PERSONA × MY-TH UNFATHOMABLE VOYAGE ―沖縄怪異航路― 作:ボルメテウスさん
ムトンが動いた。
速い。地面を蹴った瞬間、俺の鼠の尾が警鐘を鳴らすより早く、白い装甲が目の前にあった。
「──!」
シープハンマーが振り上げられていた。左の手に担がれていた其の槌が、頭上へ弧を描き、其のまま真っ直ぐに振り下ろされる。
重い。
風圧だけで頬が叩かれた。俺は身体を横へ滑らせた。マウスフレームの機動力が間に合わせる。だが其の一撃は、俺の今いた場所のコンクリートを粉砕した。破片が飛散し、泥の地面が割れて黒い水が滲み出す。
(一撃で此れか。タートルフレームの盾で受けたら持たない)
「避けた。だが次はどうかの」
ムトンの声は落ち着いていた。だが其の落ち着きは眠気ではない。眠たげな動作の裏に、確かな戦意がある。彼女はシープハンマーを軽く振り回し、其の重さを手首で遊ばせている。
「待て。今は其れどころじゃない。あの二人を──」
「あんたの事情は聞いた。だが妾の事情も聞いてもらう」
ムトンが又踏み込んだ。今度は横薙ぎだ。シープハンマーの打撃面が、地面を這うような低い軌道で迫る。俺は跳んだ。だが其の跳びも、ムトンは予測していたかのように其の場で止まり、其の跳んだ俺を見上げた。
「跳ぶ。鼠みたいじゃの」
「鼠みたいじゃなくて実際鼠なんだよ!」俺は着地と同時にマイスエッジを抜いた。スライサーモードへ展開し、牽制の斬撃を放つ。
刃がムトンの前腕へ当たった。蹄のナックルガードに当たる音が、カッと乾いて響いた。
だが──
効いていない。
マイスエッジの刃が、白い装甲の表面を滑っただけだった。傷一つついていない。いや正確には、狙いが逸れたのではない。当たった。だが其の装甲が、硬いというより、衝撃を羊毛のように受け流している。柔らかくて、弾かない。だが力は通さない。
「あれ?」
俺は思わず声を出した。マイスエッジは、ダットのラビットソードでもジャオのスネークサイズでもなかった。だが普通の装甲なら、スライサーモードの刃でも傷くらいつくはずだ。
「妾の装甲は柔いからの。硬いだけの鎌とは違う」
ムトンは静かに言った。其の声には自慢の色はない。ただ事実を述べている。
「柔い…」
其の言葉を俺は咀嚼した。柔い。だが力は通さない。其れは、タートルフレームの堅固な防御とは別の系統の防御だ。タートルフレームは正面から受け止める。ムトンの装甲は受け流す。波に打たれる浮き輪のように、力を其の表面で逃がしている。
「九衣、あの装甲。何か分かるか」
「ネットの噂だとね、十二支同盟の各員がそれぞれの動物の性質を装甲に反映させてるって報告がある。羊の毛は柔らかいけど、其の柔らかさが衝撃を吸収する。羊のライダーの装甲は硬くて脆いんじゃなくて、柔らかくて頑丈なんだと思う。ただし断定はできないけど」
「断定できなくていい。だが効かないならどうするかが問題だ」
ムトンが又構えた。シープハンマーを右の手に持ち替える。其の動作には迷いがない。左手から右手へ、槌の重さを一瞬で移す。其の切り替えに、隙がない。
(此のまま牽制してても意味がない。マイスエグジが効かないなら近づいても遠くでも同じだ。だが──)
俺は周囲を見た。優菜と達臣が夫婦を連れて倉庫の陰へ移動しようとしている。まだ間に合っていない。其の間、俺がムトンを止めなきゃならない。だがどうやって。
スライサーモードでは効かない。シューターモードはどうだ。遠距離から撃てば、其の柔い装甲を貫けるか。いや、恐らく同じだ。柔い装甲は、物理的な衝撃もエネルギー弾も、其の表面で吸収するだろう。
(鎌は硬い。俺の装甲は硬い。だがあいつは柔い。硬い武器で硬い敵を叩くのとは逆だ。柔い敵にはどう当たる)
答えが出ない。だが出さなきゃならない。ムトンが又動く前に。
「考える時間があるかの?」
ムトンが訊いた。其の声は静かだった。だが其の足は動いていた。ゆっくりと、確実に、俺との距離を詰めていく。
「妾は急いでおらぬ。但し、あの二人が逃げる前に、あんたの力を確かめたい」
其の言葉で、俺は理解した。ムトンは避難を止めるつもりだ。此処で俺を確かめるまで、あの二人を行かせない。
(避難を優先するなら、此の奴を何とかしなきゃならない。だが倒す方法が分からない)
俺はマイスエッジを構え直した。スライサーモードのまま。効かないと分かっていても、構えを解くわけにはいかない。
ムトンの蹄が、泥の地面を一つ叩いた。コツ、と小さな音が響く。其の音が、異界の空気の中で何かの合図のように響いた。
次の瞬間、ムトンが跳んだ。
重い。其の跳躍は、ダットの速さとは違う。質量其のものが空中へ持ち上がるような、重い加速。シープハンマーが頭上で弧を描き、其のまま振り下ろされる。
俺は横へ転がった。間に合った。だが其の風圧で、俺の身体が泥の上を滑る。体勢が崩れる。
(速いじゃない。重いんだ。一撃一撃が、一撃で終わらせる気で来てる)
ムトンは着地と同時に次の動作に入っていた。シープハンマーを引かず、其のまま槌の重さで横へ薙ぐ。俺は倒れたまま膝を折って跳んだ。背中を泥が掠める。だが当たってはない。
「鼠みたいに逃げる」ムトンが呟いた。其の声には、感心と苛立ちが半ばずつ混じっていた。
「鼠だって言ってんだろ!」
俺は叫びながらマイスエッジをシューターモードへ切り替えた。遠距離から撃つ。効かないかもしれない。だが、動きを止めるくらいは──
引き金を引いた。エネルギー弾がムトンの胸装甲へ直撃した。
火花が散る。だがムトンは動かない。其の白い装甲が、エネルギー弾の衝撃を表面で受け流す。弾痕すらない。
(やっぱり効かない)
ムトンが又一歩踏み出した。其の一歩で、俺との距離が二メートル縮まる。
「あんたの力、見せてもらった。だが、まだ足りない」
「何が足りないんだよ」
「分からぬかの?」
ムトンは首を傾げた。其の動作は、眠たげで、何の悪意もないように見えた。だが其の次の言葉は、静かに俺の胸を刺した。
「あんたの力は、妾の装甲を割れぬ。其れは、妾の力が悪魔の力だから。あんたの力が、悪魔の力と同じではないなら、其の通りじゃ」
其の言葉が、何かの鍵を回したように胸の奥で響いた。ムトンは、俺の力と彼女の力が同じかどうかを確かめに来た。そして今、其の答えが出た。
(同じじゃない。俺の力は、彼女の力とは違う)
「ネズミ君」九衣の声が響いた。「あの子、言ってる。君の力は、悪魔の力じゃないって。ネットの噂だとね、十二支同盟の各員が持つ力は、悪魔との契約を通じて得たもの。ライドエグズは其の契約の器。だが君の力は、其の経路を通ってない。君のライドエグズは、自分自身の心から生まれた。契約ではなく意志。悪魔の力とは、根本から異なる。…かもしれない」
「かもしれない、か」
「断定はできないけど。でも、あの子の反応を見るに、君の力は彼女の力と衝突してる。同じ種類の力なら、共鳴するはず。でも共鳴しない。其れは、其の二つが異なる系統の力だという証拠かもしれない。ただし断定はできないけど」
「断定しなくていい。だが──」
俺はムトンを見た。彼女は静かに待っていた。次の動作を準備しながら、だが急かさずに、俺の答えを待っている。
(どうする。俺の力が彼女の力と違うなら、彼女の装甲をどうやって抜く)
俺はマイスエッジを見た。スライサーモードからシューターモードへ、又戻す。其の二つは、どちらも同じ力の使い方だ。硬い刃と、遠い弾。どちらも、柔い装甲には通じない。
(其れ以外の使い方はあるか。此の武器に、別の使い方が)
其の時、俺の視線が、ムトンの蹄のガードの上を滑った。其のガードは、蹄を模している。蹄は、打つためのものだ。打つ。叩く。其れは──
(打撃だ。斬るのでも撃つのでもない。打つ)
マイスエッジの刃を、俺は見つめた。スライサーモードは斬る。シューターモードは撃つ。だが、其の他に何かあるか。俺がまだ使っていない使い方が。
ムトンが動いた。又重い跳躍。シープハンマーが上から降ってくる。俺は其れを避けた。だが今回は、避けたまま踵を落とさない。其の速度を殺さずに、横へ流れる。避けた方向に、まだ動きが残っている。其の動きを、俺は止めなかった。
(避けるだけじゃない。避けて、其の動きを次へ繋ぐ)
マイスエッジを、俺は握り直した。スライサーモードの刃を、逆手に持ち替える。刃の腹ではなく、刃の峰を、俺の掌で受け止める。
(斬るんじゃない。打つ。刃の重さを、打撃として使う)
ムトンが又来る。今度は、俺から距離を取らずに、歩みを止めずに、彼女の間合いへ踏み込んだ。
「──!?」
ムトンの目が少し大きくなった。俺から距離を取るのではなく、自分から間合いへ入って来たことに、彼女は一瞬だけ反応した。
俺はマイスエッジの峰を、ムトンのシープハンマーの柄へ叩きつけた。
打撃。刃ではなく、武器の重さ其のものをぶつける。硬い刃が柔い柄を叩く。其の衝撃は、装甲ではなく武器へ伝わる。
カッ!
音が響いた。シープハンマーの柄が、ムトンの掌の中で弾いた。彼女の手が一瞬だけ緩む。
「──!」
其の手の緩みに、俺は乗った。マイスエッジを峰打ちの姿勢から、スライサーモードへ戻す。だが今度は、装甲を狙わない。ムトンの手首を狙う。柄を握り直す暇を与えない。
「小賢しい」
ムトンが手首を引いた。俺の刃が空を切る。だが其の一瞬、彼女の構えが崩れた。シープハンマーが、其の掌の中で揺れている。
(今だ。今なら、彼女の構えを崩せる)
だが其の一瞬は、本当に一瞬だった。ムトンは直ぐに体勢を立て直した。シープハンマーを、其の掌で安定的に握り直す。だが、其の瞳が、俺を正確に捉えた。
「ほう。装甲を狙わず、手を狙った。面白い」
「効くか効かないかじゃない。当てる所を変えただけだ」
「当てる所、か。其れは、力の使い方を変えたということじゃ」
ムトンは一歩退いた。其の一步は、攻撃の為の距离ではなく、観察の為の距離だった。彼女は俺を、少し離れた位置から見ている。
「あんたの力、悪魔の力とは違う。其れは確かめた。だが──」
ムトンはシープハンマーを肩に担いだ。其の動作に、先ほどまでの戦意が消えている。
「其れが何なのかは、まだ分からぬ。ケン様も、同じことを言っておった」
「ケン様?」
「ヴァンケンだ。妾の憧れであるぞ」
俺は其の名前を聞いて、数日前の倉庫街を思い出した。白いシャツに濃灰色のベスト。灰青色の目。静かに、だが確かに人を守るために動いた人。
「あの人が、十二支同盟のか」
「そうじゃ。あの方が、あんたの力を気になさっておった。人の心から生まれる仮面の力。悪魔とは違う其の力。ケン様は、其れが何なのかを調べておる」
ムトンは、シープハンマーを下ろした。其の重い音が、泥の地面の上に響く。
「妾は、あの方が気になさったことには、必ず付き合う。あの方の為なら、何度でも来る」
其の声には、戦意が消え、代わりに別の熱が残っていた。忠誠。其れも、単なる任務の忠誠ではない。もっと個人的な、深い所から来る熱。
「じゃあ、今は引くか」
「引く。但し、次はもっと真剣に来る。あんたの力が何なのか、いつかは完全に確かめる」
「其の時は、ちゃんと相手をする」
「頼んだ」
ムトンは、其の場で変身を解いた。白い装甲が光となって解け、大正時代の令嬢のような装いの女子が現れた。其の姿は、変身前の方が、異界の青白い光の中で異彩を放っていた。
「あんた達、逃げるなら今のうちじゃ」
「ああ。其れは分かってる」
俺は振り返った。優菜と達臣が、夫婦を連れて倉庫の陰へ移動していた。だがまだ、完全には避難していない。
「あの方は、妾のことなど気になさらないで、あの二人を頼む。あんたの力は、人の心から生まれた。なら、人の為に使うのが正しい」
ムトンは、其れだけ言って、倉庫の屋根へ戻った。其の跳躍は、変身していない身でも、普通の人間より遥かに軽かった。其の姿が、夜の空気へ溶けていく。
俺は、其の消えた方向を一瞬だけ見て、それから踵を返した。
「真瀬君、あの子は」
優菜が不安そうな顔で見ていた。
「十二支同盟だ。だが今は引いた。今のうちに、あの二人を安全な場所へ」
「ああ。分かってる」
俺は走った。優菜と達臣が夫婦を連れて、倉庫街の出口へ向かう。俺は其の背中を守りながら、一つだけ考えていた。
(俺の力は、悪魔の力じゃない。人の心から生まれた力。其れは、何なのだ)
答えは出ない。だが、其れを探す為の鍵が、今一つ近づいた気がした。
(次は、もっとちゃんと答えを見つけなきゃならない)
倉庫街の出口が見えた。異界の空気が薄れ、現実の空気が戻り始めている。俺は其の空気を吸い込みながら、走り続けた。
* * *
倉庫街を出て、港の公園まで全員を連れて戻った。夫婦は、其の場で正気を取り戻した。記憶は曖昧だった。だが怪我はなかった。
「大丈夫ですか」
「はい…何だか、夢を見ていたような。ご迷惑をおかけしました」
「迷惑じゃない。無事で何よりだ」
優菜が二人に声をかけながら、俺と達臣は少し離れた場所で立っていた。
「あの女子、十二支同盟か」達臣が小声で言った。其の声は平静だった。だが俺は、其の平静さの中に、何か別の響きを聞いたような気がした。
「ああ。名前は聞かなかったが、十二支の羊だと言っていた」
「羊…」
達臣は其の言葉を繰り返した。其の目が、一瞬だけ何かを計算するように動いた気がした。だが直ぐに元の冷静な目に戻る。
「真瀬、あの子が言っていた。人の心から生まれる仮面の力。其れは何だ」
「分からない。だが、俺の力が彼女達の力とは違う、ということだけは分かった」
「違う…か」
達臣は又、何かを考え込むような顔をした。だが其れ以上は言わなかった。ただ、手帳に何かを書き込み、其のページを閉じた。
俺は、其の閉じたページを見つめながら、あの夜のことを思い出していた。
イゴールの言葉。ライドエグズは絆。シードエグズは縁。其れは、悪魔との契約とは違う。人の心と心が、縁で結ばれ、絆で繋がる。其の結び付きが力になる。
(俺の力は、誰かとの縁と絆から生まれた。悪魔との契約じゃない。自分自身の、心の力だ)
但其れが、何なのか。其の名前を、俺はまだ知らなかった。
夜の港で、船の汽笛が鳴った。低く長い音。其の音は、現実の音だ。日常の音だ。だが其の音の裏に、まだ見えない何かが潛んでいる。俺は、其の何かを探す為に、まだ此の島にいる。ムトンが動いた。
速い。白い装甲が地面を蹴った瞬間、俺の鼠の尾が警鐘を鳴らすより早く、目の前にあった。
「──!」
シープハンマーが振り上げられていた。左の手に担がれていた其の槌が、頭上へ弧を描き、其のまま真っ直ぐに振り下ろされる。
重い。
風圧だけで頬が叩かれた。俺は身体を横へ滑らせた。マウスフレームの機動力が間に合わせる。だが其の一撃は、俺の今いた場所のコンクリートを粉砕した。破片が飛散し、泥の地面が割れて黒い水が滲み出る。
(一撃で此れか。タートルフレームの盾で受けたら持たない)
「避けた。だが次はどうかの」
ムトンの声は落ち着いていた。だが其の落ち着きは眠気ではない。眠たげな動作の裏に、確かな戦意がある。彼女はシープハンマーを軽く振り回し、其の重さを手首で遊ばせている。其の動作には慣れがあった。何度も此の槌を振ってきた人間の手つきだ。
「待て。今は其れどころじゃない。あの二人を──」
「あんたの事情は聞いた。だが妾の事情も聞いてもらう」
ムトンが又踏み込んだ。今度は横薙ぎだ。シープハンマーの打撃面が、地面を這うような低い軌道で迫る。
俺は跳んだ。だが其の跳びも、ムトンは予測していたかのように其の場で止まり、其の跳んだ俺を見上げた。
「跳ぶ。鼠みたいじゃの」
「鼠みたいじゃなくて実際鼠なんだよ!」
俺は着地と同時にマイスエッジを抜いた。スライサーモードへ展開し、牽制の斬撃を放つ。
刃がムトンの前腕へ当たった。蹄のナックルガードに当たる音が、カッと乾いて響いた。
だが──
効いていない。
マイスエッジの刃が、白い装甲の表面を滑っただけだった。傷一つついていない。いや、正確には、狙いが逸れたのではない。当たった。だが其の装甲が、硬いというより、衝撃を羊毛のように受け流している。柔らかくて、弾かない。だが力は通さない。
「あれ?」
俺は思わず声を出した。マイスエッジは、ダットのラビットソードでもジャオのスネークサイズでもなかった。だが普通の装甲なら、スライサーモードの刃でも傷くらいつくはずだ。
「妾の装甲は柔いからの。硬いだけの鎌とは違う」
ムトンは静かに言った。其の声には自慢の色はない。ただ事実を述べている。其の落ち着きが、逆に俺の焦りを煽った。
「柔い…」
其の言葉を俺は噛み砕いた。柔い。だが力は通さない。其れは、タートルフレームの堅固な防御とは別の系統の防御だ。タートルフレームは正面から受け止める。ムトンの装甲は受け流す。波に打たれる浮き輪のように、力を其の表面で逃がしている。
「九衣、あの装甲。何か分かるか」
「ネットの噂だとね、十二支同盟の各員がそれぞれの動物の性質を装甲に反映させてるって報告がある。羊の毛は柔らかいけど、其の柔らかさが衝撃を吸収するらしい。羊のライダーの装甲は硬くて脆いんじゃなくて、柔らかくて頑丈なんだと思う。ただし断定はできないけど」
「断定できなくていい。だが効かないならどうするかが問題だ」
ムトンが又構えた。シープハンマーを右手に持ち替える。其の動作には迷いがない。左手から右手へ、槌の重さを一瞬で移す。其の切り替えに、隙がない。
(此のまま牽制してても意味がない。マイスエッジが効かないなら近づいても遠くでも同じだ。だが──)
俺は周囲を見た。優菜と達臣が夫婦を連れて倉庫の陰へ移動しようとしている。まだ間に合っていない。其の間、俺がムトンを止めなきゃならない。
だがどうやって。
スライサーモードでは効かない。シューターモードはどうだ。遠距離から撃てば、其の柔い装甲を貫けるか。いや、恐らく同じだ。柔い装甲は、物理的な衝撃もエネルギー弾も、其の表面で吸収するだろう。
(鎌は硬い。俺の装甲は硬い。だがあいつは柔い。硬い武器で硬い敵を叩くのとは逆だ。柔い敵にはどう当たる)
答えが出ない。だが出さなきゃならない。ムトンが又動く前に。
「考える時間があるかの?」
ムトンが訊いた。其の声は静かだった。だが其の足は動いていた。ゆっくりと、確実に、俺との距離を詰めていく。
「妾は急いでおらぬ。但し、あの二人が逃げる前に、あんたの力を確かめたい」
其の言葉で、俺は理解した。ムトンは避難を止めるつもりだ。此処で俺を確かめるまで、あの二人を行かせない。
(避難を優先するなら、此の奴を何とかしなきゃならない。だが倒す方法が分からない)
俺はマイスエッジを構え直した。スライサーモードのまま。効かないと分かっていても、構えを解くわけにはいかない。
ムトンの蹄が、泥の地面を一つ叩いた。コツ、と小さな音が響く。其の音が、異界の空気の中で何かの合図のように響いた。
次の瞬間、ムトンが跳んだ。
重い。其の跳躍は、ダットの速さとは違う。質量其のものが空中へ持ち上がるような、重い加速。シープハンマーが頭上で弧を描き、其のまま振り下ろされる。
俺は横へ転がった。間に合った。だが其の風圧で、俺の身体が泥の上を滑る。体勢が崩れる。
(速いじゃない。重いんだ。一撃一撃が、一撃で終わらせる気で来てる)
ムトンは着地と同時に次の動作に入っていた。シープハンマーを引かず、其のまま槌の重さで横へ薙ぐ。俺は倒れたまま膝を折って跳んだ。背中を泥が掠める。だが当たってはない。
「鼠みたいに逃げるのう」ムトンが呟いた。其の声には、感心と苛立ちが半ばずつ混じっていた。