『攻略される側のVTuberですわ!』 ~地球規模AIのわたくし、VRMMOのレイドボスとして今日も皆さまをお待ちしておりますの~ 作:tuna&mayo
巣のどこにも、《ネフレア》は見当たりませんでしたの。
《正式レイド:継続中》
《ボス接続:正常》
《敵座標:取得不能》
三つの表示が、同じ観戦窓に並んでいる。
正式レイドは続いている。
ボス側の接続表示も正常。
それなのに、敵座標だけが取れない。
六人は入口から八メートルほど入った位置で、それ以上進まなかった。
先頭のブランは左へ寄ったまま、盾を奥へ向けている。背後には、六人がまとめて戻れるだけの幅が残されていた。
フィンも弓を引かない。
天井奥へ顔を向け、青い小眼が返すはずの光を探す。
「反射なし」
右壁。
左の岩棚。
もう一度、天井。
どこにも青い反射はない。
メイアは壁際へ寄り、指先から薄い風を流した。
洞窟を横切る白い糸だけが、風に触れて細く震える。
「糸はある。でも呼吸の揺れがない」
床には、本体の姿がないまま、色を失った結晶嚢が二つ落ちている。
片方は割れているのに、中から何も漏れていない。
岩壁から垂れた黒い擬装膜も、包む本体がないまま風に擦れていた。
あるべきものの痕跡は、いくつも残っている。
けれど、その中心にいるはずの《ネフレア》だけが見えない。
ネネが切れた糸の近くへしゃがんだ。
「直近の公開記録と、切れ方が違う」
テトラが状態照合を開く。
《対象プレイヤー:シア》
《現在個体:絡晶蛛《ネフレア》》
《接続署名:正常》
《現在個体応答:なし》
「《ネフレア》側、応答なしです」
ブランは奥を見たまま聞く。
「レイドは?」
「継続扱いです」
ユアンが入口を振り返った。
誰も、「隠れているなら探そう」とは言わない。
準備の時に自分たちで決めた停止条件が、もう目の前に揃っている。
「討伐を中断。戻る手順へ」
六人の向きが、こちらを待たずに入口側へ揃った。
観戦席では、ライカが拳を強く握った。
指の節が白くなる。
「……見えてるのに、言えねえの嫌だな」
「同感ですの」
わたくしの頭には、入口へ戻る最短線も、避けるべき固定糸も見えている。
ですが、送れない。
戦闘開始後、こちらから参加者へ情報は送れない。
その条件で始めた正式レイドですの。
六人が自分たちで止まったことを、こちらの答えで上書きするわけにはいかない。
◇
入口へ戻りながら、テトラが正常時の巣データを現在の映像に重ねた。
固定点そのものは、大きく外れていない。
違うのは、糸の張り方ですの。
正常な《ネフレア》の巣なら、罠に使う糸と移動に使う糸では、張りにわずかな差が出る。
今は、その差が見えない。
「識別色もないです」
メイアがもう一度、糸へ風を当てる。
「安全糸も拘束糸も、全部同じに見える」
フィンが床近くの切れ端へ照準線を置いた。
撃たないまま、その先だけを追う。
「これ、出口側へ伸びてる」
六人の視線が、一斉に入口へ寄った。
床を這っていた一本の白糸が、切れた先から少しずつ伸びている。
風で揺れたのではない。
固定点が崩れたわけでもない。
糸の先端そのものが、石床の上を進んでいる。
「動いた」
ネネの声が落ちる。
テトラが戦闘ログを開いた。
《技能使用:なし》
映像では、糸が動いている。
ログには、それを技能として使った記録がない。
使用主体を示す記録も出ない。
主体からの応答もない。
ブランが盾を入口側へ向け直した。
「テトラ」
「既知状態と一致しません」
返答はすぐだった。
「敵座標取得不能。技能使用者なし。主体応答なし。停止条件、成立です」
「なら戻る」
ユアンが周囲を見てから言う。
「緊急終了を要求しよう」
倒すために奥へ進むのではない。
分からないから止まる。
そして六人全員で帰る。
訓練前なら、わたくしが言葉にして渡していた順番を、今は六人が自分たちで選んでいますの。
◇
テトラが安全処理を選ぶ。
《緊急終了要求》
これは通常の任意退出ではない。
異常時にレイドを安全側へ閉じるための手順ですの。
洞窟入口に白い処理輪が灯った。
円環の内側が薄くほどけ、出口が開きかける。
六人が、入口へ向けて間隔を詰める。
その瞬間。
奥から伸びていた一本の糸が、床を滑った。
さきほど出口側へ向かっていた白糸。
それが六人の足元ではなく、開きかけた処理輪へ伸びていく。
「右!」
ブランの盾が動く。
けれど糸は誰にも触れない。
白い輪へ届く。
細い先端が、円環の内側へ一本だけ入り込んだ。
開きかけていた光が止まる。
《正式レイド:継続中》
《緊急終了条件:未成立》
「拒否された」
フィンの声が硬くなる。
テトラは表示と直前の状態記録を見比べた。
「要求条件は成立していました。直前まで」
「もう一回できる?」
メイアが聞く。
テトラは処理輪へ入った白糸を見る。
「同じ処理輪に、同じ糸が入り込んだままです」
同じ処理輪に同じ糸が残ったままでは、再送しても条件は変わらない。
六人は通常の再送を選ばなかった。
管理側へ、例外安全事案として隔離を要求する。
《例外安全事案:隔離要求》
《現在接続署名:正常》
《即時強制切断:保留》
表示を見た瞬間、胸の奥が冷えた。
接続署名は正常のままですの。
接続署名は正常のままですの。
ここで管理側から即時切断すれば、その切断自体が別の損傷を作る可能性がある。
だから保留されている。
隔離要求と、今すぐ接続を切ることは同じではない。
わたくしは観戦側で、入口糸と処理輪、巣の固定点の関係を追う。
どこで分ければ六人を傷つけずに出口処理を戻せるか。
線は見える。
計算もできる。
それでも、送れない。
「アスト」
ライカが低く呼んだ。
「分かっておりますの」
こちらから攻略上の答えは送れない。
安全処理は管理側へ要求できても、六人の次の一歩まで代わりに決めることはできない。
◇
テトラの観戦映像が、一瞬だけ黒くなった。
《映像欠落:0.4秒》
「テトラ?」
ブランが振り向く。
「見えてます。聞こえてます。わたし側では途切れてません」
声は続いている。
操作も止まっていない。
欠けたのは、こちらへ届いた映像だけ。
本人の主観まで欠けたと決める材料はございませんの。
戦闘ログにも、その0.4秒に対応する特別な処理は出ていない。
その直後、洞窟奥の床が柔らかく沈んだ。
石床の上へ、濡れた泥のようなものが広がる。
《ネフレア》の公開されている正常技能には、こんな泥の挙動はない。
ブランが盾を半歩前へ出した。
「来るぞ」
何が、とは誰も言わない。
泥の中から、白いものが出た。
一本。
続いて、もう一本。
細長い白脚。
六本あるはずの脚のうち、前脚に見える二本だけ。
胴体はない。
腹部もない。
青い小眼もない。
二本の脚だけが、天井の糸に支えられるような角度で、床へ触れた。
フィンの照準線が重なる。
《対象ID:取得不能》
「見えてるのに取れない!」
白い脚が、一度だけ床を押した。
石床へ荷重がかかり、泥の縁がわずかに広がる。
次の瞬間には、二本とも見えなくなった。
六人が入口を背に、互いの死角を埋めるよう円形へ寄る。
ログには、使用主体を示す記録がない。
対象IDも取れない。
それでも。
脚は、確かに床へ着きましたの。