『本日、活発な梅雨前線が日本全国を覆い、各地で大雨が予想されています。所によっては雷を伴った雨が――』
部屋の中にテレビの音が響く。一応音量は平均的な設定にしているのだが、それ以上に外のから叩きつける雨の音の方が強くてうまく聞き取れなかった。リビングのソファーに座っていた一人の男はせっかくの休日だと言うのに付いてないなと溜め息を吐く。
彼は深海棲艦から人類を守る艦娘が集まりし鎮守府の提督である。普段は遠征部隊や出撃部隊の見送り、机に向かってのデスクワークをこなして、休む時も鎮守府内に設けられた自室で過ごすのが彼の日常であった。
しかし、最近成功したサーモン海域の解放やその他緊急任務の対応の成果が認められ、大本営から長い休みをもらうことに成功した。期間もそれなりに長く、せっかくなので鎮守府よりやや離れた自宅へと帰ることにした。
一応電車一本で行ける距離ではあるが、沿岸部と都心部では結構距離があって何だかんだで一時間くらいはかかってしまう。帰るチャンスは探せばいくらでもあったが、帰ってシャワーを浴びて軽く食事をとった後すぐに眠り、朝起きたらすぐ家を出なくてはならないのだから休める気がしないため、結局一年の大半を鎮守府で過ごしていた。
よって彼にとっての久々の帰宅は貴重なものである。鎮守府にもすっかり慣れてはいたが、年頃の女の子が多いとなるとそれなりに気を遣わなくてはいけないこともある。以前駆逐艦寮に行ったら望月が半裸で歩き回っていたのだから目に毒である。
だから誰もいない自宅というのはとてもとても素晴らしいものである。娯楽や貴重品などはすべて鎮守府に置いてきたが、それでも十分な安らぎだった。
それなのにこの大雨である。やや不足気味の食料を買いにも行けないし、時折り鳴り響く雷が部屋に刺しこんで昼寝をするにも少し落ち着かない。
PCを使ってのネットサーフィンをしようと思ったが、さっき落ちた雷のせいで電源が落ちて、一気に萎えてしまってそれきりだ。出来る事なら暁型三番艦の娘よ、同じ雷ならどうにかしてくれ。
そう思った時、鎮守府は大丈夫だろうかと思いだす。あそこは深海棲艦の襲撃に耐えられるよう頑丈に作られているから台風が直撃してもびくともしない。しかし停電くらいは起きるかもしれないし、風で吹き飛んだ石ころが窓ガラスを割りに来るかもしれない。やや気になって連絡したくなる。
だが大淀に「気にせずしっかり休んでくださいね」と言われていたからあまり気にしすぎるのも失礼だと思い、止める。さぁ暇だ退屈だ。腹が減ってきたが先物べたように食料はあまりない。こんな暴風雨の中買い物に行くのもナンセンス。何と言うことだ、このご時世食糧不足になるなんて。
どうする俺提督。このまま餓えた狼になるか、ずぶ濡れのかわいそうな子犬となってきゃんきゃん鳴くかのどちらかだ。
「……仕方ない、濡れてでも買いに行くか」
よっこらせ、と立ち上がり、自分がそんなおっさんくさい言葉を口にするようになったことに気が付き、またため息。日ごろの疲れがたまっているのだろうかと適当な服を探そうとした時だった。
―ピンポーン―
家のチャイムが鳴り、誰か来たことを知らせる。はて、こんな雨に誰だろうか。宅配便は鎮守府に送るようにしているし、来客の予定もない。新聞の勧誘だろうか? いやこんな台風にそれはない。そこまでさせる新聞社はどれだけ真っ黒な企業なのだろうか。そんな事を思いながら提督はドアの覗き穴から外を見て見る。そして、驚いた。
まず目に入ったのは頭の上に乗っている紺色の帽子、やや斜めに傾けて被るのは本人のちょっとした洒落っ気で、事実似合っている物で愛くるしさもある。その中から透き通る様な、少しだけ青の混じった銀色の髪の毛が伸びている。やや弱々しく見える白い肌に光るアイスブルーの瞳。
自分の所属する鎮守府の秘書艦でもある、特三型駆逐艦、暁型二番艦の響がドアの前に立っていた。ただし、帽子はぐっしょりと濡れて重そうな見た目になり、せっかくの美しい銀髪はさながら川に飛び込んだかのようにべったりと顔や体に張り付き、弱々しい彼女の外見をさらに磨きをかけていた。この雨の中をこんな姿になるまで歩いてきたというのだろうか。
「ひ、響!?」
思わずドアを勢い良く開け、そしてやはりその先にはずぶ濡れの響が居て自分の目は間違っていなかったことを認識した。見ればいつものセーラー服も絞った方が渇くのが早いだろうというレベルにまで濡れており、中に着ている青いキャミソールがくっきりと透けてしまっていた。普段なら海水で濡れることなく、敵砲弾の衝撃を最小限に抑えつける彼女の制服は艤装を装着しなければただのセーラー服に過ぎず、水を吸った布生地は大きなデッドウェイトと化していた。
「あ……司令官……」
「なにやってんだ! とにかく中に入れ!」
「助かるよ」
びしょびしょの響は疲れた面持ちで玄関に入り、提督は大急ぎで脱衣所に飛び込み、バスタオルをひったくると響の帽子を取り、頭にかぶせてわしゃわしゃと水滴をふき取る。
「ったく、なんたってこんな日に……ああもうこんなにびしょびしょになって」
「でもこれで水も滴るいい女になれたかな」
「水も滴るいい女なんてレベルじゃないぞ」
後ろに回り込み、後ろに伸びた長い髪の毛に張り付いた水分をどうにか拭き取ろうとする。そんな提督を見て響はそんなに冗談を言うタイミングではなかっただろうかと思い、謝罪する。
「すまない……迷惑をかけるつもりはなかったんだが、途中で傘を壊してしまって……」
「こんな雨じゃ傘なんてほぼ役に立たないだろ。ほら、シャワー貸してやるから体温めてこい」
「спасибо(ありがとう)……あ、その前にこれ」
響は片手を差し出し、その手にはビニール袋が握られていた。それを提督に手渡し、中を見てみると中にはジャガイモ人参、牛肉などの食材が入っていた。
「これは?」
「司令官の事だから、どうせしっかりした物食べてないと思って来たんだ。あとで温かい物作ってあげるから、待ってて」
そう言うと響は脱衣所に入り、扉を閉める。提督は再度ビニール袋の中を見て、脱衣所の方を見る。たしか響も自分がいない間、二日ほど休暇を与えていたが、何も休日まで自分に付き合う必要などないのにと思う。
とは言う物の、来てしまったのは仕方ないし、帰してしまうつもりもない。どちらかと言うと嬉しい。なにせ彼女とはほかの艦娘とは少し次元の違う特別な関係なのだから。
(しっかしいつもなら一言くらい連絡するはずなんだが、珍しいな)
浴室からシャワーの出る音。さて、ひとまず食材を冷蔵庫に入れて着替えを持ってこようか。突然の来訪者に驚きつつも、提督は頭を切り替えて受け入れることにした。
*
響がシャワーを浴びている間、だらしなく散らかっていた服やゴミをとにかく床の上から排除し、あまり使わないクローゼットの中に放り込んでリビングのテーブルと食卓の上を大急ぎで台拭きで綺麗にする。机の下からややはみ出し気味だったエロ本はまとめて回収し、黒いビニール袋に入れて口を縛ると、ベランダへと放り出した。
そのタイミングでシャワーが止まる音がし、提督は自分の部屋着用Tシャツと短パンを取りだすと、脱衣所の前まで来て響に呼び掛ける。
「響、着替えを持って来たぞ。俺のシャツだが無いよりましだろう」
「ありがとう、司令官」
「ここに置いておくからな」
と、脱衣所のドアの前に服を置き、加えてリビングに続く扉も閉めて響が取りやすいようにしておく。その間にもう一度部屋を見回し、不備が無いかを確認する。まぁ許容範囲だろうと判断し、急須の中に茶葉を入れると魔法びんからお湯を出し、出来上がったお茶を湯呑みの中に適量入れて、机の上に置いておく。
「お待たせ」
響が扉を開けてリビングに戻ってくる。しかしその言い方だとこれから夜の営みに走る男女みたいだなと思いながら、提督は響の方を向く。
風呂上がりでしっとりと湿りを持った髪の毛。雨で冷える外から解放され、体温が回復したことを示すやや赤く紅潮した頬。着ている服は明らかにサイズが合わず、ぶかぶかな状態で肩が半分見えている状態だった。まぁ……本当に無いよりはましという程度だろう。短パンがゴムで伸び縮みするタイプでよかった。これがなければ響は下半身の下着丸出しの状態で過ごすことになるところだった。
「机の上に飲み物置いてるから、適当にくつろいでくれ。洗濯機回してくる」
「うん」
提督は脱衣所に入り、籠の中に入れられた響のセーラー服を取りだすと、自分の洗濯物と一緒にならないように仕分ける。これは自分の靴下、こっちもTシャツ、これは響のセーラー服、こっちはスカート、これはキャミソール、この白い布は女の子の下着……下着?
と、提督は思わずはっとした。待て、今自分が持っているほのかに温かいこの白い布は、世の男性諸君が一度は憧れるであろうスカートの奥地に眠る魅惑の三角地帯。それも、一部特殊な性癖を持つ男性には卒倒物である十代を迎えて間もない少女のものである。色も白、大人用と比べればやや子供っぽい布生地のそれは、しかもまだほんの少しだけ温い、という点がより一層危険度を上げている。
ごくり、と唾を飲み込む音がやたらと大きく聞こえた。ついさっきまで、響が履いていた、下着。別に提督は今まで女性経験が無かった、と言う訳ではない。下着その物を見るのは初めてではないのだ。
だが、子供用となると話は別だ。犯罪者の出入りする域である。逆に言えば選ばれた者しか手にする事の出来ないこの三角地帯。どうする……どうする?
「……はっ、いかんいかん!」
提督は一体何を考えているのだろうかと頭を横に振り、さっさと仕分けて洗濯機の中に放り込んでスイッチを入れた。冷静さを取り戻し、改めて思考を走らせる。いくら子供とは言え、恐ろしく理性が飛びそうになる代物であった。もし自分が提督業をやってなければとっくの昔に響に手を出して最悪監獄行きだったのは間違いないだろう。
いや、駆逐艦娘と出会って……正確に言えば響と出会ってからロリコンの気質が生まれ始めてしまったと言うのもある。人間そうはならないと思っていても、案外簡単に落ちるものだから気をつけなくては。
脱衣所から出てみると、響が台所にエプロン姿で立っていた。冷蔵庫に入れていた食材を取り出し、龍驤……ではなく、まな板の上に置いて適度な大きさに切っていた。
「お帰り、司令官。今ご飯の準備してるから待っててくれるかい?」
「あ、ああそれは構わんが、ちょいと聞きたい事が……」
何故ここまで来たのか、と聞こうと思ったが、提督はさっき見た響の下着を思い出し、そして目の前に居るぶかぶかのTシャツと短パンを着ている響を見て、ある予測をする。さっきキャミソール、そして魅惑の三角地帯があったということは……今彼女は下着も何も着ていないのではないのか、と言う衝撃が脳内に直撃した。
そんな考えが直撃すると、男は単純なものでそれまでの考えが一切吹き飛び、今目の前にはほぼ全裸同然な少女が居るのではないのかと言う考えで頭が埋め尽くされる。実際シャツも短パンも着ている。しかし、シャツについては先ほども述べた通りぶかぶかで、肩だって半分見えているのだ。例えるなら裸Yシャツ同然である。
「いや……何でもない、頼んだ」
「? 了解した」
と、響は不思議そうな顔をしながらも具材の下準備を再開する。なんだか今日は色々とダメになりそうな気がした。提督は落ち着こうと思ってリビングのソファーに座り直し、テレビのチャンネルを変える。雨はまだ止みそうになかった。
「……しっかし、わざわざ雨の中来なくてもよかったんだぞ。せっかくの休みなんだし、もうちょっと自由にしてても」
「私にとっての自由が司令官と一緒に居る事さ。それに君のことだ、さっきも言ったが、ここ最近まともな食事をしていないだろう」
「いやそんなことは……」
「ゴミ箱のカップ麺の山はなんだい?」
むぐっ。提督は思わず唸る。まさか目線がそっちに行くとは思っていなかった。ちらりと台所横のゴミ箱を見て見れば、大量に積み上げられたカップ焼きそばの容器が溢れそうになっていた。UF〇に一〇ちゃん、昔ながらのソ〇ス焼きそば、そしてそこに埋まっていて見えないが日〇麺職人もある。
「えっと……すまん」
「今晩はボルシチにするよ。司令官はゆっくりして」
「ん、ああ……」
トントントン、とテンポのいい音が響き渡る。鍋に入れられた牛肉が沸騰する水に揺られてコトコトと煮込まれる。そのタイミングで弱火にし、ローリエを入れて灰汁を取る。非常に手慣れた手つきである。響の作るボルシチはとても美味で、鎮守府内でも結構人気である。
一見非常にできるさながら幼妻の様な彼女であるが、ただ一つだけ弱点がある。それは、ボルシチくらいしか安定して作れるものが無いという点である。
非常にもったいないな、と提督は思う。一応カレーも作ったりはするが、美味しかったり微妙だったり、味が安定しないことが多い。ただボルシチだけは驚異的な安定率を誇っている。極端に下手、と言う訳ではないのだろう。現に夜遅くに隠れて料理の練習をしている所を何度か見たことあった。その健気さは世の男たちのハートを貫くこと間違いないだろう。
「いい嫁さんになるだろうな」
「何か言ったかい?」
「いんや、何でもない」
その後も響の調理は続き、トマトピューレを入れてしばらくたった後、部屋の中をトマトのいい匂いが包み込む。提督はその匂いに鼻を鳴らし、思わず腹の虫が鳴いてしまう。
「うーん、良い匂いだ」
「もう少しだから待っててね」
そう言う響の横顔はとても楽しそうで、まだ幼い少女だと言うのにどこか色気を持った女性のようにも見えた。ああ、これが年頃の少女が一瞬だけ見せる、大人の顔なのか感慨深く思う。なお、体つきは第六駆逐隊の中で一番弱々しい模様と雷からの情報。
おたまでほんの少し中身をすくい、軽く息を吹きかけて一口。響は満足そうな顔になる。どうやら今日の出来はよさそうだ。
提督は立ち上がると食器棚の中から手頃な器を取り出して響に差し出す。響はにっこりと笑みを浮かべて受け取るとしっかりと具材に偏りが無いように器に入れると空の器と入れ替わりで手渡し、食卓に並べる。二人分を並べると、電子レンジで作るタイプのご飯を二人分放り込み、スイッチを入れる。
「本当は炊いたご飯にしたかったんだけどね」
「流石にこの雨の中米を持ってくるのは無謀を通り越して危険だからな」
なお、提督の現在の住まいに米のストックは無い。
ご飯も完成し、せっかくなので茶碗に移してブロッコリーとプチトマト、レタスなどで作った軽いサラダも用意して準備完了。響はエプロンを脱いで二人で向かい合う形に座ると手を合わせて頂きます。
まずは白米を一口入れて下準備。続いてメインディッシュのボルシチを口に入れて、トマトとクリームの酸味が口の中に広がり、加えて一緒に入った牛肉の肉汁がワンポイント引き立てる。ああ、素晴らしきかなロシア料理。響の作るボルシチに勝るものがあるのならぜひとも拝みたい。
「うんまい」
「カップ麺よりは自信あるさ」
「正直カップ麺で過ごすつもりだったが、やっぱ誰かの作った料理って身にしみるわ」
「これから毎日司令官の朝ご飯作ってもいいんだよ?」
「ぶっ」
思わず吹き出し、提督はゆっくりと顔を上げて響を見てみる。いつも通りの無表情でご飯を口に運ぶ。いや、違う。よく見たらほんの少しだけ手が震えているし、茶碗で隠している頬は赤くなっていた。
(それ……プロポーズだろ、もはや。普段ならこんな慣れないこと言わないと思うのだが)
思えば突然連絡も無しに家に来たと言うのも彼女らしくない。何事も丁寧にこなす性格なのだ、普段からだとあまり思いつかない行動が目立つ。何か、彼女は目的があって来たのではないのだろうかと予測が行く。
「…………」
響の顔をもう一度見て見る。顔の紅潮は収まり、いつも通りの彼女に戻っていた。さて、どうしたものだろうか。しかし、今聞く必要はないだろうと思い直し、提督は食事を再開する。疑問は残ってはいたが、やはり彼女の作ったボルシチは美味だった。
*
雨は一向に止む気配はなく、横殴りの雨が窓を叩いてはやや不安に陥ってしまう。車を運転する人間なら、ワイパーのレバーを入れたくなることだろう。加えて雷のおまけ付き。もーっと頼ってもいいのよ。
提督と響はそんな中、特に意味もなくテレビを見ていた。帰る日も少なく使う頻度もないソファーは、一応購入して数年経過しているのだが、座る回数が少なくふかふか具合で言えば新品同然だった。そんな座り心地抜群のソファーがあると言うのに響はそこには座らず、まるでここが私の指定席だと言わんばかりに提督の膝の上に座っていた。
「……なぁ、響」
「なんだい司令官?」
「お前何かあったか?」
「べつに。いつも通りだよ?」
と、素っ気なく言う彼女ではあるが、やはりどこかいつもと違う気がする。いつもなら隣に座るくらいなのだが、膝の上にこうも大胆に座ってくるなんて無かった。どちらかと言うと暁か雷が好みそうなポジションなのだが。
「どうしてそんな風に思うんだい?」
「いや、いつもなら俺の家とかに来るなら一言くらい電話をしてくるものだからな、ちょいと気になって」
「こんな雨だったから、電話しようにも余裕が無かったんだ。それに関して謝るよ」
「いや、怒ってる訳じゃないんだ。そんなに気にしないでくれ」
「了解」
いやいや違うだろ、言いくるめられてどうするんだと溜め息を吐く。それに反応して響が不思議そうに顔を半分ほど後ろに向ける。その際髪の毛がほんの少しだけ顔に触れ、ほんのりと残るシャンプーの匂いが鼻の奥をつつく。なかなか心臓に悪い。なんせ膝の上に座っている彼女はズボン一枚を超えたら「はいていない」状態なのだ。少しでも気を抜けば要らぬイツモツが上昇開始をするから最大レベルの警戒が必要だ。
しかしである。それを知ってか知らずなのか、時折り響はもぞもぞと体制を変えたり、体を動かしたりして股間の微妙な位置を刺激してくる。頼むから動かないでくれ我が秘書艦。それ以上は自分の理性と本能が雷撃戦を始めそうになるのだ、もし本能が勝つようなことがあればそなたの身の安全の保証はできないのだぞ。
「響、俺そろそろ風呂に行ってくるわ……」
「うん、待ってる」
一時離脱。すんなりと出してくれたことが非常にありがたい。提督は心底安心したため息をついて一旦自室に戻り、着替えを取ると脱衣所に放り込み、適当に着ていた服を洗濯かごに放り込むと体を洗うためにシャワーを出す。ちなみに湯船にはお湯が張ってあっていた。さっき響がシャワーに入った時、ついでに準備してくれていたそうだ。
シャワーから出るお湯を頭からかぶり、風呂桶を湯船に突っ込んで体全身に吹っ掛ける。やや熱めのお湯が皮膚を叩き、軽く頭を振る。
シャンプーを適量手に取り、わしゃわしゃと髪の毛の中で泡だてる。男性用シャンプーの刺激が頭を覆い、独特のクール間で包まれる。この刺激、じめじめした頭皮にはなかなか良い物だ。
適当な所まで泡だてたら再び風呂桶を湯船に突っ込んで頭からかぶり、シャワーと一緒に泡を流す。たまらない爽快感。頭が群れる梅雨や夏場での有用性は高い。
さて、続けてボディソープで全身の清掃に入る。子供ではあるが年頃の女の子が居るのだ、いつもより念入りに体を洗わなければならないだろう。まずは体の前面、続いて側面と素早くごしごしと泡を塗りたくり、じめじめとした室内で湧いてきた汗を洗い流す。
続いて背中。と行きたいところだが、やはり背中と言うのはやりにくい物で、背中を洗うためのタオルを持ちこむのを忘れた提督は不覚に思いながらもどうにか届きにくい所へスポンジを伸ばす。が、ここでふと思いついた。よくよく考えてみればこういう男が一人で浴室に入っているときと言う物は、お約束で一緒に居る女の子が風呂に乱入してくるものである。まさか、まさかとは思うがそんなことはなかろうか。
恐る恐る提督は後ろを振り向く。もしかしたら既に脱衣所に居るのかもしれない。いかん、いかんぞ。流石にそんな事されたらいよいよ理性が保てなくなる。確かに自分と響はケッコンカッコカリ(なお、あえてヴェールヌイにして居ない)を済ませるくらいには信頼関係を築いているし、他の艦娘とも一歩先を行く関係にだってなっている。言うまでもなく、恋人と言う奴である。
しかし、しかしである。それでも超えてはならない物があるので、提督はせいぜいハグするくらいで留まっていた。それだけでも何かタガが外れれば危険なのだが、まだ子供の彼女にそんな責任を背負わせるわけにはいかないと我慢していた。
幸いなことに、振り向いた先の脱衣所に誰かいる気配はなかった。いやよかった、大人しくリビングに居てくれたようだ。おお神よ、あなたは私の理性をお守りして下さった。
思わずため息。今日何回目だろう。安心した溜め息ではあるが、提督だって男である。そう言ったお約束な展開をほんの少し期待していた面もあったがそれはよくないことである。これでいいのだと。呟いた。
「ま、これでいいんだわな」
「何がいいんだい?」
「とぉぉおおおおおおおううう!!!?」
大絶叫。そしてそのままの勢いで浴室を跳ね上がりトリプルアクセルからの左三回転捻り加えて風呂椅子へのタッチダウン。何と言うことだ、今ここで自分以外の声がするということはそれがいったい誰なのか一人しか居ないではないか。
ギギギ、と言うような機械音が似合いそうな動きで提督は湯船を見る。そこには「ハラショ~」と先ほど披露したトリプルアクセルをパチパチパチと評価する響の姿があった。
「お前……いつの間に……」
「司令官がシャンプーを始めた所から」
「ほぼ最初からじゃないか!」
完全に不意を突かれた。これから体を洗うというタイミングで飛び込むと思っていたのにまさか最初から居るなんて。何と言うことだフリーダム響、全く予測できない行動をしてくれる。しかし提督は確信する。次に響はこういうに違いないと人差し指を向けて額に指をあてた。
「取りあえずだ響。お前は次に、背中、流そうか? と言う!」
「背中、流そうか? はっ!?」
「お約束どうも……」
がっくりとうなだれる提督。違う、そうじゃない。そうじゃないんだと思うのだが、響は全く気にする様子はなかった。
「気にしなくて良い、水着を着ているから」
ざばぁ、と響は湯船から立ち上がり、スポンジを手にとって提督の背中に擦りつける。なお、響の水着は駆逐艦ならば毎度お約束の旧型のスクール水着である。
未だ困惑する提督をよそに、響きはさっさと準備を終えてごしごしと背中を擦る。その手つきは丁寧でむらなく背中を擦ると、桶をすくって背中を流す。提督は冷静さを取り戻し、取りあえず無防備なブツを見られないように足を必死に閉じることに専念していた。おかげで未発達な体の少女が体のラインがくっきり見えるスク水を着ながらの背中流し、という男性諸君最強の夢が叶っていると言うのに、どちらかと言うと生き地獄であった。
「痛くないかい?」
「ほほほ程良い感触でございます」
「よかった。司令官の背中、大きいね」
「アリガトウゴザイマス」
ぎこちなく言葉が出る。裏返りそうな情けない声が浴室に溶けて消える。そんな提督を知ってか知らずか、響は腕を回し、体を密着させてきた。
「ぶっふ!!」
「……あたたかい」
もうそれ狙ってやってるだろと問いただしたくなるこの行為。誘ってるのか、天然なのか判断が付かない。しかし今確かに感じる背中のスクール水着の感触。そしてその向こうにある頼りなくもしっかりと女性らしさを主張する胸の膨らみが背中に押しつけられる。それはやや上下に揺れ動き、ふにふにと独特の感覚が脳髄に叩き込まれる。
「はい、おしまい」
と、思いの外早く終わり、響の体が離れていく。もう少し堪能したか……いや違う違う。こうならなければどうにか足で隠しているネオアームストロングサイクロンジェットアームストロング砲が唸りを上げたこと間違いない。
「あー、うん。ありがとう……」
「あとこれ」
と、響はバスタオルを提督に差し出す。つまりこれを着ろと。まるで最初から決めていたかのような……いや、提督は恐らく最初からこうすることを決めていたのだろうと予測した。無計画で来たには準備が良すぎる。響は最初からこうするつもりだったのだと理解した。
取りあえず提督は腰にタオルを巻き、湯船に入る。暴走だけは回避することに成功した。このまま響が出てくれればある意味助かったが、そうはしないだろう。恐らく響は、再び上に乗ってくる。現にそうしてきた。
ああ、神様。もし本当に居らっしゃるのであれば、いっそここで私を殺して下さい。それとももう我慢しなくてもいいと仰ってるのでしょうか。もしそうなら私は今ここで全てのリミッターを吹き飛ばします。よろしいでしょうか?
(いいや、いかんいかん! 落ち着け俺! 例え神様仏様がいいと言っても、この俺自身がそれはダメだと決めた事じゃないか、貫き通せ!)
「よいしょっと」
ぐり、と響が体制を変える感覚。スク水の感触と響の体温が相まって、いよいよ本能が目覚め始める。我慢我慢我慢我慢……
「司令官……息が荒いけど、どうかした?」
秒殺だった。体がお湯よりも熱く、顔も真っ赤になりそうで血がものすごい勢いで体中を走り回る。まるでフルマラソンをしたように頭がくらくらして、あっという間に提督はのぼせそうになってしまった。まだ十分と風呂に入ってないと言うのになんと情けないだろうか。この時点で目の前が真っ暗になってしまっていた。
だがこれはチャンスだ。これ以上は危険である。響には申し訳ないが、一旦離れてもらうにはもってこいの状況だった。
「響……すまん、のぼせた……」
「も、もう? 大丈夫かい、司令官? お水持ってくるから待って」
と、響は湯船から上がると小走りに浴室から出ていく。提督、湯船から緊急離脱。どうにか浴室に転がり込むも、目の前が真っ暗で頭がくらくらする。だが、本音を言うなら助かった。あのまま響が座っていたら間違いなく変な空気になって、そして薄い本の展開へとまっしぐら。非常に、非常にもったいないと思う。それでもなお我慢しきったのだ。これは快挙とも言えるだろう。
「だれか……俺の事褒めて……」
某鎮守府責任者提督。ただいま、一隻の……いや、一人の駆逐艦により、のちに「自宅の生き地獄」と呼ばれる自らの本能と史上最強の戦いを強いられていた。
*
風呂から脱出し、普段の調子を取り戻した提督はリビングの机を片づけ、続いて襖の中から敷布団を取り出して広げると、その上に寝転ぶ。本当なら二人分の布団が欲しいのだが、あいにく一人分しか持ち合わせていない。それが何を意味するのか、考えずに分かるだろう。
つまり、二人同じ布団で寝るしかないのだ。恐怖の2-4、最終ステージ、ラスボスである。
(響と一緒に居ることはとても嬉しいことなんだが……今日に限って本当に疲れる。なんか、いつもと違う気がするし……)
そう言えばさっき抱いていた疑問をすっかり忘れていた。以前にも響が家に来たことはあったが、こうはならなかった。普通にテレビ見たりお茶したり談笑したりする程度だ。
だが今回はどう言う事か、やたらと誘惑じみた行為が目立つ。今日は一泊するからいつもと勝手が違う為だろうか。とにかく分からないことが多すぎる。頭が回らない。まさか本当に誘っているとでもいうのだろうか
「…………はぁ、ないない」
なんか色々とダメな気がする。テレビでも見て気を取り直そう。そう思いながら提督は水を一口入れてリモコンのスイッチを入れようとした時だった。
部屋全体を真っ白に染め上げる閃光、直後に床が震えるほどの雷鳴が響き渡り、部屋の電気が消えて視界が奪われる。停電だ。
「きゃああ!?」
「響!」
浴室から悲鳴。提督は思わず動こうとしたが、目が慣れてない以上部屋を動くのは危険なため、一旦落ち着きを取り戻す。こういう場面では慌てた方が負けだ。やや目が慣れてきて、自分の手元が見えるくらいになった所で携帯電話を取り出し、カメラのライトを点ける。
「響ー、大丈夫かー?」
と、脱衣所の前までやって来て、ノックをする。返事はすぐにやって来て、提督はほっと胸を撫で降ろした。
「びっくりした……停電かな?」
「らしい。あっちもこっちも反応しない」
「そうか……こっちは目も慣れて来たから大丈夫だよ。先に寝てもいいから」
「本当に大丈夫か?」
「海で夜戦する時の方が、もっと恐いよ」
「そうだったな。じゃあ先に布団入ってるわ」
ひとまず安心して提督はリビングに戻り布団の中に入る。一旦二人一つの布団で寝るなんて変な意識を捨て、ただ寝ることに専念しようと決める。停電と言う緊急事態は提督が思っている以上に自分を落ち着かせてくれた。今は響と自分の身を守るのが最優先だし、一緒に居た方が安心だと、訓練で鍛えられた生存本能が動き出す。
かちゃり、と脱衣所のドアが開く音。着替え終わったかと思い、提督は響が居ると思われる方に目を向ける。ひょっこりと現れた小さな影。その影は真っ直ぐこちらに向かい、目は見えているようで一安心する。流石は駆逐艦、夜戦に慣れているから夜でも平気なのだろう。どっかの夜戦バカが今この場に居なくて良かった。
響が布団に入ったら適当な雑談をして寝よう。そう思っていた提督は、自分がいかに今無防備な思考をしていたか、そして響が完全に自分の理性を破壊しに掛っていると言うことを思い知らされるのはその直後だった。
そのまま布団に入るかに見えた響だったが、何を思ったのか布団に入ることなく、体重を掛けないように提督の腹の上に乗り、提督は困惑した。
「ひ、響……?」
「司令官」
自分の問いかけに、響は答える気配はなかった。その声はどこか寂しそうで、しかし決意が混じったように聞こえる声色だった。提督は確信した。響が自分にやってきた誘惑と思われるあの生き殺し。それは紛れもない自分への甘い誘惑だったのだと。
「お前……まさか……」
「私の体、そんなに魅力が無いのかい?」
聞く耳持たずの透き通る様な声。響は小さな手を胸板に置く。今彼女の行動一つ一つ全てが理性の壁を叩き壊す気がして、そうなってしまったら自分は響にあらぬ扱いをしてしまうかもしれない。と提督は恐れる。いやそうなる。今まで我慢してきた分の溜まっていた物が一気に爆発したらどうなるか分からない。
「司令官は、私の事好き?」
「そ、そりゃ……もちろん好きに決まってるだろ」
「それじゃあどうして……私の誘いを避けるんだい? 男の人は、恋人の誘いを受けたら激しく愛してくれる物だって聞いたんだよ」
「た、確かにそうだが……じゃあやっぱり、こんな日に来たのも全部……!」
「そうだよ。普段はするにしても私の事を抱きしめるくらい。別にそれが不満ってわけじゃない。けど、私だって女だ。司令官とそれ以上の関係だって望む。でも……」
ぎゅっ、と響は拳を作る。それはほんのわずかに震えていて、その古江から彼女の悔しさが伝わってきた。子供だから、体がまったく大人じゃないから彼は振り向いてくれないのではないのだろうかと。彼女がそんなことを感じていると思うと罪悪感に満たされる。響がそんなにも深く悩んでいたなんて全く思っていなかった。能天気な自分に腹が立つ。
「司令官は……はぐらかしてばかりで……やっぱり私が子供だから?」
いつの間にか雨は止み、外は驚くほど静かになっていた。その静寂がどこか妖しい雰囲気を持ち、そして雨雲の切れ目から満月が顔を出してその光が窓から差し込む。満月の光がゆっくりと、自分の上に乗った響の姿を晒していく。
そしてその月明かりが響の全てを照らし出した時。提督は思わず息を飲んだ。
響はさっき渡したTシャツを着てなかった。代わりに一体いつの間に持ち出したのだろう。響が着ていたのは紛れもない提督のYシャツであった。それもボタンを開け、その下にある肢体を晒し、他に着ているのはさっき洗濯機に放り込んだのとは別の小さいリボンが付いている青いストライプの下着一枚だった。恐らくこれは今彼女が出来る精一杯の勝負下着。Yシャツを脱いでしまえば、正真正銘今度こそほぼ全裸だ。
「おまっ、なんて格好を!?」
「こうした方が司令官もその気になるでしょ?」
しゅるり、とYシャツの片方を脱ぐ。素肌を隠す為のシャツはもはやただの布切れになり、重力に従って布団に落ちる。その下から現れる響の体は、確かにほっそりと華奢な体つきで、ほんの少し触れるだけで壊れてしまいそうだった。
月明かりに映える響の体は透き通るように白く、まるで光っているかのような美しさを持っており、華奢と言ってもその体は少しずつではあるが女らしさを主張し、胸のふくらみはしっかりと認識できるレベルには達していた。それだけで、提督の理性を中破させるだけの破壊力を持っていた。
ふわり、と響は体を倒して耳元に口を近付ける。吐息が撫でるように耳に触れ、体がぞわりと震えた。
「確かに……私は他の子たちと比べると体つきは面白くもなんともない。姉妹の中でも華奢な方で頼りないと思う。でも、司令官の望むことは全部叶えられる自信がある。誰よりも」
ぬるり、と生暖かくも湿った響の舌が提督の耳を一舐めした。提督の理性にさらなる被弾。大破する。
「司令官……」
響が体を起こす。提督の目をじっと見つめるアイスブルーの瞳。その頬は紅潮し、彼女自身も恥じらいを持っているのだと悟る。それがまた愛おしく思えて、思いきり抱きしめたくなった。その一方で、まだ十代を超えて間もない少女がこんな羞恥を自ら望んで行い、自分を誘っていると言う犯罪臭が逆に興奮剤となって頭を満たしていく。
このまま自分が求めれば、彼女は自分に身を預ける。それは許されざる行為でもあり、しかしそれゆえに得る快感は大きく、大きな背徳感は媚薬となって理性を完全に破壊していくだろう。
響の手がそっと顔に触れる。つー、とその手は首筋、胸板、腹部へと続く。もはや抵抗をすることに何の意味を見いだせなくなり、響の最後の言葉で理性が轟沈した。
「司令官……いいんだよ。私の事……好きにして」
プツン。何かがはち切れる音。提督は響の手を握り、体を起こす。二人抱きあう形、響は突然の行動に驚き、しかし提督はそんな暇を与えず体を入れ替えて彼女を押し倒す形になる。艤装を外した響はただの少女と何ら変わりない。成人超えている提督にしてみれば響を押し倒すのは細い枝を折るかのように容易い事だった。
息が荒い。体を循環する血液の速さが尋常ではない。酸素が追い付かず、呼吸が荒くなる。理性の壁が崩壊した今、その向こうにあるのは欲望を満たすと言うだけの本能だけで、提督は響の事を完全に性欲対象としか見る事が出来なかった。獣と人間を隔てる理性は、完膚なきまでに破壊され、今の彼は発情期を迎えた動物と一切変わらない存在となっていた。
その迫力と性欲を満たそうとする男の必死さを見て、響は男と言う物を侮っていたと思い知らされた。確かに自分の司令官との関係が進展しないことは少し不満だった。いや、不安と言うべきだろうか。世間の言う恋人は、こうしてお互いの体を重ねてまぐわうと聞いていた。それが最大の信頼であると世間一帯はそう言った。
それを深く知る為に、提督のパソコンを拝借してその手のサイトを巡回した。画面の中の男女はこれほどにもなく愛し合い、手と手を取り合って愛を育んでいた。響もあんな風に愛されると思っていた。
だが、目の前の提督はどうだろう。目は血走ってぎら付き、まるで一週間ぶりの獲物を見つけた獅子のように響を睨んでいた。しかも、その目は自分ではなくただ欲望を満たす目。その違いを例えるなら、観賞用のミニブタと、丸々太った食用の豚を見る目くらいに違う。腕を掴む手の力が強い。絶対に逃がさない。物言わぬ提督の意思はこの手の力だけで明確に理解できた。だが響きにしてみればこんなに強く握られては恐くてたまった物じゃない。恐ろしくて恐ろしくてたまらないのだ。
提督が顔を近づく。響きは唇が奪われること悟ったが、全くうれしくなかった。こんな形は嫌だ、望んだのはもっとお互いの愛を確かめ合って行うキスだ。こんな食いつくされるような物じゃない。
響はそう思うも提督の勢いは止まらず、覚悟を決める。が、提督は響の唇を奪うことなく、首筋に口づける。え? 響は一瞬何が起きたか分からなかったが、次に甘噛みをされて思わず声を上げた。
「ひゃぁ!? しれいっ……かっ……!」
続けてぬるりと這う舌。ぞくりと体が震えあがり、響は思わず涙を浮かべる。なぜ? 望んだ事なのに。でも何かが違う。求めていたのはこんな獣に食いつくされるようなものではない。響は精一杯の声で呼びかける。
「ま、まって、しれい……んんっ!」
精一杯声を出して彼を止めようとする。しかし響きの発した声は蚊が鳴くような小さな声だった。その程度の声で提督の理性は戻ってこない。響より一回り、二回りも大きな手が彼女の小さな体を撫でる。まるで神聖なものを汚す行為を楽しんでいる、別の生き物の様な動きだ。
体を隠す物がほとんどない響は、無防備そのものである。提督はその肢体に顔をうずめ、ぬろりぬろりと舌を這わせていく。恐怖の一方でゾクゾクと体が震え、お腹の奥がきゅんと切なくなる。響きはまだ知らないことだが、この切なさこそ快楽への第一歩だった。
上から下へ、今度は下から上へ。提督の顔が再び響の前に現れる。響は悟る。今度こそ、今まで誰も触れることの無かった唇を汚すのだと。だが正気ではない彼に奪われて嬉しいのだろうか。確かに、誘ったのは自分。望んだのは自分。なら願いが叶っていいじゃないか。そう言われても仕方が無い。
それでも。それでも、響はこんな提督を望んでいなかった。理想と現実は違うとはこういうことなのだとようやく知れた。そして、やはり自分は子供だったと痛感した。
提督の顔が近付く。恐い、恐い。お願い、しっかりして司令官。私が悪かったから、こんな初めては嫌なんだ。今考えたら、今までこういうことをはぐらかしてきたのは何か理由があったのかもしれない。それを聞いてなかった私が悪かった。だから、だから……。
「司令官……やめっ……て……!」
涙と一緒にこぼれたその言葉。頬を伝ったその涙は提督の手に降り注ぎ、その感覚が神経を伝って脳機能全域に到達する。そしてそれは轟沈した理性の緊急ダメコンとなってようやく提督の意識を引き戻した。
提督は響きの顔を見る。目の前の少女は顔を赤くしてその眼に涙を浮かべ、息を荒くしながら怯えた顔で提督のことを見ていた。
サッーと血の気が頭から引いていく感覚。頭が冷たくなるとはこういうことなのか。こんなのは過去に響が大破、意識不明の一報を受けた時以来だった。
「…………すまん……響」
提督は体を起こし、響から離れる。一体なんてことをしてしまったのだろう。大事な大事な響なのに。彼女がもう少し成長するまで待とうと決めていたのに、目の前の彼女は恐怖に怯えた顔だった。確かに求めてきたのは彼女だ。だがそれにしたって形が違う。完全にやってはいけないやり方だった。提督は思わず顔に手を当てて項垂れた。
響は自分を取り戻し、項垂れるも落ち着いた姿の提督を見て一安心した。心臓の鼓動は相変わらず早かったが、じきに収まるだろう。それよりも、今相当に落ち込んでいる彼に声を掛けるべきだとそっと近づく。
「司令官……良いんだ、男性は誘惑するとタガが外れるものだと言うのは知ってたし……」
「でもお前泣いてるじゃないか」
「こ、これは……ちょっと驚いただけで……」
とは言う響だったが、それ以上のフォローの言葉が思いつかない。恐くなかった、と言うその言葉が出て来ない。否定できないほどの恐怖を感じていたのだ。それなら変に誤魔化さないほうがいい。響は正直に言うことにした。
「……ごめん、本当は怖かった」
「だろう、な……」
沈黙。提督は力なく立ち上がると落ちていたYシャツを手に取り、響の肩にかける。台所へ行き、コップに水を入れて一気に飲み干すと、響きよりやや離れた位置に座る。だが響はシャツを着直して提督の傍に寄り添った。
「……響、お前はこの事でずっと悩んでたのか?」
響は何も言わずに頷く。提督は失態だったと感じる。いつも静かだからあまり気にしていないと思っていたがこんなにも気にしていたことに気付けなかったなんて。
提督は響の頭の上に手を置き、優しく撫でまわす。彼女は心地よさそうに目を細めて頭を肩に預ける。恐怖心はもう薄れていたようで一安心する。
「……あのな、俺だって男なんだ。響の事をそう言う目で見ることだってあるんだ。別に魅力が無いとか子供だとか、そんなことは関係ない。許されるのなら執務室でお前を襲うくらいの事はした。第一子供だからって理由だったら恋人にはならずどちらかと言うと妹みたいな扱いをしているぞ」
「じゃあ……」
じゃあどうして? そう言いたげな響の顔は切なそうだった。してもいいんだよ? 司令官の好きなようにしていいのに。そう言いたそうな顔だった。
「じゃあどうして、って来るんだろう。今まで黙ってたがお前がこんなにも悩むなら教えよう。俺はお前と恋人になる時に一つ決めた事があったんだ」
「決めた事……?」
「ああ。確かに俺とおまえは恋人同士になった。だがそれでも俺とおまえは大人と子供と言うどうしても越えられない壁があるんだ」
「……うん」
やや納得のいかなそうな、しかしそれでも理解はしていると言った感じの答えだった。暁だったら「ぴゃーーーー!」と抗議するだろうが、この辺りの対応は流石響と言ったところだろうか。
「大人である俺がお前に手を出せば世間の目は厳しい物になるだろう。まぁあくまで世間にばれたと仮定してだ」
「そう、だね……」
「だからだ。俺はお前が18……いや、せめて16歳まで手を出さないって決めたんだ。もしお前が16歳になったら解体して普通の女の子にして、だな……その……」
提督は少しばかりその先の言葉に困り、と言うよりも小っ恥ずかしくて言いよどみ、響は不思議そうな顔で見つめる。なんで16歳? と響は小さく呟く。数回ほど呼吸を整え、そして提督は意を決したように言った。
「16歳になったら……本物の指輪を、渡したくてな……」
本物の、指輪? 指輪なら今自分がケッコンカッコカリの指輪をはめている。だがこれはあくまでレベルアップアイテムのようなもので、ある意味偽物とはいえるかもしれない。じゃあ本物の指輪ってもしかして……。
「……司令官、それって…………」
「ああ、そう言うことだ」
提督は照れ笑いを浮かべて頬を指でぽりぽりと掻く。響はその言葉の意味を理解し、顔が一気に熱くなるのを感じた。普通の女の子に戻って、指輪をはめる。つまり。
「結婚……してくれるってこと?」
「まぁ、おう。そう言うことだ」
結婚……けっこん……ケッコン……結婚……と、数回ほど同じ単語がループして響はようやく理解した。
「それって……カッコカリじゃなくて?」
「そっちは今してるだろ」
「婚姻届を市役所に提出する方?」
「もちろん」
「最悪の結果離婚届を提出する?」
「おいおい今からそんな事考えないでくれ、そんなつもりないんだから」
「子供ができたら出生届を……出す?」
「まぁ……そうだな」
再び響はシンキングタイムに入る。今自分は子供である。しかし提督は関係なく結婚の話をしている。それも18歳なんて待たずに結婚できるぎりぎりの16歳にしてくれると。
ボンッ! 響の頭がオーバーヒートして顔が茹でダコのように真っ赤に染まる。あわわあわわと固まるその顔はやはり子供その物で微笑ましく、提督は頭をちょっと強めにわしわしと撫でてやる。やや乱暴なその動にやや抗議の顔。でもその先には優しい提督の顔があって、響を落ち着かせるには十分だった。
「そっか……そうだったんだね」
響は納得した顔になり、ケッコンカッコカリの指輪を愛おしそうに撫でる。この指輪が、本物にとって代わる日が来る。そう思うと嬉しくて嬉しくてたまらず、顔のほころびが収まりそうになかった。
「そうだな……でもそれまで全部我慢、って言うのもあれだろうから」
そんな響を見て提督は一つ決断を下す。仕方ない、今まで我慢してきた彼女に報いが無いのはよろしくないだろうから、犯罪者の湯船に片足を突っ込むことにしよう。提督は響に目を閉じることを促す。響もそれを察し、一度は覚悟したのにまた顔が熱くなって目のやり場に困る。が、今度はしっかりと自分の事を見つめ、愛してくれている提督の顔を見て心が落ち着き、自然と目を閉じて唇を向ける。
ドクンドクンと脈打つ心臓。ほんの少しの沈黙が流れた直後にちゅっ、と唇と唇が触れる感触。ちょっとだけ乾燥気味な男の唇。しかし全く気にならない、大好きな人の唇。そう言えばディープキスってこの後舌を入れるべきなのだろうかと変に冷静な思考だった。しかし実際にやってみようと思ったその直後、提督の唇がすっと離れる。
しちゃった。率直に思った事。ただもっとこう、濃厚なものをイメージしていたが、意外とあっさりしている物だなと言うのが響の感想だった。まぁ、今はこれで我慢と言うことだろう。
「今はこれで勘弁な」
「……うん」
響はもう一度提督の胸板に頭を押しこみ、彼もまた拒むことなくその小さな体を収める。本当に華奢で頼りない小さな体ではあるが、大切な人を想う気持ちだけは誰にも負けるつもりはなかった。
温かい。寂しくない。私は、ずっとこの人と一緒に居るんだな。二人は布団の中でしばらく抱き合い、お互いの温もりと愛情を感じながら意識は深い深い眠りの底へと沈んでいった。
*
朝である。昨日までの豪雨が嘘のように空は晴れ渡り、昇った太陽は
久々に顔を出せたことに喜んでいるのか、いつもより強めの日差しを住宅街に住む住人たちへと降り注いでいた。
提督と響が一緒に寝ているアパートもまた例外ではなく、日当たり抜群の部屋には太陽のダイレクトアタックが注ぎ込まれ、瞼をも貫く勢いに響は思わず目が覚めてしまった。
「んっ……んん……」
もぞもぞと体を起こし、目をこすりながら小さく欠伸。ちょっぴり出てきた涙を指で押しこむと、隣で寝ている提督に目を向ける。
約数時間前に結婚宣言をしたロリコン提督は未だに眠りの中だった。何とも気持ちよさそうに大口を開けて眠っている。かけていた布団も半分落ちそうになっていた。
「まったく、風邪をひいても知らないよ?」
と、響が布団を掛け直そうと体を起こすと、何かが引っかかって動けない事に気が付く。何だろうと思ってその原因に目を向けると、左手が響の右手をしっかりと握っていた。
「……仕方のない人だね」
響は手を握り返し、提督の顔を覗きこむ。その寝顔はとても安らかで、子供っぽく見えた。響は「可愛い」と呟くと額に軽く口づける。
「大好きだよ……えっと……」
響は司令官、と言おうとしてちょっと待ったと留まる。事実上のプロポーズをされた今、一応子供でも婚約者である。となると、自分はこの人の妻になると言うことだ。ならちょっとだけ背伸びをしてみようかなと息を整える。いざ言うとなると緊張する。だがここはひとつ勇気を出して。
「大好きだよ、あなた……」