PERSONA × MY-TH UNFATHOMABLE VOYAGE ―沖縄怪異航路―   作:ボルメテウスさん

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第四航路 孵化 5/7  潮風に混じる

光が弾けた余韻が、黒い水面を揺らしていた。

 

仮面ライダーホヌス。マリナが其の名を告げた時、俺の変身は既に解けていた。

 

タートルフレームの装甲が赤茶色の霧となって解け、制服姿へ戻った反動が身体を襲う。膝が折れる。掌が黒い膜の上へつく。肋骨の奥がキリキリと鳴る。防壁の維持と水中活動と、何度も受け止めた衝撃。身体中の筋肉が鉛のように重い。

 

(動け。今すぐ立て)

 

だが身体が言うことを聞かない。指先一本動かすのに、全身の神経を総動員しなければならない。其の間にも、海面の巨大な瞳が動いていた。

 

瞳不可思議が触手を放った。

 

標的は、剛変身を終えたばかりのホヌスだ。黒い水が鞭のようにしなり、三本の触手が同時に襲いかかる。速い。旧桟橋で戦った牙不可思議よりも速い。水中を直接移動する触手は、空気を裂く音もなく迫る。

 

「マリナさん!」

 

俺は叫んだ。だが声が出た。身体は動かない。此の距離では間に合わない。

 

ホヌスが動いた。

 

いや、動こうとした。其の身体が前に出ようとして、足元の水流に押された。

 

「わっ!」

 

声が漏れた。装甲越しにくぐもった高い声。マリナだ。其の反応は戦士の回避ではなく、転びそうになった人間が咄嗟に踏み出しただけのものだった。だが其の一步が、水流を生んだ。

 

足裏から水が噴き出した。清らかな水だ。黒い膜の表面を滑るように、ホヌスの身体が加速する。触手の間を、滑るように通り抜けた。三本の触手が空を切り、黒い水飛沫を上げて海面へ戻る。

 

ホヌスが其の場で止まった。装甲越しに、荒い息が聞こえる。

 

「何あれ、すごい速い…あたし、ちゃんと立ってる?」

 

其の声には驚きがあった。自分の身体で何が起きたのか分かっていない。だが其の足は止まっていない。水流がまだ足元を巡り、波が引くように重心を後ろへ流している。其のリズムに、マリナの身体が自然に乗っている。

 

(あの水流。足元から発生して、身体の動きに合わせて加速する。タートルフレームとは違う。守る力じゃない。流れる力だ)

 

瞳不可思議が狙いを変えた。

 

海面の巨大な瞳が滑り、相談者二人の方角へ向く。虚ろな表情のまま立ち尽くす彼らに、触手が二本伸び上がる。

 

「──逃げて!」

 

ホヌスが叫んだ。だが相談者たちは動かない。瞳の幻覚に捕らわれている。其の目に映っているのは、此の異界ではない。彼らの恐怖が作った偽りの未来だ。

 

ホヌスが地を蹴った。

 

今度は自分から水流へ乗った。足元の水が敷石のように広がり、其の上を滑るように走る。踏み込むたびに水滴が弾け、波が寄せるようなリズムで距離を詰める。

 

相談者の前に滑り込む。触手が迫る。ホヌスは前腕を上げた。亀を思わせる銀色の装甲と、其の表面を覆う薄い水の膜が、触手を受け止めた。

 

だが其の受け方は、俺のタートルフレームとは根本的に違っていた。

 

俺なら其処で踏ん張る。踵を食い込ませ、衝撃を地面へ逃がす。止まる。耐える。其れがタートルフレームの戦い方だ。

 

ホヌスは止まらなかった。

 

触手が前腕へ当たった瞬間、其の身体が回転した。触手の力に逆らわず、其の力を軸にして身体を旋回させる。水の膜が触手の表面を滑り、衝撃を横へ流す。其の回転が終わるまでの一瞬、遠心力がマリナの肘に乗った。

 

肘打ち。

 

水を纏った肘が、触手の根元へ叩き込まれた。泥が弾け、触手が海面へ退く。其の一撃の重さに、ホヌス自身が驚いたようだった。装甲の下で身体がぐらりと傾ぐ。だが其の傾ぎさえ、次の動きへ繋がった。

 

傾いだ方向へ踏み込み、体重を乗せたローキック。足裏の水流が泥の表面を削り、触手の本体へ叩き込む。続けて拳。膝蹴り。一連の動きが、波が寄せては返すように繋がっている。

 

(…踊ってる)

 

俺は其の光景を、膝をついたまま見上げていた。

 

荒々しい格闘ではない。其れは確かに打撃であり、其れぞれの一撃に力が込められている。だが全体として見た時、ホヌスの動きは踊っているように見えた。波のリズムに乗った足運び。水流に導かれた体重移動。触手の力を受け流しては其れを打撃へ変える、途切れのない連動。

 

ムエタイだ。以前、テレビで見たことがある。肘と膝を中心とした、接近戦の格闘技。だがマリナが其れを知っているのか、学んだのか、其れは分からない。恐らく本人も分かっていない。身体が知っているのだ。ライドエグズが、亀の神話が、マリナの身体記憶の奥底に眠っていたリズムを呼び起こした。

 

「はっ、速い…!」

 

ホヌスが喘いだ。自分の蹴りが触手を弾き飛ばした勢いで、身体が予想以上の距離を滑る。其の加速に手も足も出ない。だが倒れない。水流が其の重心を支え、滑った分だけ次の動きへ繋げる。

 

瞳不可思議が戦術を変えた。

 

海面の瞳が消えた。代わりに、周囲の壁面と水面に、複数の瞳が開き始めた。五つ、六つ、七つ。四方から俺たちを見下ろす瞳の群れ。其の全てが同時に、視線状の衝撃波を放った。

 

「──!」

 

空気が裂ける音が重なった。衝撃波が交差し、逃げ場を塞ぐ。直線的に動けば、其の交差点へ飛び込むことになる。

 

ホヌスは走らなかった。

 

円を描くように、足元を旋回した。水流が其の軌跡をなぞり、弧を描く。衝撃波の隙間を縫うように、波打つような足運びで抜けていく。両腕を巡る水流を広げ、其の膜で衝撃波の軌道を逸らした。

 

背後にいる相談者たちを、其の広げた腕で守りながら。

 

完全には受け流せなかった。衝撃波の端が肩の装甲を掠め、火花が散る。ホヌスが呻いた。だが倒れない。体勢を立て直し、水流を巻き直す。其の呼吸は荒いが、足は止まらない。

 

(守るだけじゃない。攻めながら守ってる。あいつ、最初から其れをやろうとしている)

 

俺は掌を見た。指先が震えている。変身解除の反動がまだ残っている。だが此の震えは、疲労だけではない。目の前で踊るように戦うマリナの姿が、俺の中で何かを叩いていた。

 

ホヌスが足元の水を蹴り上げた。

 

清らかな水流が、黒い水面へ叩きつけられる。濁った水と清らかな水がぶつかり合い、海面が白く泡立つ。其の波紋が広がるたびに、壁面に開いた偽りの瞳が次々と崩れていく。本体の移動先が消される。瞳不可思議の逃げ場が、一つずつ潰されていく。

 

「今だ!」

 

ホヌスが叫んだ。自分に向かって。踏み込んだ。残った一か所の瞳へ向かって、水流を纏った脚で蹴りを放つ。

 

外した。

 

本体の瞳が水面を滑って位置をずらしたのだ。蹴りが空を切り、ホヌスの身体が前へ傾ぐ。体勢が崩れた。一瞬の隙。瞳不可思議が其処へ触手を伸ばす。

 

「──危ない!」

 

俺は叫んだ。だがホヌスは、其の失敗すら無駄にしなかった。

 

前へ傾いだ身体を、其のまま回転させた。崩れた重心を軸に、後ろ回し蹴りへ変える。水流が回転と共に螺旋を描き、脚の先に集約される。

 

蹴りが本体の眼球を捉えた。

 

泥と水が弾け、巨大な瞳が海面へ沈む。衝撃波が止む。触手が退く。だが倒しきれていない。海面の奥で、瞳が再び脈打ち始めている。力を集中している。次はもっと大きい来る。

 

ホヌスが其の場に立っていた。

 

肩で息をしている。装甲のあちこちに泥の飛沫が付着し、左肩からは火花の残残滓が煙のように上がっている。初戦闘だ。完璧ではない。蹴りを外し、自分の力に驚き、衝撃波を受け止めきれず火花を散らした。

 

だが立っている。

 

守られるために立っているのではない。戦うために立っている。

 

俺は其の背中を見た。

 

マリナの背中だ。あの夜、旧桟橋で少女を抱えて震えていたマリナの背中ではない。ハワイ料理店で明るく笑っていたマリナの背中でもない。此れは、自分の足で立ち、自分の力で敵を追い詰めた戦士の背中だ。

 

(もう、守られるだけの存在じゃない)

 

俺の手の中で、ライドエグズが脈打った。

 

タートルフレームを得た時と同じ鼓動。だが今度は、マリナのライドエグズと共鳴している。二つの卵が、同じ周波数で脈打っている。

 

(俺が彼女にすべてを任せている。彼女が俺を守っている。俺もまた、彼女に守られているんだ)

 

指先の震えが止まった。

 

代わりに、掌から熱が溢れた。ライドエグズを握りしめる。マイスドライバーを胸元へ装着する。円盤を衝突させる。

 

『エッグリューション!』

 

『タートル!』

 

『キャメゲンサーイ!』

 

装甲が身体を包む。背中に甲羅の枠が組み上がり、六角形の盾が前面へ滑り込む。重さが肩へ乗る。だが今度は、其の重さが単独のものではない。隣に立つ誰かと分け合う重さだ。

 

『マイス タートルフレーム!』

 

仮面ライダーマイス・タートルフレーム。

 

俺はホヌスの横へ並んだ。

 

盾を構え、前を見据える。ホヌスも前を見ている。琥珀色の複眼が、海面の奥で脈打つ瞳を捉えている。

 

「マリナさん」

 

俺は言った。声が少し掠れていた。だが其れは弱さではない。戦いの途中で声を張り上げた名残だ。

 

「一人で全部やるな。今度は一緒に帰り道を作る」

 

ホヌスが俺を見た。琥珀色の複眼が、一瞬だけ俺を映す。其の奥で、何かが揺れた。笑ったのか、泣きそうになったのか。装甲越しには分からない。だが其の視線が、俺の目をしっかりと見ていた。

 

「──うん」

 

短い返事だった。其れだけ。

 

だが其の声は、震えていなかった。

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