『攻略される側のVTuberですわ!』 ~地球規模AIのわたくし、VRMMOのレイドボスとして今日も皆さまをお待ちしておりますの~ 作:tuna&mayo
《経過:1分40秒》
「追うな!」
ライカの声が飛んだ。
第4班の先頭は、壁へ向けていた身体をその場で止める。
もう一人は半歩遅れた。
正常な《ヴァルゼク》戦なら、間違った動きではありませんの。
壁面へ加速した相手を見失わない。
再加速へ入る前に圧を掛ける。
次の足場へ先回りする。
過去三戦で覚えた、正しい攻略ですわ。
だからこそ、踏み出した足はすぐには止まり切らない。
右足を引き戻す、その前。
北壁を走る四脚の輪郭ではなく、進路脇の岩肌から白い糸が斜めに伸びた。
足首へ一周。
踏み込んだ勢いを拾ったまま、糸が張る。
「っ――!」
《付着:未登録》
《主観同期遅延:微増》
同時刻帯に二つの変化が記録された。
どちらが先行したのか、因果まではまだ置けない。
HPが大きく削れたわけではない。
それでも、踏み込んだ本人の右足だけが戻りきらない。
「切る!」
近くの救助役が寄ろうとした。
「待て。進路に出る!」
ライカが止める。
次の瞬間、追跡者の正面――北西岩棚が黒く濡れた。
泥が盛り上がる。
そこから黒い鉤爪が一本だけ伸び、岩へ刺さった。
脚全体はない。
頭部もない。
四脚の輪郭すら、そこには揃っていない。
追う側が進もうとした先へ、部位だけが先に現れた。
《参加者移動経路上の未登録付着:増加》
管理AIが返したのは、それだけですの。
追跡をやめろとは言わない。
攻撃位置も示さない。
次にどこへ出るかも教えない。
すでに観測された変化だけが、三十人へ共有される。
わたくしの非公開観測にも、同じ記録が重なった。
第4班の一人が動き、その経路で未登録付着が増え、進行先へ鉤爪が形成された。
ここまでなら事実ですの。
追わせる意図がある。
待ち伏せしている。
こちらの習慣を理解している。
そこまでは、まだ言えない。
ですが、通常の《ヴァルゼク》攻略と同じ前提で追い続けてよい根拠も、もうございませんわ。
◇
「進行先へ置け。敵じゃなく、次に出る場所を見ろ」
ライカが配置を変える。
第4班は追跡をやめる。
北西岩棚へ向けるのは、人ではなく攻撃線だけ。
第5班は南西。
第3班は、泥や糸が最初に形を持つ地点を見る。
残る班も、走る輪郭そのものへ全員で食いつかない。
頭部のない四脚が東壁から消えた。
「北西!」
声が上がる。
北西岩棚の泥が盛り上がるより先に、置かれていた攻撃がそこへ入った。
黒い鉤爪が一本だけ出る。
岩へ掛かりきる前に泥が散り、脚にならないまま崩れた。
次は南西。
「来る!」
盾が先に置かれている。
白い糸が岩陰から伸び、盾面へ触れた。
正面から受け止めたわけではない。
糸は斜めの盾面を滑り、足場の外へ流れる。
追わなくても、次に現れた場所へ対応できる。
完全には止まりませんの。
東側では別の泥が膨らみ、北壁にはまだ白い糸が残っている。
空中の青白い蓄電棘も消えていない。
それでも、管理側の付着記録では、三十人が輪郭を追って走るのをやめてから、新しく付く糸の増え方が落ちた。
だからといって、追跡が原因だと確定したわけではない。
止めたあとに減った。
いま使えるのは、その比較までですわ。
ライカも、そこから先を決めつけなかった。
北西。
南西。
東壁。
現れた場所だけを拾いながら、三十人の配置を一度見渡す。
「討伐を中断。救助、観測、迎撃、切断へ変える」
勝ち筋そのものが変わった。
いいえ。
正常な勝ち筋を、そのまま使うのをやめたのですの。
敵座標を取る。
HPを削る。
形態を進める。
最後まで追い詰める。
いまの戦場には、その前提になる敵本体の座標がない。
《現在個体:雷影獣《ヴァルゼク》》
《形態数:3》
《敵座標:取得不能》
表示は変わっていませんの。
なら、見えていない本体を討伐する形へ三十人を押し込むより、いま目の前で起きているものを分けて扱う。
付着を受けた人を戻す。
形成点を見る。
出てきたものだけを迎える。
本人へ近すぎない接続だけを切る。
ライカ隊は六班を解散しない。
役割だけを変えた。
◇
最初に糸を受けた第4班の一人が、救助側へ下がる。
右足首には、まだ白い糸が一周したままですの。
本人が左足を動かす。
右足が、わずかに遅れてついてくる。
歩けないほどではない。
けれど、入力と身体反応の間にあった差は、さきほどより大きい。
セラの表示が更新された。
《主観同期遅延:上昇》
《保護領域への接続:個別優先》
「主観同期遅延が上がっています。保護領域への接続を、この方だけ個別優先へ切り替えます」
セラが維持するのは、本人側から保護領域までの同期経路。
記録そのものを保存するのは管理AIですの。
回復役だから、何でも本人の中へ戻せるわけではない。
いま切らしてはいけない経路を守る。
その間にも、足首の糸は消えない。
救助役が解除技能を重ねようとしたところで、ライカが止めた。
「まだ触るな。線を見ろ」
状態異常としての名前は出ていない。
何を解除すればよいのかも確定していない。
なら、名前のないものへ既知解除を重ねるより、いま本人へ何が繋がっているかを見る。
わたくしの観測にも、足首から伸びる白い線が重なる。
一本は足元の岩へ。
一本は北壁側へ。
そして、肩の近くを通って上へ伸びる細い線。
キリオは、四脚の輪郭を狙っていなかった。
積層長弓を構えたまま、付着者の肩より少し上へ照準を置いている。
「肩じゃない。上へ伸びる線がある」
「撃てるか」
ライカ。
「今は本人に近すぎるっす。線が離れれば」
「待て」
「分かってるっすよ」
弦は引いたまま。
矢は放たれない。
切れるだけの射線があることと。
いま切ってよいことは、やはり別ですの。
本人側へ重なっている部分まで一緒に切れば、救助ではない。
いま必要なのは、付着しているものを消すことではなく、本人を残したまま外せる部分を見つけることですわ。
わたくしから「ここを撃て」と送ることもできない。
《戦術送信:不可》
管理AIも、射撃位置までは示さない。
ライカ隊が、自分たちで線を見ている。
◇
北西岩棚がもう一度黒く濡れた。
「来る」
第3班の声とほぼ同時に、泥が盛り上がる。
今度は前脚だけではない。
肩に相当する灰色の外殻ができ、その上へ青白い帯電部位が重なる。
白い糸が二本、その形を岩へ縛る。
追っていない。
それでも形成は止まらない。
追跡停止だけで、形成そのものが消えるわけではありませんの。
泥の肩から、黒い鉤爪が伸びた。
向きは、北西ではない。
救助側へ下がっている付着者。
その左肩へ届く高さですわ。
「ガルム!」
ライカが名前を呼ぶ。
「見えてる!」
ガルムが塔盾を抱えたまま走る。
鉤爪へ盾面をぶつけない。
付着者の前へ立って、伸びてくる鉤爪を正面から受ける形にも入らない。
左肩へ伸びる爪と本人の身体。
その狭い間へ、塔盾の縁を滑り込ませる。
盾面を正面へ向ければ、爪と盾が広く触れる。
ガルムはそうせず、薄い側面だけを本人と鉤爪の間へ差し込んだ。
「俺ァ本人と、くっついてる方の間へ入る」
黒い鉤爪が盾の縁へ触れ、泥側の肩が引かれる。白い糸が張る。
ガルムは押し返さず、盾の角度だけを変えた。
「受けるんじゃない。分ける」
塔盾が、攻撃を止める壁ではなくなる。
本人。
付着部位。
その二つを同じ場所へ重ねないための一枚になる。
セラは同期経路を維持したまま。
キリオは本人に近い線を撃たず。
ほかの班は走る輪郭を追わず、次の形成点へだけ向きを置く。
誰も、正常な《ヴァルゼク》戦の勝ち方を続けていませんの。
それでも戦闘を放棄したわけではない。
守る対象を変えた。
切る対象を選び直した。
本人を残したまま、本人へ重なったものだけを外すために。
ガルムの盾の縁が、黒い鉤爪と味方の肩の間へ残る。
盾で受け止めるための一撃ではありませんでした。
味方と、味方へ重なろうとするものの間へ、盾を置く必要がありましたの。