PERSONA × MY-TH UNFATHOMABLE VOYAGE ―沖縄怪異航路―   作:ボルメテウスさん

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第二航路 守神 3/7 消された島の都市伝説

「それで、シャドウの話に戻る。記録だとシャドウは人間が人前に出したくない心の部分が分離して実体化した存在とされてる。夜、海、あとは祭りの日閉じ込められた場所。そういう条件で現れる話が多い。複数の書き込みが、触れたら嫌な夢を見るとか自分の声で泣いてたとか言ってる。どれも嘘くさい。だが似ている」

 

「俺が船で会ったやつは、触れたら熱い叩けば避ける、目が合うと寄ってくる。そういう感触はお前の言うシャドウに近い」

 

「うん。ひょっとすると、お前が出会ったものの中には完璧なシャドウじゃなくて、もっと別のけものみたいな怪異も混ざっていたかもしれない」

 

「みたいな、って」

 

「あくまで仮説だ。こっちの世界の呼び名で言うなら、怪異は怪異だ。あの島に古くから伝わるものはそもそもネットの記録と食い違う。お前の言うシャドウって言葉をそのまま流用できるほど、島は単純じゃないろう」

 

九衣が、続けて、こんなこともあると身を乗り出した。タブレットの縁に手を置く。

 

「不思議なことに、シャドウの目が人を狂わせるって話だけは、どの島の書き込みでも同じ。でも怪異の目の色は、島の伝承だと青、赤、黄とバラバラ。白目しかないってものもある。共通項は決して多くない」

 

「少しずつ、別のものを恐れてる感じだな」

 

「そう。私も、別のものを追ってるうちに隣にあった檻の話にぶつかった。それで全部繋がった気になって、うっかり死んだ。私の人生そんなもん」

 

九衣がん、と舌を鳴らした。ぬいぐるみの口では音が可愛らしくて痛さが増す。

 

「なあ、お前それ、笑い話にすんなよ」

 

「笑い話だよ。死んでも配信を続けてる、宇宙で最も浅ましいゴーストだ。笑え」

 

「お前、本当に配信者だったんだな」

 

「今も現役だ。ほら、画面の向こうで群がる連中がいる。私は誰よりも私の死を消費した。でもな、ここで君と話してるとあの時の、血が頭から抜けていく感じを思い出せる。これはすごくいい。怖いのに、冷たいのに今日は暑い島の夜に、お前の部屋でちゃんと息をしていたくなる」

 

息を、していないだろ。とは言えなかった。窓の外で、生温い風がカーテンを揺らす。俺は確かにハッとした。さっきまでこの部屋にいた時間が、急に遠くになる。左腕の傷がちりっと燃えた。

 

「なあ、九衣。お前、誰かに認めてほしくて俺の前に出てきたのか」

 

「さあ。俺は、君と組みたいだけだ。島のことを調べるのに夜の海を渡れる人間は限られてる。私は足が遅い。自力で行けない」

 

「お前、幽霊のくせに行けないのか」

 

「重いんだよ。このぬいぐるみが、湿気を含むと肩が痛い」

 

九衣は、前脚で自分の肩を揉みわざとらしくため息をついた。

 

「冗談はさておき、シャドウと島の怪異が同じって線はまだ消えない。なぜなら、お前があの夜悪夢を見たからだ」

 

「夢」

 

俺は黙った。普通なら今思い出せなかった。だが、九衣が夢と言った瞬間足の裏が、あの船室の床を思い出した。あの揺れ。あの距離感。

 

「お前が異界に落ちた時、変身は解けていた。お前は自分の身体がどこへ行ったか、言えるか?」

 

「言えない。フェリーに……たぶん、戻った。気づいたら乗ってた」

 

「そこだよ。お前が握ってたのは、エッグだ。エッグは夢を喰って、持ち主の心を卵の中へ隔離する。あの船内でお前の身体は、しばらく船の中になかったかもしれない」

 

「は?」

 

心臓が跳ねた。それほど大声を出したつもりはなかった。だが声が部屋中に響いて、自分の耳がキンとした。

 

「冗談で言ってるんじゃないか」

 

「私の経験則だと、わりとマジだ。お前の足元が突然暗い水底みたいに冷たくなった瞬間があったはずだ。変身が解けて、自分の周囲の空気が水になったみたいな。あれ、記録に残ってる。夢と現の航行装置に呑まれた者の感覚としてな」

 

「九衣、それは、気のせいで終わらせられる話じゃないだろ」

 

「終わらせるな。噛め」

 

「噛めって」

 

「なんだろう。私は今、犬に言ってる気分だ」

 

こいつの軽口に、肩の力が抜ける。緊張が解けて変な笑いが出た。笑いながら、俺は、あの赤い猫の顔を思い出していた。助けようと伸ばした手。届かなかった爪。船の喧譟がゼンマイが巻き戻るみたいに静かになって、俺は気づいたら港の近くで夜風を浴びていた。あれは本当に、あいつが何かしたのか。

 

「なあ、九衣。あの夜赤い奴を見なかったか」

 

「赤い仮面のライダー。猫みたいな尻尾の」

 

「そうだ。知ってるのか」

 

九衣は、つん、と鼻で笑った。白い牙が口元から覗く。

 

「当たり前だ。君が寝てる間に、誰が君を部屋まで運んだと思ってる」

 

「は……」

 

目を見開いた。九衣の丸い目が、勝ち誇ったように細くなった。

 

「十四代葛葉ライドウ」と、囁いた。

 

「十三代目と、どういう関係だ」

 

「私が言えるのは、あいつもまたペルソナ使いってだけだ。それ以上は、私の口からは言わない。あの赤いのを詳しく知るとお前、夜の海へ走り出すだろ。今は休め」

 

「お前なあ……」

 

「うるさい。このシーサーの言うことを聞けない男は拗ねるぞ。私はお前を、丸ごと、二度と失いたくないんだよ」

 

九衣の声が、一瞬だけ、ひどく掠れた。俺は息を詰めた。

 

「ごめん」と言って、頭を下げた。

 

「いいって。お前、ポーク玉子おにぎり持ってない? 腹減った」

 

「お前、さっき食っただろ」

 

「食った。だが、話すと腹が減る」

 

「俺は持ってない。もう売ってない。夜中だぞ」

 

「朝まで我慢するか」

 

「そうしろ」

 

また、静けさがくる。九衣は窓へ歩いていき、カーテンの隙間から海の見える方角をじっと見ている。島の夕方のような、生温い風がぬいぐるみの耳のあたりを揺らした。

 

「それより気になる記録がある。この学園都市について」

 

九衣が、前脚で窓の鍵をこと、と撫でた。

 

「教えてくれ」と、俺は言った。

 

「南星学園都市が建つ前から、環凪島には、ある決まりごとがあった。港の朝一番の船が空っぽのまま帰ってくる日は、海の向こうから客人が来る。嵐の前の湿った南風が吹く夜は、島のどこかで封印が緩むって」

 

「祭りの夜の話か」

 

「お、よく分かったな。島の子か」

 

「馬鹿にすんな」

 

九衣が、窓のそばに座ってこちらを見上げた。

 

「明後日の夜、風向きが変わるらしいぞ」

 

俺の背中を、冷水のようなものが駆け下りた。

 

「もしかして、お前、その客に呼ばれてるんじゃないか」

 

「なぜ、俺だと思うんだ」

 

「フェリーの、お前の切符が船の名簿に残ってなかった。桟橋の記録も、カメラもお前の影を一瞬しか映してない。面白いな、生きてるのにまるで幽霊みたいだ」

 

俺は、唇が乾いていくのを感じた。手のひらをポケットの中で握る。

 

「私も似たようなもんだよ。だから、私と君は、きっと相性がいい」

 

そう言って、九衣は、首の金色の輪をことりと鳴らした。

 

九衣がタブレットをもう一度開いた。

 

画面の明かりが戻ってきて、九衣の白い腹のあたりを青白く照らす。俺はラムネの瓶を机に置いて、椅子を引き寄せた。座る。背もたれがぎしりと鳴る。静かな部屋でその音がやけに大きかった。

 

「この学園都市について、って言ったよな」

 

「言った。ちょっと見てほしいものがある」

 

九衣の前脚が画面を滑る。タブをいくつか飛ばして、古いログの保存ページを開いた。文字化けが酷い。半分くらいが■で埋まっている。読める部分と読めない部分が交互に並んでいて、まるで水に濡れたノートを乾かした後みたいだ。

 

「何これ。壊れてるじゃねえか」

 

「元々消された記事のキャッシュだ。削除される前に誰かが保存してたやつを、さらに別の誰かが別のサイトに転載して、その転載元も消えてる。復元してもこの有様だ」

 

「お前、これどこで拾ったんだ」

 

「ゴーストになってからの方が拾えるものが増えたとは言ったよな。電波の裏側とか、キャッシュサーバーの隙間とか。生きてる人間が普通にブラウザ開いて見える範囲じゃない場所に、こういう断片が散らばってる」

 

九衣の声は淡々としていた。得意げでもなければ、恥ずかしがってもいない。ただの事実として語っていた。俺は黙って画面を見た。

 

文字化けの隙間に、読める単語が点々と浮かんでいる。

 

『沖縄――ジェイル』

 

「ジェイル」

 

「檻だ。英語で牢獄のことだが、この文脈だとちょっと違う」

 

九衣が前脚で画面の文字を押さえた。黄色いボタンの目が画面の青白い光を反射して、いつもより暗く見えた。

 

「ネットの噂だと、沖縄ジェイルってのは現実の場所じゃない。現実の研究所と重なるように存在していた異界の呼称らしい。名前だけ見ると刑務所みたいだが、実際はもっと――何て言うんだ。閉じ込められていたのは人間じゃなくて、認知の方だったらしい」

 

「認知が閉じ込められてた」

 

「記録の書き方がそうなってる。人間の認識が歪む場所、あるいは認識そのものが檻に入れられる場所。正確なところは分からない。書き残した本人も理解しきれてなかったみたいだし、何より記事が消されてる。消されるってことは、誰かにとって都合が悪かったってことだ」

 

九衣が別のタブを開いた。今度は掲示板のスレッドログだった。日付が古い。俺がまだ中学生の頃だ。

 

「このスレッド、沖縄の地元住民が書いた体験談が載ってる。夜中に立入禁止区域の方から変な音が聞こえた、空が歪んで見えた、知人の性格が急に変わった、みたいな話が並んでる。全部同じ時期に集中してる」

 

「同じ時期って」

 

「沖縄ジェイルが話題になったのと重なる。で、ここからが面白いんだよ」

 

九衣が画面をスクロールした。スレッドの後半へ。日付が少し進んでいる。

 

「体験談が途絶える。ぴったりと。ある日を境に、シャドウの目撃情報もジェイルの話も全部消える。まるで誰かがスイッチを切ったみたいに」

 

「解決したんじゃないのか」

 

「そう考えるのが普通だよな。実際、ネットの噂も『収束した』って結論になってる。事件は終わった。異界は閉じた。めでたしめでたし」

 

九衣の前脚が画面の上で止まった。タブレットの光がぬいぐるみの白い顔に落ちて、影を作っている。

 

「ただしな。噂の中に一つだけ、変な記録が残ってる」

 

「変な記録」

 

「ジェイルが収束する直前に、仮面をつけた正体不明の集団が立入禁止区域へ侵入したって話だ。誰だか分からない。何人いたかも分からない。ただ複数の人間が、異界にあってもおかしくない格好で、ジェイルと呼ばれていた場所へ入っていった。それっきり」

 

「それっきりって。中で何かあったのか」

 

「分からない。書き込み自体がその一つしか残ってない。転載もない。検索しても引っかからない。ただその一文だけが、削除済みスレッドのログの奥底に埋まってた」

 

俺は画面を覗き込んだ。九衣の言う通り、たった一行だった。

 

『仮面の連中が入っていった。翌朝には何もかも元通りだった』

 

元通り。その言葉が胸に刺さった。元通りって何だ。異界が閉じたのか。それとも誰かが閉じたのか。

 

「この集団が何者かは分からないのか」

 

「全く。ネットの噂の中でも最も信頼性が低い部類だよ。仮面をつけた集団なんて、特撮番組の見過ぎだって笑う奴もいたくらいだ」

 

九衣が軽く言った。だがその声には、笑う気配がなかった。

 

「私が気にしてるのは、仮面の集団より後の話だ。彼らが入っていって、翌朝には元通りになった。それからシャドウの目撃情報が途絶えた。これってつまり、誰かがジェイルを閉じたってことだろ」

 

「閉じた。解決したってことじゃないのか」

 

「解決したなら、今こんな信号は出ないはずだろ」

 

九衣の前脚が画面を叩いた。タブが切り替わった。

 

今度の画面は地図だった。沖縄の離島が点々と並んだ地図。その中の一つが赤い点で明滅している。

 

「何だこれ」

 

「通信記録だ。私がここ二週間ほど監視してるんだよ。南星学園都市の管轄外にある離島で、立入制限区域に指定されてる島がある」

 

「立入禁止って、普通は危険とか施設があるとかそういう理由だろ」

 

「そう。この島も公式には海洋研究施設の閉鎖残骸があるってことになってる。だがな、数日前からこの島から正体不明の信号が発信されてる」

 

九衣が地図を拡大した。赤い点が明滅する周期が見える。規則的だ。一定間隔で点いて消える。

 

「この信号の周期なんだが」

 

九衣が俺の方を向いた。黄色いボタンの目が画面の光と重なって、奇妙に暗い色に見えた。

 

「お前のライドエグズが反応した瞬間と一致する」

 

俺の手が止まった。ラムネの瓶を握りしめていた指が冷たくなる。

 

「どういうことだ」

 

「言葉のままだよ。お前がフェリーの中で卵に反応した時刻と、この島から信号が出た時刻の波形が似てる。完全に同じとは言わない。だが周期の間隔が近い。近すぎる」

 

「俺の卵と、この島の信号が繋がってるってことか」

 

「断定はしない。でも偶然にしては出来すぎてるだろ。私がずっと前からこの信号を監視してたわけじゃない。お前がこの部屋に入ってきて、ライドエグズの気配を感じてから本格的に調べ始めたんだ。そうしたら出た。この島だ」

 

九衣の前脚が地図上の赤い点を押さえた。明滅が止まる。指先の下で点灯したまま固まった。

 

「終わった場所から、こんな信号は出ないよ」

 

九衣の声から明るさが消えた。

 

完全に消えたわけじゃない。だがいつもの軽口も、配信者っぽい演出も、全部抜け落ちた声だった。ただ事実を置くだけの声。

 

俺は画面を見た。赤い点が九衣の前脚の下で明滅を再開した。

 

「九衣」

 

「なんだ」

 

「この島、調べに行けるか」

 

「行ける。ただし船が必要だ。私一人じゃ無理だし、お前一人でもきついだろう。それに立入制限区域だ。許可が要るか、もしくは黙って行くか」

 

「黙って行く方はやめろ。初日から捕まりたくない」

 

「じゃあ許可を取るか。南星学園都市なら島嶼調査の枠があるはずだ。学生でも申請できる」

 

九衣がタブレットを閉じようとして、止めた。

 

「一つだけ言っておく」

 

「なんだ」

 

「この信号が出始めたのは数日前だ。だが信号の波形を遡って調べたら、もっと古い記録も見つかったんだよ。半年前くらいにも、同じ周期の信号が出てた。その時はすぐ消えた。誰も気づかなかった」

 

「半年前にも出てたのか」

 

「出てた。で、その直後に环凪島で不可思議事件の報告が一件上がってる。内容は非公開だ」

 

俺は椅子の背に深く寄りかかった。天井を見上げる。蛍光灯が白く光っている。普通の天井だ。普通の部屋だ。でもこの普通の中に、もう普通じゃないものが混じっている。

 

「九衣、お前明日学校行けるか」

 

「行けるよ。ぬいぐるみを鞄に入れとけばいい」

 

「バレないか」

 

「バレたら君の責任で頼む」

 

「お前なあ」

 

「冗談だ。配信者の技術を見せてやるよ。バレないように潛入するのは得意だ」

 

九衣が机の上に戻って、丸くなった。シーサーのぬいぐるみが丸くなると、本当にただのぬいぐるみに見える。だがその黄色いボタンの目だけは、まだ画面の残像を映しているみたいに暗かった。

 

「明日、学校で調べることは分かった。許可申請の出し方とか、この島の正式名称とか」

 

「分かってる。私が案内する」

 

「あとポーク玉子おにぎりもう四つ買っておけよ」

 

「三つだ」

 

「交渉成立」

 

九衣の声に少しだけ明るさが戻った。戻りきってはいない。でも無理に明るくしているわけでもなかった。

 

俺は窓の外を見た。夜の海が黒く広がっている。その向こうに、明滅する島がある。

 

(終わった場所から信号は出ない)

 

九衣の言葉が耳の奥に残っていた。部屋の中は静かだ。冷蔵庫の音と、窓の隙間から入る風の音と、俺と九衣の呼吸だけが聞こえる。

 

明日から調べ始める。学校に行って、申請を出して、船の手配をして。

 

まだ何も始まっていないのに、もう始まっている気がした。

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