PERSONA × MY-TH UNFATHOMABLE VOYAGE ―沖縄怪異航路― 作:ボルメテウスさん
「・・・ふむ、これが現代の本というのか」
その日、十二支同盟の1人であるヴァンケンは現代の本の一冊を見ながら、呟いた。
彼は、興味深そうに見つめていた。
100年ぶりの復活と共に、その文学の進化に目を見張っていた。
過去の文学とはまた違う、その数々のジャンルには驚きを隠せずにいた。
ヴァンケンは、その日は図書館ではなくとある本屋に訪れていた。
図書館にはない本を探る為に来ていたがそのどもがヴァンケンにとっては知らない本ばかり。
「・・・むっ」
ふとヴァンケンが見つめた先にあるポスター。
そこに書かれていたのは。
「さいんかい?」
その言葉を口にした時、ヴァンケンの眉が微かに動いた。
サイン会。聞き慣れない単語だった。だが、ポスターの中央に印刷された書名には見覚えがあった。先日、この店で手に取り読み終えたばかりの文庫本。其の著者名が其の下に記されている。鳳崎姫華。其の名前を、ヴァンケンは本の表紙でしか見たことがなかった。
「すまない」
ヴァンケンは近くにいた書店員へ声をかけた。其の声は低く落ち着いているが、其の中に微かな戸惑いが混じっていた。
「此の催しは何だ。著者本人が此処へ来るのか」
書店員は若い女性だった。エプロンの名札に「研修中」と書かれている。其の書店員はにこやかに頷いた。
「はい。鳳崎先生の新刊発売を記念したサイン会です。ご購入いただいた本に先生が直接署名をして、少しお話しできる催しなんですよ」
「署名を。此処で」
「そうです。整理券をお配りしていますので、ご希望でしたらお渡しします」
ヴァンケンは其の説明を聞きながら、胸の内で其の言葉を反芻した。著者本人が此処へ来る。読者の目の前に現れ、直接筆を執る。百年前の書物は、其の殆どが既に完成されたものとして届いた。著者と読者の間に、此のような直接の交わりがあるとは知らなかった。
「整理券を貰おう」
ヴァンケンは短く言った。書店員がカウンターの下から小さな紙片を取り出す。其の紙には番号と時間が記されている。
「十四時からの回になります。開始十分前までに、此の会場へお越しください」
「分かった」
ヴァンケンは其の紙片を受け取り、文庫本を手に取った。先日読んだ其の本だ。頁の端には、ヴァンケンが引いた幾つかの折り目が残っている。其れを確かめながら、彼は心の中で其の一節を思い出していた。
(――人は選ぶ。其の選択が、其の者の全てを形作る)
其の一節が、特に心に残っていた。物語の中で、主人公が其の言葉を口にする場面。ヴァンケンは其処に、自分の生き方と重なる何かを見た気がしていた。
* * *
サイン会の会場は、書店の二階にある小さなホールだった。
普段は読書会や朗読会に使われる場所らしい。十脚ほどの椅子が並べられ、其の前に長机が一脚。其の上に色紙と筆記用具が置かれている。壁際には新刊が積み上げられ、其の横に鳳崎姫華の名前と作品の紹介パネルが立っていた。
ヴァンケンは整理券の番号を確認し、列の最後尾へついた。先に並んでいたのは十人ほど。其の殆どが若い女性で、中には学生らしき姿もあった。皆、手に本を持っている。中には複数冊抱えている者もいる。
(皆、此の作家の言葉を待っているのだな)
ヴァンケンは其の光景を眺めながら、自分の手元の文庫本を開いた。読み終えた本だ。其の頁を繰り、先ほど思い出した一節を探す。其の頁の角は、既に折られている。
(此の場面だ)
主人公が選択を迫られる場面。其の直前、彼は静かに其の言葉を口にする。『人は選ぶ。其の選択が、其の者の全てを形作る』。ヴァンケンは其の一文を指でなぞった。何度読んでも、其の言葉の重さは変わらない。
「あの」
前の列に並んでいた学生がヴァンケンへ声をかけた。振り返ると、其の学生は少し緊張した顔で訊ねてきた。
「それ、鳳崎先生の新刊ですよね。面白いですか」
「面白い。特に後半の選択の場面が良い」
ヴァンケンは短く答えた。学生は少し驚いた顔をした。ヴァンケンの年齢が学生より上に見えたのだろう。其の落ち着いた物言いが、予想外だったらしい。
「選択の場面…あの、主人公が決断する所ですか」
「そうだ。其の前の一節が特に良い」
学生は目を輝かせた。自分の好きな場面を褒められたのが嬉しかったらしい。其の顔を見て、ヴァンケンは微かに口元を緩めた。百年前の書物は、既に読者が決まっていた。だが此の現代の本は、今此処に並んでいる者たちが其の場で読者になっている。其の生々しさが、ヴァンケンには新鮮だった。
列が少しずつ進む。前の学生が本を受け取り、其の場を離れる。其の顔には満足そうな笑みが浮かんでいる。ヴァンケンは其の表情を見て、自分も其の場へ向かうのだと実感した。
(此れがサイン会というものか)
順番が回ってきた。
長机の向こうに、其の人は座っていた。
鳳崎姫華。写真で見たよりも小柄な印象だ。だが、其の目は静かで真っ直ぐに此方を見ている。髪は短く切り揃えられ、動きやすい服装をしている。其の姿は、作家というより此処に来た読者たちと同じ空気を纏っているように見えた。
「こんにちは」
姫華が先に声をかけた。其の声は柔らかく、しかし芯のある響きだった。ヴァンケンは其の声を聞いて、一瞬だけ言葉を失った。本の表紙に印刷された名前と、目の前の人物が結びつく。其の結びつきが、予想以上に鮮やかだった。
「あ、ああ。こんにちは」
ヴァンケンは短く返した。其の返事は、普段の彼らしくなかった。書店員の説明でサイン会の仕組みは理解していた。だが、実際に作者と向き合うと其の理解とは別の感情が湧いてくる。本を書いた人間が、此処にいる。其の事実がゆっくりと胸に落ちていく。
姫華は其の返事を急かさなかった。ただ、静かに本を受け取る。其の手つきは丁寧で、本の端を持ち頁を傷めないように扱っている。
「お名前は」
姫華が訊ねた。ヴァンケンは其の問いに、少し間を置いてから答えた。
「ヴァンケンだ」
「ヴァンケンさん。此の本を読んでくれたんですね」
姫華は本の表紙を見て、其の頁の端に折り目があるのに気づいた。其の折り目を指で撫でる。
「読み込んでくれてる」
「ああ。特に後半が良かった」
ヴァンケンは短く言った。其の声には、珍しく熱が籠もっていた。姫華は其の声の質を聞き逃さなかった。其の目が少しだけ細くなる。読者としての真剣さを、其の一言で見抜いたのだろう。
「どの場面ですか」
姫華は訊ねた。其の問いは形式的なものではなかった。ヴァンケンは其の問いに、自分の感じたことを正確に伝えようと思った。
「主人公が選択を迫られる場面だ。其の直前に、彼は『人は選ぶ。其の選択が、其の者の全てを形作る』と言う。其の言葉が、心に残った」
姫華は其の言葉を聞いて、少しだけ目を丸くした。其の反応は、他の読者とは違うものだった。多くの読者は、物語の展開や結末を話題にする。だがヴァンケンは、其の直前の一見すると地味な一文を選んだ。其の選択が、姫華には予想外だったらしい。
「そこを覚えていてくれたんだ」
姫華の声が、少しだけ弾んだ。其の弾みは作家としての喜びだった。読者が自分の書いた一文を、其のまま受け止めてくれている。其れが、此の場に来た意味だと彼女は感じているようだった。
「此の言葉が、物語の全てを支えていると思った」
ヴァンケンは続けた。其の声は、だんだんと落ち着きを取り戻していた。文学の話をする時、彼は自分の言葉を見つけられる。其れが彼の性質だった。
「選択。其れは、誰にでも訪れる。だが其の選択が全てを形作るというのは、重い言葉だ。其れを此の物語の中心に置いたのが、良い」
姫華は其の説明を聞きながら、静かに頷いた。其の頷きには作家としての同意があった。自分の意図を正確に読み取った読者へ向ける、静かな敬意だ。
「ヴァンケンさん。此方へ」
姫華は文庫本の見返しを開き、ペンを取った。其のペン先が紙に触れる。流れるような筆致で、其の名前が記されていく。鳳崎姫華。其の下に、短い言葉が添えられる。
『選択は、其の者を裏切らない』
其の一文を書き終えて、姫華は顔を上げた。
「よろしければ、ヴァンケンさんのお名前も。此方へ」
「私の名前を」
「ええ。其の方が、此の本があなたのものである証になるでしょう」
ヴァンケンは一瞬戸惑った。署名だけだと思っていた。其の場に自分の名前が刻まれる。其れは、此の本が此の出会いを経たものであるという証になる。其の重さを、ヴァンケンは噛み締めた。
「頼む」
短く答えると、姫華は其の名前を書き添えた。『ヴァンケン』。其の名の横に、小さな花の印が描かれる。鳳崎姫華の署名の横に、自分の名前が並んでいる。其れを見て、ヴァンケンは何か温かいものが胸に広がるのを感じた。
「ありがとう」
ヴァンケンは礼を言った。其の声は、先ほどよりも柔らかかった。姫華は微笑み、本を返した。
「此れからも、読んでくださいね」
「ああ。次も読む」
ヴァンケンは本を受け取り、列を離れた。邪魔にならない場所へ移動し、開いた頁を確かめる。其処には、姫華の署名と自分の名前。そして、短い言葉が記されている。其の文字を指でなぞりながら、彼はゆっくりと頁を閉じた。傷めないように、静かに。
(此れが、さいんというものか)
本を閉じ、胸に抱く。其の重さは以前と同じはずなのに、何処か違って感じられた。其の違いは、此の本が自分と作者を繋ぐものになったからだろう。
ヴァンケンは会場を後にする。階段を降り、一階の売り場へ戻る。其処には、まだ多くの客がいた。本を選ぶ者、立ち読みする者レジへ向かう者。其の全てが、此の店の日常だ。
(此の景色を守る為にも、戦わないといけないな)
ヴァンケンはそう呟いた。其の声は、誰にも聞こえない。だが其の言葉は、彼自身の胸に確かに残った。此の書店の穏やかな光景。其れを守る為に、自分は戦う。其の選択が此の本に記された言葉と重なる。『選択は、其の者を裏切らない』。姫華が書いた其の一文が、今の自分の在り方と静かに響き合っていた。
「・・・これがさいんというものか」
そうしながら手元にある文庫本を見つめながらも言う。
作者と直接会うというのはヴァンケンにとっては新鮮な体験だった。
何よりも。
「この景色を守る為にも、戦わないといけないな」