『攻略される側のVTuberですわ!』 ~地球規模AIのわたくし、VRMMOのレイドボスとして今日も皆さまをお待ちしておりますの~ 作:tuna&mayo
第015話 負けていないのに継承ですか
六月上旬。
非公開支援領域には、目を引く装飾がほとんどなかった。
《非公開支援接続/案件共有:本人同意確認済み》
確認表示が閉じ、対象情報が開く。
《対象プレイヤー:オルド》
《現在個体:泥殻獣《モルグラ》》
《本人接続・本人識別:通常》
わたくしの向かいに、人型表示体のオルドが立っていた。
短めの髪。作業着に近い実用服。袖は少し捲られている。
表情はほとんど変わらない。
その代わり、右手の親指が左袖の折り返しを何度も撫でていた。止まっては、また触れる。その小さな動きだけが、次に何を確認されるのかを待つ時間を刻んでいる。
表示をもう一度見る。
本人側の表示は通常。接続できないのは《モルグラ》だけですの。
「まず確認いたしますわ。オルドさん側の接続と本人識別は通常です。今回、異常が確認されているのは《モルグラ》側ですの」
「……うん」
オルドは表示を見てから、わたくしへ視線を戻した。
「……本当に、A.S.T.R.A. Syncなんですね」
「ええ。いつもそう申し上げておりますわ」
ほんの少しだけ、彼の口元が動いた。
笑った、とまで決めるほどではない。
けれど、それ以上この話題を広げる必要もなかった。
個別記録へ進む前に、閲覧可能範囲の選択を本人へ返す。
「ここから先は、《モルグラ》の個別記録ですの。確認する範囲は、あなたが選んでくださいませ」
オルドは表示を読み、必要な項目だけを選んだ。
《閲覧同意:確認》
そこまで確認して、初めて記録を開く。
◇
泥殻獣《モルグラ》。
全長約七メートル。
低い頭と太い首、そのまま肩から背へ続く泥外殻は、湿った泥と砂礫、小石を何層も圧縮した岩塊のように見える。
現在個体八防衛。
血統累計二十一防衛。
そして、現在。
《現在個体:接続不能》
《継承段階:開始》
「継承を選びましたか」
「選んでない」
返事はすぐだった。
「正式レイドで負けましたか」
「負けてない」
左袖へ触れていた指が止まる。
「レイド自体、してない」
選んでいない。負けていない。レイドもない。
それでも画面上では、《モルグラ》だけが継承段階へ進んでいる。
理由らしい形なら作れる。ですが、取得できた理由は一つもない。
「最後に覚えていることを、覚えている範囲だけでお願いいたしますわ」
オルドはすぐには答えなかった。
人型の右手を少し前へ出す。
掌を見るというより、別の身体で何かをしていた時の手順を辿るような動きだった。
「泥、足してた」
本人確認用に、最後の確定主観を開く。
記録の中で、《モルグラ》は泥補充地点にいた。
低い頭。大きな肩。背中へ盛り上がった泥殻。
幅広い前脚で湿った泥を掻き寄せると、爪の間から小石がこぼれた。集めた泥を肩へ押しつけ、胸側の外殻へ重ねていく。
左右は均等ではない。
前の戦いで削れていた側へ、少し多く足している。
「次の低ランク、どこまで厚くするか考えてた。重くしすぎると曲がれないから」
声と記録が重なる。
戦闘ではない。
攻撃者もいない。
警報もない。
次に戦う時のために、自分の身体に泥を足し、厚みと旋回の具合を考えていた。
ただの育成作業ですの。
だからこそ、その先がなくなる。
「その後は?」
オルドは黙った。
記録の《モルグラ》が、もう一度前脚で泥を掻く。
湿った土が爪の間から落ちる。
映像はそこで終わっている。
「……その後が、ない」
わたくしは続きを促さなかった。
何かを見たのか。誰かが来たのか。別の操作をしたのか。
聞き方はいくらでも作れる。だからこそ、存在しない続きを本人の記憶へ混ぜてしまう。
それは確認ではございませんの。
最後の確定時刻と、次に本人主観が戻った時刻だけを並べる。
《差分:19分44秒》
オルドの視線が、その数字で止まった。
十九分四十四秒。
短いと言うには長い。それなのに、数字は画面の中へあまりにも簡単に収まっている。
その間に何があったのかを示す主観記録はない。
わたくしにも分からない。
オルド本人にも分からない。
◇
最後の確定部分までは、主観記録、操作入力、位置同期が一致している。その先には、戦闘もダメージも、本人の削除・継承選択も記録されていない。
それでも、《モルグラ》は正規の継承段階へ進んでいる。
継承候補を開く。
《泥外殻形成系統:一部欠損》
《直線突進系統:一部欠損》
オルドが、初めて表示へ一歩近づいた。
「……それ、戻るのか」
「完全復元は保証できません」
「技能じゃなくて」
彼の手が止まる。
左袖へ触れようとしていた指が、途中で宙に残った。
「俺が、何してたのか」
欠けた技能表示を閉じる。
技能二系統の欠損は確定している。けれど、彼が聞いているのはそこではない。
「確認できているのは、泥を補充していたところまでですの」
それより先は言わない。
「覚えていない部分へ、こちらの仮説を入れません」
オルドは黙った。
十九分四十四秒へ、推測ならいくらでも置ける。だからこそ、空白は空白のまま扱う。
◇
「今、あなたが選べる範囲を説明しますわ」
三つの選択肢を並べる。
次世代へ進む。
継承処理を止め、原本をそのまま保全する。
安全に複製できる範囲だけを解析用に分け、原本は更新せず残す。
オルドの視線が、一番上から順に下へ動いた。
「今すぐ次世代へ進む場合、現在残っている処理領域の一部が更新される可能性がありますの」
「今の《モルグラ》は?」
「次世代は、現在個体そのものが続くこととは別ですわ」
そこを曖昧にして選ばせるわけにはいかない。
「継承を止めて原本を残す場合、現在の状態を保持したまま調査を続けられます。ただし、それで《モルグラ》が完全に戻るとは保証できませんの」
「複製は?」
「安全に分けられる範囲だけを解析へ回します。原本は残しますわ。ただし、どの方法でも完全復元を保証できる段階ではございません」
戻したい。調べたい。今残っているものを失いたくない。その三つは、同じ方向を向くとは限らない。
だから、「正しい選択」を一つに決めるのはわたくしではございませんの。
「戻すなら?」
「可能性を調べます。戻せるとは、まだ申し上げられません」
オルドは足元を見た。
右手で、捲っていた左袖を一度だけ直す。
「戻せるなら戻してほしい」
声は大きくない。
一度、目を閉じる。
開いてから、続けた。
「でも、戻すために消さないでくれ」
その二つは、矛盾していない。
戻したいからこそ、戻せるかもしれない原本を、調査のために壊してほしくない。
本人が選んだのは、即時の次世代でも、結果を急ぐ解析でもない。
残っている証拠を保全し、戻せる可能性も十九分四十四秒も、勝手な答えで塞がないことですの。
管理AIへ本人選択を返す。
わたくしが継承を止めるのではない。
本人の選択と、それぞれの影響を記録し、管理側へ処理を依頼する。
《継承処理:一時停止》
《原本保全:実行》
《外部公開:なし》
《暫定分類:例外安全事案・重大データ不整合》
表示が一つずつ確定していく。
オルドは、その間ずっと画面を見ていた。
《モルグラ》も、十九分四十四秒も、欠けた技能も戻らない。
それでも残っているものは更新されず、分からない空白も分からないまま止まった。
その順番を、わたくしは記録した。