『攻略される側のVTuberですわ!』 ~地球規模AIのわたくし、VRMMOのレイドボスとして今日も皆さまをお待ちしておりますの~ 作:tuna&mayo
光の矢が、アストの胸部へまっすぐ向いていた。射手との間を遮るものはない。
石床には浅い亀裂が走り、踏み荒らされた粉塵が低く漂っている。少し離れた正面では、縁の欠けた大盾がまだ立っていた。右には槍。さらに奥、白い光を弦へ番えたキリオがいる。
弓は、すでに限界まで引かれていた。
撃てる。
だからアストは、胸部の右側をわざと空けた。
左腕の防壁をライカの槍へ向けたまま、右腕だけを射撃へ組み替える。身体の奥で接続が入れ替わり、白い装甲の下を熱が走った。ほんの一瞬、胸元を守るものが薄くなる。
矢は来なかった。
光を抱いた弦だけが、かすかに震えている。
「……撃ちませんの?」
「まだっす」
短い返事だった。外したのではない。狙い損ねたのでもない。いま、撃たないことを選んだ。
その違いなら分かる。攻め込む者を迎え撃つ側に長く立ってきた。正面から押し切ろうとする者も、罠を重ねる者も、最後の一人を囮にする者も見た。誰がどこを見ているか。どの手が間に合い、どの一歩が遅いか。倒されないために、それを読み続けてきた。
だからこそ、読めない一射が気に障る。
「ガルム、半歩」
聞き慣れたライカの声が飛ぶ。
「半歩か」
「足りるうちに戻ってください」
セラの声が重なり、傷んだ盾が石を擦った。ガルムは正面を捨てず、それでも深く残らない。引いた場所へ別の影が入り、薄くなった列を塞ぐ。
攻める。けれど、使い切らない。こちらを削る手は止めず、誰か一人の好機へ全員を投げ込むこともしない。そしてキリオは、まだ弓を引いている。
「随分と大事に抱えていらっしゃいますのね」
「最後までっす」
「でしたら、そのまま終わってしまいなさいませ!」
右腕から白光を放つ。正面の影が散った。ガルムの盾が角度を変え、光の半分を外へ流す。その裏からライカの槍が伸びた。
防壁で受ける。重い。
穂先そのものより、踏み込みと石床から押し返される重さが腕へ残る。防壁を外せば槍が入る。押し返すには右腕を射撃から近接へ戻したい。だが、組み替える短い時間だけ、また胸部が空く。
右へ逃げればキリオ。左には、まだ動ける攻略者が二人。後ろへ退けば、ガルムの盾が一度だけ届く。使えるものは少ない。
けれど彼らは、少ないものを足りない形にしていなかった。途中で撃たなかった一射も、退けるうちに退かせた盾も、次に届く位置へ残した槍も、まだ全部が盤面にある。
なら、こちらも選ぶしかない。
アストは右腕の射撃を解いた。白い装甲がほどけ、別の形へ噛み合っていく。短い。何度も使った組み替えだ。間に合う時間も、間に合わない距離も、身体が覚えている。
正面の防壁は、ライカの槍を受けるために外せない。右腕は、まだ完成していない。左へ大きく振れば、待っていた二人の進路へ入る。
そこでライカが言った。
「キリオ」
胸の奥が冷えた。
まだ弓がある。まだ射線がある。しかも今度は、アストが見せた隙ではない。彼らが、ここまで残して運んできた隙だった。
キリオはすぐには撃たなかった。弦を引いたまま、こちらを見ている。
一拍。
その一拍で、ようやく分かった。
途中の胸部では足りなかった。アストが誘った射線でも足りなかった。撃てば当たる場所ではなく、撃ったあとにもう選び直せない場所まで、彼は一射を持ってきた。
「……今度は?」
キリオの口元が、ほんの少し動いた。
「撃て」
「了解っす」
弦が離れた。
光は線には見えなかった。胸部で白が弾けた時には、衝撃が背中まで抜けていた。防壁を返そうとした左腕が半ばで止まり、足裏から石の感触が消える。視界が傾く。翼へ送ったはずの入力は、どこにも届かなかった。
《HP 0》
《防衛失敗》
音が遠い。
右腕を完成させる。
防壁を戻す。
あと一歩、左へ外す。
次の手だけは、いくらでも浮かんだ。
身体は一つも返さない。
攻め込まれる側でいることには慣れていた。倒そうと工夫されることも、その工夫を正面から受け取ることも、ずっと遊んできた。けれど、この二行を自分の結果として見るのは初めてだった。
《HP 0》
《防衛失敗》
悔しい。まず、そこだった。
それでも、途中で来なかった矢の全部が、この一射へ繋がっていたと理解した瞬間、動かない口元に笑いの感覚だけが残った。
視線を上げると、キリオが弓を下ろしていた。
「……最後まで、残しましたのね」
◇
敗北の直後には、配信を開かなかった。あのまま視聴者の前へ出れば、右腕を組み替えたタイミングから、ライカの槍を受けた防壁の角度まで、端から全部やり直していたに違いない。それでは祝賀にならない。
祝賀にするつもりが本当にあるのかは、ひとまず別として。
戦場の身体ではなく、VTuberとして視聴者へ向ける姿に戻り、アストは配信開始の表示を選んだ。暗かった画面の隅に、小さなLIVEの灯が点く。
《配信タイトル》 《祝・初敗北配信》
アストが最初の一声を出すより早く、待機していた文字が流れ込んできた。
《配信コメント》
名無しの領民:祝
名無しの領民:祝
名無しの攻略勢:ついに落ちた
名無しのライカ隊推し:ライカ隊おめでとう!!
名無しの領民:城主生きてる?
名無しの初見領民:祝っていい配信?
名無しの領民:タイトルを見ろ
名無しの領民:本人が一番納得してない
画面の右側が、あっという間に祝いの文字で埋まる。戦場では遠かった音の代わりに、文字の流れだけが妙に近い。
よろしい。そこまで祝いたいのでしたら、こちらにも考えがありますの。
「皆さま」
流れがわずかに緩む。アストは一拍置き、胸を張った。
「祝・初敗北配信ですわ!!」
《配信コメント》
名無しの領民:本人が祝った
名無しの攻略勢:祝杯!
名無しの領民:祝っていいんだ
名無しの初見領民:いいらしい
名無しの領民:公式許可出ました
「祝ってよいとは申し上げておりませんわ!!」
《配信コメント》
名無しの領民:???
名無しの攻略勢:タイトル
名無しの領民:今言った
名無しの領民:祝とは
名無しの初見領民:難しい配信に来てしまった
「配信名と、皆さまが好き放題に祝うことは別問題ですの!」
そんなわけはない、と文字の速度で返された。まったく遠慮がない。初めて負けた配信だというのに、いつもの枠へ戻ってきたようで、声の奥に残っていた硬さが少しだけほどける。
「先に申し上げておきますけれど」
《配信コメント》
名無しの領民:はい
名無しの攻略勢:反省会?
名無しの領民:言い訳タイム
「言い訳ではございません!」
反応が早すぎる。アストは言い返してから、ひとつ息を置いた。
「……悔しいですわ」
《配信コメント》
名無しの領民:知ってた
名無しの攻略勢:顔に出てる
名無しの領民:二回言っていいよ
「非常に悔しいですわ」
《配信コメント》
名無しの領民:本当に二回言った
名無しの攻略勢:あと一手あった顔
名無しの領民:祝賀会ですよね?
「あと一手ございましたのよ!」
右腕を戻す判断。防壁を前へ向けた角度。最後に左へ切る余地。並べようとすれば、まだいくらでも出てくる。
「あそこで再構成を――」
言葉を止めた。続ければ、最後の数秒だけで配信を終えられる。終えたあと、次の配信でも同じ数秒を始める自信さえある。今日はそれをするために枠を開いたのではない。
「詳細な反省会は、別の機会にいたしますわ」
《配信コメント》
名無しの攻略勢:始まりかけてた
名無しの領民:止まれてえらい
名無しの領民:別枠あるんだ
名無しの攻略勢:絶対長い
「長くはいたしません!」
《配信コメント》
名無しの領民:フラグ
名無しの領民:今日二本目
この者たちは、どうしてこういう時だけ学習が速いのか。アストは流れる文字を追い、ひとつだけ拾った。
《配信コメント》
名無しの攻略勢:キリオ、途中ずっと撃たなかったな
指が止まる。
途中なら撃てた。胸部を空けた時にも、矢は来なかった。
「ええ」
口にすると、胸部を貫いた衝撃より先に、引かれたままの弦が戻ってくる。
「あれは、少々――嫌でしたわね」
《配信コメント》
名無しの領民:褒めてる?
名無しの領民:嫌だったって
名無しの攻略勢:たぶん褒めてる
名無しの初見領民:結局どっち
名無しの領民:翻訳班が割れた
名無しの領民:右腕の話はもう終わり?
「勝手に翻訳しないでくださいませ!」
否定はした。それでも、視線は少しだけ伏せた。
撃てなかった一射ではない。撃てる場所を何度も捨て、最後に必要な一度だけを選んだ。その仕事まで、負けた側の意地で小さくするつもりはなかった。
「負けましたわ」
コメントの流れが、ほんの一瞬だけ遅くなる。
「長く、倒しに来られる側で遊んでまいりましたけれど」
何度も攻め込まれた。そのたびに別の工夫を持ち込まれ、別の失敗を見て、また次を待った。そして今日、初めて最後まで届かれた。
「ライカたちに。きちんと、負けましたの」
《配信コメント》
名無しのライカ隊推し:おめでとう!!
名無しの攻略勢:本当に初黒星
名無しの領民:長かったなあ
名無しの領民:城主、初陥落
名無しの古参領民:第一世代、おつかれさま
最後の一行だけが、ほかの文字より長く画面へ残った。実際には同じ速さで流れている。アストの視線が、そこから動かなかっただけだ。
次に目覚める時、さきほどまでの身体を選び直すことはない。長く知っていた重さも、翼が空気を掴むまでの間も、腕を別の形へ組み替える速度も、次の身体は同じ入力へ同じ返事をしない。
敗北の二文字より、その事実の方が静かに沈んだ。コメント欄も、少しだけ遅い。
「……ええ」
急いで明るくする必要はなかった。
「そこは、受け取っておきますわ」
◇
通話窓を開くと、四人分の接続表示が順に灯った。ライカ。ガルム。セラ。最後にキリオ。初めて見る名前は一つもない。
「負けたな」
接続した途端、ライカが言った。祝いの挨拶も、遠慮もない。何度も戦場で聞いた声が、勝ったあとだけ丁寧になるはずもなかった。
「見れば分かりますわ!!」
「……長かったな」
ガルムの笑い声は、戦場で盾を鳴らした時より大きい。
「本当に長かったですね」
セラまで続く。
「揃って最初に仰ることがそれですの?」
「何年越しだと思ってる」
ライカに返され、言葉が一拍遅れた。
何年という数字を並べる必要はなかった。欠けた盾を見ればガルムがどう退くか分かる。セラの声を聞けば、誰を戻すつもりか分かる。ライカが名前を一つ呼ぶだけで、その先に何が来るかまで身体が反応する。
それだけの時間が、今日の一射の後ろにある。
《配信コメント》
名無しの領民:距離が近い
名無しのライカ隊推し:通話きた
名無しの初見領民:倒した人たちと普通に通話するんだ
名無しの領民:さっきまで殴ってたのに
名無しの領民:普通とは
名無しのライカ隊推し:ガルム笑ってる
名無しの攻略勢:右腕の話まだやる?
「最後、右腕はもう戻せなかったろ」
ガルムが聞く。
「戻せなかったわけでは――」
《配信コメント》
名無しの領民:焦った
名無しの攻略勢:焦ってた
名無しの領民:右腕三回見た
「皆さまはどちらの味方ですの!?」
「勝った方じゃねえか?」
「ライカ!」
通話の向こうで、誰かが吹き出した。キリオだけは、まだ何も言わない。戦場で見た時より肩の力は抜けている。それでも、アストが視線を向けると、まっすぐこちらを見返した。
「キリオ」
「はい」
途中の射線で撃たなかったこと。最後の発射はライカの指揮で行われたこと。全部を一人の手柄として語るつもりはない。それでも、引いた弦を最後まで下ろさなかった仕事は、確かに彼のものだった。
アストは姿勢を正した。
「……お見事でしたわ」
キリオが一度だけ目を瞬いた。
「……どうもっす」
それ以上は言わなかった。アストも続けなかった。短い沈黙のまま、言うべきことは足りていた。
《配信コメント》
名無しの領民:短い
名無しの攻略勢:これでいい
名無しのライカ隊推し:キリオおめでとう
名無しの領民:次も最後まで残そう
名無しの攻略勢:次は次だろ
その通り。次は、次だ。
◇
通話を閉じて一分もしないうちに、コメント欄は別の遊びを見つけた。
《配信コメント》
名無しの領民:で、次は新人?
名無しの攻略勢:第二世代0勝
名無しの領民:新人城主
名無しの初見領民:初心者講座から?
名無しの領民:まず歩き方
「初心者ではございません!!」
反論は考えるより先に出た。
《配信コメント》
名無しの領民:反応が速い
名無しの攻略勢:その身体では0勝です
名無しの領民:ベテラン新人
名無しの初見領民:だいたい分かってきた
「長く攻略される側を務めてきた経験がございますのよ! 身体が変わった程度で、どうして初心者へ戻りますの!」
《配信コメント》
名無しの攻略勢:身体が変わるんだよな
名無しの領民:今自分で言った
名無しの領民:歩ける?
名無しの領民:操作説明から配信希望
「歩けますわ!!」
まだ見てもいない身体について断言すると、コメント欄が待っていましたとばかりに加速する。
《配信コメント》
名無しの領民:言質
名無しの攻略勢:保存した
名無しの領民:次回タイトル決まった
名無しの初見領民:この人ずっとこうなの?
名無しの領民:だいたいそう
「勝手に次回を失敗回へしないでくださいませ!」
悔しさは消えていない。目を閉じれば、最後の射線も、動かなかった右腕も、すぐに戻ってくる。けれど、負けたことと、次がなくなることは同じではない。
むしろ次の身体が、いままでと違う返事をするというのなら、それを確かめない理由がどこにありますの。
「もちろん、次へ進みますわ」
《配信コメント》
名無しの領民:きた
名無しの攻略勢:第二世代
名無しの領民:ベテラン新人編
名無しの領民:初心者講座待ってます
「初心者ではございません!」
最後までそこを譲る気はなかった。
「それでは皆さま、次の配信でお会いいたしましょう。ごきげんよう!」
配信終了を選ぶと、LIVEの灯が消え、勢いよく流れていた文字も、音のない画面の向こうへ引いていく。
静かになった場所に、次の身体へ進むための表示だけが残った。細かな説明は、まだ開かない。アストは迷わず、その先を選ぶ。
長く知っていた身体で、初めて負けた。
だから今度は、まだ何も知らない身体で遊べる。
悔しさのすぐ隣で、もう次への好奇心が翼を開き始めていた。
「――リスタートですわ!」