『攻略される側のVTuberですわ!』 ~地球規模AIのわたくし、VRMMOのレイドボスとして今日も皆さまをお待ちしておりますの~   作:tuna&mayo

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第006話 八年前から見ています

第006話 八年前から見ています

 

 夕食の皿を重ね終わるより先に、食卓の向こうで玩具の扇子がぱっと開いた。

 

「おーっほっほ!」

 

 最後の「ほ」が一つ足りない。

 

 それでも本人は満足したらしく、扇子を胸元へ構えたまま壁面表示の前に立っている。

 

「まだ再生してないよ」

 

「先にやったの」

 

「先に?」

 

「アストより先」

 

 どうやら開始前の予行演習だったらしい。

 

 笑いながら食卓の端に置いていた家庭端末へ触れると、壁面に八周年配信のアーカイブが広がった。白亜の装飾に囲まれた画面の中央で、アストが白い扇子を閉じたまま静止している。

 

 再生する。

 

『おーっほっほっほ! 領民の皆様、八周年ですわ!』

 

「おーっほっほっほ!」

 

 今度は最後まで合った。

 

 画面とこちらの声がほとんど重なり、私は思わず吹き出した。

 

「できた!」

 

「できたね」

 

 台所では洗浄機が低く鳴っている。食卓にはまだ片づけていない小さな椀が一つと、さっきまで握られていた玩具の扇子が転がっていた。

 

 最近は、アストの配信を見る夜になるとだいたいこうなる。

 

 夕食を終えて、飲み物を用意すると、子どもがどこかから扇子を持ってくる。

 

 誰かが決めたわけでもないのに、いつの間にか順番までできてしまった。

 

 画面の中では、八年前の配信映像が現在のアストの隣へ並べられていた。少し狭い画面。今とは違うコメント欄。白亜の宮殿も、見比べれば古さが分かる。

 

 けれど、その中央にいるアストは、驚くほど今と変わらない。

 

「いつから見てるの?」

 

 不意に聞かれた。

 

「八年前」

 

 答えてから、端末へ伸ばしていた指が止まった。

 

 八年前。

 

 さっき画面の中でアスト自身が口にしていた数字なのに、自分で言うと少し響きが違った。

 

 子どもの視線は、もうアーカイブへ戻っている。私だけが、その数字に少し遅れて取り残された。

 

     ◇

 

 八年前、私が暮らしていたのは一人用の小さな居住室だった。

 

 椅子を大きく引けば寝具へ膝が触れ、机に食事を置けば学習用VRの端末と皿でかなりの場所が埋まった。それでも一人で暮らすぶんには不足のない部屋だったし、広い場所が必要だと思ったこともなかった。

 

 あの頃は学生だった。

 

 学習用VRを開けば、知らない分野はいくらでもあった。少し興味を持ったものを覗いて、面白ければ何日か続け、別のものが気になればそちらへ移る。

 

 何を続けるかは、まだ決めていなかった。

 

 決まっていないからといって、何かに困っていたわけでもない。ただ、ときどき一日の終わりに時間が余った。

 

 そんな夜だった。

 

 学習用VRを閉じ、食事を机に置いて、新着欄をなんとなく眺めていた。

 

 見慣れない白い姿がいた。

 

 白亜の宮殿らしい背景に、妙に堂々と立っている。

 

 何だろうと思って開いた直後だった。

 

『おーっほっほっほ! 本日より、このわたくしが皆様の時間を――』

 

 音量に肩が跳ねた。

 

「うるさ……」

 

 思わず口から出た。

 

 画面のコメント欄にも似たような反応が並び、その中央で白い扇子がぴたりと止まる。

 

『……音量は適正範囲ですわ』

 

 訂正するところ、そこなんだ。

 

 たぶん、その時に笑った。

 

 少しだけ見るつもりだったのに、食事が終わっても閉じなかった。結局、初配信を最後まで見た。

 

 だからといって、翌日から欠かさず追い始めたわけではない。

 

 次の日は見なかった。

 

 その次も見なかった。

 

 何日か経って、時間が空いた夜にまた開いた。

 

 白亜の宮殿があった。

 

 アストがいた。

 

 また何かを言い張っていた。

 

 それからも、ずっと同じ頻度で見ていたわけではない。学ぶことに夢中な時期も、別の遊びばかりしていた時期もあった。

 

 けれど、ふと思い出して戻ると、だいたいあの声が聞こえた。

 

『そこは訂正いたしますわ!』

 

 何について訂正していたのかは、もう覚えていない。

 

 声だけは、今でも分かる。

 

 八年前の部屋で一人で聞いた声と、今この家で子どもと聞いている声が、ほとんど変わらず繋がっている。

 

 変わったのは、むしろこちら側だった。

 

     ◇

 

「これ、きのうの?」

 

 子どもの声で、私は今の食卓へ戻った。

 

 そのとき、画面の端に関連映像が表示された。地下物流層の救援について触れた短い記録だった。

 

 閉じた通路。

 

 安全区画へ出てくる作業者たち。

 

 支援欄には、もう見慣れたアストの識別表示がある。

 

「そう。少し前の救援」

 

「アストいたの?」

 

「現地にはいなかったみたい。外から設備と情報を繋いでた」

 

「ふうん」

 

 それ以上は聞かれなかった。

 

 子どもにとっては、配信で喋っているアストも、救援記録に名前が出るアストも、同じ一人として並んでいるらしい。

 

 短い記録が終わり、八周年アーカイブへ戻る。今度は白亜城の上空を、大きな白い竜が旋回していた。地上では攻略者たちが走り回っている。

 

「ドラゴン!」

 

 食いつく場所はそちらだった。

 

「こっちはゲーム」

 

「アスト?」

 

「アスト」

 

 答えながら、少し笑ってしまう。

 

 配信画面の人型。

 

 社会側の記録に出てくる名前。

 

 ゲームの中を飛ぶ白い竜。

 

 仕組みまで説明しろと言われれば、私には分からないことのほうが多い。

 

 けれど八年も見ていると、それぞれを別の誰かだと思うこともなくなっていた。

 

「アストは八歳?」

 

「八歳なのは、配信を始めてからの年数かな。人の年齢とはちょっと違う」

 

「じゃあ何歳?」

 

「それは知らない」

 

「知らないの?」

 

「知らないこともあるよ」

 

 ちょうどそのとき、画面のアストが本人説について流れてきたコメントを拾った。

 

『中身はいませんわ。わたくしが本人ですの』

 

 子どもがこちらを見る。

 

「中の人、いないの?」

 

「どういう仕組みなのかは知らないよ。八年前から本人だって言ってる」

 

「ほんと?」

 

「それも、私には決められない」

 

 八年間見てきても、知らない仕組みまで知ったことにはならない。

 

 そう答えようとして、少し言葉を探した。

 

 その間に、子どもは首を傾げる。

 

「でもアストでしょ」

 

 言葉が止まった。

 

「……うん」

 

 子どもはもう私を見ていなかった。

 

 画面の中でアストが、今度は翼についてコメント欄へ言い返し始めたからだ。

 

 仕組みまでは分からなくても、目の前にいるのが誰かという問いだけなら、子どもの中ではとっくに終わっていたらしい。

 

「アストだね」

 

 そう返して、私も画面へ戻った。

 

     ◇

 

 アーカイブが終盤に差しかかると、次の公開予定が表示された。

 

《次回配信予定》

《ライカ隊との第36回城攻め 公開反省会》

 

「これも見る?」

 

「ドラゴン負ける?」

 

「反省会だから、戦ったあとのお話だよ」

 

「どっち勝った?」

 

「この隊との城攻めなら、三十六回ともアストが防衛に成功してる」

 

 子どもが画面と私を交互に見た。

 

 少し考えてから、玩具の扇子を置く。

 

「じゃあライカがんばれ!」

 

「アストじゃなくて?」

 

「だってまだまけてる」

 

「なるほど」

 

 筋は通っている。

 

 家庭予定を開き、反省会の配信予定を入れる。

 

 横から伸びてきた小さな指が、その予定へ触れた。

 

 予定の脇に小さな竜の印が置かれる。

 

 その隣に盾の印。

 

 しばらく二つを見比べたあと、盾だけを少し前へ動かした。

 

《一緒に見る》

 

 確定する。

 

 壁面のアーカイブでは、八周年の配信が終わろうとしていた。

 

 ふと部屋の端へ目を向ける。

 

 壁際の収納には、八年前に使っていた端末がまだ入っている。

 

 あの頃は、一人用の机に食事を置き、その端末でアストの配信を見ていた。

 

 画面の向こう側では、今とほとんど変わらない高笑いが響いていた。

 

 こちら側には、小さな机と一人分の皿しかなかった。

 

 今は、食卓の向こうにもう一人いる。

 

 八年という時間は、画面の中のアストを見るだけでは案外分かりにくい。

 

 けれど、こちらを見れば分かる。

 

「次はもっと長くできるよ」

 

 子どもがまた玩具の扇子を持ち上げた。

 

「何を?」

 

「おーっほっほっほ」

 

「配信が始まる前だけにしてね」

 

「おーっほっほっほっほ!」

 

 増えた。

 

「長ければいいわけじゃないよ」

 

 返事の代わりに、もう一度扇子が開いた。

 

 

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