PERSONA × MY-TH UNFATHOMABLE VOYAGE ―沖縄怪異航路― 作:ボルメテウスさん
放課後の部室に、潮風と一緒に依頼が舞い込んだ。
「此れ見て真瀬君」
優菜がスマートフォンを俺の目の前に差し出した。画面には学園都市の掲示板に投稿された相談文が表示されている。投稿者は女子生徒だ。内容は短い。
『友達が変なんです。連絡船から降りた後からずっと、どこか遠いところを見てる感じで、話しかけても上の空なんです。本人は何も覚えてないって言うけど』
「連絡船から降りた後、か」達臣が向かいの席でペンを止めた。「第三航路のフェリーだな」
「第三航路って、本土と島を結んでる定期便だろ」
「そう。学園都市へ来る学生の多くが利用する航路だ」
達臣は地図を開き、港から学園都市までの経路を指で辿った。其の指が港のすぐ東側で止まる。
「此処で降りて、此処を通って学園へ向かう。此の間に何かあった可能性がある」
「友達が変になったって、具体的にどう変なの?」
優菜が相談文をもう一度読み上げた。据えている場所は変わらない。だが話しかけても上の空。本人は何も覚えていない。目が合っていない、と書いてある。
「記憶が曖昧。前にも似た証言があったな」達臣が過去の調査ファイルを開いた。「三ヶ月前に別の生徒が同じ航路を使った後、数時間の記憶が抜けていると訴えている」
「同じ航路で同じ現象か」
「偶然にしては揃いすぎる」達臣が端的に言った。
俺は地図を見た。港から学園都市へ続く道。其の途中に何があるのか。
「聞き込みに行こう」優菜が立ち上がった。「港の近くに店が何軒かあるでしょ。連絡船から降りた人を見てるかもしれない」
「待て」達臣が制止した。「場所と時間を先に整理しろ。聞き込みに行くなら効率よく回したい」
「じゃあ達臣は記録係、真瀬君は聞き込み、私は全体のとりまとめ。いいね?」
達臣は一秒だけ俺を見てから頷いた。其の視線が一瞬だけ俺の腰のポーチへ流れた気がした。だが何も言わずにノートを閉じた。
* * *
港へ向かう道は、学園都市の中心街を抜けて海沿いへ下っていく。
七月の沖縄は午後三時を過ぎても日差しが強い。アスファルトから立ち昇る熱気が靴底を温める。道沿いのデイゴの木が赤い花を揺らし、其の花びらが歩道に散っている。風が吹くたびに花びらが転がり、乾いた音を立てた。
「港の近くにハワイ料理の店があるんだって」優菜が地図を確認しながら言った。「ネットの口コミで見つけたんだけど、連絡船を降りた人がよく寄るらしいよ」
「ハワイ料理? 此処で?」
「沖縄とハワイって結びつきが強いんだよ。砂糖黍とか移民の歴史とか。だから島にハワイ料理店があるのは珍しくないの」
「へえ」
後ろを歩く達臣が小さくため息をついた。だが否定はしない。
港の近くなると空気が変わる。潮の匂いが濃くなり、道の両側に倉庫や事務所が並ぶ。観光地の華やかさはないが、生活のある風景だ。漁具を積んだ軽トラックが通り過ぎ、網を干すおじいさんが道端で座っている。
「あそこ」優菜が角を指差した。
其処にあったのは小さな二階建ての建物だった。一階が店舗らしい。看板は木製で少し潮風で傷んでいる。「ALOHA DINER」と書かれていた。入り口の横に小さな黒板メニューが立っている。ロコモコ、ガーリックシュリンプ、カルアポーク。イラスト付きで値段は手頃だ。
「営業中の札が出てるね」
優菜がドアを開けた。カウベルの音が店内に響く。
中に入るとコーヒーの香ばしさと、何か甘いソースの焦げる匂いが混じった空気が流れてきた。窓際に並んだテーブル席は半分埋まっている。地元の人と観光客が混在しているようだ。壁にはハワイの風景写真と沖縄の写真が並んで飾られている。
「いらっしゃーい!」
声がカウンターの奥から飛んできた。明るい。丁寧というより弾むような声だ。
其処に立っていたのは、俺と同じくらいの年齢の女性だった。
黒に近い茶色の髪を高い位置で一つに結んでいる。健康的に焼けた肌。花柄のシャツにエプロンを着けて、其の胸元に小さなホヌのチャームが揺れていた。目が大きく、笑うと更に大きくなる。
「三人様? ランチならまだやってるよ。何時のフェリー降りたの?」
「いや、フェリーじゃないんです」優菜が答えた。「私たち南星学園の生徒で、ちょっと聞きたいことがあって」
「聞きたいこと? ああ、不可思議事件研究会の人たち? 学園の掲示板で見たことあるよ」
彼女はカウンター越しに身を乗り出した。其の動作に隙がない。自然すぎるほど自然だ。
「私、宇涙マリナ。此処でバイトしてる。あと大学の留学生。ハワイから来たの」
「ハワイから? 此処に?」
「うん。日系人なの。曽祖父が沖縄からハワイへ渡って、私が又戻ってきたってわけ。留学先として沖縄を選んだのはね、曽祖父がいつも海を見ながら『あそこに帰りたい』って言ってたから。何となく惹かれちゃって」
マリナは笑いながら三人分の水を並べた。其の手際が早い。
「で、聞きたいことって何? 料理のレシピなら業務用だから教えられないよ」
「残念ながらレシピじゃないんだ」俺が口を開いた。「連絡船を降りた後に様子がおかしくなった人がいるって聞いてて。此の店にそういうお客さんが来たことないかと思って」
マリナの手が止まった。グラスを置く動作が一瞬だけ硬くなる。だがすぐに又笑顔に戻った。
「ああ、それならあるよ。先週の金曜日かな。夕方の便を降りた女の子が来た。一人で。ロコモコ頼んだんだけど、全然食べなかった」
「食べなかった?」
「うん。フォークを持ったままじっとしてた。目はこっちを見てるんだけど、合ってない感じ。話しかけても『うん』とか『ああ』とかそれだけ。何か遠いところを見てるみたいで」
優菜が達臣の方を見た。達臣は既にノートを開いている。
「其の子、どの位の時間いた?」達臣が訊いた。
「三十分くらいかな。途中でふっと我に返ったみたいで、『あれ、私何してたんだっけ』って。それからお会計して出ていった」
「忘れ物は?」
「あるよ」
マリナがカウンターの下から小さなビニール袋を取り出した。中に折り畳まれた紙と、キーホルダーが入っている。
「テーブルに忘れてったの。本人に返そうと思ったんだけど、連絡先知らなくて。学園の生徒だとは思うんだけど」
達臣がビニール袋を受け取り中身を確認した。折り畳まれた紙はフェリーの乗船券。キーホルダーは小さなシーサーのチャーム付きだ。
「乗船券の日付は先週金曜日。時刻は午後五時便」達臣が記録した。
「其の子、他に何か言ってなかったか」俺が訊いた。
マリナは少し考えた。其の目が天井を見上げ、記憶を辿る。
「そうだ。店を出る時に『海の方から声が聞こえる』って言った。其れだけ。私、最初酔ってるのかなって思ったんだけど、其の子真っ直ぐ歩いてたから酔いじゃないと思う」
「海の方から声」
俺は其の言葉を繰り返した。声。又だ。旧桟橋の時も南棟三階の時も、被害者は声を聞いている。
カバンの中で九衣が微かに動いた。俺の耳だけに届く小声。
「ネズミ君。海の方から声って、ネットの噂だとね、異界の入り口付近で声が聞こえる現象の報告がある。過去に沖縄で起きた異変の時も同じことがあったらしいよ。ただし断定はできないけど」
(又断定できないか)
「配信者は確証のないことを断定しないんだよ。でも記録ではね、水辺で声を聞いた人が其の後行方不明になるケースが何件かある。沖縄ジェイルの時も同じパターンだったよ。ただし噂と公式記録は別物だからね」
(噂と公式記録を分けるんだな)
「当然だよ。配信者は情報の出所に責任を持つんだ」
「真瀬君?」
優菜が俺の顔を覗き込んだ。少し間が空いていたらしい。
「ごめん。考え事。マリナさん、其の子が店を出た後どっちへ行ったか分かる?」
「ええと、店を出て右へ行ったかな。港の方じゃなくて、旧桟橋の方へ」
「旧桟橋?」
「うん。此処から五分くらい歩いたところに使われなくなった桟橋があるの。十年くらい前に廃止されてから立ち入り禁止なんだけど、夜になると若者がたまに集まってるんだよね。危ないのに」
マリナは腕を組み、少し困った顔をした。
「其の子も其の方角へ歩いていった。声が聞こえるって言ってたから、もしかして其の方へ行ったのかもしれない。私、気になって少し追いかけようかと思ったんだけど、店閉められなかったし」
「旧桟橋か」達臣が地図に印をつけた。「第三航路のフェリー着岸場所から直線で五百メートル。其の間に何かあるか」
「旧桟橋の近くには何もないよ。倉庫が二つ三つあるくらいで」
「倉庫の中身は?」
「空っぽだと思う。使われてないから」
俺は窓の外を見た。港の向こうに錆びた鉄骨が見える。夕陽に照らされて、骨組みだけのシルエットが浮かび上がっていた。あれが旧桟橋か。
「マリナさん、その旧桟橋の場所、教えてくれるか」
「いいよ。あたしも気になってたんだよね。あの子、大丈夫かなって。店員としては放っておけない感じでさ」
「放っておけないって」
「だってさ、ロコモコ頼んで一口も食べないで帰った子だよ。作った側としても気になるし、人としても気になるでしょ」
マリナはエプロンのポケットから携帯を取り出し、地図を表示した。
「此処だよ。此処から道沿いに五分。突き当たりを左へ曲がるとすぐ見える」
「有難う。助かった」
「あたしも行こうか? 案内できるし」
「いや、マリナさんは仕事があるだろ」
「今は暇な時間帯だよ。店長にも聞いてみるから。ちょっと待って」
マリナは奥へ引っ込んだ。二階へ上がる足音がした。店長に許可を取りに行ったのだろう。
達臣が小声で言った。
「真瀬、あの店員。ただ者じゃないかもしれない」
「え? 何で」
「あの証言の具体性だ。普通の店員は客の細かな様子をそこまで覚えていない。目が合っていない、返事が単調、海の方から声が聞こえると言った。其れは観察ではなく監視に近い精度だ」
「監視? そんな大げさな」
「大げさではない。彼女はあの客を気にかけていた。気にかける人間は細部を見る。其れだけかもしれないが、確認は必要だ」
優菜が割り込んだ。
「麻尾、疑い深すぎ。親切な人っているよ。特に飲食店の人は客の様子見るでしょ」
「親切と観察力は別だ」
「結局、現地に行けば分かることだろ」俺が二人の間に入った。「マリナさんが来るなら案内してもらう。来ないなら俺たちだけで行く。どっちでもいい」
「来たよ!」
マリナが階段を降りてきた。エプロンを外し、花柄のシャツのままバッグを肩に掛けている。
「店長OKくれた。一時間だけならいいって。あ、店長は二階で寝てるから心配しないで」
「寝てるのか」
「夜の営業に備えてるの。昼は喫茶だからね。夕方からBARに変わるの」
「此処、夜はBARなのか」
「そう。大神さんが切り盛ってるんだよ」
「大神さん? 店長のこと?」
「うん。真口大神さん。此の店のオーナー兼店長兼バーテンダー。昼は珈琲淹れて夜はカクテル作る人。ちょっと変わってるけどいい人だよ」
真口大神。俺は其の名前を頭の中で繰り返した。何処かで聞いたことがあるようなないような、微妙な既視感。だが今は其れより旧桟橋が先だ。
「じゃあ行こう。マリナさん、案内頼む」
「任せて! 此の辺りは散歩がてら何度も歩いてるから道は頭に入ってるよ」
マリナは先頭に立って店を出た。カウベルが鳴る。外は相変わらず暑い。だが港の方から吹く風に、少しだけ湿った冷たさが混じり始めていた。
「あの子が歩いていった道、たぶんこっちだよ」
マリナが指差したのは港の東側へ続く細い道だった。表通りから一本入った裏道。建物と建物の隙間を縫うように伸びている。
「暗くなると街灯少ないから気をつけて」
「どの位歩けば着く?」
「五分。でも何か変なんだよね」
「変?」
マリナは歩きながら振り返った。其の明るい顔に少しだけ影が差している。
「私、此の道何回も通ってるんだけどね。旧桟橋の近くに行くと、いつもより時間がかかることがあるの。同じ道なのに」
「同じ道なのに時間がかかる?」
「うん。五分の道が十分になる時がある。時計を見れば分かるんだけど、歩いてる感覚は五分なんだよね。其の差が何なのか分からなくて。気のせいかなって今まで思ってたけど」
達臣のペンが止まった。俺も足を止めかけた。時間のズレ。又だ。南棟三階の相談者も十分だと思っていた時間が一時間になっていた。同じ現象が此処でも起きている可能性がある。
「九衣」俺は小声で呼んだ。
「聞いてるよ。ネットの噂だとね、異界の境界が薄くなってる場所で時間感覚のズレが起きるらしい。過去に沖縄で起きた異変の時も同じ報告があったよ。ただし断定はできないけど」
(断定できないな。でも同じパターンだ)
「マリナさん、其の時間がずれる時、他に何か感じることはある?」
「うーん、何だろう。音が少し遠くなる感じ? 波の音とか車の音が急に小さくなる瞬間があって、又すぐ戻るんだけど」
音が遠くなる。異界の境界に近づく前兆かもしれない。九衣の言う噂と一致する。だが断定はできない。
「真瀬君、あれ」
優菜が前方を指差した。裏道の突き当たりに錆びた鉄柵が見えた。其の向こうに旧桟橋の骨組みが夕陽に照らされて浮かび上がっている。
「あれが旧桟橋だよ」マリナが言った。「十年前まで連絡船が着いてたんだけどね、今はもう使われてないの。立ち入り禁止になってるけど、柵が壊れてる所があってさ」
「壊れてる?」
「うん。柵の一部が無理やり開けられてるの。若者が夜に集まるからだと思うんだけど、危ないんだよね。床板腐ってるところあるし」
俺は鉄柵を見た。確かに其の一箇所、金網が無理やり引き裂かれたように開いている。其の隙間から先は闇だ。マリナの懐中電灯だけが其の暗闇へ細い道を作っている。
「あの子、此処へ行ったのかな」優菜が呟いた。
「海の方から声が聞こえるって言ってたからね」マリナが懐中電灯を点けた。「もしかしたら、其の声を追って此処へ来たのかもしれない」
俺は鉄柵の隙間を見た。大人一人がやっと通れるほどの幅。其の向こうに、古いコンクリートの床と錆びた鉄骨が続いている。潮風が其処から吹き上げてくる。鉄錆と海塩の匂い。だが其の奥に、もう一つの匂いが混じっている気がした。甘い。腐った果物のような。異界の匂いだ。
(九衣)
「感じてるよネズミ君。此処、何かある。ネットの噂だとね、廃港や旧桟橋のような水辺の廃墟は異界の入り口になりやすいらしい。過去に沖縄で起きた異変の時も海に面した場所から歪みが広がったって報告があるよ。ただし断定はできないけど」
(又断定できないか)
「配信者は確証のないことを断定しないんだよ。でも気をつけて。此処から先はもう普通の場所じゃないかもしれない」
「マリナさん」俺は振り返った。「あの子が行ったのは此処から先だな」
「うん。たぶん」マリナが頷いた。其の手で握られた懐中電灯の光が少し揺れた。「私、何回か此処に来てるんだけどね。変な音がするから気になって。波の音じゃなくて、人が話してるみたいな音が聞こえるの」
「人が話してるみたいな音」
「うん。言葉までは分からないんだけど、誰かが呼んでるみたいな。ずっと気になってたんだよね。だから夜に此処へ来ちゃうのかもしれない。私も何度か来てるし」
マリナは笑った。だが其の手は懐中電灯を強く握りしめていた。明るく振る舞っているが、此の桟橋に何度も来ていた理由は、単なる好奇心だけではないのだろう。
「行くのか」達臣が後ろから訊いた。其の声は平坦だが、ノートを閉じてバッグへしまった手には緊張があった。
「行く」俺は頷いた。「あの子が行った先を確かめないと」
「じゃあ案内するよ」マリナが懐中電灯を桟橋の奥へ向けた。「足元気をつけて。暗いところあるから」
「固まって進もう。離れるなよ」
俺は言った。優菜が頷き達臣が地図と方位磁針を確認する。マリナが先頭に立ち懐中電灯の光で道を作る。
壊れた柵の隙間を潛る。錆びた金網がジャケットを擦って微かな音を立てた。一歩足を踏み入れた瞬間、空気が変わった。
潮の匂いが濃くなり鼓膜が圧迫されるような感覚。「入り口」に近づいている。
九衣の声が鞄の中から響いた。
「ネズミ君。気をつけて。此処から先はもう──」
波の音が、又何かの言葉に変わった気がした。
「こっち」と、確かに聞こえた。