(ここね視点)
放課後、終礼が終わって鞄をまとめる風祭くんの背中を見つめる。
やっぱり、今日の彼の様子は明らかにおかしかった。
休み時間、真っ青な顔をして今にも倒れそうだったあの姿。
お腹が痛かったと言っていたけれど、私にはどうしてもそれだけには見えなかった。
帰ろうとしている風祭くんに、私は思い切って声をかけた。
「風祭くん、あの……本当に大丈夫?」
風祭くんはくるりと振り返ると、いつもの穏やかな笑みを浮かべた。
「うん、もうすっかり平気だよ。心配してくれてありがとう、芙羽さん」
今の彼は確かにいつもの風祭くんで、顔色も悪くない。
けれど、あの瞬間の彼が見せた表情が、どうしても私の胸に引っかかっていた。
「今日は、私も一緒に帰る」
口をついて出た言葉に、風祭くんは「えっ?」と目を丸くして驚く。
「あ、それならあたしも一緒に帰るー!!」
「らんらんも行く行く~!!」
近くにいたゆいとらんが元気に会話に乗っかってきて、なんだか賑やかな展開になってしまった。
さらに校門の近くであまねとも合流し、結局みんなで一緒に下校することになる。
道中、私はそれとなく風祭くんの様子を探っていた。
けれど、ゆいの食いしん坊な話に笑い、らんのテンションに優しく相槌を打ち、あまね先輩の真面目な問いかけにも丁寧に答える彼は、どこからどう見ても完璧な「いつもの聞き上手な風祭くん」だった。
違和感なんて、ひとつも見当たらない。
途中の喫茶店に入り、先日行けなかった分のパフェをみんなで食べた。
大きなパフェを美味しそうに頬張るゆいを見て、風祭くんは楽しそうに目を細めている。
何事もなくお店を出て、「じゃあ、また明日ね」と笑顔で手を振り合い、その場で解散となった。
……けれど。
一人で道を歩き出し、角を曲がっていく風祭くんの背中を見送った瞬間、私の胸の奥がキュッと強く締め付けられた。
やっぱり、違う。
みんなの前で見せるあの優しい笑顔の裏に、彼は何か大きな痛みを隠している気がしてならない。
私は翻すと、風祭くんが歩いていった道を追いかけ始めた。
風祭くんの姿を探して走ると、彼は駅前の本屋へと入っていくところだった。
静かな店内に足を踏み入れ、本棚の陰からそっと彼の様子を伺う。
風祭くんは新刊コーナーの前で足を止めると、一冊の本を手に取り、どこか愛おしそうに見つめてからレジへと持っていった。
会計を済ませ、大切そうに鞄へとしまう姿を見送り、私は彼が本を取り出した場所へと歩み寄る。
何を買ったんだろう?
気になって平積みされた表紙を確認した瞬間、私は言葉を失った。
「えっ……」
『俺の彼女は吸血鬼でFカップらしい~本当はHカップです~ 10巻 初回限定版アクリルスタンド付き』
そこには、すごく胸の大きな女の子が、露出度の高い服を着て描かれていた。
あまりにも刺激的なイラストと、あまりに直接的なタイトル。
(か、風祭くんが……これを買ったの!?)
頭の中が真っ白になる。
いつも穏やかで、優しくて、品があって、どこか大人っぽい風祭くん。
そんな彼のイメージからは、お世辞にも結びつかないタイトルだった。
正直、言葉が出ないくらい驚いた。
ガンバルみたいなロボットアニメだけじゃなくて、こういう男の子向けの漫画も読むのかな?
店を出てしまった風祭くんの姿はもうなく、今さら聞くこともできない。
(でも……これを読めば、風祭くんの気持ちが少しは分かるのかな?)
胸の中に生まれた小さな好奇心と、彼をもっと知りたいという強い思い。
私は鼓動が早くなるのを感じながら、震える手で『俺の彼女は吸血鬼でFカップらしい~本当はHカップです~』の第1巻を取り出した。
レジに持っていくまでの数メートルが、まるで永遠のように長く感じる。
レジの店員さんにどう思われるだろうと、顔が熱くてたまらなかった。
どうにか購入し、逃げるように家に帰りついた私は、自室のベッドの上で正座をして、その単行本を静かに開いた。
「あっ……」
ページをめくるたび、私の顔は火が出そうなほど真っ赤になっていく。
内容は、吸血鬼の女の子と男の子の、少しドタバタしたラブコメディ。
けれど、とにかくヒロインの胸の主張が激しく、うっかり服が破けたり、ハプニングで密着したりと、私にとっては刺激が強すぎる描写の連続だった。
「ひやぁ……パムパム、見ちゃダメ!!」
膝の上で心配そうに見上げてくるパムパムの目を思わず手で覆ってしまう。
ありふれたラブコメ作品なのかもしれない。
でも、私にとっては人生で初めて触れる世界。
熱くなった頬を手で押さえながら、私はページを繰る手が止められずにいた。
(風祭くんは、こういう女の子が好きなのかな?)
彼の意外すぎる一面に戸惑いながらも、その奥にある「好き」の影を追いかけるように、私は赤面したまま静かに夜を明かしていくのだった。
◇
(ミコト視点)
次の日。
昨日の放課後、無事に『俺の彼女は吸血鬼でFカップらしい~本当はHカップです~ 10巻 初回限定版アクリルスタンド付き』をゲットできたおかげで、俺のメンタルはすっかり回復していた。
最推しのポポネちゃんのアクリルスタンドを自室のデスクに飾り、エネルギーは満タンだ。
「おはよう、和実さん、華満さん……芙羽さん」
いつものように元気に登校した俺だったが、ふと芙羽さんの様子がおかしいことに気づいた。
なんだか朝から目が合うたびに顔を真っ赤にして視線を逸らされたり、チラチラとこちらを盗み見られたりする。
お腹でも痛いのだろうかと少し心配になった。
昼休み、三人と一緒に中庭で楽しく昼食を食べ終え、教室へ戻ろうとした時のことだった。
前を歩く和実さんと華満さんに気づかれないよう、芙羽さんがすっと俺の隣に寄ってきて、小さく囁いた。
「風祭くん、放課後、二人で話したいことがあるの……いいかな?」
「えっ?あ、うん、いいよ」
真剣な眼差しに押され、俺は首を縦に振った。
そして放課後。
校舎の裏手にある、人通りのない静かな中庭の木陰へ移動した。
夕日が差し込む中、芙羽さんはじっと俺を見つめている。
「芙羽さん、話って?」
「昨日ね、風祭くんが本屋さんに入っていくのを見たの」
「え?」
心臓が嫌な跳ね方をした。
「風祭くんがレジに持っていった本って『俺の彼女は吸血鬼でFカップらしい~本当はHカップです~』だよね?」
頭の中が真っ白になった。
血の気がスーッと引いていき、視界がぐらりと揺れる。
(終わった……俺の平和な学園生活が完全に終わった!!)
隠し通してきた最深部のオタク趣味。
よりによって、一番過激なタイトルの萌え漫画を買っているところを見られていたなんて……。
妄想でも何でもなく、完全な死の宣告だ。
絶望のあまり膝から崩れ落ちそうになる。
俯く俺の前で、芙羽さんが何かを言いたそうに口をもごもごさせていた。
(来る……『キモい』って言われる!! 前の学校の時みたいに、軽蔑の目で切り捨てられるんだ!!)
俺は歯を食いしばり、最悪の罵倒を受け止めるべく全身を硬直させて身構えた。
だが、彼女の口から飛び出したのは、全く予想もしない言葉だった。
「風祭くんって……ポポネちゃんみたいな、胸の大きな女の子が好きなの?」
「………………は?」
固まる俺。
胸の大きな女の子?ポポネちゃん?
予想の斜め上を猛スピードで突き抜けていった質問に、俺の思考回路は完全にフリーズしてしまった。
「実は私……風祭くんが買った後、気になって『俺の彼女は吸血鬼でFカップらしい~本当はHカップです~』の1巻を買って読んでみたの」
「な、なんですと!?」
予期せぬ衝撃発言に、普段なら絶対に口にしないような間抜けな叫びが漏れ出た。
清楚で可憐な芙羽さんが、あの露出度全開・ハプニング満載の萌え漫画を買い、しかも実際に読んだ!?
ダメだ……脳内の処理が完全に追いつかない。
「な、なぜ芙羽さんが萌え漫画を……」
理由を尋ねると、彼女は恥ずかしそうに頬を染めながら、まっすぐな瞳で俺を見つめてきた。
「風祭くんが何を好きなのか、もっと知りたくて。だから……」
俺のことをもっと知りたいから。
その健気で純粋すぎる理由に、俺の心臓は激しく跳ね上がった。
だが、前の学校で刻まれた深いトラウマが、俺の頭に警報を鳴らし続ける。
「芙羽さん……本当に俺のこと『気持ち悪い』とか思わないの?あんなエッチな萌え漫画読んでる男なんて、普通は引くでしょ!?」
必死で問い詰める俺に対し、芙羽さんは「どうして?」と、本気で理由が分からないといった風に首をかしげた。
「男の子って、ああいう漫画が好きなものなんでしょう?私には少し刺激が強くて……すごくびっくりしちゃったけれど風祭くんを嫌いになる理由にはならないわ」
うつむきながら耳まで真っ赤にして、一生懸命に自分の言葉で想いを伝えてくれる芙羽さん。
その嘘偽りのない温かな表情に触れ、俺の肩からすーっと毒気が抜けていった。
この人は、俺を害そうなんてこれっぽっちも思っていない。
心の底から俺を受け入れようとしてくれているんだ。
身構えるのをやめた俺は、絞り出すような声で、ずっと胸の奥に閉じ込めていた過去を話し始めた。
「前の学校でさ。仲の良かった女子生徒に、俺がこういう絵を描いてることがバレて『キモい』って、面と向かって拒絶されたんだ。それから、自分の『好き』を他人に知られるのが……女の子に知られるのが、怖くてたまらなかったんだ」
夕暮れの中庭で、俺は初めて自分のトラウマを、目の前にいる彼女へと打ち明けた。
「風祭くん、絵を描いてるの!?すごい!!」
自分のトラウマを打ち明けた直後、返ってきたのは呆れるほどの賞賛だった。
芙羽さんは目をキラキラと輝かせ、まるで宝物を見つけたかのように俺を見つめている。
「えっ……いや、全然すごくないし」
あまりに予想と違う反応に、俺は完全に困惑した。
諦め混じりにスマホを取り出し、自分のSNSアカウントを開く。
画面に表示させたのは、気合を入れて描いた少し露出度の高いポポネちゃんのイラストだ。
「ほら……こういう絵だよ。こんな胸の大きな萌え系の女の子ばかり描いてたら、キモいって言われても仕方ないよな」
自虐的に笑い、これでようやく引いてくれるだろうと視線を落とす俺。
だが、芙羽さんはスマホの画面を凝視した後、まっすぐに俺の目を見つめ返した。
「そういう風に思う人もいるのかもしれないけれど……私はそうは思わない」
「えっ?」
「だって、すごく上手く描けてるし……それに、これが風祭くんの『好き』なんでしょ?」
一瞬、呼吸が止まった。
「大丈夫……私は風祭くんの好きを否定しないよ。だから、もっと風祭くんのことを教えて欲しい」
夕陽に照らされた彼女の瞳には、一切の嘘も偽りもなかった。
けれど、あまりにも優しすぎるその言葉に、自己肯定感の低い俺の心が耐えきれず、つい強い口調になってしまう。
「どうして……そんなことが言えるんだよ!?」
「私は風祭くんが優しくて正義感が強くて、素敵な人だって知ってるから」
「いやいや、俺はそんな立派な人間じゃないよ!!」
「だって、おじさんに絡まれて困っていた私を助けてくれたし、この間だって、誰よりも早く小さな女の子を助けに向かったのは風祭くんだよ」
逃げ場を無くすように、彼女は俺の軌跡をひとつひとつ言葉にして紡いでいく。
「それにね、いつも私やみんなの『好き』をちゃんと聞いてくれるところ……私、すごく好きだよ」
そう言い切った瞬間、芙羽さんは自分の言葉の意味に気づいたのか、顔から火が出そうなほど真っ赤になった。
「す、す、好きっていうのは、その、あの、違くて!! 友達としてというか、人間としてというか、あ、あのね!?」
両手をパタパタと振り回しながら、爆発しそうな顔で大焦りする芙羽さん。
その必死で可憐な姿を見ているうちに、俺の胸の奥で固く閉ざされていた扉が、パカッと音を立てて開いた気がした。
(あぁ……この人は本当に、俺を否定しないんだ)
前の学校でのトラウマも、自分が隠してきた不格好なオタク趣味も、全部包み込んでくれた。
俺は小さく息を吐くと、ずっと強張っていた肩の力を抜き、今日一番の穏やかな笑顔を浮かべた。
「ありがとう、芙羽さん。もう大丈夫……俺、芙羽さんのこと信じるよ」
俺の口から出た「信じる」という言葉に、芙羽さんは本当に嬉しそうに目を細めた。
だが次の瞬間、彼女は急に顔を真っ赤にし、上目遣いで羞恥を滲ませながら尋ねてきた。
「あのね……さっき風祭くんのSNSの名前が見えちゃったんだけど……やっぱり胸の大きな女の子が好きなの?」
見られた!?
よりによってあの最凶にして最大のペンネーム『デカパイスキスキ太郎』を!!
「い、いや!!これは、その、違くて!!俺はあくまで二次元の大きなおっぱいが好きなだけで、だけど小さなおっぱいも嫌いじゃなくて……って何を言ってるんだ俺は!?」
焦りすぎて思考回路がショートし、支離滅裂なことを口走ってしまう。
自分でも何を言い出しているのか分からず、後悔と恥ずかしさで頭を抱えた。
すると、芙羽さんは少しだけ思案するように首をかしげた。
「つまり……小さくても恋愛対象ってこと?」
「えっ?あっ……うん、二次元のキャラクターと現実の人間は違うものだし、比べるものじゃないだろ」
俺にとっては、創作物の世界と現実はまったくの別物だ。
現実の誰かと比べるような真似なんて最初からしていない。
「そっか……うん、教えてくれてありがとう」
なぜかほっとしたように、どこか嬉しそうな微笑みを浮かべる芙羽さん。
俺は咳払いをひとつ挟むと、少し表情を引き締めてお願いした。
「あっ、俺が絵を描いてることや萌え漫画が好きなことは、できれば他の人には話さないで欲しいんだ」
「ゆい達なら、話しても絶対に大丈夫だと思うけれど……」
「ごめん……和実さん達を信用してないわけじゃないんだ。でも……やっぱり、まだ無理なんだ」
情けない話だが、過去のトラウマを完全に払拭できたわけじゃない。
みんなに明かすほどの勇気はまだ俺にはなかった。
「わかった。風祭くんがそう言うなら、絶対に秘密にしておくね」
彼女は真剣な眼差しでそう言って、力強く頷いてくれた。
その言葉に、胸のつかえがすっと下りて心の底から安心する。
「えっと……これから、私に風祭くんの『好き』をもっと教えてもらってもいい?」
夕闇が迫る中庭で、上目遣いにそう告げてくる芙羽さん。
断る理由なんて、俺にはどこにも見当たらなかった。
彼女のまっすぐで温かな優しさに押されるように、俺は静かに頷くのだった。