PERSONA × MY-TH UNFATHOMABLE VOYAGE ―沖縄怪異航路― 作:ボルメテウスさん
少女が落ちる。
黒い海が口を開けて待っている。俺は盾を持ったまま其の闇へ飛び込んだ。
身体が海水に包まれる。冷たい。だが息は止まらなかった。装甲の継ぎ目から微かな音がして、胸部のマイスドライバーが淡く光る。此の装甲は水中でも呼吸を許している。水圧が耳を圧迫するが、視界は曇らない。琥珀色の複眼が暗い海中を切り裂き、沈んでいく少女の姿を捉えた。
腕を伸ばす。強い流れが身体を引く。だが指は開かない。少女の手首を掴んだ。冷たい。氷のように冷たい其の手を、握りしめる。力が抜けかけていた。彼女の意識が海の底へ引かれている。
(離すな)
胸元へ引き寄せる。其の身体が装甲にぶつかる鈍い音が水中で響いた。
上方へ目を向けた。水面が遥か上で揺れている。其処へ向かって蹴る。タートルフレームの脚は重いが其の重さが水を捉えて推進力になる。
「こっち!」
声が聞こえた。水中を通じて、微かに震える高い声。マリナだ。水面の上で彼女が何かを叫んでいる。其の声が、光のように届く。
白いロープが海中へ伸びていた。マリナが桟橋の係留ロープを手すりへ回し、此方へ投げ落としたのだ。俺は盾を持ったままの左手で其れを掴んだ。右手で少女を抱える。重い。だが此の重さが、生きている証だ。
ロープを引き海面へ浮上する。水が耳を離れ夜風が頬を打つ。
「持ってて!」
マリナが叫んだ。彼女と、駆け付けた優菜と達臣がロープを引く。其の力に引き上げられ、俺と少女は桟橋の土手へ這い上がった。
少女が咳き込んだ。海水を吐き出し、虚ろだった瞳に微かに光が戻る。マリナが其の背中をさすり、毛布を掛ける。達臣が俺の手を引いて立ち上がらせた。其の手は乾いていて、確かだった。
「退避完了。民間人全員、安全圏よ」
九衣の声が通信から響いた。
俺は前を向いた。
桟橋の海側。ダットが立っていた。マゼンタ色の複眼が、二つに分かれた不可思議を睨んでいる。牙不可思議は左右へ別れ、二方向へ逃げようとしていた。ダットは其の片方へ跳び、ラビットソードで退路を塞ぐ。
「そのまま!」
ダットが叫んだ。
俺は盾を構え直した。左の仮面が此方へ迫る。氷結波を放ちながら、真っ直ぐに。俺は其れを受け止める。甲羅の表面に霜が張り、砕けた氷が夜風に舞う。衝撃が肘へ走る。だが退かない。重心を落とし、足裏で受け流す。
ダットが跳んだ。盾の縁から飛び出し、右の仮面の関節へラビットソードを叩き込む。橙色の軌跡が夜を裂き、泥の腕が弾け飛んだ。二つの仮面が悲鳴を上げて後退する。
「追撃を止めてくれ!」
俺は叫んだ。少女を抱えたマリナたちが、まだ桟橋の縁にいる。此処で大技を使えば足場が崩れる。
「早く戻りなさい」
ダットが短く返し敵の前へ跳んだ。其の長い耳が逆立ち、ラビットソードが二つの仮面の間を縫う。俺は其の間に少女をマリナへ引き渡した。
「こっちは大丈夫!」
マリナが叫んだ。少女を抱え、達臣と優菜が其の周囲を固めている。退避路は確保されている。
俺は再び前を向いた。
ダットが二つの仮面を一箇所へ追い込んでいた。左右に分かれようとする其の動きを、跳躍と斬撃で押し戻している。二つの仮面が重なる。其の瞬間だけが狙い目だ。
「逃げ道を一つにしてくれ」
俺は叫んだ。
「合わせなさい」
ダットが短く応じた。
俺は盾を足元へ置いた。甲羅の六角形を床へ向け、其の上へ乗る。胸のドライバーへ意識を集中する。盾の多角形の枠に沿って光が走り、甲羅が高速回転を始めた。其の上で身体を沈める。回転する盾が泥の膜を噛み、推進力を生む。
走るのではない。滑るのでもない。回転そのものが移動へ変わる。俺は其の上で姿勢を保ち、二つの仮面へ向かって突進した。
ダットが跳んだ。マゼンタ色の複眼が上空から二つの仮面を見下ろす。ラビットソードが其の中心へ向かって振り下ろされる。
俺は盾の回転を最大にした。甲羅の縁が空気を裂き、赤橙の光が渦を巻く。二つの仮面が重なった其の一点へ、回転する盾を叩き込む。
タートルセパレード。
盾から激しい振動が伝わる。骨の芯まで響く其れは、敵の泥の身体を内側から砕く衝撃だ。二つの仮面が悲鳴を上げて亀裂を走らせる。
同時に、ダットの脚が上空から突き刺さった。卯バクメツ。兎の脚が生む爆発的な蹴りが、二つの仮面の中心を貫く。
二つの攻撃が同時に命中した。泥が弾け、青い仮面が砕け散る。断末魔の声が二重に重なり、其のまま黒い海へ吸い込まれていく。残ったのは揺れる桟橋と、潮騒だけだった。
俺は盾の回転を止め、床へ降りた。膝が笑う。防壁の維持と水中活動で消耗している。だが立っている。
ダットが其処に着地した。大型の両脚が泥の膜を噛む。マゼンタ色の複眼が俺を見た。長い耳が微かに動いている。
「……終わったわね」
其の声は、やはりくぐもっていて正体を悟らせない。
俺は頷いた。盾を背中へ戻す。甲羅の枠が背中へ収まり、固定される音が響く。
背後でマリナが少女の名を呼んでいた。優菜が其れに応じ、達臣が退避路の安全を確認している。九衣の通信が、民間人全員の無事を告げた。
俺はダットを見た。ダットも俺を見ていた。互いの正体は分からない。だが此の夜、同じ場所で同じ敵と戦った。其れだけのことが、妙に胸へ残った。
「あんた、名前は」
俺は聞いた。
ダットの耳がピクリと動いた。其の複眼が一瞬だけ細くなる。笑ったのか、それとも警戒したのか。判断はつかない。
「……必要ないでしょ」
其の声は、短く、けれどどこか照れたように響いた。ダットは踵を返し、桟橋の海側へ跳んだ。長い耳が夜風に靡き其の姿が闇へ溶けていく。数秒後、鉄骨を蹴る音が遠ざかり波の音だけが残った。
俺は其の背中を見送ってからマリナたちの方へ歩き出した。足が重い。肩が痛い。だが其れは、生きている証だ。
「こっちは大丈夫!」
マリナの声を背に受け俺は前へ向き直った。少女は安全な腕の中にある。後は此の霧を晴らすだけだ。
黒い霧が桟橋の上に立ち込め始めていた。牙不可思議が逃げながら撒いたものだ。視界が白く濁り足元すら怪しくなる。其の中で同じ声が重なり合う。
「コッチ」
「コッチ」
「コッチ」
三方から。いや四方からか。白い霧の中に幾つもの輪郭が走る。影だ。分身だ。どれが本体でどれが影か目では追えない。
だが俺には目だけでない味方がいた。
「本体は右奥」
ダットの声が響いた。迷いのない断定。其の長い耳が微かに動いているのが霧の向こうに見える。彼女は声の大きさではなく音の質で見抜いた。影は声を再現できても鉄骨を軋ませる重さや牙が擦れる接触音までは作れない。
「逃げ道を塞ぐ」
俺は答えた。
盾を足元へ置き六角形の面を床へ向ける。甲羅の枠に沿って光が走り回転を始めた。其の上へ乗る。泥の膜を噛む回転が推進力を生み俺を右奥へと運ぶ。霧の中を滑るように退路へ回り込んだ。
ダットが跳んだ。霧の上方から橙色の軌跡が降り注ぐ。ラビットソードが不可思議の影の一つを薙ぎ払う。影は音もなく霧へ溶けた。だが其の一撃で本体が押し戻された。逃げ場を失った不可思議が二つの上半身を左右へ並べる。
同時攻撃の構えだ。だが其れは死に体の最後っ屁であり最大の隙でもあった。
「退避完了! 民間人全員安全圏よ!」
九衣の通信が耳に届く。
「左は私。右をお願い」
ダットが指示を出した。
「合わせる」
俺は盾の回転を最大まで上げた。其の反動で身体が浮く。盾を蹴って離れる。低い軌道。右側の胴体の付け根へ向かって突進する。
ダットもまた跳んだ。左前方から高く。其の長い脚が空中で折り畳まれ爆発的な蹴りを構える。
二つの仮面が口を開こうとした其の瞬間。
「今だ!」
甲羅盾から放たれた衝撃波が右側の胴体を砕く。
上空から降り注いだ兎の蹴りが左側の上半身を貫く。
二つの衝撃が同時に共通の中枢へ達した。氷と霧が吹き飛ぶ。牙状の中枢が砕ける音が桟橋全体を揺るがした。断末魔の声が二重に重なり黒い泥となって霧散していく。
着地。
左右に分かれて着地した二つの音が同じタイミングで響いた。俺は右側ダットは左側。蹴り抜いた後も進路を交差させず互いの位置を確保する。
霧が晴れていく。
潮風が頬を撫でた。現実の港の波音が戻ってくる。遠くで船の汽笛が鳴った。
俺は深く息を吐いた。肩が熱い。膝が笑っている。だが其れは生きている証だ。