PERSONA × MY-TH UNFATHOMABLE VOYAGE ―沖縄怪異航路― 作:ボルメテウスさん
夜の環凪島。海から這い上がる湿った南風が、葉を重く揺らしていた。
島の外れ、潮の香りに混ざって古い木の匂いがする一軒家。玄関先には本土では見ない形の石の猫が置かれている。明かりは二階に、橙色の灯りがほんの少しだけ漏れていた。
障子を閉めた八畳間。座敷には大きな座卓が据えられ、周囲には年のばらついた男女が座っている。壁際には地図と写真、それから手書きの記録が貼られていた。畳の縁を踏む者もいなければ、靴下も履いていない。
猫が一匹、座卓の上でしっぽを揺らし「にゃあ」と鳴いた。呼び声に応えるように、奥の座布団から男が口を開く。
「十二支同盟の会議を始めようか」
嶺髙華武利は、気の抜けた軽い調子で言った。猫を呼んでいた手を下ろし、卓についた肘を払うように座り直す。場の空気が一瞬で引き締まった。誰も私語をやめた。
「先日フェリーで起きた戦い。あの場で、不穏な力の反応が観測された。まずは足音から聞かせてくれ、ダット」
卯のダットが、褐色の腕を組んで応じる。
「あの揺れが収まった後、船内の西階段から甲板へ抜ける短い通路で壁が一度、三拍分だけ膨らんだ。耳の奥で鳥の羽音がした。あれは前兆だよ。次の敵は、地を揺らす系かもしれない」
「壁が膨らんだって」
ケイが顔を上げてスマホを置いた。
「比喩じゃない。あたしにはそう聞こえた。音の広がり方で壁の向こうの空気が歪んでるのが分かる」
ダットは言い切ると、耳の縁にある無数のピアスを指先で弄った。眠たげな目とは裏腹に、現地の情報を拾ってくる能力は確かだ。
「では、その反応を解析したエンデ。続きを頼む」
エンデは無数の小さな機器が入った鞄を脇へ置き、卓に資料を広げた。古い記録とこの島で独自に採った波形のグラフが並んでいる。
「観測値だけ見ると、生体波と同調するタイプの妖力反応。だが波形の後半が著しく人間の深層意識、それも夢の断片に近い周期へ遷移しています。通常の不可思議とは明らかに違う。心象に干渉して、そこへ侵入してくる動きに見えますね」
「また眠りに潛る手合いか」
リュウズがぽつりと言った。低い声が座敷の奥で静かに響く。彼は昔から、不可思議の中でも厄介なものの気配にだけ反応して口を開く。
「面白いのがここです」
ケイが、スマホから出力した記事をテーブルに並べた。SNSの魚拓、掲示板の記録島の古い言い伝え。どれも古く、日付が不揃いだ。
「数十年おきに、沖縄で似た現象が噂になってるんです。夢の中で黒いものに会うとか、自分によく似た影が夜の海を歩くとか。本土のオカルト板だと、これ『シャドウ』って呼ばれてる。海外の研究でも固有名詞になってるみたいですね」
「シャドウ…か」
華武利は卓上の猫へ指を差し出す。猫は男の指を確かめるように前脚で押さえた。
「ああ。それで、面白いのがこの話の消え方。ある年を境にぱったり記録が途切れてる。根拠が弱い書き込みも多いんですけどね。消され方が不自然でさ。都市伝説マニアの間だと、ここは有名な『消えた期間』なんですよ」
「その『消えた期間』、俺は知っている」
リュウズが膝を正した。全員の視線が彼へ集まる。
「若い頃、本土から渡ってきた連中が沖縄に妙な檻を作っていた。人ならざるものを閉じ込めるための、認識の檻だ。奴らはやがて誰かに壊され島から消えた。あの時現れた若者たちは、全員仮面を被っておったよ」
「それは…本当なんですか」
ケイが問う。リュウズは深く一つ頷き、それきり目を閉じた。
「重要なのは、今また同じ気配が膨らみ始めていることだ」
華武利が静かに告げる。ティグルが、組んでいた脚を解いた。
「昨日のフェリーでの戦い。裏切者である鼠のマイスが力を使い、同時に出現した赤い群れを一方的に排除した。敵か味方かはまだ分からん。だが、あの時鼠の変身者から二種の力が同時に観測されたのは確かだ。ひとつはライドエグズによる変身。もうひとつは心象を具現化する力」
「現御魂(あらみたま)だね」
ヴァンケンが、噛み締めるように言った。
「荒ぶる魂が形を得たもの。古い書ではそう記されておる。十二支の文献では、強い意思を持つ者の胸に宿り異界と交信する門を開くとある。かの鼠の若者は、何かを被っている。いや何かに成りかけている」
「つまり、その現御魂ってやつがこっちで言うシャドウと関係あるってこと?」
ケイが身を乗り出す。ヴァンケンは鷹揚に頷いた。
「わしらが長年『不可思議』と呼んできたものの中に、時折、普通の怪異とは異なる匂いが混じることがある。心の傷に寄り添うように現れ、人の記憶を食みやがては現世を侵す。あれらは、この島の古い言葉では『マカシキ』。本土の文献では『シャドウ』。どうやら同じものだと分かってきた」
「さらに言えば、この反応はこちらの『現御魂』にも近い。つまり、マイスの変身者の中にいる何かが沖縄の不可解と同調している可能性がある」
エンデがグラフを指す。ちょうど波の形が重なり、そこだけ紙が蛍光の色を帯びている。
「だったら、早く島へ入って叩くべきではないのか」
ジャオが膝を立てて言った。腕を組み、眼光を鋭く光らせる。
「監視だけでは遅い。あの島は立入制限区域。今の学校の連中が踏み込めば、返り討ちに遭う。それなら我々が先に何もかも平らげるのが筋よ」
「待て。島の中心部には住民の集落がある。学校の生徒もいる。その島へ、確証もないまま討伐の兵を出すのは軽率だ」
ティグルが淡々と制した。声は静かだが、部屋の空気を横一筒這うように締め付ける。
「ティグルの言う通りだ。我々の報告だけで動けば、本土の連中にも島の人々にも、どう説明する。敵が何かも分からないのに大砲を撃てるか」
ヴァンケンが続けた。
「だいいち、あの反応は今この部屋にいる者にもまだ判別がつかん。土の下に眠るような静かな気配と、夜の海で叫ぶ声が同時に聞こえていた。つまり、あの島には複数の力が眠っているぞ」
その瞬間、壁際で丸まっていたムトンがむくりと顔を上げた。寝ぼけ眼をこすりながら、耳の先をぴくぴく動かしている。
「ケン様が、調査に行くの…?」
「どうやら、そうなるかもしれん」
ヴァンケンが柔らかく返すと、ムトンは目を潤ませて前脚を畳へ突いた。
「だめ。ケン様あの島きらい。海の匂い変って言ってた。夜の潮は古い血の味がするって言ってた。行っちゃだめ」
「ムトン、わしは平気だ」
「平気って、ケン様、また海に浚われそうになったこと忘れてるの」
ムトンは低く唸ってヴァンケンの袖を咥えた。寝ぼけた勢いのまま、喉で小さく鳴く。一同の笑いを誘うものだ。しかし、華武利は笑わなかった。
「ヴァンケン、今回はお前だけで行けとは言わん」
「俺が連れていく」
ムトンが、先ほどまでの眠気を一瞬で吹き飛ばし結った薄青の髪を揺らす。その声は、会議室の空気を変えてしまう強さがあった。
「ムトンも、あの島へ行くのか」
「当たり前でしょ。誰がケン様をひとりで行かせる。あたしが行く。異論は認めない」
ジャオが鼻で笑った。
「守りに来たのか、足手まといかどっちだ」
「どっちでもない。あたしは、犬を守る猫科の星の下に生まれてるの」
「謎だな」
ケイがくすくす笑い、ダットは耳のピアスを鳴らして肩をすくめる。ティグルが華武利へ向き直った。
「華武利、結論を聞こう。討伐か監視か」
「敵の正体があの『シャドウ』なら、我々の知識だけでは対策できん。まずは正面から接触する。ただし敵対が目的ではない。監視と、可能なら会話を選べ」
華武利は、猫を抱いて立ち上がる。橙の灯りに照らされた横顔は、どこか深海を見つめる船乗りのように静かだった。
「船を出すのは、いつだ?」
リュウズが問う。
「風向きが変わる前日。準備は明日いっぱいで整えろ。調査は、ヴァンケンとムトン。それから…」
ちらと卓上の資料を見下ろし、言った。
「問題の若者とも、いつか話をしてみたいものだな」
猫が、ひょう、と鳴いた。
海風が障子を鳴らし、部屋の蝋燭が揺れた。窓の外では環凪島の夜を包む雲が、潮騒の音に押されるようにゆっくりと動いていた。