぎるよ~!!料理が趣味なんてステキじゃん!!」
らんが感嘆の声をあげると、風祭くんは穏やかな笑顔で二人の言葉に耳を傾け、ひとつひとつ丁寧に答えていく。
相手の話を遮らず、楽しそうに受け止める彼の姿は、すごく話しやすい空気を生み出していた。
(親切で優しくて……人の話をしっかりと聞いてくれる素敵な人)
楽しそうに会話するみんなの輪の中で、風祭くんの穏やかな横顔をそっと見つめる。
胸の奥がまた、ぽかぽかと温かくなっていくのを感じていた。
風祭くんのことをもっと知りたい、そう心から思った。
◇
(ミコト視点)
家に帰り着くなり、俺は制服のままベッドへとダイブした。
「疲れた……めちゃくちゃ疲れた」
顔を枕にうずめたまま、深いため息を吐き出す。初日から情報量が多すぎて精神的なスタミナが完全にゼロだ。
まさか転校初日に、男子一人の状態で女子三人と並んで昼食を食べるハメになるなんて……。
自己肯定感が低いオタクの俺にとって、あまりにもハードルが高すぎるミッションだった。
しかも、昨日パパ活おじさんから助けたのが、まさか同じクラスの芙羽さんだったとは。
遭遇した瞬間は「えっ、ラブコメ漫画のプロローグか何か?」と脳内で変な汗が出たけれど、現実の俺はただのオタクだ。
救う側と救われる側で何かが芽生えるなんて甘いイベント、二次元のラノベ世界でしか起こり得ない。
彼女たちが親切にしてくれたのは、単純に俺が昨日ちょっとした人助けをしたからであって、そこに特別な感情なんてあるはずもないのだ。
(まあでも……今日はオタク趣味がバレなくて本当に良かった)
和実さんも華満さんも、表向きの趣味として提示した「料理」の話に食いついてくれたおかげで、ボロを出さずに済んだ。
前の学校で受けた傷を思い出して少し胸がチクリと痛むけれど、今回はこの擬態を徹底して貫いてみせる。
「良し……精神エネルギーを補充するか」
ぬっと身体を起こし、俺はパソコンの電源を入れた。
ペンタブのペンを握りしめると、日中の緊張が嘘のように解けていく。
画面に描くのは、もちろん豊満なバストを誇る二次元の女の子だ。
妄想を膨らませ、理想の曲線を描き出していく作業は、俺にとって何物にも代えがたい癒やしの時間。
俺には画面の向こうの彼女たちと、今日更新されたSNSのいいね欄があればそれで十分なんだ。
俺は軽快なタッチでペン先を滑らせ、イラストを描き始めるのだった。