あれから一週間。
俺の平穏な日常を守る防衛戦は、驚くほど順調に経過していた。
オタク趣味が露見するような致命的なポロリは一度もなく、平和な学校生活を送れている。
まだ気の置けない男子の友人はできていないが、和実さん、芙羽さん、華満さんの三人とは毎日のように話すようになり、それなりに仲良くなっていた。
転校してきたばかりの俺にいつも優しく接してくれる彼女たちには、心から感謝している。
だが、感謝しているからこそ、絶対に防衛線を割られるわけにはいかないのだ。
(もし『実は夜な夜な胸の大きい女の子の絵を描いてSNSに投下しまくってるデカパイスキスキ太郎です』なんてバレたら絶対に嫌われる!!)
あのトラウマを繰り返さないため、俺は裏で対策を徹底していた。
彼女たちとの日々の会話から趣味や関心事を綿密にリサーチし、予習を重ねたのだ。
食べることが大好きで美味しそうなお店に詳しい和実さんや華満さんと会話を合わせるため、おいしーなタウンの名物料理店や評判のグルメスポットをネットで片っ端から検索した。
表向きの趣味である「料理」の知識とも相性が良く、おかげで「あそこのお店の洋食、盛り付けがすごく丁寧で美味しいらしいね」「ラーメンのスープの出汁にすごくこだわりを感じるって聞いたよ」なんて、自然な食談義ができるようになった。
さらに、おしゃれでコスメやファッションが好きな芙羽さんのために、普段は足を踏み入れないような美容系の情報サイトや雑誌のWeb記事までチェックした。
さすがに詳しくはなれないが、「最近は保湿成分入りのリップが流行ってるらしいね」程度の、会話のキャッチボールを邪魔しない最低限の知識は頭に叩き込んだ。
「風祭くんって、本当に物知りだね。お店のことも詳しいし、コスメの話までちゃんと聞いてくれて……すごく話しやすいよ」
昼休み、そう言って少し頬を緩めながら微笑む芙羽さんの言葉に、俺は胸をなでおろした。
努力の甲斐あって、彼女たちとの会話は驚くほどスムーズだ。
聞き手に回りつつ、的外れにならない相槌を打つ。
完璧な『穏やかで聞き上手な普通の男子生徒』の仮面は、今のところ完璧に機能していた。
そんなある日の休日。
自室のベッドの上で、俺は液晶画面に釘付けになっていた。
動画サブスクで視聴しているのは、大好きなロボットアニメの最新作『希望戦士ガンバル~水星の魔法少女~』だ。
「うおおおっ!!やっぱガンバルデカリアル、めちゃくちゃかっこいいなぁ!!」
画面の中で縦横無尽に駆け巡り、圧巻の戦闘シーンを繰り広げる主役機体のガンバルデカリアル。
その洗練された機体フォルムと重厚なメカアクションに、俺の男心が激しく揺さぶられた。
ダメだ、画面越しで見ているだけじゃ我慢できない。
この造形美を手元に置いて愛でたい、組み上げたい。
居ても立ってもいられなくなった俺は、財布をポケットに突っ込むと、すぐさま家を飛び出した。
向かった先は、駅前にある大型家電量販店のホビーコーナーだ。
幸いにも最後の一個が棚に残っており、俺は吸い寄せられるように箱を手に取り、レジへと直行した。
「よしっ!!」
無事にガンバルデカリアルのプラモをゲットし、ホクホク顔で店の大きな紙袋を抱えて自動ドアを出た——その直後だった。
「あっ、風祭くん!!」
不意に名前を呼ばれ、俺の心臓が一瞬で跳ね上がった。
振り返ると、そこには私服姿の和実さん、芙羽さん、華満さん……そして、見覚えのない凛とした雰囲気の女子生徒が立っていた。
「和実さん……みんなも、奇遇だね」
「うん、これからみんなでパフェ食べに行くところだったんだー!!あ、風祭くん、こちらあまねちゃん!!学校の生徒会長さんなんだよ」
和実さんの紹介を受け、三年の先輩と思われる彼女がすっと一歩前に出た。凛とした美貌と気品のある佇まい。
まさに高嶺の花といったオーラを纏っている。
「菓彩あまねだ。風祭ミコトくんだな。話は三人から聞いている。転校してきたばかりだそうだが、学校にはもう慣れたか?」
「はい!!菓彩先輩、よろしくお願いします!!」
俺は姿勢を正して丁寧に頭を下げた。
(この生徒会長さん、頼もしそうだけど、すごく真面目そうな雰囲気だ。この先輩にオタク趣味がバレたら一発で厳しい目を向けられそうだし絶対警戒しないと)
内心で冷や汗をダラダラ流しながら、必死に『優等生な後輩』の表情を作っていると、目ざとい華満さんが俺の抱えている大きな紙袋に視線を留めた。
「ねえねえ風祭くん、家電量販店で何買ってきたの~? けっこう大きな袋だけど!」
「えっ!?」
心臓が跳ね上がった。
紙袋の中身は、言わずもがな『希望戦士ガンバル』のプラモだ。
ここで「ロボットのプラモデルです」なんて答えたら、これまでの努力が全て水の泡になってしまう。
俺はとっさに頭をフル回転させ、引きつりそうな笑顔を浮かべながら、なんとか言葉を絞り出した。
「あっ、これ?これは……その、調理器具的なやつ、かな!!キッチン周りの便利グッズをちょっと買い足そうと思ってさ!!」
なんという雑な嘘だろう。
自分でも支離滅裂だとは思いつつ、表向きの趣味である「料理」を盾にするしか防衛策が思いつかなかった。
「へぇ~、調理器具なんだ!!」
華満さんが納得しかけた、その時だった。
「嫌……離してください!!」
少し離れた路地裏の入り口から、幼い泣き叫び声が聞こえた。
視線を向けると、あきらかに自分たちより年下の女の子が、この間のパパ活おじさんに強く腕を掴まれて嫌がっていた。
(あいつ……小学生の子供にまで手を出してんのか!?)
激しい憤りが胸の奥から湧き上がった。
俺は和実さんたちの制止を聞く隙もなく、一歩前に踏み出した。
「おい、離せ!!警察ならもう呼んだぞ!!」
芙羽さんを助けた時と同じように警察を呼んだとを言い放つ。
だが、男は酔っぱらっているようで、逃げるどころか目を血走らせ、こちらへ向かってくる。
「なんだと!!ガキが調子に乗んんじゃねえぞ!!」
「っ!?」
逆上した男が拳を振り上げ、容赦なく殴りかかってきた。
咄嗟に腕でガードしたものの、強い衝撃で手に持っていた紙袋が弾き飛び、ガンバルデカリアルのプラモが地面を転がっていった。
そのまま揉み合いになり、顔や腹に何発か拳をもらってしまう。
だが、そこで和実さん達が呼んでくれたのか交番の警官がすっ飛んできた。
「おい、そこまでだ!!離れろ!!」
男は駆けつけた警察官にあっという間に取り押さえられた。
女の子は無事に保護され、ケガもない様子だった。
「ふぅ……良かった、あの子に怪我がなくて」
痛みで顔を歪めながら胸を撫で下ろしていると、歩み寄ってきた菓彩先輩が冷ややかな、けれど厳しさを孕んだ声で俺を見下ろした。
「無茶をしすぎだ、風祭。警察を呼ぶならまだしも、丸腰で大人に突っ込んでいくなど軽率すぎる。自分がどうなるか考えなかったのか」
正論だった。
だが、殴られた痛みと興奮の残る頭に、その静かな窘めがカチンと響いてしまった。
「子供が危険な目にあってるのに、見捨てられるわけないだろ!!」
自分でも驚くほどの強い言葉が口から飛び出した。
いつになく荒々しい俺の声に、和実さん、芙羽さん、華満さんの三人が息を呑み、驚いた表情で固まる。
いつも穏やかで聞き役に徹していた俺が見せたことのない一面だった。
険悪な空気が流れかけたその時、菓彩先輩は表情を変えず、静かに俺の目を見つめて言った。
「助けたいという気持ちは理解できる。だが……君が傷つき、倒れることで悲しむ人間がすぐ近くにいることを忘れないでほしい」
「えっ……」
菓彩先輩の視線を追い、俺はハッと息を飲んだ。
そこには、今にも泣き出しそうな顔で、震える手で俺を心配そうに見つめる芙羽さんの姿があった。
冷水がかかったように、すっと頭が冷えていく。
自分がどれだけ周囲に心配をかけたか、ようやく理解できた。
「すみません。俺、頭に血が上っちゃって……菓彩先輩の言う通りです」
俺はいつもの穏やかな口調に戻り、深々と頭を下げた。
「風祭くん、これ……大丈夫?」
頭を下げてしょんぼりしていた俺のもとへ、華満さんがトコトコと歩み寄ってきた。
その手には、弾き飛んで少し箱が角潰れした『ガンバルデカリアル』のプラモが握られている。
(ヤバい!! 完全にバレた!?)
俺の心臓は一瞬で跳ね上がり、背中に嫌な汗が噴き出した。
調理器具なんて嘘をついた直後に、ガッツリとロボットアニメのプラモデルが出てきてしまったのだ。
「キモい」「嘘つき」と思われて引かれる未来が脳裏をよぎる。
前の学校での記憶が激しいフラッシュバックを起こし、逃げ出したい衝動に駆られた。
だが、もう言い逃れはできない。
俺は観念して視線を落とし、絞り出すように口を開いた。
「いや……ごめん。本当は料理器具じゃなくて、プラモデルを買いに来てて……」
嫌悪の視線が飛んでくるのを覚悟して身構える俺。
しかし、返ってきたのは全く予想外の言葉だった。
「風祭くん、そんなことより傷の手当てをしましょう」
「えっ?」
驚いて顔を上げると、芙羽さんが心底心配そうな、痛ましげな瞳で俺の顔を覗き込んでいた。
「そうだよ風祭くん!!頬も腫れてるし、口も切れちゃってるじゃない!」
「相当痛そうだよ~!!」
「そうだ、風祭。早く手当てをしなければ痕になってしまうぞ」
和実さんも、華満さんも、菓彩先輩も、誰一人として俺がプラモデルを買っていたことなんて気にしていなかった。
嘘をついたことも、アニメのプラモを買っていたこともどうでもよくて、ただ俺の身体のことを心配してくれていたのだ。
「うちのお店が一番近いから、あたしの家で手当てしよう!!」
和実さんの申し出に、みんなが頷く。
己の保身ばかり気にしていた自分が、なんだか猛烈に情けなく、そして彼女たちの温かさが胸にしみ渡っていった。
「みんな……ありがとう」
みんなで和実さんの家に向かおうと足を踏み出した、その時。
「あ、あの……お兄さん」
警官に保護されていた女の子が、こちらへ駆け寄ってきた。
女の子はうるうると瞳を潤ませながら、深々と頭を下げた。
「助けてくれて、ありがとうございました!! お兄さん、怪我……痛くないですか?」
自分だって怖かったはずなのに、俺の傷を気遣ってくれる女の子。
俺は女の子と目線を合わせると、頬の痛みを忘れるくらいの優しい笑顔を浮かべた。
「ううん、全然平気だよ。君が無事で、本当によかった」
男に殴られた場所は確かに痛むけれど、その時の俺の心は、不思議なくらい温かい爽快感で満たされていた。