PERSONA × MY-TH UNFATHOMABLE VOYAGE ―沖縄怪異航路― 作:ボルメテウスさん
第14話 一時休戦の終わり
* * *
異界化した倉庫街の空気は、鉄錆と腐った果物の甘さで重かった。
俺、マリナ、大神の三人が倉庫の壁沿いに進む。足元のコンクリートが呼吸するように膨らみと縮みを繰り返している。異界の膜だ。現実の地形は其のまま残っているが、表面が黒い水に覆われ始めている。
「ネズミ君、前方に反応があるよ。生体反応二つ。其一つは弱い。もう一つは──大きい」
九衣の声が通信から響く。俺の耳だけに届く小声。だが其の声には緊張があった。
「二つ。一人は救助対象か」
「たぶん。もう一つは不可思議だね。ネットの噂だとね、異界化した空間で人の心を捕らえる怪異は、捕らえた人間の近くに留まるらしい。獲物を離さないためにね。ただし断定はできないけど」
「断定できなくていい。位置が分かれば十分だ」
前方の倉庫の角を曲がると、其処にいた。
崩れかけたコンテナの陰に、女子生徒が座り込んでいた。制服を泥だらけにし、膝を抱えて震えている。虚ろな目が何も映していない。其の背後に、黒い塊が蠢いていた。
不可思議だ。
前回の翼不可思議とは違う。鳥ではない。蛇だ。黒い泥で形成された長い身体が、倉庫の壁面を這い上がり、天井から垂れ下がっている。其の先端に青い仮面がついている。蛇の頭部に人の顔が埋まっているような不気味な形だ。
「あの子だ」マリナが声を落とした。「倉庫街で声を聞いて消えた子」
「助けるぞ」俺は言った。「俺が不可思議を引きつける。マリナはあの子を。大神さんは退路を」
「分かった」マリナが頷く。
「退路は南側の倉庫の隙間が使える。但其処の床が薄い。体重配分に気をつけろ」大神が冷静に判断を返す。
俺は胸元のマイスドライバーへ手をかけた。人目を気にする必要はない。此処は異界だ。優菜と達臣は安全な場所へ退避させた。残るは俺たち三人と救助対象と敵だけだ。
ライドエグズを装填する。円盤を衝突させる。
『エッグリューション』
『マイス!』
装甲が身体を包む。マウスフレーム。鼠の尾が背後の気配を捉え、視界が鋭くなる。
左右で光が弾ける。マリナがホヌスへ、大神がライカンへ変身する。海色の光と白い光が同時に散り、三つの装甲が並んで浮かび上がった。
「行くぞ!」
俺は地を蹴った。マウスフレームの加速で蛇不可思議との距離を詰める。マイスエッジをスライサーモードへ展開し、天井から垂れ下がる泥の身体へ切り込む。
泥が弾けた。だが切った箇所から又再生する。蛇の身体が蠢き、其の先端の青い仮面が口を開いた。
「──来い」
声だ。蛇の仮面が人の声を出している。低い、粘りつくような声。女子生徒の耳へ直接届く波だ。女子生徒の身体が又引き寄せられる。泥が其の足首へ這い上がろうとする。
「させない!」
ホヌスが水流を纏って滑り込んだ。女子生徒の前に立ち、其の足首へ伸びる泥を蹴り払う。水流を纏ったローキックが泥を弾き飛ばし、女子生徒を其の背後へ庇う。
「大丈夫だよ。あたし達が来たから」
ホヌスの声が装甲越しに響く。明るい声だ。だが其の手は女子生徒の肩をしっかりと握りしめている。
ライカンが退路へ回った。フェンリスのブースターを低出力で吹かし、南側の倉庫の隙間へ氷の道を作る。女子生徒を逃がすための通路だ。
「道は出来た。其の子を渡せ」
ライカンがホヌスへ声をかける。ホヌスは頷き、女子生徒を抱き上げて氷の道へ向け歩き出した。
其の時だった。
空気が変わった。
不可思議の気配ではない。別の何かが、此の異界へ入ってきた。俺の鼠の尾が背後の気配を捉えた。速い。複数。上から。
「ネズミ君上!」
九衣の叫びが届くと同時に俺は地面へ伏せた。頭上を何かが通り過ぎる。風圧。橙色の軌跡。短剣だ。
ダットだ。
振り返ると、倉庫の屋根の上に三つの人影が立っていた。
右側。長い耳を持つ青緑色の装甲。仮面ライダーダット。マゼンタ色の複眼が俺を見下ろしている。
中央。。仮面ライダージャオ。メインカラーはワインレッド。コブラを模した頭部をしているとともに、他のライダーより尻尾。
其の複眼が赤く燃えている。
左側。黒い装甲。猫を思わせる意匠。長い尾。仮面ライダーリド。
三人のライダーが、倉庫の屋根から俺たちを見下ろしていた。
「又会ったね鼠」
ダットの声が上から降ってきた。装甲越しでくぐもっているが、其の響きには前回とは違う冷たさがあった。
「援けに来てくれたのか」俺は反射的に言った。前回、倉庫街で翼不可思議と戦った時、ダットは一時的に共闘した。あの時は敵ではないと思った。
だがダットの答えは、其の期待を裏切った。
「前回は一時休戦だっただけ」
ダットが短剣を構えた。其の刃が月明かりを反射して鋭く光る。
「今は違う。今は──あんたたちが標的」
其の言葉が意味を飲み込む前に、ダットが跳んだ。屋根から真っ直ぐに。橙色の軌跡が夜を裂く。マウスフレームの俺より速い。其の加速が、俺の進路を塞ぐ位置へ着地した。
退路を押さえられた。
「真瀬君!」ホヌスが叫ぶ。女子生徒を抱えたまま振り返る。だが其の後ろにも、影が降りた。
ジャオだ。橙色と黒の装甲が重い音を立てて着地した。大型の両脚がコンテナの上を砕き、其の重量で地面を震わせる。
「裏切り者の力。そして其れに力を貸す者たちの力」
ジャオの声は短く断定的だった。其の赤い複眼が俺、ホヌス、ライカンの三人を一巡する。
「其れを奪う。其れが命じられたことだ」
「裏切り者って、誰のことだ」
俺は問い返した。裏切り者。誰の。何から裏切ったのか。俺は十二支同盟にもマイス陣営にも属していない。裏切る相手すらないはずだ。
だがジャオは答えなかった。代わりに一歩踏み出した。其の一歩でコンクリートが割れる。重い。単純に重い。此のライダーの力は、ダットの速度とは違う。圧倒的な質量だ。
ホヌスが女子生徒を下ろし、其の前へ立った。海色の装甲が夜の中で青く光る。
「あたしは知らないわ。裏切り者とか何とか。でもあの子を逃がす。其れだけは譲らない」
ライカンが氷の道の端に立った。フェンリスのブースターが低く唸っている。退路を守る構えだ。但其の灰青色の複眼は、屋根の上に残る最後の一人を見上げていた。
リドだ。
黒い装甲の猫のライダー。屋上で見た人影。倉庫街で女子生徒を受け止めた謎のライダー。正体も目的も分からない。だが一つだけ確かなのは、あいつが人を助けたということだ。
リドが動いた。
屋根から飛び降りる。だが俺やダットの方ではない。女子生徒の方だ。
ホヌスが一瞬身構えた。だがリドの動きは攻撃ではなかった。女子生徒の側へ着地し、其の手を取って立ち上がらせる。そして氷の道の端へ誘導する。
「走れ。其の先で右へ曲がれ」
リドの声は低かった。装甲越しでくぐもっているが、其の手つきは慎重だった。女子生徒を傷つけないように、逃がそうとしている。
「リド、あんた──」ダットが其れを見て声を上げた。「任務の途中だよ」
「人を放って任務を遂行しろと言うのか」
リドは振り返らずに答えた。其の長い尾が微かに揺れる。女子生徒が氷の道を歩き始める。其の背中が闇へ溶けていく。
リドは女子生徒の避難を確認してから、ゆっくりと戦列へ戻った。其の立ち位置は、ダットとジャオの間ではない。俺たちの方だ。
だが完全に味方でもない。リドは其の場に立った。ダットとも俺たちとも距離を置いた中間点。其の赤い複眼が両方を見ていた。
「リド」ジャオが低く言った。「邪魔をするな」
「邪魔はしない。だが人を守る」
「其れと任務は両立しない」
「両立させる」
短い応酬だった。だが其の一秒の間に、ジャオの構えが変わった。リドへの牽制から、俺たちへの攻撃へ。其の判断は速い。リドの行動を制御できないと判断した瞬間に、標的を俺たちへ絞り直したのだ。
俺は状況を把握した。
ダットが俺の正面。ジャオがホヌスの正面。リドは中間にいるが、ジャオとダットの連携を止めるつもりはない。人を守るが、俺たちに味方するわけでもない。
そして不可思議は、未だに天井から蠢いている。蛇の身体が再生し、青い仮面が笑っている。
前にも後ろにも敵がいる。
「マリナ」俺は低い声で言った。「あの子は逃がした。今はこっちだ」
「分かってる」ホヌスが水流を構えた。
「大神さん」
「聞こえている」ライカンがフェンリスのブースターを展開した。氷の粒が足元で踊る。
俺はマイスエッジを構え直した。スライサーモードからシューターモードへ。関節と装置を狙う遠距離形態。正面のダットは速い。近づく前に距離を詰められる。なら、先に動きを制限する。
「結人」ダットが俺の名前を呼んだ。「裏切り者って呼ばれてること、疑問に思ってるでしょ」
「ああ。誰の何を裏切ったのか教えてくれよ」
「それはあんた自身で答えることだ」
ダットは短剣を振り抜いた。橙色の軌跡が空気を裂く。俺は横へ跳んだ。マウスフレームの機動力で軌道を外す。だがダットは既に次の位置にいた。着地と次の跳躍の間に静止がない。速い。
「前回は不可思議を倒す目的が一致した。だから一時的に手を組んだだけ」
ダットの声が加速の風に混じる。
「今は目的が違う。あんたたちの力を回収する。それが華武利の方針」
華武利。又其の名前だ。十二支同盟の猫。リーダー。俺が裏切り者と呼ばれる理由に関わる人物なのだろう。だが今は其れを問うている暇がない。
ジャオが動いた。
ホヌスの正面へ。踏み込みと同時にコンクリートが割れる。重い。一撃の重さが空気を震わせる。ホヌスは其れを正面から受け止めず、水流で受け流した。波が寄せては返すような体重移動で、ジャオの質量を横へ逸らす。
「軽い」ジャオが短く言った。「受け流しても次は来る」
「来いよ」ホヌスが答える。其の声には恐怖がない。怒りがある。「あたしを誰だと思ってんの」
ライカンはリドと対峙していた。氷の粒子と黒い装甲の間で、二つの影が睨み合っている。
「リド。お前も十二支同盟だろ」ライカンが低く言った。
「──ああ」
「なら何で人を助けた」
「人を助けることと同盟に属することは別だ」
「綺麗事だ」
「かもしれない。だが私は自分で選ぶ」
リドの長い尾が微かに揺れた。ライカンのフェンリスが低く唸る。冷気と緊張が混じり合った空気が、二人の間で張り詰める。
俺はダットの追撃をかわしながら、状況を見た。
三対三。マイス対ダット。ホヌス対ジャオ。ライカン対リド。背後には未だ蠢く蛇不可思議。前には同盟の三人。
逃げ場がない。
だが逃げない。
「来い」俺はダットへ向けマイスエッジの銃口を構えた。「裏切り者かどうかは、戦ってから考える」
ダットのマゼンタ色の複眼が一瞬だけ細くなった。笑ったのか。それとも呆れたのか。
「いい度胸」
次の瞬間、ダットが跳んだ。
俺は引き金を引いた。マイスエッジのエネルギー弾がダットの軌道を横切る。だがダットは空中で方向を変えた。兎の脚が壁面を蹴り、予測不能な角度から迫る。
横へ転がる。ダットの短剣が俺の今いた場所を叩く。コンクリートが砕け、破片が飛ぶ。
「速いな」
「速さは正義だからね」ダットが端的に返す。「遅いあんたは不正義」
「正義とかじゃないだろ俺は」
ホヌスとジャオの戦いも始まっていた。ジャオの重い一撃をホヌスが水流で受け流し、其の遠心力を膝蹴りへ変える。ムエタイの動きだ。波と踊るような連続攻撃。だがジャオは其れを腕で弾き、踏み込みを止めない。質量が違う。ホヌスの水流では完全に止められない。
「硬いねあんた!」ホヌスが叫ぶ。
「硬い方がいい。壊れるまで叩き続けられる」ジャオが短く返す。
ライカンとリドはまだ動いていなかった。氷の粒子と黒い装甲が対峙している。だが其の静けさは、爆発の前の沈黙だった。
リドが動いた。
速い。ダットとは違う速さだ。低い姿勢から地面を這うように加速し、ライカンの懐へ潛り込む。猫の動きだ。ライカンがフェンリスのブースターを吹かして後退する。氷の壁を作り、リドの進路を塞ぐ。だがリドは其の壁を跳び越えた。長い尾が空中でバランスを取り、着地と同時に方向転換する。
「守るだけか」リドが低く言った。
「守りながら倒す」ライカンが答える。「お前の進路を全て塞ぐ。それが私の戦い方だ」
三つの戦いが同時に始まった。
俺はダットの加速を追いかけながら、背後の蛇不可思議の気配を鼠の尾で感知していた。敵が二方面。前と後ろ。だが今は目の前のダットに集中するしかない。
「九衣、状況は」
「三対三。背後に不可思議。最悪の状況だねネズミ君。ネットの噂だとね、複数の敵に挟まれた時に一番大切なのはパニックにならないことだって。配信者としても視聴者としても同意するよ」
(今は冗談言ってる場合じゃないだろ)
「冗談じゃないよ。真面目なアドバイスだよ。ただし断定はできないけど」
ダットの短剣が又迫る。俺はマイスエッジで其れを受け止めた。金属同士が噛み合う音が夜の倉庫街に響く。
衝撃が腕へ走る。重い。前回共闘した時は感じなかった重さだ。ダットが本気になっている。
「真瀬結人」ダットが鍔迫り合いの中で言った。「あんたの力、回収させてもらうよ」
「力を回収って何だよ」
「ライドエグズを渡せ。そうすれば怪我せずに済む」
「断る」
「だろうね」
ダットは跳んだ。鍔迫り合いを解き、後ろへ退る。そして又跳ぶ。上へ。高い。屋根の骨組みを蹴り、上から急降下してくる。
前回と同じ軌道だ。だが今回は知っている。上からの急降下斬り。
俺は前に出た。ダットの着地点を予測し、其処へ先に滑り込む。マウスフレームの機動力でダットの着地位置を奪う。ダットは空中で軌道を修正した。だが修正には一瞬の隙ができる。
其の一瞬を狙って、マイスエッジをシューターモードで撃った。
命中。ダットの肩装甲へエネルギー弾が当たる。火花が散る。ダットが空中で体勢を崩した。
「──っ」
倒れない。空中で身体をひねり、壁面を蹣て着地する。だが一撃は入った。ダットの動きが一瞬だけ鈍る。
「やるじゃん」
「褒めてる場合か」
其の時、背後から気配が変わった。蛇不可思議が動いた。天井から垂れ下がっていた泥の身体が、一気に降りてきた。
標的は、戦いに気を取られた俺たちだ。
「ネズミ君後ろ!」
九衣の叫びと同時に、俺は振り返った。蛇の仮面が間近にあった。青い仮面が笑っている。泥の口が開き、其の中から又声が漏れる。
「──裏切レ──」
蛇不可思議の声だ。だが其れは俺に向けられたものではない。其の視線が、ダットとジャオの方へ向いていた。
(敵も同盟側を狙ってるのか)
三つ巴だ。マイス陣営と同盟側と不可思議。三つの勢力が同じ倉庫街でぶつかり合っている。
蛇不可思議の泥の触手が、ジャオの方へ伸びた。ジャオは其れを腕で弾く。泥が飛び散る。
「邪魔だ」ジャオが短く言った。「不可思議も纏めて潰す」
「二正面作戦かよ」俺は呟いた。「正気か」
「正気だ。お前たちより不可思議の方が先かもな」ジャオは俺を見ずに言った。「だが順番は変わらない。お前たちの力も回収する」
ダットも又、蛇不可思議の触手を短剣で切り払いながら、俺の方へ向き直った。
「ごめんね鼠。不可思議は後回し。あんたを先に抑える」
「何でだよ」
「あんたの力が一番厄介だから」
其の言葉の意味を考える前に、ダットが又跳んだ。
俺は前に出た。マイスエッジを構える。
三対三の戦いと、背後の不可思議。全てが同時に動き出した。
倉庫街に金属音と泥が弾ける音と波の音が重なる。夜の空気が震えている。
俺はダットの刃を受け止めた。
「裏切り者かどうかは後だ。今は──守る」
「守るって、何を」
「此処にいる全員を。あんたもだ」
ダットのマゼンタ色の複眼が一瞬だけ揺れた。だが其れはすぐに消えた。
「馬鹿だねあんた」
「だろうな」
鍔迫り合いの音が、夜の倉庫街に響いた。