PERSONA × MY-TH UNFATHOMABLE VOYAGE ―沖縄怪異航路― 作:ボルメテウスさん
優菜が広げた校舎図の上に、三人の影が落ちた。西日が机の上を斜めに照らしている。図面の線がオレンジ色に染まっている。
「じゃあ、一緒にたどってみよう」
優菜がペンを図面の上に置いた。先端が渡り廊下のあたりに触れている。
「ここが渡り廊下。二号楼から一号楼へ渡った。ここだね」
「はい」
彼女の指が図面の上に出た。優菜のペン先の隣に、細い指が置かれる。震えている。けれど図面の線の上に確かに置かれている。
「渡り廊下を渡って、一号楼に入った。ここ」
彼女の指が渡り廊下の線をなぞる。二号楼の入り口から一号楼の入り口へ。緩やかな曲線の渡り廊下。図面の上の線を、指が辿っていく。
「うん。一号楼の二階。ここね」
優菜が頷く。ペン先が渡り廊下の一号楼側の端に点を打つ。
「ここから、あの子は一号楼の二階の廊下へ。あなたは二号楼の階段を下りた」
「はい。あの子は右——いえ、左、でした」
「左」
俺が図面をのぞき込んだ。一号楼の二階。渡り廊下の接続位置から見て、左に進むと——廊下が伸びている。図面の上の線が、まっすぐに廊下を表している。
「左に曲がって、廊下を歩いた」
「はい。少し歩いて、それで、教室に入った」
彼女の指が図面の上を滑る。渡り廊下の接続位置から左へ。廊下の線に沿って指が動く。ゆっくりと。止まる。動く。止まる。
(迷ってる。けれど、覚えようとしている)
俺は何も言わなかった。優菜も何も言わなかった。ペンが図面の上で待っている。
「途中で、曲がった、かもしれません」
「曲がった?」
「廊下が、途中で、曲がってた。気がする」
彼女の指が止まった。
「曲がる場所。覚えてる?」
「角が、あった。教室が見えた、角から」
「角があった」
俺は図面を見た。一号楼の二階。渡り廊下から左へ伸びる廊下。図面の上で——廊下が途中で折れている。曲がり角がある。その角の先に——
「この角?」
優菜がペン先で図面の角を指した。彼女が目を凝らして図面を見る。
「…たぶん。ここ。角を曲がって、廊下の奥に、教室があった」
「廊下の奥」
彼女の指が角を曲がる。廊下の線に沿って指が動く。少しずつ。角の先へ。廊下の奥へ。
俺もその線を目で追った。角を曲がる。廊下が伸びる。その先に——
教室の四角い枠が、図面の上に描かれている。はずだった。
「ここ」
彼女の指が止まった。
指先が図面の上に置かれている。廊下の線の終わり。廊下の奥。そこに指が置かれている。
俺はその指先を見た。指が置かれている場所を見た。
廊下の線が——終わっている。行き止まり。壁。
「…ここ?」
優菜がペン先を彼女の指の横に置いた。ペン先が廊下の線の終わりに触れる。
「はい。ここ。廊下の奥に、教室の入り口が、あった」
「教室の入り口」
優菜の声が少し変わった。確認する声から、何かを確かめる声に。
俺は図面を見た。廊下の線が終わっている。その先に——壁の線がある。廊下の終わり。壁。教室の枠がない。
「…あれ?」
彼女の声が上がった。自分の指の置かれた場所を見ている。図面の上の線を見ている。
「ここ、教室じゃない。壁、になってる」
「壁?」
「うん。廊下の終わりが、壁。教室の入り口がない」
優菜が図面をのぞき込んだ。俺ものぞき込んだ。彼女の指が置かれた場所。廊下の線の終わり。その先に——壁の線がある。教室の枠がない。扉の記号がない。ただ壁がある。
「…曲がり角、間違ってない?」
俺が言った。彼女の指が震えた。
「違う、です。角は、ここ。廊下の、奥。一本道だったから」
「一本道」
「はい。角を曲がって、まっすぐ歩いて、突き当たり。そこに、教室の、扉が、あった」
彼女の声が少し速くなった。思い出そうとする声だ。否定しようとしているのではない。覚えていることを何とか伝えようとしている。
俺は図面の角の位置を見た。渡り廊下から左へ。角を曲がる。廊下が伸びる。突き当たり。その位置——
「優菜。この図面、古くないか?」
「え?」
「文化祭の時のやつだろ。教室の配置、変わってないか」
優菜が図面の隅を見た。日付が印字されている。去年の文化祭のために作成されたものだ。
「…確認する。ちょっと待って」
優菜が引き出しを開けた。中からもう一枚の紙を取り出す。新しい印刷の紙だ。学校の職員室に貼ってある配置図のコピーらしい。
「これが、今年度の教室配置」
優菜がその紙を図面の隣に置いた。二枚の紙が並ぶ。西日が二枚の紙を染めている。
俺は二枚の図を見比べた。一号楼の二階。渡り廊下の位置。廊下の向き。角の位置。廊下の長さ。
——同じだ。
廊下の配置は変わっていない。角の位置も同じ。廊下の長さも同じ。
突き当たり。廊下の終わり。そこに——
「壁だ」
俺の声が勝手に出た。二枚の図面のどちらにも、廊下の終わりは壁になっている。教室の枠がない。扉の記号がない。
優菜のペンが止まった。ペン先が図面の上で動かない。廊下の終わりの壁の線の上に、ペン先が置かれたまま。
彼女の指も止まっていた。図面の上に置かれたまま。壁の線の上に。
「…ここに、教室があった」
彼女が言った。声が掠れていた。
「ここに、扉があって。あの子が、入っていった。私、見た。見たんです」
優菜のペンが動かなかった。ペン先が壁の線の上で止まっている。動かない。
俺は図面を見た。廊下の終わり。壁。教室がない。扉がない。
「……」
優菜が顔を上げた。彼女を見た。俺を見た。図面を見た。
「…記録しよう」
優菜の声が静かだった。いつもの声より少しだけ低い。
「最後に見た場所。廊下の突き当たり。図面では壁になっている」
ペンが動いた。図面の上に、優菜の字で何かが書き足される。『廊下突き当たり。図面では壁。要確認』。
彼女の指が、図面の上で震えていた。壁の線の上で。
スマートフォンが机の上に置かれた。相談者の指が画面を押して、動画が動き出す。
再生ボタンが消えて、画面が広がる。校舎の渡り廊下が見えた。西日に染まったコンクリートの床。画面の向こうで誰かがバスケットボールを突いている音がした。ドスン、ドスン。床を弾く音が小さいスピーカーから漏れる。
「これ。バスケ部の人が撮ったやつ」
相談者の声が掠れていた。指が画面の端を掴んでいる。
「時刻、見える?」
優菜が尋ねた。画面の右下に時刻が表示されている。
「十六時十二分」
「四時十二分。放課後直後ね」
優菜がペンを動かした。記録用紙に時刻が書き足される。
画面の中で、バスケ部の男子が数人写っていた。シャトルランの途中らしい。誰かが走って横を過ぎる。歓声のような声がスピーカーから漏れた。日常の音だ。いつもの放課後の音。
「あの子、どこ?」
優菜が画面を指した。相談者が指を動かした。画面の左側。渡り廊下の向こう。一号館の二階の廊下が見える。
「あそこ。あの子、いる」
小さな人影が廊下を歩いている。制服のリボンが見える。女子生徒だ。廊下の窓から差す西日が制服を橙色に染めている。
「制服、見えるか」
「ああ。冬服だね。リボンが見える」
俺は画面をのぞき込んだ。人影は歩いている。廊下の壁に掲示物が並んでいる。ポスターの端が見える。文化祭のポスターだ。あの掲示物の並び方は——
「優菜。この廊下、一号館の二階だ」
「見て分かる?」
「掲示物。あの並び方。渡り廊下側から左へ伸びる廊下。掲示物が三枚並んでる」
俺は校舎図を指した。一号館二階。渡り廊下の接続位置から左へ。廊下の線に沿って小さな四角が三つ並んでいる。掲示物の位置だ。
「ここ。この廊下」
優菜がペン先で図の上をなぞった。
「渡り廊下から左。一号館二階の廊下。ここね」
「ああ。動画の廊下と、同じだ」
相談者が画面を指差した。
「あの子、歩いてる。あのまま、奥の方へ」
人影が廊下を歩いていく。画面の奥へ。渡り廊下の接続位置から廊下の奥へ。歩調が普段の速さだ。急いでいない。走っていない。ただ歩いている。
俺は画面と校舎図を見比べた。人影が掲示物の前を過ぎる。三枚目のポスターの前を過ぎる。廊下が——曲がる。
「角だ。ここ」
俺は校舎図の上の角を指した。廊下が折れている場所。人影が角を曲がる。画面の中で人影が少し小さくなる。角の先へ。
「あの子が言ってた。角を曲がって、廊下の奥に教室があった」
相談者の声が震えていた。
人影が角の先の廊下を歩いていく。廊下が狭い。窓が廊下側にしかない。暗い。画面の中の人影の輪郭が少し暗くなる。廊下の奥は日が届かない。
「曲がり角、確認できた。この角だね」
優菜が校舎図に印をつけた。角の位置。そこから先の廊下。人影が歩いていく。
画面の中の人影が——止まった。
廊下の奥。突き当たり。そこで足が止まった。
「止まった」
俺が言った。声が出た。画面の中の人影が、廊下の突き当たりで立っている。その位置は——
俺は校舎図を見た。廊下の線の終わり。壁の線。その位置だ。さっき三人で確認した場所。図面では壁になっている場所。
人影が——動いた。
画面の右側へ。少し体が傾く。廊下の突き当たりで。何かの方へ。手が——動いた。
画面の端に、何かが映りかけていた。廊下の突き当たりの壁。その向こうに。何かの。影が。
人影の手が、画面の端へ伸びていた。
「あの子が——」
相談者の声が途切れた。
人影の手が、画面の端の向こうへ。何かに。何かの方へ。
画面の端。映りきらない。廊下の突き当たりの壁の向こう。そこに何かがある。何かが見えかけている。扉の。全体像までは——
見えない。
画面の端で、人影の手が伸びている。その先が、画面の中に収まりきっていない。
三人の視線が、画面の端に集まっていた。
優菜のペンが、止まっていた。
画面の中で、友人の手が伸びていた。
廊下の突き当たり。壁の向こう。そこに何かが見えかけていた。人影の手が、画面の端へ向かって——
動いた。
取っ手が見えた。
金属の棒状の取っ手。扉の端に垂直に付けられた、引き戸の取っ手だ。西日に照らされて白く光っている。人影の手がその取っ手に触れる。指がかかる。
「あ」
相談者の声が漏れた。
取っ手が動いた。戸が横に滑る。引き戸だ。廊下の突き当たりに、扉枠が見えた。枠の輪郭が画面の中に収まり始める。戸が開く。隙間が広がる。扉の向こうに——
「止めて」
優菜が言った。
相談者の指が画面を叩いた。再生が止まった。画面が静止する。廊下の突き当たり。開きかけた扉。人影の手が取っ手にかかったまま。扉の隙間が、画面の中で固まっている。
「ちょっと戻せる?」
「あ、はい」
相談者の指が画面を滑る。スライダーを触る。画面が少し戻る。人影が廊下を歩いている。さっきより数秒前だ。
「ここら辺で」
優菜が画面を指した。人影が掲示物の前を歩いているあたりだ。相談者の指がスライダーを離す。画面が止まる。
俺は椅子から身を乗り出した。画面に顔を近づける。机の上の校舎図と、画面の中の廊下を、交互に見る。
掲示物が三枚並んでいる。廊下の左側に窓がある。右側に壁がある。窓の向こうに渡り廊下が見えている。
「この掲示物。三枚並んでる」
俺が画面を指した。
「校舎図だと、ここだ」
俺の指が校舎図の上を滑る。渡り廊下の接続位置から左へ。廊下の線に沿って掲示物の四角が三つ並ぶ。
「一致してる」
優菜が頷いた。ペンを握り直す。
「廊下の曲がり角も」
俺の指が画面の中の角を見た。人影の向こうに廊下が折れている。その角が——
「ここだ」
校舎図の上の角を指した。廊下が折れる位置。
「一致してる。廊下の長さも。掲示物の位置も。曲がり角も。全部、さっき証言してもらった経路と同じだ」
「うん」
優菜の声が低い。
「じゃあ、この先」
優菜の指が画面の中の角の先へ移動した。角の先の廊下。人影が歩いていった方向。廊下の奥。
「ここを、もう一度再生して」
相談者の指が画面を押した。画面が動き出す。人影が角を曲がる。廊下の奥へ歩いていく。掲示物が途切れる。窓が途切れる。廊下が暗くなる。突き当たり。
人影が止まった。
手が伸びる。取っ手に触れる。引き戸が滑る。扉枠が見える。隙間が広がる。
「止めて」
優菜が言った。相談者の指が画面を止めた。
静止した画面。
廊下の突き当たり。引き戸が半分開いている。取っ手に手がかかっている。扉枠が見えている。枠の向こうが——
暗い。
扉の隙間の向こうが、暗い。ただ暗い。廊下の突き当たりの扉の向こうが。教室ではない。廊下ではない。ただ——暗い。
俺は画面から目を外さない。
「優菜」
「うん」
「この場所」
俺の指が画面の中の扉を指した。それから、校舎図へ移動した。
廊下の線の終わり。角から廊下が伸びる。突き当たり。壁の線。
「校舎図だと、ここは壁だ」
俺の指が壁の線の上に置かれた。
「掲示物も、曲がり角も、廊下の長さも全部一致してる。けれど——」
指が画面に戻る。
「ここに、扉がある」
画面の中の扉。取っ手。扉枠。開きかけた引き戸。人影の手。
「廊下の突き当たりに、扉がある。けれど校舎図だと、そこは壁だ」
「図面が古い可能性は確認した。今年度の配置図でも、同じ。壁だ」
優菜の声が静かだった。ペンが動かない。
「図面では壁。映像では扉。同じ場所だ」
俺は画面と校舎図を見比べた。
廊下の掲示物。一致。
曲がり角。一致。
廊下の長さ。一致。
廊下の突き当たり。
校舎図では——壁。
映像では——扉。
「現実の校舎にはない扉が、映像に写ってる」
俺の声が部室に落ちた。窓の外はもう暗くなりかけている。西日が最後の光を机の上に残している。
相談者の指が、画面の上で止まったままだった。
優菜のペンが、記録用紙の上で止まったままだった。
校舎図の壁の線と、映像の中の扉が、机の上で並んでいた。
俺はその二つを、見比べていた。
画面の中の扉を見つめたまま、俺は息を飲んだ。
机の上には二つのものが並んでいる。校舎図の壁の線。スマートフォンの中の扉。
「……これ、どういうこと」
相談者の声が震えていた。指が画面の端を掴んだまま離さない。
「分からない。けれど、確かに映ってる」
優菜が静かに言った。ペンが記録用紙の上で止まったまま。文字を書く手が動かない。
「この動画、誰が撮ったんだ」
俺が尋ねた。相談者が顔を上げた。
「バスケ部の、先輩。名前は……知らないです。掲示板に上げてたから、保存しました」
「掲示板に」
「はい。『放課後のバスケ部』ってタイトルで。私が見つけたのは、夜の八時頃です」
優菜がスマートフォンを操作した。画面の端に表示されている投稿情報を見る。
「投稿時刻……十七時三十二分」
「五時半か」
「うん。放課後から一時間くらい後ね」
俺は画面の中の扉を見た。校舎図を見た。壁の線。扉。壁の線。扉。
(現実の校舎にはない扉。けれど動画にはある)
頭の中で二つの情報が重ならない。重ねようとしても、ずれる。
「シーサー」
小声で呼んだ。胸元のポケットからぬいぐるみの頭が出ている。黄色いボタン状の目が動いた。
「何かしら結人くん」
「この動画の出所、調べられるか」
「当然でしょ。配信者としてのプライドにかけて」
シーサーがぬいぐるみの小さな手でポケットからスマートフォンを取り出した。器用に画面を操作する。小さな指が画面をタップする音が、部室の静けさの中で響いた。
「えっと……タイトル『放課後のバスケ部』。投稿者……アカウント名はバスケ部の三年生っぽいね。コメント欄は特に何もなし。再生回数は……あまり多くない」
「投稿時刻は十七時三十二分。撮影時刻は十六時十二分」
優菜が補足した。
「撮影してから約一時間後に投稿。普通だね」
シーサーが頷いた。
「加工の跡は見当たらないよ。編集ソフト使った形跡もなし。ただのスマホ撮影の動画」
「加工してない」
俺は画面の中の扉を見た。加工してない。けれど、ここに扉がある。
「じゃあ、本当にこの場所に撮影されたってことか」
「そうなるね。だって加工してないなら」
シーサーの声が少し低くなった。
「現場に行ってみよう」
俺が言った。相談者が顔を上げた。
「え?」
「同じ場所を撮影して比べる。動画の中の場所と、実際の廊下。どこが違うか見れば分かる」
「でも、もう暗くなってるし——」
「薄明かりでも廊下なら見える。行こう」
俺は立ち上がった。椅子が軋む音がした。優菜も立ち上がる。
「賛成。現場確認は大事」
相談者は迷ったようにスマートフォンを見た。それから頷いた。
「……分かりました」
* * *
放課後の校舎は静かだった。部活動の声はもう聞こえない。窓の外は夕闇が迫っている。廊下の蛍光灯が点いているが、薄暗い。
俺たちは一号館の二階へ向かった。階段を上る足音が響く。相談者の足音が少し遅れてついてくる。
渡り廊下を渡る。西側の窓から最後の夕光が差し込んでいる。コンクリートの床が橙色に染まっている。
「ここだ。渡り廊下から左」
俺が廊下の角を指した。掲示物が三枚並んでいる。文化祭のポスター。動画の中と同じ配置だ。
「掲示物、同じ位置だね」
優菜が確認した。
「うん。ここを曲がる」
俺は角を曲がった。廊下の奥へ。動画の中と同じ。窓が廊下側にしかない。暗い。日が届かない。
突き当たり。
壁だった。
「……壁だ」
相談者の声が小さく響いた。
目の前には灰色のコンクリートの壁がある。何もない。扉も、取っ手も、扉枠もない。ただの壁だ。
俺はスマートフォンを取り出した。動画を再生する。廊下の掲示物。曲がり角。廊下の奥。突き当たり。扉。
「同じ場所だ。けれど——」
画面の中には扉がある。現実には壁がある。
「ここに、扉がある」
相談者が画面を指差した。その指先の先には壁しかない。
「動画を撮ろう」
俺はスマートフォンを構えた。現実の廊下を撮影する。掲示物から角から廊下の奥から突き当たりの壁まで。動画の中の廊下と同じ構図で。
「撮った。比べてみよう」
俺たちは廊下の突き当たりでしゃがみ込んだ。床にスマートフォンを二台並べる。一台は元の動画。一台は今撮った廊下。
掲示物。一致。
曲がり角。一致。
廊下の長さ。一致。
廊下の突き当たり。
元の動画には扉がある。今撮った廊下には壁がある。
「窓の位置見て」
優菜が指差した。元の動画の画面。廊下の右側。窓が見える。
「この窓、廊下の右側にあるよね」
「ああ」
俺は今撮った動画を見た。廊下の右側。窓がある。位置は——
「……違う」
俺の声が低くなった。
「窓の位置が違う」
元の動画では、窓が廊下の途中に二つある。今撮った廊下では、窓が一つしかない。位置も違う。元の動画の窓は曲がり角のすぐ近くにある。今の廊下の窓は突き当たりに近い。
「扉の位置も違う」
相談者が指差した。元の動画。扉は廊下の突き当たりにある。
今の廊下。突き当たりは壁。扉はない。
「廊下の形は同じなのに、窓と扉の位置が違う」
優菜が呟いた。ペンを持っていない。手帳も開いていない。ただ二つの画面を見ている。
「これ、本当に同じ校舎か」
俺が言った。
「校舎図と一致してる。掲示物も曲がり角も。廊下の長さも」
「でも窓と扉が違う」
「……同じ場所に、別の校舎が重なってる、みたいな」
優菜の声が震えていた。
ふいに元の動画が、勝手に動いた。
「え?」
俺の手がスマートフォンから離れた。画面の中で、廊下が動いている。再生ボタンを押していない。けれど動画が動いている。
「止まってないの?」
相談者が声を上げた。
「いや、俺は何も——」
画面の中の廊下。突き当たりの扉。開きかけた扉の隙間。その隙間から、誰かが出てきた。
制服を着た女子生徒。リボンが見える。髪が揺れている。
「あの子だ」
相談者の声が裏返った。
画面の中の女子生徒が、廊下を歩き始めた。掲示物の前を通り過ぎる。曲がり角に近づく。
「動いてる。再生してないのに」
優菜がスマートフォンに手を伸ばそうとした。けれど触れなかった。手が止まった。
画面の中の女子生徒が、こちらを見た。
画面の中から、こっちを見ている。
俺は画面を見た。女子生徒の目が、画面の向こうで俺を見ている。
「……助けて」
声がした。
スマートフォンのスピーカーからではない。廊下に響いた声だ。俺のすぐ近く。
「今の、聞こえた?」
優菜が俺を見た。
「聞こえた。助けてって」
「あの子が——」
相談者が画面を指差した。
画面の中の女子生徒が、口を動かしていた。声は聞こえない。けれど唇の動きが分かる。
『たすけて』
その唇の形を、俺は見た。
画面の中の廊下。窓。扉。女子生徒。
現実の廊下。壁。窓が一つ。扉はない。
「映像を止めよう」
俺がスマートフォンに手を伸ばした。再生ボタンを押す。画面が止まった。廊下が静止する。女子生徒の姿が止まる。
止まった。
はずだった。
画面の中で、女子生徒の目が動いた。
静止しているはずの画面の中で、女子生徒の目だけが動いた。左右に。こちらを探すように。
「動いてる」
相談者の声が震えた。
「止めたのに。動いてる」
画面の中の女子生徒が、ゆっくりと顔を動かした。静止した廊下の中で、女子生徒だけが動いている。首を傾げる。こちらを見る。
「優菜」
「うん」
「この映像、本当にただの動画か」
「分からない。けれど、普通の動画じゃない」
優菜の手が震えていた。俺の手も震えていた。けれど目は画面から離せない。
画面の中の女子生徒が、もう一度口を動かした。
『たすけて』
唇の形が、はっきりと分かった。
俺はスマートフォンを握り直した。画面の中の廊下と、現実の廊下を見比べた。
同じ場所。けれど違う校舎。違う窓。違う扉。そして、映像の中に閉じ込められた人。
「……行くしかない」
俺の声が、暗い廊下に響いた。