(ここね視点)
その日の夜。
自室の静かな明かりの下で、私は昼間に風祭くんの家で起きた出来事をゆっくりと思い返していた。
風祭くんと一緒にモンスターイーターをプレイしたのは、本当に楽しかった。
画面の中で息を合わせて戦い、勝てた瞬間の喜び。
彼が自分のことのように喜んでくれた顔が、今も胸の奥を温かく満たしている。
けれど……それ以上に、私の心に強く残っている言葉があった。
『だから芙羽さんも、何か好きなものがあるなら、まずは絵でも文章でもいいから形にしてみるといいんじゃないかな。誰かに見せる必要なんてないし、自分が楽しむことが一番大事だと思う』
自分の描いた絵を前にして、照れくさそうに、でもまっすぐな瞳でそう語ってくれた風祭くん。
(私の……『好き』)
膝の上に置いた手を見つめながら、自分が大好きなものをひとつひとつ心の中で数え上げてみる。
可愛いコスメ。
焼き立ての美味しいパン。
可愛い小物や動物たち。
優しくて大好きなパパとママ。
そして、かけがえのない大切な友達……ゆい、らん、あまね。
パムパムたち。
……それから、風祭くん。
(これを、何か『作品』にするのは、すごく難しい気がする)
絵を描くにしても、風祭くんのように線を引く技術は私にはない。
文章を書くにしても、どうやって物語に仕立てればいいのか想像もつかなかった。
一人でうーんと悩んでいても拉致があかないと感じた私は、デスクからタブレットを取り出した。
画面をタップし、検索窓に「初心者 創作」「絵 小説 作り方」と打ち込んでみる。
検索結果を辿りながら、世の中にはアニメやゲーム、小説などのファンが自分で作品を作る「二次創作の世界」があることを知った。
イラストや小説、たくさんの人々が自分の『好き』を自由に表現している。
画面をスクロールしながら、どういった作品が作られているのかを調べていくうちに……私の指がある一つの単語の前で止まった。
『夢小説』
聞き慣れない言葉に首をかしげつつ、説明のページを開く。
「自分のオリジナルキャラクターや自分自身を、好きな作品の世界や登場人物と関わらせて書く文章?」
そこに書かれていた解説を読み進めるうちに、私の心臓がドクンと大きく跳ね上がった。
物語の中に、自分の思い描く人物を登場させて、大好きなキャラクターとお喋りをしたり、一緒に過ごしたりする小説。
「これなら……」
タブレットの明かりが照らす私の顔が、じわじわと熱くなっていく。
文章の上手い拙いは関係ない。
ただ自分の思い描く「もしも」の世界を文字にする場所。
風祭くんが言っていた「自分が楽しむための創作」の形が、そこにはあった。
私は高鳴る胸を抑えながら、夢小説の書き方を解説するページを夢中で読み進めていくのだった。
次の日。学校の昼休みに、私は思い切って二人に尋ねてみた。
「ゆい、らん……『夢小説』って、知ってる?」
「ゆめしょうせつ? 夢の中に出てくるおいしいお話かなあ?」
「らんらんも知らない……なになに、面白い本なの、ここぴー?」
きょとんとした表情で首をかしげるゆいとらんに、私は少し焦って手を振った。
「ううん、なんでもないの。ちょっと聞いたことがあっただけだから、気にしないで」
やっぱり二人も知らなかったみたい。
なんだか妙にドキドキしてしまって、それ以上深く追求するのはやめておいた。
放課後、家に帰った私は、すぐに自室のデスクに向かった。
タブレットを開き、メモアプリを起動する。
(風祭くんが言っていた……自分の『好き』を、自分が楽しむために形にする)
キーボードに手を置き、息を呑む。
これから書く物語の主人公は……『私』。
そして相手は……『風祭くん』。
誰にも見せない、私のためだけの小説。
タイトルは——『あなたとわたしの物語』。
物語の文字を打ち進めていくうちに、私自身も驚くほどスラスラと指が動いた。
画面の中の「私」と「風祭くん」は、二人で手を繋いで綺麗な公園を散歩したり、一緒に焼きたてのパンを食べたり、彼のお部屋で笑い合ったりしている。
現実にやってみたいこと、胸の奥に閉じ込めていた小さな願望が、次々と文章になって溢れ出していく。
夢中になって文字を打ち続けていた、その時だった。
『——風祭くんは優しく微笑むと、「ここね」と私の名前を呼んだ。』
画面に浮かび上がったその一行を目にした瞬間、ぴたりと指が止まった。
胸の奥がぎゅっと締め付けられるように熱くなる。
(私……本当の風祭くんにも、『ここね』って名前で呼ばれたいな)
いつも「芙羽さん」と丁寧な距離を保って呼んでくれる彼。
その声で、私の名前を呼んでもらえたら、どれほど嬉しいだろう。
そんな欲張りな妄想に浸り、顔から火が出そうになっていた時だった。
「『かざまつりくんは、やさしくほほえむと、ここね、となまえをよんだパム!』」
「っっ〜〜〜〜!?」
突然、背後から響いた可愛らしい声に心臓が飛び跳ねた。
振り向くと、ベッドの上でパムパムがタブレットの画面を覗き込み、誇らしげに文章を音読していたのだ。
「パ、パムパム!!勝手に読まないでっ!!」
私は大慌てでタブレットを胸に抱え込み、真っ赤になった顔を覆い隠した。
部屋の中に、パムパムの無邪気な声と、私の激しい鼓動だけが響き渡っていた。
「パムパム、お願いだから秘密にしてね?」
「分かったパム。ここねのひみつの物語パムね!!」
パムパムに指切りで固く約束してもらい、私はほっと息をついた。
再びタブレットに向かい、小説の続きを書き進めていく。
画面の中の「ここね」と風祭くんは、遊園地に行ったり、おしゃれなカフェでお茶をしたりと、何度も素敵なデートを重ねていた。
キーボードを打つ指を止め、私は昨日の夕暮れ時の彼の言葉を思い出していた。
『俺も、すごく楽しかったよ。……ゲームもいいけど、今度は俺に芙羽さんの『好き』なもの、もっと教えてよ』
胸の奥がトクンと温かい音を立てる。
(これって……風祭くんと一緒にお出かけする、素敵な理由になるんじゃないかしら?)
私の大好きな場所や、美味しいと思うパン屋さん。
そういう自分の『好き』を教えるという名目なら、自然に彼を誘えるかもしれない。
風祭くんと二人きりでお出かけ……つまり、現実でのデート。
そう考えただけで、頬がカッと熱くなって舞い上がってしまう。
(でも……どうやって誘えばいいんだろう?)
今まで誰かを自分から遊びに誘うことなんて、ほとんどなかった。
どんな風に声をかければ、風祭くんを困らせずに自然に誘えるのか分からなくて、うーんと頭を悩ませる。
その時、画面に表示されている自分が書いた夢小説が目に入った。
(あっ!?)
物語の中の「私」は、風祭くんの手をまっすぐに見つめながら、少し恥ずかしそうに、でも素直に「一緒に行きたい場所があるの」と声をかけていた。
(そうだ……この小説の私を参考にすればいいんだわ)
自分が思い描いた「理想の自分」なら、きっと彼に気持ちを伝えられるはず。
私は勇気を出すために、画面の中の「私」が言った誘い文句を何度も心の中で呟きながら、明日学校で彼に渡すための約束の言葉をそっとノートに書き留めるのだった。
次の日の放課後。
帰宅の準備を終えて席を立とうとした風祭くんに、私は深呼吸をひとつ挟んでから声をかけた。
「風祭くん……今日も、一緒に帰ってもいいかな?」
「えっ、うん!!もちろん大丈夫だよ」
ふんわりと柔らかく笑う風祭くんの姿に、胸の鼓動が少しだけ早くなる。
校門を出て、茜色に染まり始めた帰り道を二人で並んで歩く。
最初は今日観たアニメの感想や、モンスターイーターの話といった雑談をしていた。
けれど、私の頭の中は昨日ノートに書き留めた「夢小説のセリフ」でいっぱいだった。
指先をぎゅっと握り締め、意を決して足を止める。
「……風祭くん」
「ん? どうしたの、芙羽さん?」
不思議そうに振り返った風祭くんのまっすぐな瞳を見つめ返す。
昨日の夜、画面の中の「私」が言った言葉を、そっと唇に乗せた。
「あのね……風祭くんが『私のす……私の好きなものをもっと教えて』って言ってくれたでしょう?」
少し噛みそうになって焦りつつも、言葉を紡ぐ。
「だから……今度の休日、二人だけでお出かけしたいの。その……私と……デートしてくれませんか?」
『デート』という単語を口にした瞬間、自分の顔が火から上がったように熱くなるのが分かった。
夢小説のセリフをそのまま言ってみたけれど、現実で口にするのは想像以上に恥ずかしい。
風祭くんは目を丸くして完全に固まっていたが、みるみるうちに耳の先まで真っ赤になっていった。
「えっ!?俺と芙羽さんが二人だけでデ、デ、デ、デ……デート!?」
「う、うん……私のお気に入りの場所に、風祭くんを案内したくて。……ダメ、かな?」
上目遣いに彼の反応を伺う。
断られたらどうしようと不安で胸が締め付けられそうになった、その時だった。
「だ、ダメなわけないよ!! 俺でよければ……喜んで、ご一緒させてください!!」
風祭くんは照れくさそうに視線を泳がせながら、でもしっかりとした声で首を縦に振ってくれた。
「ふふ……ありがとう、風祭くん」
彼の承諾を得られた嬉しさに、私は胸を撫でおろし、今日一番の笑顔を咲かせるのだった。