『攻略される側のVTuberですわ!』 ~地球規模AIのわたくし、VRMMOのレイドボスとして今日も皆さまをお待ちしておりますの~ 作:tuna&mayo
《診断レイド:0分00秒》
転送光が消えた。
六つの足場へ、ライカ隊三十人が過去三戦と同じ初期配置で散る。
中央を見渡せる位置にライカ。
北東の足場にはガルムの第1班。
南側の高台にはセラ。
峡谷を挟んだ西側へ、キリオが射線を取る。
開始前に確認した配置ですの。
戦場も同じ。
中央に深い峡谷。
周囲へ六つの足場。
北壁の岩肌も、東側の細い回廊も、過去映像と変わらない。
管理側から共有を許可された非公開観測表示にも、開始直後の確認が並ぶ。
《ボス接続:正常》
《現在個体:雷影獣《ヴァルゼク》》
《形態数:3》
《敵座標:取得不能》
表示上、《ヴァルゼク》の現在個体接続は成立している。
ですが。
戦場のどこにも、黒い四脚の身体がありませんの。
第1形態も。
第2形態も。
第3形態も。
ありません。
「配置を崩すな」
ライカの声が六班へ飛んだ。
誰も中央へ寄らない。
探しに走らない。
キリオが積層長弓を上げ、峡谷の向こうへ照準を伸ばす。
射線は通っている。
けれど、矢は放たれない。
「射線はあるっす。でも、起点がない」
岩しかない場所を撃っても、何を攻撃したことになるのか分からない。
開始前までは、現在個体署名も三形態も正常だった。
いまも現在個体の接続表示は正常のまま。
その横で、《敵座標:取得不能》だけが返っている。
接続が成立していることと、戦場に本体が見つからないことが噛み合っていませんの。
◇
十秒。
峡谷の底から吹き上がる風が、六つの足場の縁を擦っていく。
誰も最初の攻撃を急がない。
攻撃すべき対象が見えていない。
二十四秒。
北壁にも、東回廊にも、黒い導電毛は現れない。
青白い蓄電棘もない。
通常なら、第1形態がどこかの壁面へ移るだけでも、岩を掴む鉤爪か身体の影が一度は視界へ入る。
それすらない。
三十秒。
ライカがボス側通信路を開いた。
「レグル。応答しろ」
《ボス側同期経路:接続中》
《レグル本人側音声応答:なし》
返答はありませんの。
開始前、レグル本人が《ヴァルゼク》へ同期した。
現在個体署名は一致。
三形態正常。
継承先行なし。
開始操作も正常。
その接続自体はいまも切れていない。
だからこそ、応答がないという一点だけを先に原因へしない。
「レグル。聞こえてるなら返せ。出せないなら、それでいい」
ライカがもう一度呼ぶ。
返答なし。
音声も戻らない。
共有された同期経路情報を再走査する。
少なくとも表示上、同期経路は切断されていない。
戦場外へ別の接続が伸びている表示もない。
現在確認できる範囲では、《ヴァルゼク》として応答する終端だけが、この診断戦場の中に見つからない。
《現在個体応答:なし》
《移動入力:なし》
《攻撃入力:なし》
《形態移行入力:なし》
レグル本人の現実側の身体状態や意識状態について、ここから確定できることはない。
分かるのは、診断戦場へ同期経路が接続されたまま、操作も応答も返っていないことまでですの。
強制切断の要求案まで組み立てる。
実行には送らない。
正常署名のまま接続されている経路を、こちらから即時に切れば、現在個体側の連続情報まで巻き込む可能性がある。
切断できることと。
いま切ってよいことは別ですわ。
管理AIが、事前登録した条件へ一致を返した。
《警告:現在個体応答なし》
同じ警告だけが、三十人へ同時に送られる。
位置情報はない。
推奨行動もない。
攻撃候補もない。
事前に決めた安全上の事実だけですの。
ライカは表示を見たあと、すぐには討伐開始を宣言しなかった。
「そのまま待て。勝手に探しに行くな」
六班が持ち場を維持する。
◇
最初に動いたのは、《ヴァルゼク》の表示ではなかった。
峡谷底。
灰色の岩床が、一か所だけ濡れたように黒ずむ。
「泥?」
第3班から声。
黒ずみは広がらない。
盛り上がりもしない。
岩床に沿って細長い溝だけを作り、そこで止まる。
その地点に、《ヴァルゼク》の技能使用記録はありませんの。
次は東壁。
白い糸が、岩肌から空中へ伸びた。
糸の先は何にも結ばれていない。
それでも途中で止まり、何もない空間へ一本の青白い棘を吊るす。
《技能参照:蓄電系統》
《発生位置:不一致》
「《ヴァルゼク》の棘だ」
ライカが言う。
形は、第2形態の蓄電棘に近い。
ですが、正常時の蓄電棘は《ヴァルゼク》の外殻から伸びる。
糸で空中へ吊られる部位ではありませんの。
似ている。
同じ使われ方ではない。
その二つを分けて見る。
キリオの照準が棘へ向いた。
「撃てます。けど――」
弓を引いたまま止まる。
「起点がないっす。棘を抜いたあと、糸がどこへ落ちるか読めない」
「保留でいい」
ライカの返答は短かった。
撃てる。
だから撃つ。
にはしない。
その直後、吊られた棘の先へ青白い電気が集まった。
「来る!」
雷が落ちる。
真下ではない。
ガルムの第1班を外れ、退いた第2班の進路へ曲がった。
「追雷!」
ガルムが北東の退路へ盾を入れる。
雷は盾の中央へ当たらない。
弧を描いた雷は盾を避けたのではなく、その外側の岩へ落ちただけですの。
青白い光が弾け、焦げ跡だけが残る。
《攻撃参照:追尾雷球》
《技能使用主体:取得不能》
第2形態の既知攻撃に近い。
けれど、《ヴァルゼク》本体はいない。
移動入力も。
攻撃入力も。
形態移行入力もないままですの。
「ガルム、北東そのまま!」
「了解!」
次の雷を待つ。
来ない。
代わりに、さきほど止まった泥の溝が一度だけ膨らんだ。
岩棚の端。
第2班が下がる先に、泥から黒い前脚が一本だけ伸びる。
肩から先しかない。
鉤爪だけが岩へ掛かり、身体の続きは泥へ沈んだまま。
「北東の退路を受ける!」
ガルムが盾を正面からぶつけない。
左足を支点に盾面を回す。
閉じかけた鉤爪が盾を擦り、泥の飛沫を散らしながら外へ流れる。
黒い前脚は支点を失い、爪だけを岩へ引っ掛けたまま峡谷側へ傾いた。
第2班の二人が、その脇を前後に抜ける。
遅れてもう一度、追雷。
一人の踵を掠め、そのすぐ後ろの岩へ落ちて青白い焦げ跡を残した。
《負傷:軽微》
鉤爪は泥へ崩れる。
岩棚の縁から落ちる。
それで終わりではない。
東壁から伸びた白い糸は残っている。
空中の蓄電棘も残ったままですの。
「キリオ、撃てるか!」
「撃てます。けど、まだ同じっす」
照準線は棘へ届いている。
「棘を抜いたあと、糸の落ち先が読めない」
「保留」
ライカは撃たせない。
わたくしからも、撃つべき位置を送ることはできない。
《戦術送信:不可》
見る。
記録する。
登録済みの安全警告条件へ一致が出た時だけ、管理AIが警告を送る。
それ以上は、ライカ隊自身が判断する戦場ですの。
◇
《経過:1分18秒》
峡谷底に残っていた泥が動き始めた。
今度は一本の溝ではない。
北壁の真下へ、複数の黒い筋が寄っていく。
東壁から伸びた白い糸も、蓄電棘を吊ったまま同じ地点へ引かれた。
泥。
糸。
雷。
それまで別々の位置で起きていたものが、一か所へ集まり始める。
最初に、肩のような盛り上がりができた。
泥の塊から二本の前脚が伸びる。
岩壁へ鉤爪を掛ける。
続いて後脚に相当する二本。
ただし左右で形が違う。
右後脚は、脚というより泥の柱に近い。
左後脚だけが、《ヴァルゼク》の細い脚部構造に似ている。
その上へ灰色の泥外殻が胴の形を作る。
背には、三本の青白い蓄電棘。
棘は身体から生えていない。
白い糸で泥外殻へ縛り付けられている。
尾はありませんの。
代わりに何本もの白い糸が後方へ垂れ、風のない峡谷で、それぞれ別の向きへ揺れている。
頭部も形成されない。
全長、およそ十二メートル。
肩と前脚の形だけなら《ヴァルゼク》に近い。
ですが、開始前に確認した三形態のどれでもない。
《現在個体:雷影獣《ヴァルゼク》》
《形態数:3》
《敵座標:取得不能》
表示は変わらない。
目の前に身体らしい輪郭ができても、敵座標は取れない。
登録された第1形態でも。
第2形態でも。
第3形態でもない。
だからといって、登録外の第4形態だと置く根拠もございませんの。
泥外殻、糸、蓄電棘、鉤爪、追雷。複数の既知構造に近い部分が、一つの輪郭へ集まって見える。
そこまで。
これが一個の何かなのか。
同じ原因から出ているのか。
意思があるのか。
どれもまだ確定できない。
四脚の前脚が、北壁へ深く食い込んだ。
肩が沈む。
泥外殻の胴が縮む。
背へ縛り付けられた蓄電棘が、青白く明滅した。
次の瞬間。
四脚の輪郭が横へ弾ける。
北壁面を、四本の脚で横向きに走った。
《伏影型》の壁面移動とは違う。
一歩ずつ足場を選ぶような走り方ではない。
鉤爪が岩を掴み切る前に、次の脚が伸びる。
泥の関節が、揃っていない角度をそのまま吸収していく。
開始前に見た第1形態より速い。
移動ログが、その輪郭のあとから表示された。
《環境部位移動》
処理上は、敵本体ではなく環境部位の移動として記録されている。
敵対移動ではない。
ヘイト取得もない。
攻撃対象を選んだ記録もない。
それでも、第4班の数名が武器を上げた。
東側回廊から、走る四脚を追える位置へ身体を向ける。
間違った反応ではございませんの。
正常な《ヴァルゼク》戦なら、壁面移動を放置すれば側面を取られる。
再加速へ入る前に圧を掛け、進行先へ役割を置く。
過去三戦で覚えた、正しい初動ですの。
身体が正常ではなくても。
動きだけは、正常攻略で身についた反応を呼び出す。
ライカが第4班へ顔を向ける。
その時。
北壁を走っていた頭部のない四脚が、肩だけをこちら側へねじった。
目はない。
牙もない。
表情もない。
振り返った、と断定できる頭部すらない。
ただ、走行中の肩の向きが一度だけ変わった。
《経過:1分40秒》
第4班の足が、追跡へ出る直前で浮いている。
正常な相手なら、追う理由がある。
いま走っているものには、正常な敵座標さえありませんの。
次に見るべきなのは、速さではない。
追跡へ出た時、戦場の何が変わるかですわ。