PERSONA × MY-TH UNFATHOMABLE VOYAGE ―沖縄怪異航路― 作:ボルメテウスさん
氷が盾へ叩きつけられた。
銀色の甲羅の表面に白い衝撃が弾け、砕けた欠片が肩をかすめて飛んでいく。冷たい。だが痛みはない。装甲が其の冷気を表面で止めている。足元の鉄骨が軋み、海から大きな波が押し寄せて桟橋の床を叩く。
二つの仮面が左右へ分かれていた。
牙不可思議《トランスツインズ相》の二つの上半身が、互いに半拍ずれて同じ動きを繰り返す。右の仮面が口を開き、左の仮面が其れに追従する。氷結の弾丸が二方向から同時に飛んでくる。正面の盾が受け止められるのは一方だ。もう一方は盾の縁を越えて──
「避けなさい!」
ダットの声が上から降ってきた。
俺の身体は反射的に動こうとした。右へ跳んで氷弾を避ける。其れが正しい反応だ。マウスフレームなら其れができた。
だが背後で荒い呼吸が聞こえた。
マリナだ。少女を抱えたまま盾の影に隠れている。俺が右へ跳ねば其の分、盾が右へ動く。左へ残される。其処にマリナがいる。
避けられない。
「避けたら、後ろに当たる」
俺は膝を曲げた。
重心が落ちる。踵が泥の膜へ食い込む。其の瞬間、盾へ加わった衝撃が足裏まで伝わった。力が逃げていく。腕で受け止めるのではない。全身で地面へ流す。甲羅の多角形の枠が軋み、衝撃が分散していく感触が掌から肩へ、肩から腰へ、腰から足裏へと抜けていく。
(此れだ。此の形なら、受け流せる)
二つ目の氷弾が右から飛んできた。
今度は避けなかった。盾の角度を自分から合わせた。甲羅の表面へ氷が弾け、砕けた欠片が夜風に散る。肘へ鈍い痺れが残った。だが握りは緩めない。指が甲羅の縁を噛んでいる。
「右、盾からはみ出してる!」
九衣の声が通信から響いた。
視界の右端。氷弾の軌道が盾の縁を越えて、空いている側へ伸びている。其の先に、マリナと少女がいた。いや──其れだけではない。氷結した床の向こう、亀裂で隔てられた足場に相談者の友人が取り残されている。彼女は虚ろな笑みを浮かべたまま、崩れかけた桟橋の端に座り込んでいた。
盾の幅が足りない。
(もっと広げろ)
胸のマイスドライバーへ意識を集中した。掌から甲羅の枠へ力を送る。其の感覚は正確には分からない。だが盾の多角形の枠に沿って光が走り始めた。淡い赤橙の光が縁をなぞり、其の先端から半透明の壁が広がっていく。
防壁だ。
甲羅の表面から滲み出るような薄い光の膜が、盾の縁を越えて外側へ広がった。右へ、左へ。其の幅が広がるにつれて、盾の外側にいたマリナの肩までが光の内側へ収まる。
「光の内側から出ないで」
俺はマリナへ短く告げた。
「うん」マリナの声が震えていたが、其れは頷く声だった。
防壁が広がる。相談者の友人の肩まで届いた。彼女の細い肩が、半透明の光の膜の内側へ入った瞬間、俺の呼吸がようやく整った。
(間に合った)
だが其の安堵は一瞬だった。
牙不可思議が動きを変えた。
二つの仮面が左右から挟み込むのを止め、正面へ並んだ。半拍のずれが消える。二つの上半身が完全に同期し、其の視線が俺の盾から外れる。
狙いは盾ではない。
「──壊レ」
二つの声が重なった。
其の声は氷結波ではなかった。二つの仮面の口から黒い泥が溢れ出し、桟橋の床へ直接注ぎ込まれる。泥が鉄骨を侵食し、コンクリートを溶かし、接合部を腐らせていく。
足場が崩れた。
俺が立っている桟橋の中央は持った。だが其の先、相談者の友人が座り込んでいた部分が、根元から折れた。鉄骨が悲鳴を上げて撓り、コンクリートの塊が剥がれ落ちていく。
少女が落ちる。
虚ろな笑みを浮かべたまま、彼女の身体が崩れゆく足場と共に黒い海へ傾いていく。防壁の光が其の肩を撫でたが、足場ごと落ちる速度に光の膜が追いつかない。
「──!」
俺は手を伸ばした。盾を持ったまま、左手を少女の方へ伸ばした。指先が彼女の袖を掠めた。触れた。だが掴めない。防壁の光が千切れ、少女の身体が黒い海へ沈んでいく。
認知の海が、口を開けていた。
少女が落ちる。
黒い海が口を開けて待っている。俺は盾を持ったまま、其の闇へ飛び込んだ。
身体が海水に包まれる。冷たい。だが息は止まらなかった。装甲の継ぎ目から微かな音がして、胸部のマイスドライバーが淡く光る。此の装甲は、水中でも呼吸を許している。水圧が耳を圧迫するが、視界は曇らない。琥珀色の複眼が暗い海中を切り裂き、沈んでいく少女の姿を捉えた。
腕を伸ばす。強い流れが身体を引く。だが指は開かない。少女の手首を掴んだ。冷たい。氷のように冷たい其の手を、握りしめる。力が抜けかけていた。彼女の意識が海の底へ引かれている。
(離すな)
胸元へ引き寄せる。其の身体が装甲にぶつかる鈍い音が水中で響いた。
上方へ目を向けた。水面が遥か上で揺れている。其処へ向かって蹴る。タートルフレームの脚は重いが、其の重さが水を捉えて推進力になる。
「こっち!」
声が聞こえた。水中を通じて、微かに震える高い声。マリナだ。水面の上で彼女が何かを叫んでいる。其の声が、光のように届く。
白いロープが海中へ伸びていた。マリナが桟橋の係留ロープを手すりへ回し、此方へ投げ落としたのだ。俺は盾を持ったままの左手で其れを掴んだ。右手で少女を抱える。重い。だが此の重さが、生きている証だ。
ロープを引き、海面へ浮上する。水が耳を離れ、夜風が頬を打つ。
「持ってて!」
マリナが叫んだ。彼女と、駆け付けた優菜と達臣がロープを引く。其の力に引き上げられ、俺と少女は桟橋の土手へ這い上がった。
少女が咳き込んだ。海水を吐き出し、虚ろだった瞳に微かに光が戻る。マリナが其の背中をさすり、毛布を掛ける。達臣が俺の手を引いて立ち上がらせた。其の手は乾いていて、確かだった。
「退避完了。民間人全員、安全圏よ」
九衣の声が通信から響いた。
俺は前を向いた。
桟橋の海側。ダットが立っていた。マゼンタ色の複眼が、二つに分かれた不可思議を睨んでいる。牙不可思議は左右へ別れ、二方向へ逃げようとしていた。ダットは其の片方へ跳び、ラビットソードで退路を塞ぐ。
「・・・どうやら、ここは利害が一致しているようね」
そすちえ、ダットの言葉に対して、オレもまた頷く。