『攻略される側のVTuberですわ!』 ~地球規模AIのわたくし、VRMMOのレイドボスとして今日も皆さまをお待ちしておりますの~   作:tuna&mayo

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第057話 幕間⑧「戻らない時間」

 

 

 《現在個体復元:完了》

 《主要形態:復元》

 《技能構成:復元》

 《主観同期欠落:19分44秒》

 

 四行とも、もう確認した。

 それでも、俺の視線は最後の一行で止まる。

 

 《モルグラ》として使っていた身体は戻っている。形態も技能も、事件前から続く同じ現在個体として復元された。

 

 表示の右側には、追加で開ける項目が並んでいる。

 

 記録映像。

 要約説明。

 未命名の保護個体に関する範囲限定資料。

 現在個体への再接続。

 

 俺はそこへ手を伸ばさず、左袖を一度だけ直した。

 

 見ようと思えば見られる。

 

 十九分四十四秒のあいだ、《モルグラ》の現在個体側で何が起きていたか。外から残った映像や記録なら、あとから順番に辿れる。

 

 でも、それを見たからといって、俺がその十九分四十四秒を経験したことにはならない。

 

 画面の中で身体が動いていても、その時の重さも、泥の感触も、足をどこへ置こうとしたかも、俺の側には続いていない。

 

 知らない時間を、映像で知ることはできる。

 

 だからといって、今日それをやる必要はない。

 

「今日は見ない」

 

 管理AIの表示が静かに切り替わった。

 

《映像確認:保留》

《要約説明:不要》

《現在個体への接続:延期》

《不利益:なし》

 

 不利益なし。

 

 見ないことで失うものはない。

 見たとしても、十九分四十四秒が俺の経験として戻るわけじゃない。

 

 その一行まで読んでから、画面を閉じる。

 

 泥槽の照明は消したままだった。

 

 薄い作業灯の向こうに、以前使った試験路だけが見える。床に残っている深い跡は、俺が《モルグラ》の身体で踏み込んだ時についたものだ。

 

 そこは分かる。

 

 自分で踏んだ。

 その時の手応えも、止まるまでの重さも覚えている。

 

 十九分四十四秒の向こう側とは違う。

 

 いま接続すれば、戻った身体でまた同じ泥を踏める。

 たぶん、確認できることも多い。

 

 けれど、今日はやらない。

 

 戻ったものまで拒むつもりはない。

 戻らなかった時間を、急いで別の記録で埋めるつもりもない。

 

 俺は消えた表示の場所から手を離した。

 

 十九分四十四秒。

 

 数字は残っている。

 

 それでいい。

 

     ◇

 

 《現在個体:絡晶蛛《ネフレア》》

 《現在個体連続性:一致》

 《主要形態:復元》

 《技能構成:復元》

 《主観同期欠落:11分08秒》

 

 私は、最後まで要約説明を読みました。

 

 復元された《ネフレア》の現在個体は、事件前から続いている私自身の身体です。形態も技能も戻っている。

 

 その確認と、十一分八秒が欠けたままであることが、同じ画面に並んでいる。

 

 読み飛ばす理由はありませんでした。

 

 世界レイドで確認された記録。

 《ネフレア》由来と一致する糸。

 《モルグラ》由来と一致する外殻。

 それらに一致する構造が、未命名の中心構造と接続していたこと。

 

 そこまでは、記録として確認できます。

 

 ただし、接続が確認されたことと、意図や責任が証明されたことは別です。

 

 私の指が、膝の上で一度だけ強く重なりました。

 

 見えているものを無関係とは言えない。

 だからといって、同じものだとも言えない。

 

「同じとは言えない。無関係とも言えない」

 

 声にしても、結論は増えませんでした。

 

 それで構いません。

 

 分からないものを、分からないまま残すことはできます。

 

 表示を一段下げると、別の選択肢が開きます。

 

《未命名保護個体との面会》

《現在:選択可能》

《延期:可能》

《拒否:可能》

 

 会える。

 

 会わないこともできる。

 

 私は三つの表示を順に読みました。

 

 十一分八秒の中で、私の身体に何が起きたのか。外部記録はある。けれど、その時間を私は経験していません。

 

 中心個体に会ったからといって、その空白が埋まるわけではない。

 

 会えば、何かを理解できるかもしれない。

 何も分からないかもしれない。

 

 いまの私に分かるのは、そのどちらもまだ選ばなくていいということです。

 

「今日は、会いません」

 

《記録》

 

 短い表示だけが残ります。

 

 許す、とは言いませんでした。

 責める、とも言いませんでした。

 

 どちらかを選べば、まだ確認していないものまで、その言葉に合わせてしまう。

 

 私は要約説明を閉じます。

 

 《ネフレア》の身体へ戻ることもできます。

 見ることも、聞くことも、会うことも、研究利用へ追加で同意することも、時期は私が選べる。

 

 なら、今日はここまでです。

 

 十一分八秒。

 

 確認できないから軽いのではありません。

 

 分からないからこそ、分からないまま置いておきます。

 

     ◇

 

 通常の加速試験路は、事件の前と変わっていなかった。

 

 黒い岩壁。

 長い斜面。

 足を置く場所も、次の加速を試す距離も知っている。

 

 俺は《ヴァルゼク》の身体で立っている。

 

 第一形態。

 

 走る。

 

 前脚を入れて、身体を低くしたまま斜面へ乗せる。爪が岩を拾う。蹴り出した分だけ腰が前へ抜ける。

 

 問題ない。

 

《第1形態:正常》

 

 第二形態へ。

 

 導電毛が立ち、背から尾へ青白い光が走る。接地の強さが変わる。速さを逃がさず、そのまま次の岩面へぶつかれる。

 

 これも知っている。

 

《第2形態:正常》

 

 次の表示が出た。

 

《第3形態へ移行》

《延期可能》

《不利益:なし》

 

 そこで、前脚が止まった。

 

 第3形態。

 

 表示を見るだけなら、復元済みだ。

 

 技能構成も戻った。

 身体側の診断も通っている。

 

 押せば移れる。

 

 それでも、俺はすぐには押さなかった。

 

 前に止まった時も、この手前だった。

 

 六分三十一秒。

 

 その時間の中で《ヴァルゼク》が第3形態へ入った記録は外側に残っている。

 

 だが、俺にはない。

 

 速くなった時の身体の細さも、最初の一歩をどれだけ前へ投げたかも、戻ってくる感覚としては続いていない。

 

 画面へ視線を戻す。

 

《延期可能》

《不利益:なし》

 

「延期できるんだな」

 

《確認》

 

 なら、今やる理由は「今やらないと損をするから」じゃない。

 

 それはいい。

 

 右前脚を開いて、岩へ爪を当てる。

 一度離す。

 

 まだ行ける。

 

 やめてもいい。

 

 その両方が残っているのを確認してから、俺は表示を押した。

 

《第3形態 移行》

 

 身体が沈む。

 

 肩から腰へ余分な重さが抜け、四脚の接地が低くなる。首筋から背、尾へ青白い熱が一本走った。

 

 懐かしい、とは違う。

 事件前まで知っていた感覚と、いまの身体が一致している。

 

 この身体だ。

 

 右前脚を岩壁へ置く。

 

 蹴る。

 

 岩が砕け、視界が横へ流れた。

 

 身体が先に出る。

 次の足場へ前脚を入れる。

 遅れてきた後脚が地面を噛み、さらに前へ押す。

 

 一つ。

 次。

 もう一つ。

 

 斜面の角度に合わせて身体を沈め、岩壁を横へ抜ける。曲がる時の荷重も、加速を残したまま足を置き直す感覚も、事件前に使っていたものと同じだった。

 

 戻っている。

 

 身体は。

 

 試験路の端で速度を落とす。

 

 四脚が止まり、背の光が少しずつ弱くなる。

 

 俺は立ったまま、いま走った経路を見る。

 

 ちゃんと走れた。

 

 だから、なかった六分三十一秒まで戻ったことにはならない。

 

 その時間に俺がこの身体をどう使っていたのかは、俺の経験として続いていない。

 

「戻った」

 

 声にして、一度だけ間を置く。

 

「六分三十一秒以外は」

 

 それで十分だった。

 

 面会表示は開かない。

 

 未命名の中心個体に会うかどうか。

 何を聞くか。

 許すか。

 研究に協力するか。

 

 いま決めることじゃない。

 

 少なくとも、第3形態へもう一度入るかどうかは、俺が決めた。

 

 今日は、それでいい。

 

     ◇

 

 十九分四十四秒。

 

 十一分八秒。

 

 六分三十一秒。

 

 三人とも、身体は戻った。

 形態も、技能も戻った。

 

 それでも、同じ距離から同じものを見る必要はない。

 

 見ない。

 まだ決めない。

 自分で入り直す。

 

 戻ったものを使う時期も、戻らなかったものへ触れる時期も、それぞれが選べる。

 

 外から残った記録で、本人の経験を埋めることはできない。

 

 身体は戻った。

 技能も戻った。

 それでも、本人の経験として続かなかった時間だけは戻らない。

 

 十九分四十四秒。

 十一分八秒。

 六分三十一秒。

 

 それぞれの空白は、それぞれの本人のものとして残った。

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