PERSONA × MY-TH UNFATHOMABLE VOYAGE ―沖縄怪異航路― 作:ボルメテウスさん
瞳不可思議が吠えた。
海面の奥で脈打っていた瞳が、一気に膨れ上がった。黒い水が沸き立ち、周囲の壁面と水面に無数の瞳が同時に開く。五つ、十つ、二十。視界の端まで瞳で埋め尽くされる。其の全てが、俺たちを見ている。
「来る!」
俺は盾を正面へ構えた。
全ての瞳が、同時に視線状の衝撃波を放った。
空気が裂ける音が重なって、一つの爆発音になった。衝撃波の壁が迫る。相談者たちが背後にいる。避ければ其処へ直撃する。
(受け止める。全部)
ズン──!
衝撃が盾へ叩きつけられた。
重い。今まで受けたどの一撃よりも重い。甲羅の六角形の枠が軋み、多角形の部材が悲鳴を上げる。足裏が黒い膜の上を滑り、爪先が沈み込む。膝が折れそうになる。だが折らない。踵を食い込ませ、全身で地面へ流す。
(足りない。此のままじゃ押し切られる)
盾を傾けた。
正面から受け止めるのではなく、盾の表面を斜めへ向ける。衝撃波の力を、正面ではなく上方へ逸らす。其の角度に合わせて、衝撃波が盾の表面を滑り、夜空へ抜けていく。黒い水飛沫が散り、頭上で波の音がした。
其の瞬間、盾の陰から影が飛び出した。
ホヌスだ。
俺が盾を傾けた隙間から、水の軌跡を引いて滑り出る。足元の水流が踏み込みを加速し、其の勢いのまま右脚を振り抜いた。
ローキック。
水流を纏った脚が、瞳不可思議の触手を横から薙ぎ払う。泥が弾け、触手の軌道が逸れる。ホヌスは其の反動で身体を半回転させ、遠心力を肘へ乗せた。肘打ち。次いで膝蹴り。触手が再生する前に、二撃、三撃と叩き込む。
(速い。そして、途切れない)
俺のタートルフレームが攻撃を受け止めて止まるなら、ホヌスは攻撃を受け流して次へ繋ぐ。止まることと流れること。同じ亀を由来としながら、俺たちの戦い方は正反対だった。
「真瀬君! 左!」
ホヌスの声が響いた。俺は盾を左へ振った。
壁面に開いた瞳が触手を放ったばかりだ。其の触手が俺の盾へ当たり、弾かれる。だが其れで終わりではない。盾が触手を受け止めた瞬間、ホヌスが盾の裏側から回り込む。俺の盾を遮蔽物にして、敵の死角へ接近した。
拳。肘。膝。回し蹴り。
一連の打撃が、触手の根元へ叩き込まれる。水流が其の軌跡を描き、波が寄せては返すように連続する。瞳不可思議が悲鳴を上げ、触手を退かせようとする。だが退く前に、俺が盾を前に出して退路を塞いだ。
(俺が道を塞ぐ。お前が其処から叩く。其れでいいんだな)
ホヌスの視線が、一瞬だけ俺に向いた。琥珀色の複眼が、盾の縁越しに俺を見る。頷いたのかどうかは分からない。だが其の次の踏み込みが、俺の盾の左側へ向いた。俺が右側を塞いでいるから、左へ回る。其の判断は、声を交わさずとも伝わっていた。
瞳不可思議が戦術を変えた。
海面の瞳が消え、周囲の水面に偽の瞳が次々と開き始める。逃げる気だ。本体を別の瞳へ移動させようとしている。
「逃がさない!」
ホヌスが叫び、両腕を広げた。其の腕を巡る水流が、扇のように広がる。清らかな水が黒い水面へ次々と叩きつけられる。濁った水と清らかな水がぶつかり合い、海面が白く泡立つ。偽の瞳が一つ、また一つと崩れていく。移動先が消される。逃げ場が潰されていく。
残った一つ。
本物の瞳だ。海面の中央に浮かぶ巨大な眼球が、逃げ場を失って其処に留まっている。
俺は盾を振り上げた。残った瞳の右側へ叩きつける。甲羅の質量が泥を削り、退路を塞ぐ。瞳不可思議が左へ逃げようとする。だが其処もホヌスの水流で乱されている。
「──乗せて!」
ホヌスの声が響いた。俺は意味を理解するより先に盾を床へ置いた。六角形の面を上に向ける。其の上へ、ホヌスが足をかけた。
一瞬の静止。
次の瞬間、水流が盾の表面を滑り、ホヌスの身体を跳を跳躍へ弾き上げた。俺の盾が踏み台になった。空中で身体を折り畳み、膝を引き絞る。水流が螺旋を描き、膝の先へ集約される。
膝蹴り。
水流を纏った膝が、眼球の中心へ突き刺さった。泥が弾け、瞳が歪む。ホヌスの身体が衝撃で弾かれ、空中で回転して着地する。大型の脚が泥の膜を噛み、滑らずに止まった。
だが倒れない。
瞳不可思議が、吠えた。残った力を全て集中させている。海面の瞳が膨れ上がり、周囲の水が渦を巻く。黒い膜の表面が震え、空気が重くなる。全てを賭けた一撃が来る。
「来るぞ!」
俺は盾を正面へ構えた。
衝撃波が放たれた。
今までの何倍も重い。盾へ叩きつけられた瞬間、足裏が泥の膜を削って沈み込む。両腕が震える。甲羅の枠が軋み、多角形の部材の隙間から光が漏れる。蓄積されていく力が、腕の骨を圧迫する。
(耐えろ。もう少しだけ)
背後から、水の音が近づいた。
ホヌスが俺の背後に回り込んだ。其の両腕から水流が広がり、俺の盾の裏側へ重なる。清らかな水の膜が甲羅の表面を覆い、衝撃を左右へ受け流し始めた。
重い。だが、一人じゃない。
盾への負荷が半分になる。俺の腕の震えが少しだけ収まる。ホヌスの水流が、俺の盾と重なっている。二つの力が、一つの壁になっている。
衝撃波が止んだ。
静寂が戻る。泥の膜の上に、二人の影が並んで落ちている。
俺は横を見た。ホヌスも俺を見ていた。琥珀色の複眼が、俺の黄色い複眼と交差する。其の視線の中に、俺は見た。言葉にしなくても伝わるもの。同じ決着を考えている。同じ瞬間を狙っている。
胸のマイスドライバーへ意識を集中する。盾の枠に沿って光が走り、蓄積された力が右脚へ流れる。隣で、ホヌスの足元から水流が螺旋を描き始めた。
『タートル! セパレード!』
声が重なった。
二人が同時に跳んだ。
俺は正面から。盾に蓄積された力を右脚へ集中させ、重量のある蹴りを瞳の中心へ叩き込む。ホヌスは側面から。水流に乗って身体を回転させ、遠心力を乗せた鋭い蹴りを眼球の横腹へ突き刺す。
二方向からの蹴りが、同時に本物の瞳を貫いた。
泥が弾けた。
巨大な眼球が亀裂を走らせ、内側から光が溢れる。断末魔の声が波の音に混じり、其の輪郭が崩れていく。黒い水と光の粒子が混ざり合い、夜の海へ溶けて消えた。
着地。
俺は右側、ホヌスは左側。二つの着地音が、同時に響いた。
静寂。
波の音だけが残っていた。異界の粘度が薄れ、現実の海の音が戻り始めている。黒い膜が透明になり、足元に岩場と砂利が現れ始めた。
俺は深く息を吐いた。肩が熱い。膝が笑っている。だが立っている。
隣で、ホヌスも立っていた。
「…終わったね」
ホヌスの声がした。装甲越しでくぐもっているが、其の声は明るかった。あのハワイ料理店で聞いた声と同じ明るさだ。だが其処には、今夜の戦いを経た分だけの重みがあった。
「ああ。終わった」
俺は頷いた。
ホヌスが振り返った。其の琥珀色の複眼が、防波堤の方角を見ている。其処に、相談者たちが座り込んでいた。虚ろな表情は消え、代わりに戸惑いと疲労が混じった顔で此方を見ている。
「行こう。あの子たち、待ってる」
ホヌスが歩き出した。水流を消し、普通の足取りで。だが其の背中は、守られるために歩いているのではない。誰かを迎えに行くために歩いている。
俺は其の背中を見た。
マリナの背中だ。あの夜、旧桟橋で少女を抱えて震えていた背中ではない。ハワイ料理店で明るく笑っていた背中でもない。此れは、自分の足で立ち、自分の力で敵を倒し、仲間と並んで戦った戦士の背中だ。
「マリナさん」
俺は呼んだ。ホヌスが足を止めた。振り返る。琥珀色の複眼が俺を捉える。
「ありがとう」
其れだけ言った。他に言葉が見つからなかった。いや、他の言葉は要らなかった。マリナはもう守られるだけの相手ではない。横に並んで戦う仲間だ。其れを、俺は今夜知った。
ホヌスが、口元の銀色の装甲の下で笑った気がした。
「どういたしまして。──今度は、あたしからも頼んでいいよ」
「何をだ」
「帰り道、一緒に作って」
俺は少し笑った。盾を背中へ戻し、ホヌスの隣へ並んだ。二人で、相談者たちの方へ歩き出した。夜風が頬を撫でる。潮の匂いと、微かな珈琲の香りが混じっていた。