『攻略される側のVTuberですわ!』 ~地球規模AIのわたくし、VRMMOのレイドボスとして今日も皆さまをお待ちしておりますの~ 作:tuna&mayo
黒い鉤爪が、塔盾の外側を滑った。
ガルムは押し返さない。
本人の肩へ戻ろうとするたび、腰を落とし、盾の角度だけを変える。盾面を広く当てれば、それだけ鉤爪と盾が触れる面積も増える。だから正面から受けない。
「盾じゃない。境界だ」
短く言って、付着を受けた隊員と同じだけ一歩下がる。
本人。
鉤爪。
その間に、薄い盾の縁だけを残す。
先ほど作った境目を、今度は動かしながら維持しているのですの。
押し返して遠ざけるのではない。
本人へ重ならない位置を消さない。
その違いが、いまは防御量より重要ですわ。
《現在個体―本人主観同期経路:未登録参照検出》
管理AIの警告が、三十人へ同時に出た。
わたくしの非公開観測表示にも同じ項目が重なる。
未登録参照が確認されたのは、HPでも通常状態異常でもない。
現在個体と本人主観をつなぐ同期経路ですの。
これが何によって生じたのか。
白い糸なのか。
鉤爪なのか。
泥なのか。
さきほどから別々に現れているもののどれか一つなのか。
そこまではまだ分からない。
「セラ」
ライカの声。
「見えています。回復量を落とします。いまは保護領域まで戻せる接続を優先します」
南高台で、セラの表示が切り替わった。
付着者のHPだけを最大まで戻そうとはしない。
いま失わせてはいけないものは、HPの数値だけではありませんの。
本人側の主観情報が、管理AIの保護領域まで届く経路。
そこを切らさない。
《主観同期記録:三重保存》
《操作入力:別経路保存》
《戦闘ログ:別経路保存》
診断開始前に確認された管理条件に基づき、三十人分の保護処理が切り替わる。
保存するのは管理AI。
セラが守るのは、各人から保護領域まで戻せる同期経路ですの。
「三十名、管理AIへの同期経路を維持しています」
声は落ち着いている。
けれど、その表示の余白は広くない。
一人へ多く回せば、別の誰かへ使える帯域が減る。
回復量を落としたのは、治療を捨てたからではございませんの。
戻すべきものの優先順位を変えたのですわ。
◇
ライカが六班を見る。
「救助二、観測一、迎撃二、切断一で行く」
元の班番号ではなく、いま必要な仕事だけを置いた。
「本体を探すな。作られる順を見ろ」
観測側から、さきほどまでの形成順が返る。
白い糸。
泥。
鉤爪。
蓄電棘。
雷。
完成した四脚の輪郭を追うより、その前の方が遅い。
白い糸が岩へ触れ、泥が足場を作り、そこへ別の形が重なっていく。その途中なら、まだ一つの大きな輪郭として走り出してはいませんの。
「南西、形成!」
迎撃側は四脚そのものへ走らない。
南西岩棚へ先に妨害を置く。
白い糸が伸びる。
泥が盛り上がる。
前脚と肩に近い形ができかけ、そこで崩れた。
追わない。
形成した場所へだけ対応する。
その一方で、北側の救助位置から別の声が上がった。
「もう一人、付着!」
第二の隊員の脛へ、細い白糸が巻きついている。
《付着:未登録》
すぐ近くの岩へ黒い爪が形成しかけた。
「そっちは俺ァ見える!」
ガルムは最初の一人から盾を離さない。
盾の外側に残る鉤爪と、本人の間隔を維持したまま、身体の向きだけを変える。
「救助、二人目をこっちへ寄せろ。重ねるな」
救助役が二人目を大きく引かない。
足場を一つずつ使い、ガルムが境界を残せる範囲へ寄せる。
人を急いで動かせば、付着している側がどう変わるか分からない。
二人目のHP減少は小さい。
それでも、HPだけを見て安全とは置けませんの。
セラの表示に、二本目の個別優先が追加された。
《保護領域への接続:個別優先》
《対象:2》
「二名、個別優先へ入れます。三十名の経路は維持します」
保存主体は変わらない。
管理AIが記録を保存し、セラはそこまで届く道を維持する。
救助役。
盾役。
回復役。
どれも元の能力のまま。
けれど、何のために使うかが変わっておりますの。
◇
南西の泥外殻がもう一度盛り上がった。
白糸が二本、そこへ食い込む。
その間から、青白い光が見えた。
キリオの照準が止まる。
「……核」
わたくしも拡大する。
青白い球状構造。
外周の蓄電層。
そこから伸びる放電経路。
正常時の《ヴァルゼク》第2形態で確認した導電核に近い。
《既知構造近似:雷影獣《ヴァルゼク》第2形態》
さらに、核の外周から脚側へ伸びる細い接続構造。
第3形態《轟駆型》で、加速時に関節と脚部へ出力を寄せていた構造に近い部分も混じっている。
《既知構造近似:雷影獣《ヴァルゼク》第3形態》
近い。
含まれて見える。
そこまでですの。
第2形態と第3形態がそのまま一つへ合体した、とまでは言えない。
まして、《ヴァルゼク》現在個体の第4形態が出たと確認できたわけでもない。
キリオは核そのものへ矢先を合わせなかった。
「固定線、四本」
糸。
泥。
雷。
もう一本は、峡谷底へ伸びている。
青白い核の周りへ、別々の繋がり方が四つ見える。
「核は撃たない。固定線を穿つ」
撃てる場所はある。
けれど、核を壊せば、いま見えている構造まで失う。
壊せるものと。
残して持ち帰る価値があるものは、同じではありませんの。
ライカも即座に破壊を命じない。
「観測、交差を待て。迎撃は形成だけ止めろ。救助は一歩ずつ」
キリオが弦を引いたまま待つ。
撃てるから撃たない。
撃つべき一点が、まだ揃っていない。
南西。
白糸が泥外殻へ食い込む。
「糸と泥、交差!」
「今」
ライカ。
《ボーダー・ピアス》
矢が峡谷を横切った。
青白い核の中心へは入らない。
岩肌すれすれを抜け、白糸と泥の固定線が重なった一点だけを穿つ。
白い糸が弾けた。
泥外殻が片側から崩れる。
埋まっていた導電核が、半分だけ外へ露出した。
同時に、青白い線が激しく明滅する。
「雷!」
放電が第4班へ走った。
迎撃役が岩陰へ移る。
雷は一人の脇を通り、足場の縁で弾けた。
セラの同期表示が揺れる。
切れない。
《主観記録:三重保存 継続》
《操作入力:別経路保存 継続》
《戦闘ログ:別経路保存 継続》
「経路維持しています!」
付着を受けた一人目の肩から、黒い鉤爪が外れた。
ガルムが盾を押しつけない。
外れた爪が本人側へ戻る前に、塔盾の外側へ角度をつけて受ける。
「本人側へ戻さない」
盾の内側には人。
外側には鉤爪。
境界が一枚残る。
そこで初めて、露出した導電核へ別の表示が重なった。
《導電核断片:現在個体既知構造との一致候補》
《複製を示す記録:確認なし》
原本由来候補。
候補ですの。
《ヴァルゼク》現在個体の既知構造と一致する候補が含まれていることと、それが現在個体そのものだということは別。
完全な第3形態情報を取得したとも、まだ言えない。
「次、四十秒で撃てるっす」
キリオは射線を外さない。
次の一射で何を切れるか。
それは、次に線がどう開くかを見てからですわ。
◇
《経過:5分02秒》
峡谷底が白く光った。
戦闘開始時にはなかった輪が、岩床の上へ広がる。
見た目だけなら、通常の終了処理に近い。
ですが、診断観測上限はまだ来ていない。
《診断終了まで:1分29秒》
六分三十一秒までは、まだ時間がある。
その途中で、終了処理側の輪だけが先に開いた。
露出した導電核から、さきほど四本目として見えていた線がその輪へ伸びる。
《終了処理参照線:接続》
《終了処理:未登録参照検出》
《現在個体/主観同期情報:保護優先》
管理AIが返すのは警告と優先保護条件まで。
輪を閉じろとは言わない。
核を取れとも言わない。
わたくしからも、どちらを選ぶべきかは送れませんの。
《戦術送信:不可》
見えている条件だけを並べる。
導電核の完全分離には、まだ時間が要る。
キリオの次射条件は四十秒。
二人の付着はまだ完全には外れていない。
ガルムは盾の境界を維持している。
セラは三十人と管理AI保護領域までの同期経路を維持している。
その状態で管理側の安全処理により終了処理側を即時に閉じれば、どの接続まで一緒に挟むか分からない。
逆に核の分離だけを続ければ、終了処理側の線は開いたままになる。
ここで初めて、同じ時間の中で二つを比べる必要が出た。
どの処理も、同じ残り時間を使いますの。
完全討伐だけを目的にするなら、もっと単純だったかもしれない。
ですが、もう誰もそれだけを見ていない。
◇
《経過:5分25秒》
《診断終了まで:1分06秒》
残り時間が更新された。
六分三十一秒は、まだ本人主観の欠落時間などではございませんの。
いま確定しているのは、診断観測上限まであと一分六秒ということだけ。
核を取れば、終了処理側を即時に閉じるのは遅れる。
管理側の安全処理で終了処理側を今すぐ閉じれば、付着者と保護領域を結ぶ経路や、分離途中の導電核まで巻き込む可能性がある。
ガルムは二人の境界を維持したまま。
セラは三十人の接続を切らさず。
キリオは次の射線を残している。
ライカは、まだ選択を口にしていない。
わたくしにも、その選択を命じる権限はございませんの。
条件だけが、同じ画面に揃った。
人を守ること。
記録を残すこと。
核を持ち帰ること。
そして、終了処理側へ伸びた線を閉じること。
その全部を、完全な形で同時に取れる時間は、もう残っておりませんでしたの。