PERSONA × MY-TH UNFATHOMABLE VOYAGE ―沖縄怪異航路―   作:ボルメテウスさん

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第9航路 爆炎 7/7 複合

引き潮のシャドウの尾が動いた。

 

水面を割って振り上がる。さっき岸壁を削ったのと同じ軌道だ。横薙ぎに振るわれる尾が波を起こし、俺の足場へ迫る。

 

(来る)

 

マイスエッジの柄を握る指がこわばった。

 

あの瞬間がよぎる。マオウの炎が――。

 

違う。今は海だ。迫っているのは尾と波だ。分かっているのに、柄の感触が遠のいていく。手首から肘にかけて、力が抜けない。

 

(動け)

 

足は動いた。

 

右足で濡れた石を蹴る。靴底が滑りかけたが、踵を踏み直して身体を送り出した。ファイヤーフレームの炎の衣が背中で揺れる。普段より重心が高い。それでも、鼠の瞬発力は失われていなかった。

 

膝を曲げ、腰を低く落とす。海風に煽られた衣の裾が翻り、濡れた石の上を赤い光が走った。

 

水面が弾ける。

 

尾に押し上げられた波が、壁のように岸壁の縁を薙いだ。兜のすぐ上を尾が掠め、風が抜けていく。あと数センチ、高ければまともに受けていた。

 

(抜けた)

 

滑った勢いが残っている。右足を引き寄せ、左足を突っ張って止めた。岸壁の縁まで、もう余裕がない。足元では波が石を叩き、白い飛沫を散らしていた。

 

背中の炎の衣が、大きく弧を描いて戻ってくる。その重みに腰が引かれ、海へ傾きかけた身体が戻った。

 

(この重さ、使える)

 

胸元のマイスドライバーから腕へ、熱が走った。肘を抜け、手首へ届く。こわばっていた関節が少しずつ動きだした。指先はまだ震えている。だが、握り直せる。

 

スライサーモードのマイスエッジを、横一文字に振った。

 

刃に炎を通す。銀色の縁を赤い火が走り、振り抜いた先へ火の粉が散った。尾が通り過ぎた方向とは逆へ、炎の弧が広がっていく。

 

引き潮のシャドウが退いた。

 

次の一撃に備えていた尾を引き、鰭を動かしてわずかに後退する。怪魚の頭部にある濁った瞳が、俺へ向いた。

 

(炎を嫌がってる)

 

切っ先を向けたまま、一歩横へ出る。銀二さんの船とシャドウの間を塞ぐ位置だ。船へ向かうにも、海中の人へ帯を伸ばすにも、俺の前を通らなければならない。

 

「結人くん、あいつ動いてない。見てるだけ」

 

耳元でシーサーの小さな声がした。

 

「分かってる」

 

尾を引いたまま、あいつは俺を観察している。

 

それでいい。船から注意を逸らせている間に、銀二さんが助けられる。

 

背後でロープがきしんだ。水面に浮かぶ漁師の肩が持ち上がる。残るのは、あと一人だ。

 

シャドウの尾が再び振り上がった。

 

今度は横薙ぎではない。尾の先を水面へ叩きつける。腹に響く音とともに波が岸壁へ押し寄せ、足元の石が震えた。

 

右足が滑る。踏ん張ろうとした左足も遅れ、背中の衣に引かれて重心が流れた。

 

(踏ん張れ)

 

左の踵を石の継ぎ目に引っかける。足裏を擦るざらつきとともに、ようやく滑りが止まった。

 

尾が水面を叩くたび、岸壁まで振動が伝わってくる。あいつは距離を詰めず、俺の足元を崩そうとしていた。

 

次を受ける前に、左手を脚部の収納へ伸ばす。

 

取り出したのは、卵型の小さな塊だった。硬い表面に節が密集し、指の腹に細かな凹凸が触れる。丸まった虫の背を思わせる殻。

 

ダンゴムシシードエグズ。

 

また水面が鳴った。波が岸壁へぶつかる。

 

左足を踏み直し、掌のシードエグズをマイスドライバーへ押し込んだ。

 

『ダンゴムシ!』

 

カチリと嵌まる音に続いて、胸元が震えた。ライドエグズの赤い脈動に、低く重い振動が重なる。

 

薄い装甲板が、マイスドライバーを中心に広がり始めた。

 

銀色の装甲へ、一枚ずつ重なっていく。それぞれの縁には節があり、板の間には細い隙間が残っている。ダンゴムシが丸まるときの背中に似ていた。

 

胸を覆った装甲板は、肩から右腕へ伸びてきた。上腕を包み、前腕まで届く。

 

試しに肘を曲げると、板同士が擦れ合って重なりを深くした。伸ばせば、隙間が開く。関節の動きを塞がず、その外側を覆い続けている。

 

(動ける)

 

左腕にも同じ装甲が広がった。手首の周りでは板が細かく分かれ、指を開いても引っかからない。マイスエッジを握る右手を軽く返すと、手首を外側から支えられる感触があった。

 

震えは残っている。それでも、さっきより柄を保ちやすい。

 

胴体を覆う装甲板が腰へ回り、骨盤の周りに密着した。硬い感触に、一瞬、腹へ力が入る。だが腰を沈めると、板が少しずつずれて動きについてきた。腹を押し潰されるような窮屈さはない。

 

そのまま太腿へ、膝へ、脛へと重なりが伸びていく。

 

右足を踏み出す。腰から踵まで、身体の外側を一本の支えが通ったようだった。靴底が濡れた石を捉える。滑りかけても足首が横へ倒れず、踏み込んだ力を地面へ伝えられる。

 

左足も踏み直した。

 

足場が変わったわけではない。石は濡れたまま、波も打ちつけている。それでも、足首から膝にかけての頼りなさが薄れていた。

 

(これなら踏ん張れる)

 

背中では炎の衣が揺れている。その重みに腰を持っていかれそうになると、装甲板が重なりをずらしながら支えた。鼠の足で動き、炎を刃に通す。その動きを、この装甲が守ってくれる。

 

引き潮のシャドウが尾を持ち上げた。

 

今度は岸壁の縁へ叩きつけてくる。水を弾く音に、石の砕ける音が混じった。

 

(来る)

 

指がまたこわばった。マオウの炎がよぎり、手首から肘まで固くなる。

 

目の前にあるのは尾だ。分かっている。

 

(動け)

 

右足を半歩引き、腰を落とす。装甲板の支えを確かめる間もなく、衝撃が届いた。

 

ズン、と足裏が突き上げられる。

 

脛から膝へ、太腿へ。骨に響く痛みに、奥歯が噛み合った。だが、一か所を突き抜けるような痛みではない。脚を覆う板が細かくずれ、衝撃を周囲へ逃がしていく。

 

腰が揺れた。装甲板が擦れ合い、背中へ圧が抜ける。炎の衣が大きく煽られたが、さっきのように重心をさらわれることはなかった。

 

右腕にも振動が届く。柄を握る指は震えている。それでも手首は流されず、切っ先はシャドウを向いたままだ。

 

(持った)

 

膝を曲げ、残った衝撃を逃がす。足裏が熱い。膝の裏も脈打っている。装甲を着けても、痛みまで消えるわけではなかった。

 

それでも、立っていられる。

 

尾を引いたシャドウが、濁った目を向けていた。こちらの様子を窺うように、鰭が小さく動く。

 

胸の装甲板が、呼吸に合わせてわずかに開いた。肋骨の周りへ入れていた力を少し緩める。深くは吸えないが、さっきより空気が入った。

 

マイスエッジを構え直し、尾の届く範囲を見定める。岸壁の縁からここまで。波が来る角度と、足元へ衝撃が届くまでの間。

 

その向こうで銀二さんの船が揺れていた。張り詰めたロープの先に、最後の漁師がいる。銀二さんの手が、ようやく襟首へ届こうとしていた。

 

(あと一人)

 

足裏で石の感触を確かめる。

 

濡れている。だが、踏ん張れる。

 

尾の先が水面を這った。

 

岸壁の縁を削りながら、低く横へ走ってくる。狙いは足首だ。

 

(来る――)

 

柄を握る指が強張る。膝を曲げようとしたのに、足が後ろへ出た。

 

一歩分、尾の軌道からは離れた。だが、その分だけ船への道が開く。

 

(下がるな)

 

踵を踏み直した。装甲板に支えられた足首へ力を込め、前へ戻る。

 

石の砕ける音が迫っていた。

 

左手で脚部の収納から次のシードエグズを抜き取り、マイスドライバーへ押し込む。

 

『バッタ!』

 

両脚の脛に、新たな脚具が展開した。

 

ダンゴムシの装甲板を覆うように、節のある細い枠が伸びていく。脛から足首へ、さらに踵へ。バッタの長い後脚を思わせる形が、左右の脚に沿って組み上がった。

 

膝を沈める。

 

腰を低く落とした途端、脚具の内側に圧が溜まった。膝を曲げるほど、押し戻そうとする力が強くなる。縮めたバネのようだった。

 

尾が足元へ迫る。石片が跳ね、靴の先を叩いた。

 

(今だ)

 

踏み切った。

 

溜め込んだ力が一気に弾ける。脛から足首を抜け、足先まで走った勢いに押されて、身体が伸び上がった。

 

足裏から石の感触が消える。

 

濡れた岸壁が遠ざかり、白い飛沫の向こうに海が広がった。海面の窪みに沈むシャドウを、上から見下ろしている。

 

長い尾が、さっきまで俺の足があった場所を横切った。岸壁の縁に、白い削り跡が残る。

 

(跳べた)

 

だが、まだ着地がある。

 

腰をひねると、背中の炎の衣が大きく翻った。マイステールが動き、傾きかけた身体を支える。

 

右手には銀二さんの船。あそこへ降りたら、引き上げている最中の船を揺らしてしまう。

 

左手には濡れた岸壁。足場はあるが、尾の軌道に近すぎた。

 

視線を正面へ戻す。岸壁の縁が、わずかに海へ突き出していた。狭いが、あそこなら船とシャドウの間を塞げる。

 

(そこだ)

 

マイステールで姿勢を整え、着地点へ足を向けた。

 

右足が石を捉える。靴底が滑りかけた瞬間、足首の装甲板に圧がかかった。膝を深く曲げる。板同士がずれながら、脚全体へ衝撃を逃がしていった。

 

続いて左足が着く。

 

足裏が熱く、膝の裏に鈍い痛みが残った。腰も重い。それでも両足は石を捉え、身体を支えている。

 

俺が跳び上がった場所を、尾が通り過ぎていった。

 

背中の衣が着地の勢いで揺れ、濡れた足場を赤く照らす。マイスエッジを構え直そうとした、そのときだった。

 

シャドウの目が、俺から横へ動いた。

 

背中の向こうへ。銀二さんの船と、まだ海にいる漁師へ。

 

尾が振り上がる。

 

(通さない)

 

踏み出そうとした身体が固まった。

 

マオウの炎。バーンゴクエンの爆音。肋骨が砕けたときの音まで、耳の奥に戻ってくる。熱と痛みに包まれ、何もできなかったあの瞬間が、目の前へ重なった。

 

指が動かない。膝も曲がらない。

 

その間にも、尾は水面を滑ってくる。俺の立つ場所の脇を抜け、そのまま船へ届く軌道だ。

 

左手が脚部の収納を探った。

 

考えるより先にシードエグズを掴み、胸元へ運ぶ。指先に引っかかった殻を、装填口へ押し込んだ。

 

『アルマジロ!』

 

左前腕へ装甲板が集まり始めた。

 

胴体や右腕を覆っていた板の一部が、胸を通って流れてくる。手首から肘へ、輪郭に沿って折り重なった。

 

一枚増すたび、左腕が下がる。

 

重い。肘を持ち上げようとして、肩にまで力が入った。薄かった板が五重に重なり、前腕の外側に楕円形の面を作っていく。

 

節のある表面が、緩やかな丸みを帯びた。

 

左腕に、盾ができていた。

 

(これなら――)

 

腕を前へ出す。左肩を押し出し、右足を半歩引いた。腰を落として、尾の軌道に盾を合わせる。

 

尾がぶつかった。

 

鈍い衝撃のあと、装甲板が擦れ合う音が耳まで響いた。盾の表面で鱗が削れ、尾の重みが左腕へ押しかかる。

 

肘が胸へ押し戻された。

 

盾の板が、外側から順にたわんでいる。一枚目から二枚目へ、その下へ。重なりを抜けてきた衝撃が前腕を打ち、骨の奥に痛みが走った。

 

(押される)

 

右足の踵が滑る。

 

腕から肩へ、腰へと圧が伝わり、身体ごと後ろへ押しやられた。船へ近づかせるわけにはいかない。

 

(下がるな)

 

右の踵を石の継ぎ目に押し込む。前に出した左足にも体重をかけ、腰を沈めた。

 

だが、さっきより支えが弱い。

 

盾へ装甲板を集めた分、胴体や脚の重なりが薄くなっていた。腰をひねると、残った板が強く擦れる。膝へかかる負担も大きい。

 

背中では炎の衣が揺れ、左腕の重みに引かれた身体が傾きそうになった。

 

足の指で靴底を押しつける。バッタの脚具が脛を支え、残った装甲板が足首の傾きを抑えた。

 

左腕が痛む。

 

尾はまだ盾に押しつけられている。板と板の隙間がわずかに開き、そこへ力が食い込んできた。腕の内側で、ぎしぎしと音が鳴る。

 

マイスエッジを握る右手まで強張った。左腕の痛みが背中へ抜け、肋骨の辺りがきりきりする。

 

(それでも)

 

足の滑りが止まった。

 

右の踵も、左足も、もう動いていない。膝は曲がっているが、潰されてはいなかった。薄く残った装甲板が、腰と脚を支えている。

 

息を詰め、盾を押し返す。

 

尾の圧力が、わずかに緩んだ。

 

表面に押しつけられていた鱗が離れる。シャドウが尾を引き始めていた。押し切れないと見たのか、次の攻撃へ移るつもりなのか。分からない。

 

ただ、止めた。

 

左の指先が痺れている。盾を支える前腕は、まだ脈打っていた。

 

縁の向こうから、濁った瞳がこちらを窺っている。尾を引き、鰭を動かし、今度は俺の盾を見ていた。

 

背後でロープがきしんだ。

 

「おい、掴まれ。もう少しだ」

 

銀二さんの声は、さっきのように裏返っていない。船の甲板を踏む音が続き、重いものが倒れ込む音と、激しく咳き込む声が重なった。

 

「全員上がった。兄ちゃん、お前も下がれ――」

 

「まだです」

 

盾を向けたまま答える。喉が乾き、声が掠れた。

 

「俺が下がったら、船に来ます」

 

銀二さんは何か言いかけ、口をつぐんだ。代わりに、エンジンが低く唸り始める。

 

船が岸壁から離れていく。だが、まだ尾の届く距離だった。

 

盾を持ち上げ直す。左腕へ重みが食い込み、痺れた指先がわずかに曲がった。

 

シャドウはこっちを見ている。

 

マイスエッジの柄を握る右手は、まだ震えていた。小指を締める。震えが残っていても、刃は向けられる。

 

(来い。俺はここにいる)

 

足裏で石を踏み直し、盾の縁越しにあいつの目を見据えた。

 

水面の下で尾が揺れた。

 

次が来る。いつ仕掛けてくるかは分からないが、このまま受け続けてはいられない。

 

(攻めないと)

 

右手の刃へ炎を通す。銀色の縁に赤い火が灯った。

 

あいつの本体は、海面の窪みに半ば沈んでいる。尾の間合いを抜けた先、胴体の右斜め下。帯を伸ばす前に、水面が膨らんだ場所だ。

 

そこまで、この刃で届くか。

 

切っ先と水面を見比べる。あと少し踏み込めば届くかもしれない。だが、濡れた岸壁の縁で、それ以上前へ出る余裕はなかった。

 

(もっと長ければ)

 

脚部の収納に、熱が灯った。

 

右の太腿の外側だ。左腕の盾を正面へ向けたまま、手首を動かそうとする。

 

盾を形作る板がずれた。手首の近くで一枚が横へ滑り、掌を開く余地ができる。

 

動くために残された隙間が、ここにもあった。

 

左手を収納へ伸ばす。指先に、卵型の殻と太い角が触れた。角の根元に節があり、そのざらつきが指の腹へ引っかかる。

 

カブトムシシードエグズ。

 

握った殻は硬く、角の根元には熱がある。収納から引き出すと、量子変換が解かれる感覚が掌を走った。赤い光が、指の隙間に漏れる。

 

右手にはマイスエッジを握ったままだ。その柄の根元へ左手を寄せ、装填口に角のある殻を合わせる。

 

カチリ、と指先が押し返された。

 

シードエグズが柄の中へ収まり、角の感触が掌から消える。

 

『カブトムシ!』

 

低く重い音声に、何かが突き抜けるような鈍い音が重なった。

 

柄が熱を持ち始める。

 

赤い光が指の間を抜け、銀色の刃へ流れていった。元の刃の両側から、新たな装甲刃が現れる。

 

右から一枚、左から一枚。

 

節のある縁が、元の刃へ噛み合った。カチリ、と小さく鳴る。その先に次の節が重なり、さらに剣先へ伸びていく。

 

(伸びてる)

 

元の刃を芯にして、装甲刃が両側から覆い始めた。

 

十センチ、二十センチ。先端が遠ざかるにつれ、柄を握る手首が引かれる。剣先へ加わった重みが、右腕を前へ倒そうとしていた。

 

掌の中で柄をわずかに回し、指を掛け直す。小指を締め、手首を立てた。腕を身体へ引き寄せると、切っ先の揺れが少し収まった。

 

だが、刃はまだ伸びている。

 

三十センチを越えても、噛み合う音は続いた。最後の節が三十五センチほど先で固定され、ようやく止まる。

 

スライサーモードの刃が、長剣に変わっていた。

 

銀色の芯を装甲刃が挟み込み、その節に赤い光が滲んでいる。長くなった分だけ重い。右腕には、構えているだけで張りが生まれた。

 

柄の上で指が震える。

 

手首に残ったダンゴムシの装甲板を頼りに、もう一度握りを確かめた。いきなり振り回せる重さではない。それでも、切っ先をあいつへ向けることはできる。

 

刃に炎を通した。

 

胸元から腕を抜けてきた熱が、柄へ注がれる。銀色の芯に赤い火が走り、噛み合った装甲刃の隙間を埋めていった。

 

節から節へ。炎が長い刀身を伝う。

 

やがて切っ先にまで火が届いた。海風に煽られて揺らめき、濡れた石を赤く照らす。

 

(この長さなら)

 

海面の窪みに沈む胴体まで、刃を届かせられる。

 

装填を終えた左手を引き、盾を構え直した。開いていた装甲板が戻り、手首の周りを覆う。可動域は狭くなったが、盾の面は崩れていなかった。

 

右手に長剣、左腕に盾。

 

右足を少し前へ出し、腰を落とす。前に移った剣の重心を、腕だけで支えようとせず、身体へ引きつけた。

 

切っ先の炎が、あいつの胴体を照らしている。

 

狙うのは右斜め下。帯を伸ばす前に水面が膨らんだ、あの場所だ。

 

尾が、水面を割った。

 

さっきまで窪みの中へ沈められていた先端が、一直線に迫る。槍のように尖った尾が、胴体を狙っていた。

 

(来る)

 

右手がこわばる。

 

マオウの炎がよぎった。柄を握り込んだまま、指が動かなくなる。迫る尾を見ているのに、膝が落とせない。

 

(動け)

 

左腕を押し出した。

 

尾の前へ盾を差し入れる。まともに受ければ、また押し込まれる。触れる直前に、面を斜めへ傾けた。

 

ズン、と腕に衝撃が食い込む。

 

だが、尾はそこで止まらなかった。傾いた面を滑り、俺の右脇へ抜けていく。装甲板を擦る音が、肩のそばを通り過ぎた。

 

(流せた)

 

左腕は痛む。それでも、正面から受け止めたときほどの重さは残らなかった。

 

尾を戻そうとして、シャドウの胴体がわずかに傾く。

 

その動きに合わせ、右へ踏み込んだ。

 

濡れた石を蹴る。バッタの脚具が脛を支え、足首の装甲板が横ぶれを抑えた。二歩、三歩。腰を低く保ち、振り抜かれた尾を追うように回り込む。

 

横腹が見えた。

 

長い尾は、まだ背後へ流れている。戻りきる前なら――。

 

鰭が動いた。

 

海面の窪みが揺れ、右斜め下が膨らむ。怪魚の口から一本の帯が伸びた。

 

向かうのは、俺の背後だ。横へ回った分、船への道が空いている。

 

(通さない)

 

両膝を折り、脚具へ力を溜めた。すぐに踏み切る。

 

身体が浮き、足元にシャドウの胴体が見えた。帯が船へ伸びようとする軌道まで、見下ろせる。

 

腰をひねった。

 

炎の衣が翻り、マイステールが姿勢を支える。右手の長剣を振り上げると、剣先の重みが手首へかかった。

 

その重みごと、振り下ろす。

 

赤い炎が尾を引いた。

 

刃がシャドウの横腹へ食い込む。鱗を削る硬い感触が柄を通じて腕へ戻り、続いて炎が傷口を走った。

 

焦げた匂いが、海風に混じる。

 

あいつの胴体に赤い線が刻まれた。声にならない音が口から漏れ、尾が水面を打つ。伸びかけていた帯は、途中で動きを止めていた。

 

(効いた)

 

岸壁に右足が着く。膝を曲げ、続けて左足を下ろした。装甲板がずれて衝撃を逃がし、背中の衣が遅れて揺れる。

 

シャドウの横腹から赤い煙が上がっていた。焦げた鱗が剥がれかけ、尾を振る動きも乱れている。

 

「結人くん!」

 

シーサーの声が届いた。

 

「船が離れてる! もう尾も届かないよ!」

 

振り向かずに耳を澄ます。背後のエンジン音が、少しずつ遠ざかっていた。

 

銀二さんも、漁師たちも、攻撃の届く範囲から出た。

 

目の前では、シャドウが尾で水面を叩き、体勢を立て直そうとしている。だが、その動きは揃っていない。俺の刃が刻んだ傷から、赤い煙が立ち続けていた。

 

(今なら)

 

長剣を構え直す。

 

指先が震え、切っ先の炎も小さく揺れた。何度も小指を締め直す。マオウの炎は、まだ瞼の裏から消えていない。

 

それでも、背後のエンジン音は遠ざかっている。

 

俺の間合いには、引き潮のシャドウだけが残っていた。

 

(決着をつける)

 

盾を身に寄せ、左手をマイスドライバーへ伸ばした。

 

装填されたライドエグズに触れる。胸元に満ちた熱が、指先へ伝わってきた。

 

操作レバーを押し込む。

 

カチリと音がして、ライドエグズがドライバーの中で展開し始めた。

 

「マウスセパレード」

 

掠れた声が喉を抜ける。

 

応えるように、胸元の赤い光がひときわ強く瞬いた。

 

膝から下へ熱が走る。バッタの脚具に覆われた脛の内側で、クォータムウィールが回り始めた。

 

最初はゆっくりと。

 

回転が速まるにつれて、装甲を伝う振動も細かくなっていく。脛から膝へ、太腿へ。低い唸りが脚の内側を満たし、関節の周りに圧が溜まった。

 

胸元から腰を抜け、両脚へ炎が流れ込む。

 

クォータムウィールの回転に、熱が巻き込まれた。赤い光が装甲の隙間から滲み、足元の石を照らす。脚の中で、炎の渦が大きくなっていくようだった。

 

膝を沈める。

 

バッタの脚具が縮み、押し戻そうとする力を溜め込んだ。さっき跳んだときよりも、ずっと強い。回転する振動と炎の熱が重なり、折り曲げた脚を内側から押している。

 

太腿まで熱い。

 

足裏へ体重を乗せると、踵の奥で力が膨らんだ。

 

視線を上げる。

 

引き潮のシャドウは、尾で水面を叩いていた。横腹から煙を上げながら、傾いた胴体を起こそうとしている。濁った瞳が、こっちを捉えた。

 

目を離さない。

 

腰を落としたまま、長剣を身体の脇へ引きつける。盾も胸の前から引いた。両腕の重みに振り回されないよう、肘を締める。

 

脚具が、さらに縮んだ。

 

(行く)

 

石を蹴った。

 

膝が伸び、溜めていた力が一気に解放される。バッタの跳躍力へ、クォータムウィールの回転と炎の勢いが加わった。

 

足元の石が、瞬く間に遠ざかる。

 

さっきより速い。風が兜を叩き、視界が一気に開けた。海面の窪みも、シャドウの背中も、もう下にある。暴れていた尾が跳ね、怪魚の頭が俺を追って持ち上がった。

 

背中の炎の衣が、大きく広がる。

 

海風に煽られた裾に身体を引かれかけたが、跳び上がった勢いは衰えない。マイステールで姿勢を整え、右膝を引きつけた。

 

踵へ、熱が集まる。

 

脚部を満たしていた炎が足裏へ流れ、右足を包んだ。クォータムウィールの唸りが高くなり、赤い火が渦を巻く。

 

蹴り脚を、斜め下へ向けた。

 

狙うのは胴体の右側。海面の窪みの縁に近い、あの場所だ。

 

濁った瞳が見上げている。

 

右脚を伸ばした。

 

踵にまとった炎が尾を引き、海へ向けて赤い軌跡を刻む。近づくにつれて鱗の一枚一枚が見えた。濡れた表面へ、足裏の炎が映り込む。

 

あと、わずか。

 

踵が、鱗を捉えた。

 

硬い抵抗が足裏を打つ。斬撃で焼いた横腹とは別の、まだ傷のない部分だ。ざらついた鱗に押し返され、足首が外へ流れかける。

 

(支えろ)

 

脛を覆うダンゴムシの装甲板に、強い圧がかかった。足首の傾きが止まり、膝を覆う板にも力が伝わる。

 

シャドウが胴体をひねった。鰭が水を掻き、こちらを押し戻そうとしている。

 

足裏から脛へ、さらに膝へ。反発が突き上げてきた。

 

歯を食いしばる。

 

バッタの脚具が脚を支え、その内側でクォータムウィールが唸り続けていた。回転音が、もう一段高くなる。踵を包んだ炎が強まり、鱗の縁を赤く染めた。

 

(まだ、いける)

 

押し戻されかけた踵が、わずかに進む。

 

足裏で、小さなものが割れた。

 

パキリと音がして、鱗に亀裂が入る。硬い殻の下へ、蹴りの力が届いた。さっきまで弾かれていた足が、少しずつ沈んでいく。

 

そこへ、炎が流れ込んだ。

 

踵に集めた赤い火が、亀裂の奥へ吸い込まれる。鱗の隙間から光が溢れ、その隣へ、さらに隣へと広がっていった。

 

胴体の表面を、赤い亀裂が走る。

 

枝分かれした光が鱗の間を伝い、海水まで赤く照らした。

 

シャドウの口から、聞いたことのない音が漏れた。

 

海の底で泡が弾けるような、くぐもった音だった。それが胴体の奥で膨らみ、亀裂からも溢れ出してくる。

 

鱗が剥がれ始めた。

 

内側から焼かれ、縁から浮き上がっていく。海水に落ちた鱗は形を失い、赤い泡へ変わった。

 

左右の鰭にも亀裂が届く。水を掻いていた先端が砕け、光の中へ溶けていった。

 

尾が止まる。

 

海面へ投げ出されたまま動かなくなり、その表面にも赤い線が走った。根元から先端へ、光が飲み込んでいく。

 

(終わりだ)

 

踵に残る力を、押し込んだ。

 

クォータムウィールの回転も、渦を巻く炎も、亀裂の奥へ送り込む。足裏にあった抵抗が崩れ、最後まで蹴り抜いた反動で、身体が岸壁側へ跳ね返った。

 

ドォン、と海面が膨れ上がる。

 

赤い光が爆ぜ、視界を覆った。

 

弾けた海水が脚を打つ。さっきまで熱を帯びていた足裏へ、冷たさが染みた。もう敵の硬さは伝わってこない。

 

蹴り脚を引き戻す。

 

光の向こうへ岸壁の縁が見えた。マイステールで身体を起こし、震える両脚を着地に備えて曲げる。

 

右足が石に触れた。

 

濡れた靴底が滑る。足首の装甲板に支えられながら膝を沈め、左足も下ろした。両足が揃っても、脛の震えは収まらなかった。

 

背中の炎の衣が、遅れて揺れる。

 

濡れた石を照らす赤い光は、さっきより弱くなっていた。衣の炎も少しずつ薄れ、海風に揺れる輪郭だけが残っていく。背中にかかる重みが軽くなった。

 

海へ目を向ける。

 

さっきまでシャドウがいた窪みに、赤い光の残滓が漂っていた。胴体も、尾も、鰭も見当たらない。浮かんだ泡が波に運ばれ、一つずつ消えていく。

 

『撃破確認。生体反応なし』

 

耳元でシーサーの声がした。

 

「……終わった」

 

マイスエッジを下ろす。

 

カブトムシの装甲刃で延長された刀身が、右腕を引いた。柄を握る指はまだ震えている。敵へ向ける必要がなくなっても、すぐには力を抜けなかった。

 

左腕の盾を見る。

 

五重の装甲板が、前腕を覆っていた。表面には尾に削られた傷が残っている。その溝へ海水が入り、赤い光を映した。

 

(守れた)

 

遠くでエンジンが鳴っている。

 

銀二さんの船が、岸壁から離れた場所に停まっていた。甲板に人影が見える。助け上げた漁師たちも、船の上にいる。

 

足裏は冷たかった。

 

岸壁も靴も濡れたままだ。だが、さっきまで足場を揺らしていた波は収まっている。

 

潮の匂いがした。風が兜を撫で、穏やかな波が石を叩く。

 

港の音が戻ってきていた。

 

炎の薄れたマントを揺らし、最後の赤い泡が消えるのを見届ける。

 

引き潮のシャドウは、もういなかった。

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