和実さんの家である「なごみ亭」へ到着し、俺はリビングで手当てを受けることになった。
消毒液を染み込ませた綿棒が頬の傷に触れるたび、ピリッとした痛みが走る。
「みんなでパフェを食べに行く予定だったのに、俺のせいで台無しにしちゃって……本当にごめん」
申し訳なさで頭を下げると、和実さんは絆創膏をペタリと貼りながらカラッと笑った。
「ううん、気にしないで、パフェはまた今度みんなで行けばいいんだし、風祭くんが無事で本当によかったよ!!」
「そうだよ、風祭くんが謝ることなんて何もないわ」
芙羽さんも隣で温かく微笑んでくれる。
みんなの優しさが心に染みて感動していると、机の上に置いてある潰れた箱を見つめていたらんが、ふと声をかけてきた。
「ねえねえ、風祭くんってガンバル好きなの?」
「えっ!?あ、いや、まあ一応……」
まさかの質問に一瞬で動揺が走る。
だが、らんは気にした様子もなく笑顔で言葉を続けた。
「らんらんは見たことないけど、今やってる新作ってSNSで人気だもんね!」
「ガンバルって確か、赤い人とアフロの人が戦うやつだっけ?」
和実さんのその発言に、俺のオタクとしての血が思わず騒いでしまった。
「それは一番最初のシリーズだね、今やってるのはそれとは違う別の世界の話なんだ!!」
勢いよく答えてしまった俺に、芙羽さんが興味深そうに首をかしげる。
「どんな話なの?」
その質問が、俺の「オタクスイッチ」を完全に押し込んでしまった。
「水星の魔法少女は巨大企業が支配する学園に水星から転校してきた女の子が主人公で、決闘したり、告白されたり、仲間と会社を作ったり……最初は学園モノなんだけど、後半はシリアス展開で人が死んだりと単なる学園モノとして見ると完全に情緒を破壊されるタイプの作品で————」
息もつかずに一気に早口で語り尽くした瞬間、ハッと我に返った。
(しまった!?俺、またやっちゃった!!オタク特有のキモい早口で喋りまくっちゃった!!)
前の学校で「キモい」と切り捨てられた悪夢が脳裏をよぎり、血の気が引いていく。
「ご、ごめん!!俺、自分の好きなことになるとつい早口になっちゃって……引いたよね」
必死で頭を下げ、冷や汗を流す俺。
だが、目の前の彼女たちから返ってきたのは、嘲笑でも軽蔑でもなかった。
「風祭くんって、ガンバルのことが大好きなんだね!!」
和実さんが目を輝かせて、まっすぐに俺を見つめていた。
「えっ……?」
「だって、すごく楽しそうに話してたし、きっとすごくおもしろいアニメなんだね!!」
「うん。私にも、風祭くんがガンバルを好きなんだって気持ち、すごく伝わってきた」
芙羽さんが柔らかく微笑み、らんも弾んだ声で乗っかる。
「風祭くんがそんなにハマってるなら、今度らんらんも見てみようかな!」
「私もアニメに関しては詳しくないが、非常に興味深い話に感じたぞ」
菓彩先輩まで静かに頷いている。
予想外すぎる、温かく好意的な反応。
自分の「好き」を否定されず、まっすぐに受け止めてもらえたことが嬉しくて、胸の奥がじんわりと熱くなっていくのを俺は感じていた。
みんなの温かい反応が胸にしみ渡り、心底ホッとした。
けれど、ここで調子に乗ってオタク全開になってしまっては元も子もない。
俺は必死に気を引き締めた。
「女の子はロボットアニメとかあんまり興味ないと思ってたんだけど……」
ガンバルシリーズを好きな女性ファンも確かに存在するが、男性層に比べれば圧倒的に数は少ないはずだ。
「ロボットはあんまり詳しくないけど、らんらんもアニメくらい見るし、いつでも気軽に話してよ!!」
「うん、あたしもアニメとか見るし、おもしろい作品があったら教えてほしいな」
「風祭くんの好きなもの……もっと私も知りたい」
三人のストレートで好意的な言葉に、思わず心がグラつきそうになる。
こんなに自分の「好き」を肯定されたことなんて、今まで一度もなかったから。
そんな俺たちのやり取りを静かに見ていた菓彩先輩が、ふと核心を突くような質問を投げかけてきた。
「私は今日会ったばかりだから、わからないが……風祭はアニメが好きなのか?」
突然の変化球に心臓が跳ね上がった。
「えっと、まあ……人並みに好きですね」
ここで「深夜の萌えアニメが大好きです。特に今期は『俺の彼女は吸血鬼でFカップらしい~本当はHカップです~』のポポネちゃんが最高です!!」なんて口が裂けても言えるはずがない。
そんなことを言ったら一発でアウトだ。
「そうなんだ。風祭くんって私達の話はよく聞いてくれるけど、あんまり自分のこと話さないから知らなかったよ」
「言われてみると確かにそうだね……風祭くんって聞き上手だもんね」
「うん……私の話聞いてもらえるのは嬉しいけど、もっと風祭くんの話も聞きたいな」
どこか寂しそうにこちらを見つめる芙羽さんの視線に、俺は気まずくなって頭を掻いた。
「いや、アニメの話とか……以前の学校では女子にあんまりいい顔されなくてさ。話さない方がいいかなと思って」
「そっか、そういう人もいるんだね」
「あー……確かにそういう子もいるかもね」
「えっ、そうなの?」
芙羽さんが不思議そうに目を丸くする。そんな俺たちのやり取りを見ていた菓彩先輩が、腕を組んで静かに頷いた。
「確かに嫌いな人もいるだろうが、場所と人を選んで話せば問題ないだろう」
「えっと……菓彩先輩の前では話しても大丈夫なんですか?」
「キミは私をなんだと思ってるんだ?」
あきれたように眉を寄せる菓彩先輩に、俺は慌てて理由を付け足す。
「だって、生徒会長ですし」
「はぁ……生徒会長だから融通の利かない堅物とでも思ったのか? 昔はともかく、今時アニメを見るのなんて普通だろ」
「す、すみません!!」
俺は恐縮して小さくなった。
厳格に見えた生徒会長の菓彩先輩までもが、アニメに対して何の偏見も持っていない。
前の学校で言われた言葉に囚われて、自分で勝手に壁を作っていたのは俺の方だったのかもしれない。
彼女たちの優しさと寛容さに触れ、俺の頑なだった心が、少しずつ解けていくのを感じていた。
その後、俺は万人受けする無難なアニメ作品をいくつかみんなに紹介し、その日の集まりは解散となった。
家に帰り着き、自室のベッドへと勢いよく倒れ込む。
「はぁー……一時はどうなることかと思った」
ガンバルのプラモデルを買っていたことがバレた瞬間は、本気で生きた心地がしなかった。
けれど、みんなに嫌われたり引かれたりすることもなく、無事に一日を終えられたことに、俺は深い安堵の吐息をついた。
(だけど、今回はあくまで『王道のロボットアニメ』だったから受け入れてもらえたんだよな)
もしあの時、買っていたのが美少女プラモデルだったらどうだろう。
絶対にまったく違う、地獄のような展開になっていたはずだ。
ましてや、俺が夜な夜な『デカパイスキスキ太郎』という名前で、胸の大きな女の子のイラストを描いてSNSに投稿しまくっているなんて知られたら……。
想像するだけでも寒気が走る。
そこだけは死んでも死に切れない絶対不可侵領域だ。
「……でも」
俺は天井を見つめながら、ぽつりと呟いた。
前の学校でトラウマを植え付けられてから、俺は自分の「好き」を誰にも言えず、ずっと隠し続けてきた。
だから今日、ほんの一部であっても、自分が大好きなものを和実さんや芙羽さん、華満さん、菓彩先輩に受け入れてもらえたことが、心の底から嬉しかった。
箱の角が少し潰れてしまったガンバルデカリアルのプラモデルを大切に机の上に置く。
(よし……明日からまた、みんなと楽しく過ごせるように頑張ろう)
胸の中に芽生えたほんのりとした温かさを感じながら、俺は箱を空け、プラモデルを作り始めるのだった。