PERSONA × MY-TH UNFATHOMABLE VOYAGE ―沖縄怪異航路― 作:ボルメテウスさん
部室へ戻ると、優菜が即座にファイルを開いた。
「今日の記録をまとめる。場所、時間、目撃者、敵の特徴。全部残すよ」
達臣がノートを取り出し、ペンを走らせる。其の手つきはいつも通り冷静で、一時間前に倉庫街で黒い羽根が降り注いでいたとは思えないほどだった。
「翼不可思議。仮称」達臣が書き込む。「声を記録し反復する能力。黒い羽根による拘束と攻撃。本体は高所に潛む。弱点は反復の空白」
「あの黒いライダーは?」優菜が訊いた。「真瀬君が言ってた、猫みたいな装甲の人」
「人を助けてた。少なくとも敵じゃない」俺は答えた。「でも正体も目的も分からない。屋上で見た時と同じだ。現れて、消える」
「猫みたいな仮面ライダーかあ」優菜がペンを口元へ当てた。「真瀬君と同じ力を持つ人間が他にもいるってことだよね」
「かもしれない。確証はないけど」
「確証はないけど、確率は高いね」達臣が端的に言った。其の目はノートに向けたままだった。「同じ種類の装甲、同じ敵に対する戦闘能力、同じ空間に出現。偶然にしては揃いすぎている」
「麻尾って時々冷たいこと言うよね」
「事実を言ってるだけだ」
達臣はペンを止めずに記録を書き足していく。其の背筋は真っ直ぐで、疲労の色が見えない。俺は少し目を細めた。こいつは一時間以上前から倉庫街を走り回っていたはずだ。だが息一つ乱れていない。
(まあ、達臣は元々体力ありそうだしな)
「今日は此処まで」優菜がファイルを閉じた。「また来るよ、あいつ。絶対」
「だろうな」達臣が頷いた。「次は仕留める」
其の声は平坦だった。だが其の奥に、確信があった。
* * *
部室を出て昇降口へ向かう渡り廊下。潮風が窓から吹き込み、優菜の髪を揺らす。
「真瀬君、大神さんって店長だよね。あの人も関係あるのかな」
「分からない。でもあの人、普通じゃなかった。音で敵の位置を聞き分けてた」
「音で? すごいね。やっぱり此の島には普通じゃない人が集まってくるのかな」
「かもしれないな」
達臣は俺たちの後ろを歩いていた。いつも通りの距離感。俺と優菜が並んで歩き、達臣が一歩遅れについている。其の足音が一定のリズムで響いている。
昇降口で靴を履き替える。優菜が「じゃあまた明日」と手を振って女子寮の方角へ去った。残ったのは俺と達臣だけだ。
「真瀬」達臣が低い声で呼んだ。
「何だ」
「今日の黒いライダー。お前が見た人影と同じだと言ったな」
「ああ。屋上で見た時と同じ装甲だった」
「…気をつけろ」
其れだけ言って、達臣は背を向けた。其の足取りは変わらず冷静で、夜の学園都市へ消えていく。
俺は其の背中を見送ってから、自分の寮へ向かって歩き出した。カバンの中で九衣が微かに動いた。
「ネズミ君、麻尾君ね。あの子、何か知ってる顔してたよ」
(何だよ)
「配信者は人を見る目があるんだ。あの子が『気をつけろ』って言った時、其れは心配じゃなくて警告だったよ。ただし断定はできないけど」
(断定できないな。お前の其の目はボタンだろ)
「ボタンでも見えるものは見えるんだよ」
九衣は其処で黙った。俺は寮への道を歩いた。夜風が頬を撫でる。潮の匂いと、遠くの船の汽笛。日常の音だ。だが其の音の裏に、何かが潛んでいる気配が消えない。
* * *
学園都市の南側、使用されていない旧棟の非常階段。
人目のない場所に、麻尾達臣は立っていた。
月明かりがコンクリートの床を白く照らしている。潮風が階段を吹き抜け、達臣の制服の裾を揺らした。其の表情は、学校で見せていた冷静な顔ではなかった。眉間に力が入り、唇が引き結ばれている。
達臣が腰のポーチから小さな装置を取り出した。掌に収まるほどの黒い器具。其の表面に淡い光が明滅している。
ボタンを押す。
光が消えた。
同時に、学園都市の北側、昇降口近くの植え込みの陰に残っていたもう一人の麻尾達臣が、音もなく消えた。残っていたのは制服の上着が風に揺れて落ちた音だけだ。
身代わりだ。
達臣は其の装置を操作している間、倉庫街での戦闘から此処に至るまで、自分の身代わりを研究会の面々の中に残していた。短い返事や単純な動作はできた。だが複雑な判断はできない。だからこそ、研究会の記録をまとめる場面では殆ど口を開かなかった。
(真瀬に気づかれなかったか)
達臣は装置をポーチへ戻し、代わりに別のものを取り出した。
ドライバー。
それは、マイスと似ているが、違うのは赤いハンマーが追加されていた。
達臣は其れを掌に載せ、月明かりに照らした。黒い表面に赤い光が走る。リドのライドエグズが内側で脈打っている。
其の手が一瞬だけ止まった。
倉庫街で助けた生徒の顔が脳裏を過った。女子生徒だった。名前は知らない。だが其の手が震えていたこと、目を見開いて空を見上げていたことは覚えている。
達臣は短く息を吐いた。其れは安堵ではなく、確認だった。無事だった。其れだけを確かめてから、ドライバーをポーチへ戻した。
周囲を見渡す。人影はない。非常階段には達臣一人だけだ。
「…次は仕留める、か」
優菜の言葉を繰り返した。だが其の声は部室で聞いたものとは違った。低く、硬く、何かを決めた人間の声だった。
達臣は非常階段を降り始めた。其の足音がコンクリートに響き、夜の学園都市へ吸い込まれていく。
真瀬結人は知らない。
瑞生優菜も知らない。
麻尾達臣が、あの黒い装甲のライダーであることを。研究会の記録係が、夜の校舎で人を救う仮面ライダーリドであることを。
其の秘密が、いつまで保つかは分からない。
だが今夜も波の音が打ち返している。
遠くで汽笛が鳴った。低く、長く、夜の海へ溶けていく音だった。